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「ミツルの章《予告編》」
§26§「ミツルの章《予告編》」 ≪万里様作品≫

 あるレストランにて・・・・

女「ね、ちょっと、あれ!隣見て!」
女「な〜に?・・・・・はっ!なんてビジュアル!激悶え!」
女「・・・今外したマフラーペアじゃない?色違いの・・・しかも手編みと見た!」
女「いや〜〜♪クリスマスプレゼントね!きっと!外に堂々とペアで外出できる攻め様。受け子ちゃんは愛されてるわ〜〜♪」


マサト「聞こえたか・・・・」
ミツル「・・・生憎耳はいいんで・・・」
マサト「今時の女は皆ああいう風か?」
ミツル「知りません・・・ミルクは違いますよ。」
マサト「一緒にすんじゃねぇ。」
ミツル「受け子ってなんだろう・・・・・?」
マサト「なんだ?お前知らねぇのか?ゲイで女役の奴が受け、男役の奴が攻めって言うんだぜ。この場合、受けはおめぇだな。」
ミツル「・・・っ!なっ、何で俺なんですかっ?!貴方かも知れないじゃないですかっ?!」
マサト「俺の体格でそれはねえ。お前何処となく仕種が似てるなミルクに。驚いた時の表情とか・・・。」
ミツル「兄妹ですから・・・って、話をすりかえないでください!」
マサト「そう怒るな、もうすぐ義兄弟じゃねぇか?仲良くしょうぜ?・・・・・あまり大きな声を出すな。ここにきた目的を思い出せ。」
ミツル「うっ・・・・すいません。・・・・でも、義兄弟といってもミルクは妹だから、貴方は義弟ですね。ふんっ!」
マサト「・・・・ミルクは欲しいが、こんなアニキはいらねぇかも・・・・」
ミツル「同感です・・・・。」
マサト&ミツル「「はぁ・・・」」


女「いや!顔が赤くなったわ♪受け子ちゃん!」
女「きっと甘い言葉をいわれて、恥ずかしかったのね!」
女「いや〜〜〜、見詰め合ってる!!!!」
女「愛の言葉を囁いてるのよ、攻め様が!」
女W「「ラブラブだわ〜〜、激悶え〜〜〜♪」」

<27>
「ミツルの章《序章》」
§27§「ミツルの章《序章》」

 赤いリボンに太腿が見えそうなチェック柄のスカートの制服。
 だぼだぼのルーズソックスの上には剥き出しの可愛い膝小僧。
 女子高生にしても幼く見える顔立ちは、童こけしに似た風貌がある。
 サラサラのロングヘアを赤いゴムで左右に緩くまとめている。
 友達と笑いながらクレープを食べるのが似合いそうな、ごく普通の女子高生だ。

 けれど、今、彼女の表情は恐怖にひきつっている。
 ジリッ、、ジリッ、、と、ルーズソックスの足を後ずさりしている。
「、、ァッ、、いやッ!、、、来ないでッ!」
 結わえた髪の先を大きく揺らして首を振る。
 目に溜めた涙が飛び散る。
「うだうだぬかしてんじゃねぇーッ!」
 男の太い指が制服の少女の腕をつかむ。
「、、ひっ、、、いやぁー!、、、やめてぇーー!!」
 叫び声も虚しく、少女は男の逞しい腕に抱え上げられ、ベッドへと放り投げられた。
「いやぁぁ、、、帰るぅぅぅッ、、、」
 少女の叫び声は恐怖からか、かすれて弱々しい。
 それでもベッドから下りようと、体を起こすのを別の男がのし掛かって押さえつけた。
 別の男はすでにトランクス一枚になっている。
 そこにまた新たな男が参入し、少女の後ろに回って、腕と肩を抱えるように拘束した。
「おとなしくしてりゃ、可愛がってやるぜ?」
 後ろの男が耳元で言い聞かせると、耳たぶをしゃぶりだした。
「ほらほら・・・いいおっぱいしてんじゃねぇか。え〜?」
 少女の上にのし掛かった男が、ブレザーの前を開いて白いブラウスの上から胸の大きさを確かめるように鷲掴みにする。
「、、ぁ、、、ぃゃぁ、、、」
 消え入りそうな少女の声。
「ヘッヘッヘッ。男の味をたっぷり教えてやるぜぇ?」
 初めに少女の腕をつかんだ男は、二人の男が少女を押さえてる間に服を脱ぎ、全裸になってベッドに上がってきた。

「おらおらぁーッ。口開けてしゃぶるんだよッ。」
 威嚇するような声で命令されて、少女は口をわずかに開ける。
「もっと大きく開けなきゃ、入らねぇだろッ!」
 黒みがかったペニスを鼻と唇に押しつけられる。
「うっ、、、」
 少女が顔を背けるのを、後ろの男が顎をつかんで、前の男のペニスに向けさせる。
 少女は仕方なくペニスを口に頬張った。
「くわえてるだけじゃ、ダメだろッ!」
 また男の罵声が飛び、後ろの男が少女の後頭部に手を当てて前へ前へと押しつける。
 少女は鼻から呻き声を洩らしながら首を振って、ペニスを扱き始めた。
 シュブッ、、シュブッ、、シュブッ、、、
 嫌がっていたにしては、吸い付きが良かった。
「ヘヘヘッ。・・そうそう。その調子でしっかりしゃぶれよ。」
 男は腰に手を当て、腹を突き出す。

 少女がペニスに手を添えてしゃぶり始めたのを見て、のし掛かっていた男は少女から下りて、今度はスカートを捲り、いちご柄の可愛いパンツを剥ぎ取った。
 片足を肩に担いで、少女の太腿を大きく開かせる。
 恥毛も薄い股間が露わになる。
 男の指がクリトリスを捕らえ、グリグリ、、と二本の指で擦り始めた。
 後ろの男も少女のブレザーを脱がせ、赤いリボンをむしり取ると、ブラウスの前をはだけた。
 いちご柄のブラジャーをした少女は、口をペニスで塞がれ声も出せずに、されるままになっている。
 ブラジャーの肩紐を下ろして少女の胸の膨らみを剥き出しにした後ろの男は、乳首をつまんでこね回す。
 三人の男に体の自由を奪われた少女は、儘ならぬ体に受ける愛撫に、次第にうっとりとした目になって、甘えた鼻声を洩らしていた。

  あぁぁ、、、臭い、、、なんて臭いのぉ、、、
  ちゃんとお風呂入ってるんだろかぁ、、、あぁぁ、、、臭くて、、いい匂い、、、
  あぁぁ、、、気持ちいい、、、もっと、、、もっとぉ、、、
  もっと、乳首をグリグリしてぇ、、、
  もっと、奥まで、、、おまんこの中まで指を入れてよぉ、、、

 少女はうっとりとペニスをしゃぶり続けている。
「可愛いおっぱいしてるぜぇ。・・乳首がピンク色で柔らけぇ・・・」
 後ろの男は少女の上半身をすっかり裸にして、脇の下から回した両手で、二つの乳首をキツクつまんで回している。
「おまんこがもうビショビショだなぁ。ヘッ。そんなに俺の指が欲しいってかぁ?ハッハーッ。」
 スカートとルーズソックスはそのままで、大きく開かれ晒された膣口に男の指が押し込まれた。
「、、ん、、、んぐっ、、、ん、、んー、、、」
 ピチャピチャピチャピチャッ、、、と音がして、男の指が忙しなく小刻みに震えている。
「愛液が・・ほぉ〜ら・・・シーツまで垂れてくるぜぇ。」
 男は一度指を抜いて、愛液が滴る指を少女の前でこねて見せる。
 そして今度は指を三本にして膣に突っ込んだ。
「んッ、、、んんー、、、んんんーーッ、、、」
 声を出せない少女は鼻を鳴らして背中を反らした。
「ヘヘッ。感じてたまらねぇってか?・・どうだ、欲しいか?」
 ペニスをしゃぶらせていた男が、少女の口から赤黒くテカったペニスを抜き出して聞いた。
「ぁ、、、ぁふっ、、、欲、、しぃ、、、」
 少女がねだるように上目遣いに男を見上げた。
「ヘッヘヘヘッ。よぉ〜しッ。今、ぶち込んでやるぜぇッ。」
 全裸の男の合図で、足を開かせている男が少女の膣から指を抜き、少女の頭の方へ移動した。
 全裸の男が押し上げた少女の両足を、後ろの男が更に高く上げて、両足首を自分の体の両側でつかんだ。
「俺の大砲をぶち込んでやるぜぇ。」
「あッ、、、あぁぁぁぁぁッ、、、あーん、、、」
 少女は大きく仰け反りながら男を受け入れた。
 その間に、巧みな指使いで少女を翻弄していた男はトランクスを脱ぎ、今度は少女に自分のペニスをくわえさせた。
 後ろの男は、自分も我慢出来ない、とばかりにトランクスをずり下げ、少女の手に勃起しているペニスを握らせた。
「、、ん、、、ぐふっ、、、ん、、んん、、、」
 男三人のいきり立ったペニスが少女を襲う。
 少女の膣に赤黒いペニスをぶち込んだ男は、忙しく腰を動かし少女の子宮を突き上げる。
 少女にペニスをくわえさせた男も自分で腰を動かし、少女の口を犯す。
 少女の手にペニスを握らせた男は、包み込んで扱き上げる手の動きに、悦に入った顔で感じ入っている。
 中腰の男達が少女を取り囲んで顔を向き合わせ、それぞれに快感を貪り、荒い息継ぎをしている。
 少女も恍惚と目を細め、
「、、んふっ、、、ん〜、、、んっん〜っ、、、」
と、甘えた鼻声を洩らす。
 奥まで突き上げられるたびに背中を大きく反らせ、自分からも腰を振り花陰で、ギュゥーッ、、と締め付ける。
 くわえたペニスを吸い上げて、舌の先で口の中で暴れるペニスの裏筋を刺激する。
 ペニスをつかんだ手を休まず動かし、手首のスナップを利かせて先端から根元までを巧みに扱き上げる。
 泣き叫んで嫌がっていたはずの少女が、一変して男を喜ばせ奉仕する抱き人形になろうと、たいした問題じゃない。
 童顔の女子高生が大人の男達に嬲られる構図は、それだけで見応えがあるのだ。

  あぁぁ、、、気持ちいいよぉ、、、
  どう?、、、見てよ、、、三人の男達はあたしに夢中よ、、、
  あぁぁ、、、体の中を大きなナマズが動き回ってるぅぅぅ、、、
  熱くて熱くて、、、ビリビリ、、痺れちゃぅぅぅ、、、
  あぁぁ、、、口が犯されるなんて、、、なんて素敵なのぉぉ、、、
  舌の感触、、、この臭い、、、口の中に溢れてくる、、この苦みぃ、、、
  あぁぁ、、、掌の中で、、ドクンドクン、、って脈打つ逞しさぁぁ、、、
  みんな、、みんな、、、気持ち良くてぇ、、たまらないぃぃぃ、、、
  あぁぁ、、、男達の欲望も、、、愛撫も、、、ペニスもぉ、、、
  みんな、、みんなぁ、、、あたしの物よぉぉぉ、、、

 少女の胸が大きく上下する。
 息苦しそうに鼻息が荒くなる。
 ペニスをくわえさせた男は、そろそろ潮時と、少女の口の中に射精した。
 火照った顔で口を開けている少女が、咽せ込んで白濁液が飛び出し、顔にかかる。
「、、ぅ、、ゴフォッ、、、あぁぁぁ、、、あぁぁぁぁぁん、、、」
 ようやく口を開放された少女が、甲高いよがり声を上げる。
「俺も先にいくわ。」
 そう言った後ろの男は、少女の手からペニスを自分の手に持ち替え、少女の顔を目掛けて思い切り精液を飛ばした。
 少女はもう意識が半分飛んだ焦点の定まらない目をして、逆上せきった頬を赤くしている。
 赤く染まった頬にも、鼻や口、目の上にも白濁液がかかった。
「おーしっ。最後に俺の濃いエキスをたっぷり注ぎ込んでやるぜぇ。」
「あっあぁぁぁっ、、、あぁん、、、あぅぅん、、、」
 少女にはもう男の声が届かないのか、体を痙攣させて首を激しく振っている。
 男は大きく吠えると、少女とピッタリ体を合わせて動きを止めた。
 それから、ゆっくりと少女の体から離れる。
 少女はぐったりとして、男が離れた時の状態で、だらしなく股を大開きにしている。
 開かれた股間の中心から、欲望の残骸である白く泡だった液体が溢れ出してきた。


「はーい!OKでーす!」
 ベッドの後ろから声がかかる。
「じゃぁ、シャワー浴びてくるぜ。」
「あ、先輩。俺も・・」
 男三人が、やれやれ、と言った顔で部屋を出ていく。
 少女はしばらくぼんやりしていたが、怠そうに開かれていた足を閉じ、上半身を起こした。
「すごく感じてたみたいだねぇ?」
 ジーンズにトレナー姿の男が、少女の肩にバスタオルを掛けてやりながら笑いかける。
「、、、はぃ、、、何度もいっちゃいましたぁ、、、うふっ、、、」
 少女は悪びれもせずに笑みを返す。
「お疲れさん。・・今日はもういいからね。」
 ビデオカメラを覗いていた監督らしき男が声を掛ける。
「はーい。、、、お疲れ様でしたぁー!」
 少女はいったままの表情で明るく答えると、キャハハハッ、と無邪気に笑った。

<28>
「ミツルの章《発端》」
§28§「ミツルの章《発端》」

 よくある話だ。
 高度成長期の日本経済で、銀行は貸付額を競うように資金提供を進めてきた。
 開発促進部からアドバイザーのように出向いてくる銀行マンは、中小企業に設備投資を押し進めてお金を貸した。
 日本中が好景気に沸き立ち、誰もが今日よりいい明日を夢見ていた。
 バブルが崩壊し、元々無茶な大口の貸し付けを繰り返してきた銀行は、不良債権の処理に困ると、保身だけを考え態度を一変した。
 大口の貸し金や投資は、企業との癒着や政府からの圧力もあって、おいそれとは回収出来ない。
 取り敢えず、縁はあっても義理はない中小企業から、これまでの貸し付け金を回収する方針に変わった。
 貸す時は言葉巧みに、利息だけ返済していれば元金は業績が上がった時でいい、と躊躇う事業主に強引に貸しておきながら、方針が変わったからといきなり元金の返済まで求めてきた。
 折からの不景気で業績が上がるはずもなく、自分達家族や従業員の明日からの生活を思えば、到底事業を投げ出せるはずもなかった。
 銀行は契約書を翳して、法律を立てに裁判所経由で返済を求める。
 お金の工面が付かなければ、強制的に事業だけでなく土地やささやかな財産の全てを奪われてしまう。
 追い詰められた事業主はその場しのぎで、高金利金融に手を伸ばしてしまうのだ。
 そうやって生き延びられた企業はない。
 銀行が融資をうち切った時点で、(企業の)死刑判決は下っていたのだ。
 それでも生きようと足掻けば足掻くほど、傷は深まり周囲を巻き込んでいく。
 とうとう行き詰まって企業は倒産。
 事業主は自殺。
 運良く保険金が下りたとしても、債権者達が奪い合う。
 会社はもとより、家や土地、家財道具までも奪われた家族は、身一つで逃げるように小さなアパートに移り住む。
 それでも取り立て屋は容赦なく追ってくる。
 こんな話は、不況の嵐が荒れ狂う時代では、珍しくもなかった。

 浅田成美の場合もそうだった。
 それでも、恋人の水谷慎也の友達に法律に詳しい人がいて、連帯保証人だった母親は自己破産申請をし、成美と弟の竜一は遺産放棄をすることで、母子共に返済義務を免責してもらうことが出来た。
 父親の死は悲しいけれど、残された家族は頑張って生きていこう、と誓い合った。
 母親は惣菜屋で働いている。
 高校二年だった成美も、もうかなり前に授業料が払えず中退し、今はレストランでウェートレスをしている。
 弟の竜一は中学三年で、母親と姉から高校へ進学するように言われて、朝晩の新聞配達をしながらも勉強を続けている。
 悲しみを乗り越えて、力を合わせ明日への希望へと、今を細々繋げて生きていく。
 そう、どこにでもある話だった。

 贅沢は出来なくても明日の生活に困ることもなく、お小遣いが少ないと不平を言いながら、今時のファッションに凝ったり、好きなミュージシャンのコンサートに出掛けていく生活を、当然と思っている人達から見れば、涙ながらの感動物語でも、こうした生活をしなければならない家族は日本中に何万人といるだろう。
 何千万人が裕福だとしても、何万分の一の不幸はそう珍しくはなかった。
 だから、大多数の人々は、助けることは出来ないし、可哀想だとは思うけど、運が悪かったね、と言うしかない。
 それが現実だった。

 ただ、ごく身近にいる者にとっては、何万分の一の不幸とは思えない。
 それが好きな彼女なら尚のこと、どうにか助けてやりたい、と思うだろう。
 彼女にとっても、それが生きる支えになるはずだった。
 慎也も彼女の生活を助ける為に高校を中退して働こうか、と悩んでいた。
 だが、幼馴染みの親友、水瀬淳一は「あと半年で卒業出来るのだから、半年我慢しろ。」と反対した。
 資格を取るにも高校卒業が一つの目安になっている物がほとんどなのだ。
 将来的に資格を持てるかどうかで、雇用も相当に違ってくる。
 半年の辛抱が一生に響いてくるのだ。
 中卒で安定した収入を得られるようになるには、余程地道な修行と勤勉実直な働きによって奉公先に認められ、独立を許されなければ、なかなか難しいのが現実だった。
 一生をフリーターで過ごせるほど、社会は甘くない。
 定職につけずに家族を養うのも難しい。
 資格さえあれば、どこへ行っても需要はあるだろう。
 厳しい就職難とはいえ、何も資格がない人達よりは有利なはずだ。
 水谷慎也も親友の助言を受け、高校に留まることを決めた。
 それでもバイトをして、少しでも彼女を援助しようと頑張っていた。

 どんなに激しい嵐もじっと耐えていれば通り過ぎる。
 どんなに重苦しい黒雲が垂れ込めていても、いつかはきっと晴れる日がくるはず・・・。
 時々厚い雲の切れ間から射し込む一条の光。
 どんなに雲っていようと、その向こうには暖かな太陽があるのだ、と信じさせてくれる。
 いつか、きっと自分が彼女を幸せにしてみせる。
 二人で厚い雲を割って、明るい陽射しの中に飛び込もう。
 そうすれば、悲しい笑顔ではなく、心から笑って貰える時がきっとくるはず・・・。
 水谷慎也は今ほど彼女、浅田成美を愛しいと思ったことはなかった。
 心から真剣に、自分以外の存在の幸せを祈ったのは、初めてかも知れない。
 慎也の内側から、男気とも言うべき熱い思いが燃え上がっていた。

 けれど、現実は感動物語など容易く裏切るのだ。
 法的に返済を免れても、悪どい裏金融はそう簡単に許してはくれない。
 まして絶好の餌食となる”美少女”を目の前にして、すんなり諦める訳もなかった。
 証拠を残さない嫌がらせの類を、警察が監視してくれるはずもなく、相談には乗ってくれる市民団体も24時間付きっきりで彼女や母親や弟を守るなんてことは出来るはずもない。
 弟だけは世間並みに学校へ行かせてやりたい、と母親と共に決意した彼女にとって、弟を立派な社会人にすることが、冷たかった世間への意地だった。
 倒産し、父親は自殺、家も追い出された現実は、多感期の竜一にどれほどの心痛になっているか。
 自分も慎也の支えがなければ投げ遣りになっていたかも知れない、と思うと、成美はこれ以上の心労を竜一には掛けさせたくない、と祈るように思っていた。
 だが、汚い連中はそうしたもっとも弱い部分を突いてくる。
 嫌がらせは自分の所で食い止めなければ、と成美が思っても無理なかっただろう。
 それが敵の罠と承知で、成美は落ちるしかなかった。

 初めはバイト程度に働いて、稼ぎの何割かを紹介料としてバックすればいい、と言われた。
 表向きはウェイトレスの仕事を続けながら、誰にも知られずに出来るなら、と取り立て屋から紹介された男の言う仕事を引き受けることにした。
 それは、現役女子高生として裏ビデオに出演すること。
 年齢的には確かに女子高生だし、事業主の娘として経営が悪化するまではそれなりの生活をしてきたお嬢さん顔で、派手さはないが、むしろそれがロリータ好みの幼顔に見えた。
 成美は高校に入学してすぐくらいから慎也と交際を始めていたので、セックスの快感は知っていた。
 知らない相手とのいきなりの行為は抵抗があったが、高校生にはないテクニックにこれまで知らなかった快感を味わった。
 どうせビデオを買い求めるのは、冷たい世間の男達。
 はなから世間になんて期待はしていない。
 親切顔の高校の教師も、授業料が払えないことを口では心配しても、中退した後まで気にしてくれはしなかった。
 やたらお世辞を言っていた取引先のオヤジ達も、会社が傾き出した途端に、道で会っても関わりを避けて無視するようになった。
 一緒に頑張ってきたはずの従業員達でさえ、滞納している賃金の請求を、取り立て屋並みにしつこく要求してきた。
 こんな奴等の為に、父親はお金を工面してギリギリまで踏ん張った挙げ句に、「償いに保険金で精算してくれ。」と書き残して自殺したのだ。
 世間なんて大なり小なりそんな連中ばかり。
 いくらでもスケベ顔で裏ビデオを買えばいい。
 厚顔無恥な連中に持つような恥は自分にはない。
 成美はバイトして手元に残るお金をワザと浪費して、ビデオに金を出した男達を嘲笑ってやった。

 ビデオの売れ行きが良く、好事家のファンが付くようになって、紹介屋の男は好事家相手の売春を勧めてきた。
 都合のつく時間だけでいい、と言われたことと、慎也がバイトで最近は夜もあまり会えないこともあって、成美は売春もするようになっていった。
 紹介料と称して巻き上げられるお金がほとんどでも、手元にもそれなりの金額が入るようになった。
 それだけでも普通にバイトするより、短時間で高額を得られた。
 ただ、そのお金を家族には使いたくなかった。
 弟の為にもレストランでの仕事は辞められない。
 弟には穢れていないお金で勉強して欲しかった。
 けれど、穢れているとは言え、お金はお金。
 自分の楽しみに使って何が悪い。
 人の不幸を影で笑っていたクラスメート達が、欲しがる物を手に入れた時の快感は、簡単に言葉では言い表せない。
 平凡な幸せが手に入るなら、他に欲しい物なんてない。
 だけど、平凡な幸せの中にいて、あれもこれも欲しいと言ってるような奴等が、欲しがってもなかなか買えない物を買う時の快感。
 優越感でも満足感でもない。
 「こんな物が欲しいの?だったら、さっさと不幸になればいいッ!」と言ってやりたい、酷く冷めた感覚だった。
 援助交際でお小遣いを稼ぐバカな子達。
 自分で自分を売り物にしているだけの売春じゃない。
 裏とはいっても、ビデオ界のアイドルが、好事家の中から選び抜かれたお金持ちのおじ様相手にする売春は、格も稼ぐ桁も違うのよ。
 ご覧なさいな。
 高級外車から降り立つブランドで身を固めた私の姿を。
 精々羨ましがって、自ら地獄への階段を下りていけばいい。
 成美は次第に”娼婦の心”になっていった。

 成美の変化を慎也が気付かないはずがない。
 服装が派手になったり、化粧がきつくなるのは、高校生を辞めて社会に出たせいだと思えば、そう不自然ではないだろう。
 家族の為に働いていても、自分だってお洒落したいのは当然だろうし、それを咎めるつもりもない。
 毎日の仕事で疲れていれば、会うたびに関係するのがキツイ、と言うのを理解してやるのが男の誠意だと思う。
 そう思うようにはしていたが、何かが違う。
 いや、違っていく。
 慎也には以前のように甘えてきてはいるものの、時々、成美の言葉や態度がトゲのように突き刺さる。
 慎也の話を子供過ぎると冷笑することさえある。
 慎也だってまだ18歳の少年なのだ。
 高校に通いながらバイトして、彼女に全額渡しているのに、たいして喜びもせず、関係は拒否し続け、皮肉げな批判までされたら、怒りたくもなる。
 「俺が鬱陶しいなら、別れればいいだろッ!」と、怒鳴りつけた。
 成美は真っ青になって泣いてしがみついてきた。
 成美にとっては、慎也は自分の一番綺麗な心で好きになった唯一人の存在なのだ。
 慎也を失うことは、自分自身を失うことと同じ。
 成美は慎也を夢中で求めた。
 慎也も気持ちが落ち着けば、”別れる”と言ったのは本気ではなかった、と思う。
 泣いてすがる成美は可愛い。
 だが、あれほど関係を嫌がっていたのに、一度肌を重ねると別人のように激しく悶えて求めてきた。
 慎也の精気を奪い尽くす勢いで求めてくる。
 こんなに積極的だったろうか、と疑問が浮かぶ。
 それにいつの間にか、テクニックが格段と上がっている。
 成美を愛しながらも、新たな疑惑に気持ちが晴れない慎也だった。

 不安になった慎也はバイトを休んで成美をこっそり観察するようになった。
 そして、恐ろしい事実を知ってしまう。
 成美の後を付けていた休みの日、マンションの一室へと彼女が入っていった。
 一時間以上待っていた所、中からいかにもチンピラ風の男が二人、その部屋から出てきた。
 身を隠している慎也の側を通り過ぎながら、「スゲェ玉だぜ。男三人押されちまってるじゃねぇか。」「あぁ。見ながら抜いたが、鼻血が出そうになっちまったぜ。」「自分でハメてる腰を動かしながら、他の男のチンポに吸い付いてるもんなぁ。」等と会話していた。
 まさか、成美が?!
 信じられない思いで待っていると、数時間後に一人の男と成美が腕を組んで出てきた。
 逆上せ顔で、熱く潤んだ目をしている成美。
 明らかに行為の後だとわかる様子で、その相手らしい男と腕を組み、もたれて笑っている。
 いかにも楽しそうに笑っている?!
 二人の後を付けると近くの喫茶店に入っていく。
 成美の向かいに座った男が、「今度、オフでデートしようぜ。」と誘うのに対して、「ダーメ。会って欲しいって予約が詰まってるんだもん。オフデートなんて時間の浪費だわ。デートしたいなら、パパ達くらいにお金を払ってくれなきゃ。」と笑って言う。
 成美の口から出てくる言葉とは思えなかった。
 お金を払うパパと言ったら、パトロンかその類。
 ようするにお金で成美の体を買っている男達のことだろう?
 男は、「ま、俺は仕事でもたっぷり中出しさせて貰ってるから、いいけどさ。」と、悪びれずに言い返す。
 そんな会話を笑顔で出来る二人が現実のものとは思えなかった。
 慎也は二人が店を出ていった後も、呆然と座り込んでいた。

 慎也は、それから自分がどこで何をしたのか、よく覚えていなかった。
 気が付いたのは親友の家に、泥だらけ、傷だらけで転がり込んだ後だった。
 水瀬淳一は、顔を見るなり殴り掛かかってきた慎也を押さえつけたが、今度は大声で訳のわからないことを叫んで号泣し始めてしまい、どうにか自分の部屋へ連れていって、怪我の手当をしてやった。
 そして、慎也からことの顛末を涙ながらに打ち明けられたのだった。

<29>
「ミツルの章《難問》」
§29§「ミツルの章《難問》」

「俺が、高校を続けろ、って言ったのが悪かったのかな・・・?」
 水瀬は項垂れて溜息まじりに言った。
 有栖川美都琉と二人だけの生徒会室。
 元生徒会長と副会長。
 すでに生徒会からは引退していた二人だが、込み入った話があるので使わせてくれ、と後輩達を帰した後、水瀬はミツルに親友のことを話したのだ。
「いや。それは正しい助言だと思うぞ。」
 ミツルは腕組みをし、イスの背に寄り掛かって眉を曇らせながら、そう言った。
 ミツルは前にも、借金取りに困っている知り合いをどうやって助ければいいかを聞かれ、自己破産や借金の遺産放棄という手段があることを話して、そうした手続きの援助や指導をしてくれているボランティアの市民団体を紹介したことがあった。
 その後、免責されて新しい出発を頑張っている、と聞いていただけに、水瀬が水谷慎也から聞かされたような事態になっていることが、少なからずショックだった。
「・・・彼女も彼女だよ。何で半年が待てなかったのか・・・」
 水瀬は親友のことだけに、胸の痛みはミツルの比ではないのだろう。
 呻くように言って、歯ぎしりをする。
「・・取り立て屋が何かしたのかもな。・・汚い連中は、法の盲点を突いた悪どい手段を使うこともあるらしいから。」
 アドバイスした時、そうした連中の存在を考えなかった訳ではないが、ミツルの立場的に出来ることは、最善策と思えることを話すことぐらいしかなかった。
 親友の水瀬にしても、”高校を辞めるな”と助言し、後は励ますくらいしか出来なかった。
 友情という範疇でどれほどのことが出来るだろう。
 漠然とした相談に適切と思えるアドバイスをする以外何が出来ると言うのだ。
 二人に責任はない。
 ただ、心が苦しかった。
 ミツルは水瀬に、
「あまり考え過ぎるな。君の助言は正しいと俺も思うぜ。君の親友が冷静になるまでは、彼女に会わないようにした方がいいだろうが・・君自身、受験が近いことを忘れるな。君の一生だって大事だぞ。君自身の失敗を誰が補ってくれる?誰もいないだろう?・・自分を忘れるな。」
と、肩に手を置いて言った。
「・・・あぁ、わかってる。・・・けどなぁ・・なぁ、有栖川の知り合いに『世界人権擁護団体』の仕事をしている弁護士がいるだろ?・・どうにかならないかな?」
「・・うーん・・・人権とその場合とは違う気がするが・・・一応聞いてみるよ。」
「頼む。・・こんな時に悪いな。」
「俺は大丈夫だ。・・だが、あまり期待しない方がいいと思うぞ。」
「それでもいいから・・頼む。」
「あぁ。」
 両手を合わせて拝む水瀬に、ミツルは苦笑して答えると、忙しく生徒会室を後にした。

 同じ塾に通う内に親しくなった他校生の川端祐二に連絡を取り、『世界人権擁護団体』の弁護士をしている川端の兄、川端孝一に会えるようにアポイントを取って貰った。
 学生の身分で弁護士に相談など出来るはずもない所を、弟の友人で同じ弁護士を目指していると聞いてから、ミツル自身を弟のように可愛がってくれている人物だった。
 川端孝一は、
「今、WRM(世界救助機関)センターにあるWHNG(世界人権擁護団体)事務所にいるから、良ければおいで。話くらいなら聞けるからね。」
と、直接本人から、すぐにミツルの携帯に連絡してきてくれた。
 ミツルは好意に甘えて訪ねることにした。
 川端孝一は笑顔でミツルを出迎えてくれた上に、使用していない会議室で真剣にミツルの話に耳を傾けて聞いてくれた。
「・・そうかぁ・・・それは可哀想だなぁ。」
 川端の家は家族全員がクリスチャンで、信心深く愛情豊かな人達だったので、孝一も心から同情を感じているようだった。
「・・ただ・・僕には専門外で、まして民事不介入を逆手に取った行為をどうすればいいのか・・・。ヘタをすれば彼女自身が犯罪者になるしね。・・そうはしたくないだろう?」
「はい。・・それで僕も警察の知り合いには相談出来ないんです。警察機構に所属していて秘密を隠しながら保護だけをする、なんてことは出来るはずがありませんから。相談しても先輩を困らせてしまうだけです。・・犯罪の事実を知ってしまえば、黙殺すれば警察への裏切り、報告すれば信頼への裏切り、と余計な心労を掛けるだけですから。」
「そう。・・問題はそこなんだよな。・・風俗関係の仕事をしている弁護士の知り合いが、いない訳じゃないけどねぇ、弁護士の力だけでは救いようがないなぁ。・・いっそ保護して貰って、情状酌量で保護観察処分になれば、裏組織の手は出せないかも知れないが・・・万一、薬でも使っているとしたら、少年院は確実になるだろうね。」
「・・・薬ですか・・・」
「よく使うらしいよ。そうした業界は。」
 川端は、可哀想だけど、という表情をして、溜息を吐きながら首を振った。
 ミツルは立ち上がって丁寧にお辞儀をすると、
「わかりました。お仕事中を裂いてくださって感謝しています。・・友人にも難しい選択肢だと話してみます。・・どうか、このことは・・・」
と、言いにくそうに言った。
 孝一は優しく笑って、
「心配ないよ。・・僕は専門外だからね。今ある仕事で手一杯で、どうも警察への協力が滞りがちのようだよ。」
と、口外しない約束のように、軽くウィンクしてくれた。
「ありがとうございます。」
 ミツルはもう一度頭を下げて礼を言うと、孝一と別れて、WRMセンターを後にした。
 ミツルには、もう一件寄りたい所があった。
 出来れば顔も見たくない相手だったが、裏世界には通じているだろう高藤英が頭に浮かんでいたのだ。


 一階にケーキショップと喫茶店があるビルの三階に高藤の弁護士事務所がある。
 高藤はミツルから先に電話を貰っていたので、残っていた事務の者を帰して一人で待っていた。
 時刻はすでに夜の9時を回っていた。
 母親はさっきケーキショップを閉めて、自宅に帰っていった。
 ミツルの帰りが遅いと、ミルクが一人で留守番していることになり、不安がっているだろうからと、高藤から母親に、早く帰ってやるように言ったのだ。
 高藤は自分で入れたコーヒーをミツルに出してから、余計な雑談はしないで本題を聞き始めた。
 ミツルが自分を嫌っていることは高藤も知っていたし、ミツルの年頃の男子なら母親の恋人に反発するのも当然だと思う。
 それでも、相談したいと言ってきたのは、余程深刻な問題を抱えているからだろう。
 自分に出来ることは弁護士として対峙することだ、と高藤は考えていた。
 ミツルは私情を挟まずに、なるべく知っていることを詳しく話した。
 高藤にはどんな秘密を打ち明けても、外に漏れる心配がないことを承知していたからだ。
 高藤はミツルの話をコーヒーを飲みながら、静かに聞いていた。
 そして、ミツルが全てを話して大きく息を吐き、コーヒーを一口飲んだ時、
「わかりました。」
と、頷いた。
「取り敢えず、早急に手を打つべきなのは、事実を知って取り乱している水谷慎也でしょう。彼が思い詰めたり逆上して、浅田成美へ危害を加えてしまっては、もう警察が介入するのを止められません。・・水谷は押さえてありますか?」
 ミツルは、ハッ、として水瀬に携帯で確認した。
―「慎也なら自宅に帰ったよ。だいぶあちこちで暴れたのか、何したのか、・・朝方まで泣いていたからか、そのままウチで夕方まで爆睡で・・心配だったから近くの医者に頼んで診てもらったんだ。それで治療して貰ってから、自宅に送っておとなしくしてるように言っといたぜ?」
 ミツルが水瀬の言葉を伝えると、
「幼馴染みなら家は近いですね?水谷君が自宅にいるか、確認してきて貰ってください。」
と、高藤が言った。
 ミツルは眉をひそめながらも、水瀬に慎也の所在を確認するように伝えた。
 水瀬は確認したら電話すると約束して、急いで慎也の家に向かった。
 ミツルが水瀬との通話を切った時には、高藤が何処かへ電話していて、
「高藤です。ガラの保護をお願いしたいのですが・・――はい。名前は水谷慎也、所在は・・・」
と、ミツルに視線を向ける。
「水瀬は○○区○○××−×ですが・・」
「○○区○○××−×近辺です。――はい。お願いします。」
 高藤が事務机の電話の受話器を置いたので、二人で電話待ち状態になった。
 ほどなくミツルの携帯の呼び出し音が鳴る。
 そして、動揺した水瀬の声が、
―「ヤバイ!あのバカ、飛び出していっちまったらしい。」
と、懸念していた結果を告げた。
「いつだッ?」
―「夕飯を喰って、しばらくは部屋にいたって言うから、それほど時間は経ってないだろうが・・」
 ミツルが高藤に顔をしかめて見せる。
 高藤は頷いて、もういいから、と手振りしながら、再び電話を掛けた。
 ミツルは、
「わかった。君はもう自宅に戻っていい。知り合いが力になってくれるから心配するな。・・それより自分の勉強をしてろ。いいな?」
と水瀬を安心させるように言って、通話を切った。
 高藤は、
「ガラは移動中のようです。行き先は『シンフォニー』というレストランか浅田成美という女性のアパートかと・・――はい。――では。」
と、電話を切ってから、ミツルのいるソファーに戻って座った。
「焦っても仕方ありません。連絡を待ちましょう。」
 高藤はそう言って、残っていたコーヒーを飲み干した。
 ミツルもコーヒーを飲むと、
「彼を保護してどうするのですか?・・というより、本当に保護することが必要でしょうか?・・恋人なら恋人に真偽を確かめたいのは当然の心理でしょう?」
と聞いた。
「事件にしていいのなら、私は別に構いませんよ?・・多少強引でも興奮している水谷の身柄を確保して、冷静になることを促し、その間に浅田成美のバックを調べて、何らかの手を打つ方法がベストだとは思いますが。」
「・・・何らかの手?」
「知り合いに風俗関係の知人がおりますので。」
「・・・その知人がバックだったらどうします?」
 ミツルはコーヒーを飲みかけて、三白眼に睨みながら聞いた。
 高藤が苦笑する。
「それは有り得ませんね。」
 ミツルがコーヒーを飲み干したので、新しいコーヒーを入れる為に高藤は立ち上がった。
「本当でしょうね?」
 ミツルは半信半疑で、高藤の背中に言葉を投げつけた。
 高藤は気にすることなく、新しいコーヒーを入れ始めた。
「知人は裏ビデオは扱ってないと聞いたことがあります。不特定多数の顧客を抱えるのは、リスクが大きく、その割に利潤が少ないそうですよ。・・まぁ、小さな組織の小銭稼ぎくらいには、手っ取り早く丁度いいのでしょうけどね。」
 うっすらと目を細めて淡々と言ってのける高藤は、これまでミツルが会ったことのある弁護士とは明らかに雰囲気が違っていた。
 ゆらりと暗く渦巻く闇を背後に背負って薄ら笑いを浮かべる高藤が、得体の知れない化け物に見えてくる。
 こういう弁護士が、どう見ても罪のある者に、平然と無罪を勝ち取ってしまうのだろう。
 今なら高藤が凄腕の弁護士だとわかる。
 ただし、”悪徳”が付く弁護士。
 けれど、今は誰よりも頼りになる弁護士だった。

 ・・何で俺がここまで奔走しなければならないんだ?
 ミツルは、高藤が新しく入れてくれた熱いコーヒーを啜りながら、ふと思った。
 こうはなりたくない、と思っていた悪徳弁護士が目の前にいる。
 自分は家族を捨てて、母親という立場にある上まだ離婚も成立していない女性との関係に耽る最悪な男。
 ・・こんな奴を頼らなければならない理由は何なんだ?
 水谷という男もその彼女も、直接会ったこともない無縁な奴等じゃないか。
 たまたま同じ生徒会の友人である水瀬に相談されて、アドバイスしてやっただけだ。
 それ以上の心配をしてやる義理はないはずなのに。
 ミツルは気軽に相談に乗ってしまった重さを感じずにはいられなかった。
 理不尽な社会で、誰も彼もを救えるはずがなかった。
 まして今回は手段を間違えれば、救おうとしている相手を少年院へ送り込むという、逆転の悲劇もパックリと暗い口を開いて待ち構えている。
 だが、もし浅田成美が薬を服用している可能性があるなら、本当は更正施設に入れた方がいいようにも思える。
 ただ、そうなった時、逆上した水谷慎也が裏切られたと思い込み、水瀬やミツルにまで危害を加える可能性だってあり得る。
 怒りに濁った感情の激流は、方向性を失い暴れ狂う。
 ・・あの、角田美佳のように。
 逆恨みもいいとこだ。
 水瀬もミツルも、親切心だけで、心配し助言していたのだから。
 ミツルは気持ちが暗く沈んでいき、深い溜息を吐いた。
 世界中で一番嫌いな奴を頼っている自分が情けなくて、気持ちがどんどん悪い方向へと流れていってしまうようだった。

 ミツルが待つことにいい加減焦れてきた時、高藤のデスクの電話が鳴った。
「はい、高藤です。――あ、はい。ガラの保護が出来ましたか。ありがとうございます。――はい、承知しました。――はい。そのように致します。」
 ミツルは慎也の保護が出来たと聞いてホッと息を吐いた。
 それから、高藤が敬語を使う相手は一体誰なのだろう、と疑問を感じながら耳を澄ませていた。
 高藤は電話を終えると、
「水谷が浅田成美に接触する前に保護出来たそうです。多分、迷っていたのでしょうね。どう考えても事実は否めないことを、敢えて聞くことで彼女との関係が破綻しないかと、そこまで決意出来ない迷いが躊躇いとなっていたのでしょう。」
と、高藤自身もホッとした笑みを浮かべて言った。
「取り立て屋も紹介屋も裏ビデオ制作会社も売春斡旋も、全て同じ穴のムジナでしょうから、組織の上層部に弱みを突き付けて、二度と彼女に関わらないように忠告するのは容易いことです。」
 高藤の言葉にミツルは思わず目を見開き、
「ありがとうございます。」
と、頭を下げていた。
 高藤はミツルにちょっと肩を竦めてみせてから、
「礼を言って頂くのは早すぎます。」
と、苦笑した。
「その彼女の態度が気になりますね。・・貴方からの話を聞いただけですが、手を打つ前に少し観察して真意を確かめる必要がありそうです。彼女自身が自ら望んでいるとしたら、恋人の意向だけで強制的にやめさせるのは問題がありますし。」
「・・・そうでしょうか?」
「世の中には自分から進んで娼婦になる女性もいますよ?人より優れた容姿を武器に、貧困から抜け出し、生まれついてのお嬢様という人種を見下すほどの金品を持ちたいと望む女性もね。・・それを本人の意思に反して阻止する権利が誰にありますか?」
「恋人なら、正しい道へと導くのは当然ではないですか?」
「だったら、一人で勝手にすればいいでしょう。暴れたり泣きついたり、周りを心配させ迷惑を掛けながら、どうやって彼女を立ち直らせることが出来ますか?自分さえ一人で立っていられない男に、恋人を導く資格はありませんよ。」
 高藤は冷たく言い放った。
 それはミツルも頷ける意見だった。
 だが、相談されれば聞いてしまうし、聞けば何とかしてやりたいと思うのも人情だ。
 誰もが自分のやりたいことを自由にしていい、という世界が仮にあったとしたら、そこに警察は必要ではなくなり、社会の秩序というものが失われてしまう。
 殺戮と破壊と狂気が入り乱れる世界になったら、人類は滅亡するしかない。
 そうしない為にも、秩序とルールを守るべきだろう。
 その為なら、本人の意思に反しても、正しい道へと引き戻すべきだ、とミツルは思う。
 ミツルが押し黙って眉をひそめているので、
「言い過ぎましたね。済みません。」
と、高藤が謝罪した。
「僭越なことを申しました。・・取り敢えず、今日の所はこれ以上の手は打てませんので、後日動きがありましたら連絡致しましょう。」
 ミツルも頷いて長く暖めていたソファーから立ち上がった。
「お世話になりました。どうぞ、よろしくお願いします。」
 お互い違う思惑を抱えた上での儀礼的な挨拶となった。
「では、ご自宅まで送りましょう。」
「いえ。電車の方が早いですから。・・失礼します。」
 ミツルはこれ以上、高藤と顔を合わせていたくなかったので、頭を下げるとコートを着る時間も惜しむように高藤の事務所を出て行った。

<30>
「ミツルの章《マサト》」
§30§「ミツルの章《マサト》」

 翌日、ミツルは高校で顔を合わせた水瀬に、
「あの件は、知り合いが手を尽くしてくれているから、もう任せておけば心配ないぜ。」
と言ってやった。
 そう言うミツル自身は、何とも言えない心境なのが本音だったが、センター試験が来週に迫っているこの時期、水瀬に水瀬自身のペースをこれ以上崩して欲しくなかったのだ。
 水瀬が狙っている大学はギリギリのラインらしいことを、表情から察していたミツルの友を思う配慮だった。
 それでも水瀬は、
「・・慎也はどうした?」
と、暗い表情で聞く。
「思う気持ちが強い分、逆上しかねない、と知り合いが保護してくれている。」
「保護って・・・」
「まだ詳しくは聞いてないが、神経内科がある病院か・・・それに近い施設だろう。」
 適当な嘘だが、この際仕方がない。
 高藤が”保護”と言っていた以上、まさか袋叩きや簀巻きにはしていないだろう。
「・・そっかぁ。・・悪いなぁ。そこまでして貰って。」
「受験という敵を目前にした戦友だろ?・・クスッ。気にするな。・・それより、彼の家の方への連絡を頼むよ。心配していると問題になるしな。」
「それは大丈夫だ。元々外泊の多い奴だからさ。・・でも、友達の所に転がり込んでいる、って言っておくよ。」
 水瀬の表情が少し明るくなったので、ミツルは、
「ああ。そうしてくれ。」
と言って、水瀬の肩に手を置くと、
「お互い気持ちを切り替えて、試験までの時間を惜しみ、一心不乱に勉学に励もうぜ。」
と、鋭気を注ぐように力強くつかんだ。
「・・うん。そうだよな。・・ありがと。」
 水瀬にもミツルの気持ちが伝わったようで、笑顔になると頷いた。
 そして、お互いの教室へと別れていった。

 夜になって、ミツルの携帯に電話が入った。
―「遅くなって悪かったな。」
 ミツルは意外な声の主に一瞬息が止まった。
「・・あ・・・いえ・・・でも、どうして?」
 吐き出す息で疑問を口にした。
―「水谷慎也と浅田成美の一件。気になってんだろ?」
「・・えぇ。それはそうですが・・・」
―「今日にでも時間を作ってやりたかったが、他の仕事が外せなくてな。・・で、明日なら付き合えるから、彼女を見に行こう。」
「見に行くんですか?」
―「おいおい。助けようって相手の顔も見ねぇのか?」
「ぁ・・それもそうですね。」
―「夜8時までが成美の勤務時間だそうだ。夕方6時に待ち合わせして、そのレストランで食事しながら勤務ぶりを観察した後、仕事から上がるのを待って、必要があれば話を聞いてみようぜ。」
「え・・あ、メモします。」
―「バカか?これくらいソラで覚えとけ。余程自信がねぇ時以外は、証拠になるような物は残すんじゃねぇぜ。」
「ぅ・・済みません。」
―「ククッ。これくれぇを頭に入れたからって、別の試験用の知識が零れちまうほど、容量のねぇ頭はしてねぇはずだぞ?」
「・・・そうですね。・・で、待ち合わせの場所は?」
 ミツルは、信頼されているのかどうかは知らないが、マサトの言い様に少し、ムッ、として言った。
―「クックックッ。お前、今、膨れっ面したろ?・・アッハハハッ。やっぱ、兄妹だなぁ。正反対のようで、どっか似てるぜ。」
「どうぞ、勝手に言ってください。・・かつては双子とまで言われましたから、その手のからかいには慣れてます。」
―「・・・・・光と影の双子か・・・随分な言い様もあったもんだがな。」
 ミツルは、ドキッ、とした。
 マサトがそこまで知っているとは思わなかったのだ。
 ミルクは、ミツルをみんなが誉めることを嬉しそうに言うことはあるが、そうした批判的な中傷を人に愚痴ることは滅多になかった。
 それとも、そこまで話すほど頼り切っているのだろうか。
 いや。それより、マサトが独自に調べたと思う方が、当たっているように思う。
―「私服を用意しておけ。『蛇窟』の俺専用の部屋で着替えるといい。そこへ迎えに行くから、俺の車で行こうぜ。」
「わかりました。」
 ミツルは圧倒されたまま承諾した。
―「じゃぁ、頑張って勉強しろよ。ククッ。必要なだけ、な。」
 ミツルが、自分の読みたい本を読む片手間に、受験勉強をしていることを、見透かすように言って、マサトは通話を切った。
 ミツルは携帯を置くと、どっと疲れが肩にのし掛かり、首をコキコキ鳴らして解した。
 高藤のバックにマサトがいることは承知していたが、まさか今度の一件にマサト本人が乗り出してくるとは思っていなかった。
 高藤の電話していた相手は、マサト本人か、あるいはごく近い人物だったのだろう。
 そこまで気を配るほどに、マサトがミルクの周囲を守っているのだということを、今更のように感じるミツルだった。


 マサトから電話があった翌日、ミツルは下校した足で、クラブ『蛇窟』に向かった。
 いつも通り『蛇窟』の一階は、話し声が聞き取りにくいほどの大音響でハードロックが鳴り響き、センターフロア以外のあちらこちらでもリズムに合わせて体を動かしている若者達で溢れていた。
 踊ると表現するより、蠢いていると言った方がいいような人の群を掻き分けて奥のカウンターへと辿り着く。
 マスターはミツルの顔を見ただけで、心得ている、という顔で二階のVIP個室の鍵を渡してくれた。
 早速二階へ上がり、ビリヤード台の並ぶフロアを抜けて一番奥の部屋の扉に鍵を差し込む。
 カチリッ、と手応えがあり、重い扉を開けて中に入った。
 部屋は暖房が効いていて、扉が閉まると同時に静かな空間となる。
 ミツルは、こんな所で私服に着替えることを後ろめたく感じながらも、手早く制服を脱ぎ、持ってきた私服に着替えた。
 小百合から貰ったセーターの上にダウンベストを着て、ミルクのマフラーを首に掛け前で軽く縛る。
 お洒落に無頓着なミツルは、まぁ、こんな所だろう、とゆったりとしたソファーに腰を下ろした。
 と、携帯が鳴る。
―「支度は出来たか?」
「はい。」
 あまりにもピッタリのタイミングなので、ミツルは思わず部屋を見回した。
 どこかで見てるのかと思いたくなったからだ。
―「俺は車を道路につけてるから迎えに行けねぇ。荷物はそこに置いて鍵をかけて下りてきてくれ。鍵はお前が持っていていいからな。」
「あ、はい。わかりました。すぐに行きます。」
 ミツルが腕時計を見ながら返事をした。
 ジャスト6時、約束した時間だった。
 ミツルは、ゾクッ、と背中に冷たいものが走って、顔を緊張させた。
 ピッタリのタイミングなのではなく、約束した時間にピッタリだったのだ。
 もし、少しでも自分が遅れていたら、使えない奴、というレッテルを貼られていたかも知れない。
 マサト自身が忙しく動いている男だけに、約束に対してのルーズさには厳しいに違いない。
 マサトの下で働く人達は大変だろうな、と思いつつ、ミツルは急いで部屋を出た。

 最新型の真っ赤なフェラーリが道路にハザードをつけて停まっている。
 ミツルが助手席に乗り込むと、マサトはすぐに車を発進させた。
 焦って乗り込んだので、挨拶もまだしていなかったミツルは、窓を少し開けて深呼吸すると、
「お忙しい中、お力添えを頂き、ありがとうございます。」
と言って、頭を下げた。
「クックッ。お前ぇも、つまらねぇ親切をしちまった、とでも思ってんじゃねぇのか?」
 マサトは正面を向いたまま、片頬で笑うと煙草に火を点け、運転席側の窓も少し開けた。
「・・いえ。困っている友人がいれば・・出来る限りのことはしないと・・」
 ミツルは緊張しながら、チラッ、とマサトを横目で見た。
 マサトの首に、黒に近いダークグレーのマフラーが巻かれている。
「それで試験に滑ってたら、目も当てられねぇなぁ?」
 マサトは喉で笑いながら煙草の煙を窓の外に逃がした。
「一度覚えたことは忘れない体質なので、問題ありません。」
「フン。だろうな。」
 マサトもそれを体質と言うなら同じ体質だったので、特別感心もせずに頷くと、マフラーに灰を落とさないように気を付けながら煙草を吸った。
 ミルクの編んだマフラーを二重巻きにするマサト。
 ミツルはダウンベストの衿が邪魔だったこともあり軽く首に掛けただけだが、革製のジャケットスーツを着込んだ上の二重巻きのマフラーも不自然な気がした。
 それだけ、ミルクからのプレゼントに対する思い入れが深いのだろう。
 ミツルは何だか面白くなくて、自分もオフホワイトのマフラーを二重巻きにした。
 少し開けた窓から冷たい風が吹き込んでくる。
 けれど、それがむしろ心地いい。
 マフラーに顎を埋没させた男二人は、運転席と助手席に並んで、レストランに到着するまで黙り込んでいた。

 レストラン『シンフォニー』。
 マサトもミツルも浅田成美とは面識がなく、顔を隠す必要もないので、普通の客としてテーブルに着いた。
 レストランの中ではさすがにマサトもマフラーを外した。
 だが、店に入ってきた二人の姿を見た客の中には、色違いでお揃いのマフラーをしている男二人に、好奇心旺盛な視線を向ける女性達もいた。
 端正だが冷たい印象のスラリとした男と、俗に言う”天使顔”といった綺麗で可愛いのに厳しさがある美形の青年の取り合わせは、多いに興味を掻き立てられたようだ。
 水を運んできたウェイトレスに注文をしてからも、周囲から伺うような視線がまとわりつく。
「チッ。ドルフィンを連れて歩くのも参るが、お前ぇも厄介な顔してんな。・・ミルクと一緒ならルンルンなのに・・つまらん。」
 マサトは両肘をテーブルにつけて両手を握るように顎に押し当てた恰好で、唇の動きを読まれないようにしながら小声で呟いた。
「・・プッ。何を爺むさいことを・・・」
 ”つまらん。”と言う響きが、少し前に見たCMの老人と重なり、”爺むさい”というミツルの言葉になったのだが、その一方で、”ミルクと一緒ならルンルン”と明け透けに言ってのけるマサトが、妙に可愛く思えてしまい、ミツルは苦笑を洩らした。
 マサトは気にすることもなく同じ態勢で、
「いるぜ。・・彼女。」
と、更に声を低めて言った。
 ミツルは、ドキッ、と肩を強ばらせた。
「今はまだ気付かれないようにしろ。少し、様子を見たい。」
「・・・わかりました。」
 ミツルも水を飲むフリをして、手で口元が隠れた時に返事をした。
「・・・あの・・どうして彼女だとわかるんですか?」
「調査を先に部下にさせておいた。・・髪を赤いゴムでゆるく二つに縛っている子だ。」
 ミツルはマサトの言葉を受けて、さり気なく店内を見回した。
 注文した料理を待つ暇潰しのように。
 確かに赤いゴムで髪をしばった若いウェイトレスがいた。
 他にも髪をしばっているウェイトレスはいるが、赤いゴムは彼女だけだった。
 余計な形容はせず必要最小限の情報でも、充分判別出来る。
 曖昧な表現は誉める時だけに必要な讃辞なのだと、ミツルは改めて納得した。
 マサトの目に映る女性は、ほとんどがこの必要最小限の情報で分けられてしまう対象なのだと思った時、ミルクは一体どんな認識で見られているのか、興味を持ってしまった。

 料理が運ばれてきたので、食事を始めたミツルは、
「貴方の表現で妹を一言で言い表すなら、どう言いますか?」
と、世間話のように聞いた。
 マサトは料理を咀嚼しながら、当然と言った顔で、
「俺の妻。」
と、宣言した。
 ブッ、と吹きそうになり、ミツルは皿に顔がつきそうなほど近付けて笑いを堪えた。
「行儀が悪いぞ。」
「・・・済みません。」
 容赦のない忠告に、ミツルは剣道高校生チャンピオンのプライドを思い出し、背筋を伸ばして真面目な顔で、
「ちょっと、意外な答えでしたので。」
と、言い訳した。
 マサトは片眉を聳やかし、
「一言と言うならそれしかないだろ。・・一言と区切らないで表現するなら、フランス語を駆使してランボーも真っ青になるくれぇ、熱い散文詩を披露してやるぜ?」
と、感情の読みとれない顔で言った。
「・・・いえ。・・・結構です。」
 多分、冗談なのだろうが、マサトなら本当に出来そうな気がして不気味だった。
 ミツルはそれ以上追求しないことにして、料理をせっせと口に運んだ。
 マサトとミツルは暗黙の了解で食事に専念することにした。
 お互い、目の前にいる男を相手に、楽しい世間話もしたくない。
 しばらくそうして黙っていたが、突然マサトが眉を曇らせた。
 不審に思ったミツルが口を開いた。
「・・何か?」
「・・・マズイな。」
「え・・そうですか?」
 ミツルはマサトと同じ料理の自分の皿に視線を向けた。
 何も考えず意識しないで食べていたが、マサトが言うほど不味くは思えなかった。
 マサトは水を飲みながら、
「バカ。料理じゃねぇ。」
と囁き、グラスの水を飲み干した。
 そして明らかに一点を見つめていた後、手を挙げると、
「あ・・・済みませんが・・・」
と、視線を向けていた方角に声を掛けた。
 ミツルも思わず視線を向けると、赤いゴムで髪をしばったウェイトレスが近付いてくるではないか。
 顔をテーブルに戻し、動揺を表に出さないようにと緊張した。
「いかがなさいましたか?」
 マサトの側に立った成美が明るい声で伺いを立てる。
「水のお代わりを。」
 マサトは静かな笑みを浮かべて、グラスを軽く上げて見せた。
「あ、はい。畏まりました。すぐにお持ち致します。」
 成美もにこやかに答えてお辞儀をすると、氷の入った水差しを持ってきて、マサトとミツルのグラスに水を注いだ。
「ありがとう。」
 礼を言って成美の後ろ姿を見送ったマサトは、ちょっとだけ水に唇をつけると、テーブルに戻した。
 ミツルは訳がわからないまま、注いで貰った水を一気に半分まで飲んだ。

 現金で精算し、レストランから出てきたマサトは、周囲を見回すと無言のまま歩き出した。
 ミツルも黙って後に従うしかない。
 だが、目的の場所はすぐに判明した。
 レストラン前の通りを挟んだ向かい側にあるビルに入って行ったのだ。
 ビルの三階に、通りに面したショットバーがあった。
 暗い店内では生のジャズバンドが演奏をし、黒人歌手が軽快なリズムで歌っている。
 マサトは小さなステージから離れた店の奥の窓際をチャージして、ミツルと並んで座った。
 店のスタッフは”訳有り”の客と思ったらしく、注文したドリンクを持ってくると、マサト達が座っている店の奥だけ照明を落としてくれた。
 随分気の回るサービスのいい店だ。
 ミツルは変な勘違いをされてるようで、ムスッ、としてマサトとは反対の方へ顔を向けた。
 そこには窓があり、スモークガラスでも通りの車や向かいのレストランの入り口が見えた。
 マサトが座席の背もたれの上に腕を伸ばす。
 それがまるでミツルの背中に腕を回しているように見えてしまいそうだった。
「・・ちょっと・・・」
 ミツルが抗議しようとマサトの方へ顔を向けると、間近にマサトの顔があり、焦って顔を窓の方へ戻した。
 これだけ近付くと、嫌でもマサトの熱気がミツルにも伝わってくる。
 鬱陶しいなぁ、とミツルは段々腹が立ってきた。
 が、ミツルがいい加減文句を言おうとした時に、マサトが言った言葉に体が硬直し、熱気さえ感じないほどの寒気に襲われた。
「彼女・・シャブをしてるぜ。」
 窓へ視線を向けたまま、ミツルの耳元で低く囁いたのだ。
 ミツルは言葉が出なくなり、荒い息を繰り返す。
「それも、かなりハマっちまってるな。・・さっき姿が見えなくなったから、奥から出てきた時に呼んでみたんだが・・プーンと甘酸っぱい匂いがしただろ?」
 したような、しなかったような、どちらともわからず、ミツルは首を傾げた。
「ロッカーあたりでシャブを打ってきたんだろうぜ。」
「・・・まさか・・・」
 ようやくミツルはかすれた声を出した。
「俺の目に狂いはねぇよ。・・親指には小さく折り畳んだティッシュを傷テープで押さえつけてあった。・・・あれは、親指の爪の間に注射器の針を射し込んだからだ。シャブの常習者は注射の後がバレねぇように、腕じゃなく爪の間に打つんだぜ。」
「・・・ただの怪我とか・・・」
「いや。奥へ消える前にはなかった。・・それに、その前から様子が変だったから、ヤベェとは思っていたのさ。」
「・・・どんな?」
「やたらその辺を細かく拭きまくってたろ?」
 ミツルは頭の中の映像を巻き戻してみて、確かに、と頷いた。
「シャブってのは、五感がやたら冴えちまう薬なんだ。だから覚醒剤って言うんだぜ。感覚の覚醒。やたら元気で明るくなるのはいいが・・」
 いいのかーッ?!
 ミツルは心の中でマサトの横面を張り倒していた。
 マサトは窓の外を眺めながら無表情に言葉を続ける。
「感覚が鋭くなるから、そこら中の汚れが気になっちまう。だからシャブ中はいつもそこら中のゴミや汚れを忙しなく取ろうとしちまうのさ。・・けど、それだけにセックスの快感は通常とは比べ物にならないくれぇ感じるらしいぜ。だから、裏ビデオで少女を撮る時使う奴等もいるそうだ。」
 ”らしい””そうだ”と客観的な所だけは救われる。
「・・・それじゃ・・・どうすれば・・・」
「本郷に預けりゃ、1ヶ月で綺麗さっぱりシャブとの縁を切ってくれるぜ。禁断症状を耐えてシャブを抜いてやっても、また自由になれば自分からシャブに染まっていっちまうのが現状だが、本郷の治療を受けた奴でまたシャブに手を出す奴は一人もいねぇ。」
 ミツルはホッと息を吐いた。
「そうですかぁ・・・」
「恋人の水谷って奴に看護させりゃ、本郷も余計な手は出さねぇだろうし・・」
「・・・は?」
「ククッ。あんな真面目そうな顔で、女に手が早くてな。」
 ミツルは目を眇め、ヒクヒク、と頬を痙攣させた。
 高藤にしろ、本郷にしろ、マサトの知り合いは問題が多いぞ、と思いながらも、助けて貰う以上は余計なことは言えなかった。
「事情を説明してやりゃぁ、水谷も冷静になり、看護に協力する気になるだろうぜ。」
「はい。」
 ミツルには未だマサトの正体が、ハッキリとはつかめていない。
 漠然と得体の知れないどす黒い闇を感じているだけだ。
 だが、世間でのマサトの評価は高い。
 仕事に関しての厳しさや冷徹さは噂になっているが、それはあくまでも表の顔に対しての噂にすぎない。
 ミツルは、マサトがもっと神髄となる部分での闇の顔を、持っているように思えてならなかった。
 決して表には出ない闇の顔。
 完璧に隠されているだけに、不気味なほどの大きさを感じる。
 ミツルはマサトに感謝する反面、弁護士にも警察にも相談出来ないような難しい問題を、いともあっさり解決してしまえるマサトの闇の力に、脅威を感じずにはいられなかった。

 解決出来るとわかった途端、どこか張り詰めていた気持ちがプッツリと切れたミツルは、ぼんやりと窓の外を眺めていた。
「出てきたぜ。」
 マサトの突然の囁きに、ビクッ、とする。
「・・お前ぇなぁ、勉強のしすぎで寝不足か?・・ボヤッとしてんじゃねぇぜ。」
「済みません。」
 マサトに注意されたミツルは、目を凝らしてレストランの前を見つめる。
 私服に着替えた成美が店から出てくると、携帯を耳にあてながら通りをキョロキョロと眺めている。
 やがて一台の車が速度を落として一時停止すると、成美が駆け寄って車に乗り込んだ。
「今夜のデートの相手が迎えにきたか。・・ま、俺達も今日はここまでだな。」
 マサトはそう言って、かなり薄暗いボックス席から立ち上がった。
 ミツルも、マサトとのこんな大接近は懲り懲りとばかりに、席を立ち伸びをした。
 口もつけなかったドリンク代を支払う時、
「気を利かせて貰って済まなかったな。」
と、マサトはかなり多目のチップも添えて精算した。
 それから、ショットバーを出て、車を停めてある駐車場に向かう途中、マサトは携帯で、
「俺だ。――あぁ。見失うなよ。――相手の身元は探っておけ。――いや。危険がない限りは監視だけでいい。――そうゆーことだ。――じゃぁ。」
と、誰かに連絡していた。
 ミツルが話の内容を気にして、マサトの顔をじっと見ているので、
「万一事故でもあったら、助けようにも助けられなくなっちまうだろ?念の為、次の手を打つまでは、彼女が無事でいるように監視させることにした。」
と、説明してやった。
「そうでしたか。・・本当に何から何までお世話になって、・・ありがとうございます。」
 ミツルはマサトに対しての好き嫌いはともかく、心から感謝して頭を下げた。
「フン。事を成功させるには、微に入り際に入り、細かく抜かりなく、念には念を入れ、計画するものだぜ。」
「はい。」
「これくれぇ、と高を括っていると、足元をすくわれるぜ。・・受験もそうだぞ?」
「はい。」
 ミツルは素直に頷いた。
 主義主張は違っていても、例え敵であっても、その魂の大きさや強いオーラの輝きを、尊敬することはある。
 ミツルの頭に”敵ながらあっぱれ”という言葉が浮かんだ。
 マサトはミツルにとって、そんな存在かも知れない。
 だが、マサトはどんな風に思っているのだろう。
 ”敵に塩を送る”つもりで助けてくれるのか。
 ミツルはそうではないと感じていた。
 では、何故?
 ミツルは、駐車場のマサトの車に乗り込むまで、ずっと思いに耽っていた。

「・・聞いてもいいですか?」
 真っ赤なフェラーリが振動するエンジン音を立てて発進してから、ミツルは遠慮がちに言った。
 聞くこと自体が失礼になるかも、と不安だった。
「何だ?」
 マサトは、運転席側の窓を全開にして、冷たい外気を顔に当てている。
 ミツルはマフラーに顔半分埋めながら、
「どうしてこんなに簡単に助けてくださるのですか?」
と、疑問を口にした。
「あ?」
 マサトは前を向いたまま、”何だ、そんなこと”と言いたげな表情をし、
「お前ぇの頼みは何でも聞くぜ。・・ミルク以外のことならな。」
と、付け足して言った”ミルク”という名前に頬を綻ばせる。
「・・何でもって・・・どーゆーことでしょう?」
「金が欲しいなら小遣いをやる。人助けがしてぇなら、力を貸す。殺してぇほど憎い奴がいたら、目の前から消してやってもいい。という意味だ。・・ただし、俺は消せねぇぜ。クックックッ。」
 マサトが冷笑を浮かべて答える。
 ミツルは呆れたようにマサトの顔を見ていたが、フロントガラスの前方に視線を向けて、眉を曇らせた。
「・・今回のこと、警察の知り合いには相談出来ませんでした。人権擁護の為に戦っている弁護士の知人には相談しましたが、”心からの同情は禁じ得ないけれど、どうすることも出来ない”、というのが答えでした。」
「そんなもんだろ。」
「はい。僕もそう思いましたから。・・ただ、この一件をどうにかしなければ、僕にとって大事な友人が、人生の中の大きな一歩を践み違えてしまうかも知れない。・・・どうすることも出来ないことをどうにかしようとするには、通常の常識を越える知恵が必要でした。」
「だから高藤を頼ったんだろ?・・それでいいじゃねぇか。」
「ですが、高藤弁護士は”仮に売春をしていようと、それが本人の望むことなら、誰にも干渉は出来ない”、と言ってました。」
「そりゃそうだ。・・つーか、俺に言わせりゃなぁ、・・本人が望もうと望まねぇって言おうと、関係ねぇ。一度身を売ったらそう簡単に足抜け出来るもんじゃねぇぜ。」
「それが貴方の見解ですか?」
「悪ぃか?」
「最悪です。」
「ククッ。世間知らずの坊ちゃんにはわからねぇ、裏の掟ってのがあるんだぜ?・・そうした奴等に正義を翳して戦いたいなら、知人の弁護士を倣って声高々に理想を掲げりゃいいさ。・・だが、現実に理想で救えるのは特殊な悲劇を背負った運のいい連中だけだ。ありふれた悲劇の主人公でしかねぇ運の悪ぃ連中は誰にも救われず地獄で足掻くしかねぇ。」
「・・貴方になら救えるのでしょう?」
「冗談じゃねぇ。そう軽々しく言って貰っちゃ困るぜ。・・俺だって裏の掟にちょっかいを出すにはリスクを伴うんだぜ?・・それに人一人保護するにも場所も必要だし、それに従事する人間もいる。当然、半端じゃねぇ金が必要になる。・・更にもう一人保護した上に、入院治療までしてやるんだぜ?・・一体、誰が何処からそんな金を出すんだ?ボランティアお得意の寄付でも募るか?」
「・・・それは・・無理でしょう。」
「そーゆーことだ。・・だから誰しもが可哀想だと同情しても、実際には救ってやれねぇのさ。・・だったら、どうすればいいか?・・それは自分自身で救われる道を切り開くしかねぇだろ?自分で落ちた地獄なら自分で這い上がれ。親父や恋人に売られたなら、自分で自分を買い戻せ。・・それくれぇの気持ちがねぇ奴に、いくら手を差し伸べても無駄になっちまうだけだぜ。」
 そうかも知れない。
 ミツルは理想と現実の狭間の中で、最も真実を言い当てているのがマサトの言葉に思えた。
「お前ぇだって、この時期の友人の頼みでなきゃ、力になろうとは思ってねぇだろ?」
 痛い所を突かれる。
 ミツルは、高藤の事務所で浮かんだ自分の暗い感情を思い出し、口を引き結んだ。
「通りすがりの奴だったら、その答えは歴然のはずだぜ?・・誰がラリってる知らねぇ上に興味もねぇ女を、恐ろしい組織を敵に回して守ったりする?自分の薄い財布を叩いてシャブ中を治してやろうとする?」
 ミツルは答えられず、マフラーに口元まで埋めた。
「お前ぇには他に守らなきゃならねぇ存在があるだろ?ま、ミルクは俺が守るからいいがな。それは置いといて、だ。・・・恋人でもどーにもならねぇまったく他人の女を、自分を犠牲にして助ける奴がいるのか?いや、助けられるのか?」
「・・いえ。」
 ミツルは目を閉じて首を振った。
「だが、お前ぇは助けたいと奔走した。・・それは、お前ぇにとって大事な友人の為であって、その女の幸せを願ってやったからじゃねぇだろうが。え?」
「・・はい。」
「もし、受験を間近に控えてなきゃ、お前ぇはその友人に、親切な弁護士と同じ答えを返し、もう手を引け、と説得したんじゃねぇか?」
「・・きっとそうでしょうね。」
 ミツルは冷めた目を開くと、溜息を吐いた。
「その結果がどれほど悲惨なものになったとしても、お前ぇはお前ぇの友人に、君に罪はない、ぐれぇのことを言って励ます。・・違うか?」
「・・その通りだと思います。」
「当然だ。よほど自己犠牲したがる物好きな金持ちじゃなきゃ、一律そう考えるのが普通だろうぜ。」
「・・はい。」
「で・・・そんな親切で物好きな金持ちなんていねぇのが世の中ってものさ。そんな気持ちがあったら、とっくに金持ちじゃいらんねぇだろうからな。誰よりも保身が強く、自分に甘ぇ奴が金持ちでいられるんだぜ。」
「・・・はぁ・・・」
 溜息とも相槌とも取れる息を吐いた。
「勿論、俺も右に倣えで、知らねぇ奴を助ける理由も義理もねぇ。・・それでも手を貸す理由と言えば、お前ぇの頼みだから、ってだけだろうが。・・俺に必要な理由はそれだけでいい。」
 マサトはそう言い切ると、おもむろに煙草を吸い始めた。

 何と甘い誘惑だろう。
 頼みさえすれば、小遣いをくれ、困った時には助けてくれ、邪魔な奴は消してくれるのだ。
 まるで、魔法のランプでも手に入れた気分になる。
 しかも、”頼み事は三度まで”などとケチなことは言わない。
 マサトの背後に渦巻く漆黒の闇に、気付かない者だったら有頂天になるだろう。
 いや。何らかの気配を感じたとしても、むしろそれが力の源のように思えて、一層心強さを感じて、自分の幸運に酔いしれるに違いない。
 何と甘美な悪魔の囁き。

 ミツルはマサトを頼ってしまったことを後悔しながら、今更引けない自分を呪いたくなった。
 そして一つの疑問が湧く。
 この男がミルクの恋人なのだ。
 ミルクもその魔力の虜となっているのだろうか。
 うつむいて考え込んでいるミツルの視線の先に、煙草の吸い殻を車の灰皿に捨てるマサトの手が見えた。
 革製の指なし手袋を嵌めた手首に、太い鎖のシルバーアクセサリーが揺れる。
 灰皿に銀の鎖が当たって、カチャッ、と小さな音を立てた。
 ミツルはマサトの指の動きに見取れていた自分に気付き、ハッ、と顔を上げた。
 それから、乾いた唇を舐め、
「あの・・・妹は、貴方に何か頼みましたか?」
と、ゆっくりした言い回しで尋ねた。
 すると、マサトが思い切り眉を寄せて、眉間にシワを刻んだ。
 答えを待っているミツルの耳に、マサトの息を吸い込む微かな音が聞こえた。
 初めてマサトが言い淀んでいる。
 ミルクはそんなにマズイことでも頼んだのだろうか。
 ミツルは唾を飲み込んで緊張した。
「・・・ミルクは・・・自分の為に誰も傷付けてくれるな、と言った。・・・例え、自分の命を狙ってきた奴でも、自分が生きている限り報復はしないでくれ・・・ってな。」
 ミツルは目と口を丸く見開いた。
「・・・俺の怒りが治まらねぇなら・・・真っ先に自分の命を奪ってから・・・他の人達に手を出せ、と・・・」
 マサトの声が震えている。
 ミツルがそっと視線を向けると、ハンドルを握る手も震えていて、マサトの顔は苦痛に歪み頬に涙が伝っていた。
 ミツルは見開いた目が釘付けになった。
「・・・だが・・・俺はアイツを守りてぇんだッ!・・・ックショォォーーッ!!」
 ガシッ!ガシッ!ガシッ!
 マサトがハンドルを乱暴に叩く。
 掌を打ち付けるように力任せに叩いている。
 ガシッ!ガシッ!ガシッ!ブワァァーンッ!!
 手元が狂ったか、滑ったか、クラクションが鳴り響いてしまった。
 前を走っていた車が、焦ったようにウィンカーを点滅させて、脇に逸れて道を譲った。
 立て続けに数台、目の前から車が逸れていった。
「・・・チッ。・・・らしくねぇぜ。」
 マサトはそう自分に言うと、革手袋の甲で頬の涙を拭い、新しい煙草に火をつけた。

 ミツルは体の内側を熱い炎で炙られたような熱さを感じていた。
 気付かなかったが、ミツルの頬も熱いもので濡れていた。
 マサトの苦しさが手に取るようにわかる。
 姫の願いを、その愛ゆえに破った聖騎士は、その為に長い間、孤独の闇でじっと耐えねばならなかったのだ。
 直接守ることが難しいなら、周囲からそっと包むように守るしかない。
 だから、ミツルの頼みにも自らが出向いて、力を貸してくれた。
 ミルクの兄だからではなく、ミルクを守る為に周囲に平穏で安全なエリアを維持させたいと思ってのことだろう。
 ミツルは『蛇窟』の前で車を降りる時、心からの敬意を持ってマサトに頭を下げた。
「今日は本当にありがとうございました。」
 ミツルの思いを込めた挨拶に、マサトは親指を立てて返事の代わりにし、スルリと赤い車体のフェラーリを車の流れに乗せ、響くエンジン音を残して走り去っていった。