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<36>
「まだ冬」
§36§「まだ冬」

 琉美江は妊娠がわかった時からずっと、高藤に迷惑をかけると悩んでいたが、ミルクから、「マサトもママの懐妊を喜んでいる」と聞き、出産する考えへと傾いたらしい。
 高藤に勇気を出して打ち明けると、高藤も喜んでくれて、「お互いの身辺を早めにキチンと整理しよう。」と言ってくれた。
 そして、仕事で無理をしないようにと閉店は高藤が引き受け、琉美江には早めに帰宅するようにさせた。
 母親の帰宅が早くなったことを不審がるミツルには、パティシエが店の味を覚えてくれたこととミツルの受験が近いことを理由にした。
 受験が無事に済むまでは、ミツルには妊娠のことを話さない、というのはミルクとも相談済みだった。


 マサトはミルクが妊娠したのと勘違いして先に喜んでしまっていたので、今になって文句も言えず、高藤の離婚と琉美江の離婚を進めることを許可し、高藤と琉美江の早期結婚も認めることとなってしまった。

「・・・まったく・・・先に子供が出来るなんて、生意気だぞ。」
 総裁室に高藤を呼び付けたマサトが、机に両足を上げてイスを揺らせている。
 7歳も年下の男から生意気呼ばわりされても、返す言葉が見つからない。
 机の前で項垂れて肩を落としている。
 以前のマサトなら理由の如何を問わず、何らかの制裁を与えていただろう。
 だが、相手はミルクの母親が惚れている男なのだ。
 ヘタに手を出せなくなった。
 それでも、もし裏切り行為に走るなら、母親もろとも制裁を下す冷酷さは失っていなかったが、ミルクにとって家族が増えることであり、裏切りとは言えなかった。
「それにしても軽率だったな。」
 景山の方がむしろ厳しい口調で高藤の不始末を咎めていた。
 総裁の机の横で腕組みをし、不機嫌そうな目を向けている。
「アリス様が結婚式を挙げられる時に、父親を父親のまま呼んでやろう、というボスのお心遣いを無にしおって。・・・お前がアリス様の父親として花嫁の手を取るなんてことは認めんぞ。」
「高藤が・・・父・・親・・・?・・・で、産まれる子は俺の弟か妹か・・・?」
 マサトが今更のようにショックを受けた顔をする。
「そうなるでしょう。」
 景山がボソリと低い声で呟いた。
「クッ・・・」
 マサトが、ギリッ、と奥歯を噛み締め、机から足を下ろすと勢い良くイスから立ち上がった。
「あのクソ生意気なミツルが俺の兄貴で、お前が父親ぁ?!・・・何て呪われた家族なんだぁッ!」
 マサトの剣幕に高藤が、ビクッ、と体を震わせた。
 だが、
「わかった、もういいッ!子供は産むがいいッ!・・・ただし、弟を産めッ!優秀でミルク似の可愛い弟をなッ!」
と言う、マサトの言葉に、唖然とする。
「・・そ・・そう言われましても・・・そればかりは・・・」
「絶対、可愛い弟だッ!俺が直々に英才教育を施し、俺の右腕に育て上げてみせる!」
 相当、ミツルが兄貴という状況が悔しいらしい。
 しかも懐柔策をとろうとしてもなかなか乗ってこない。
 表裏共に身内として抱え込もうという希望は捨ててはいなかったが、絡め取るには手強い相手だった。
「いいか?弟を産め!」
「・・・私が産むわけではありませんので・・・なんとも・・・」
「話は終わりだ。・・俺は会社に戻る。まだ会議が残ってるからな。」
 マサトは言いたいことだけ言って話を打ち切ると、後ろに控えていた若松を伴って、総裁室を後にした。

「・・・やれやれ。」
 参謀室に戻った景山は凝った首を回してから、ミルクのガード責任者である星野優を呼んだ。
 ミルクが授業中の間、星野はアジトに戻ってトレーニングをするのが日課だった。
 トレーニングルームから急いで駆け付けたので汗をかいたスェットのままで、ボイラーがまだ修理出来てない地下の部屋にいると、汗が湯気のように立ち上る。
「お呼びでしょうか?」
 ビシッ、と敬礼した星野を、景山は机に頬杖をついて眺める。
「鍛錬に余念がないのは結構なことだ。」
「はいッ。ありがとうございますッ。」
「お前は才能もあるし、人一倍努力しているのも知っている。後数年精進を重ねればSSSに参加出来るだろう。」
「・・・ッ!光栄ですッ!」
 景山の言葉に若い頬を赤らめ嬉しそうに目を輝かせた。
「ただ・・・問題は、若さなのか、元からの性格なのか・・・甘い所だな。」
 景山が簡単に誉めそやす訳がなかった。
 星野は、ドキッ、として緊張する。
「・・・甘いでしょうか・・?」
 景山はここで、ミルクの母親が妊娠していることを話した。
 星野が、あッ!、という顔をしたので、
「やっぱり、薄々感じるものはあったんだな?」
と、景山が目を眇めた。
「・・・あの・・・実は、アリス様が薬局へ寄られた時、店内への同行を許して頂けなかったので、商品を手にされた場所を覚えておいて後から確認してみたのです。」
「・・うむ。」
「・・・そうしましたら・・・妊娠判定用の品だったので・・・報告しようかどうか迷ったのですが、母君の為なのかご自身用なのか私には判断出来ず、迂闊に報告するとアリス様にご迷惑をかけてしまうかと・・・」
「それが甘いと言っているんだ。」
「・・・はぃ。」
「ガードに私情を挟むな。それがお前に任された仕事である以上、例えプライベートでは親しい相手であっても掴んだ事実は全て報告するものだ。個人の勝手な判断で大局の流れが変わってしまうこともあるんだぞ。判断は私かボスがすることだ。・・時に非情になれ。」
「・・・はい。済みませんでした。」
 星野が直角に頭を下げる。
「あれだけ好き勝手をしているように見えるSSSでも、その辺はキッチリ弁えている。だからこそ信頼も厚く、自由な時の行動を多目に見ることも出来るんだぞ。」
「はいッ。」
 星野は頭を下げたまま返事をする。
「一度注意されたら、肝に銘じろ。それが出来なければSSSは遠いだろう。」
「はいッ。」
「以上だ。トレーニングに戻っていいぞ。」
「はいッ。申し訳ありませんでしたッ。」
 垂直に体を起こした星野は口元を引き締め、敬礼すると参謀室を退室した。

 星野はトレーニングルームに戻りながら自分を責めていた。
 ・・・甘い!甘い!甘いぞ!もっと非情になれ!しっかりしろ!
 総裁にも部下に任せきりのガードを叱責された。
 参謀からも事実を報告しなかった過失を注意された。
 言われてから気付くなんて、本当に甘いと思う。
 自分が情けなくなって涙が滲んだ。
 ・・・どこかで先輩を押し退けて抜擢されたことで奢っていたのかも知れない。
 星野は自分の甘さを断ち切るように、シャドーボクシングを始めた。


 その日、ミルクは学校からの帰りに、年が明けてから初めて地下アジトに立ち寄った。
 マサトは会社の仕事を終えて戻って来ていた。
 まだボイラーが直らず、マサトは温かいウォーターベッドに横になってミルクを毛布で包み込んだ。
 それでも吐く息が白くなる。
「寒くねぇか?」
「ぅぅん。……ベッドとマサトが温かいんだもん。フフッ。」
 ……タプン…タプン……
 揺られるのが気持ち良くて、ミルクは目を閉じてマサトの胸に顔を埋める。
「・・・疲れてるのか?」
「…ぅぅん……」
 ミルクの雪のように白い頬に不安になる。
 あまりにも弱々しく見えてしまう。
 一時ミルクに子供が出来たかと喜んだものの、現実的に考えればまだ無理なのかも知れないと思う。
 学業の途中ということもあるが、それ以上にまだミルクは母体として完全ではなかった。
 骨の成長もまだ途中で、骨盤も狭い。
 筋肉もまだあまりついていないし、体力もない。
 焦ることはない、とマサトは気持ちを切り替え、大事で堪らないミルクの額にキスをした。

 額から鼻筋を辿って唇までキスをしていく。
 唇が触れ合い、ミルクもキスに応えて唇を押してくる。
 ゆっくりと吸いながら舌を絡ませる。
「、、、ん、、、ぁふっ、、、ねぇ、、マサトぉ、、、きてぇ、、、」
「・・ん?・・・もうかぁ?」
「、、、だってぇ、、、あんまりゆっくりしていけないもん。早く帰ってママのお手伝いしなきゃ。」
「・・・そうか・・・」
 マサトは溜息を吐くと、ミルクのスカートを少し上げ、パンティだけを脱がせた。
 そしてマサト自身もズボンの前だけを開けて、充分勃起した蛇竿をつかみ出した。
 ミルクと会う、と思うだけで蛇が首を伸ばし、顔を見た途端に、俺にも見せろ、と頭を突き出してくるのだ。
「・・・入れるぞ?」
「ぅん、、、」
 ミルクが自分も手を添えて花弁を押し開く。
 花弁から奥の襞まで、すでにたっぷりと蜜で濡れていた。
 マサトがゆっくりと体を沈めていく。
「ぁ、、、あぁぁ、、、」
 ミルクが仰け反って白い息を吐き出す。
 マサトの熱い塊がミルクの体を埋め尽くして内側から熱くする。
「あ、、あ、、、マサトぉぉ、、、」
 ミルクは押し寄せる快感にマサトに抱きついて、両足でマサトの腰を抱え込む。
「・・・はぁぁ・・・ミルク・・・」
 マサトも白い息を吐き、再び唇を重ねる。
 ミルクの乾いた唇が冷たい。
 マサトは暖めるように唇で覆い、舌で舐める。
 ミルクの歯並びから歯茎まで舐め上げ、唾液を送り込む。
 ……ゴクリ……
 ミルクの喉が動いてマサトの唾液を飲み込んだ。
 マサトはミルクの喉を湿らせてやってから、少しずつ腰を動かし始めた。

 股間だけにマサトの肌を感じている。
 肌の触れ合った部分だけ熱い。
 体の中を力強く上下する大きな塊。
 太くて長い逞しい蛇。
 全ての拘り、痼りが溶け出して消えていく。
「…ハァハァ…ぁ……ハァァ…ぁ……ぁ…ハァハァ……」
 声を出さないようにしても、吐息に小さな喘ぎ声がまじる。
 これだけ冷え切った空間だと、遠くまで響きそうで、声を出すのがはばかられる。
「…ン…ぁ……ハァハァ…ぁぁ……ハァハァ…ンン…ハァハァ……」
 息遣いが荒くなっても、声になる前にどうにか押さえ込み、小さな鼻声が洩れるのみ。
 毛布に包まれ、体は汗ばむほどに熱くなってくるが、頭はキンと冷え、白い息が絶え間なくこぼれる。
 マサトはミルクの頬に頬ずりをし、顔中にキスを降り注ぎながら、一定の速度で腰を動かし続けている。
……タプン…タプン…………タプン…タプン……
 ミルクは背中で受ける揺れに任せて、マサトという愛の海を漂う。
「はぁ・・・あぁ・・ミルク・・・すっと俺の側にいろ・・・はぁぁ・・・」
「…ぅン…ハァハァ……マサトぉ……ぁぁ…ハァハァ……」
 ・・・愛するミルク・・・
 ・・・裏切れば殺す。
 ・・・他の誰かと幸せになれ、なんて祈れるかッ!
 そう思っても、自分にこの愛しい命を奪えるとはどうしても思えない。
 嫌われても憎まれても、自分の手中に収めておかなければ気が済まないだろう。
 ・・・だから嫌われたくない・・・
 マサトは愛を込めて優しく優しく抱いた。
 やがて、静かな海は荒れることなく対岸に辿り着いた。

 繋がったまま、軽い気怠さと充足感に満たされ、ゆっくりと火照りを冷ましていく。
 狂うほどの熱情ではなかったが、こうした優しいセックスもいいな、とミルクはマサトに髪を撫でられながら思う。
 感じ過ぎるとそのまま意識が飛んでしまうことがしばしばで、終わった後のマサトのこうした優しい気遣いをあまり知らないでいたような気がする。
 行為が終わった後に、本当に愛されているんだなぁ、と実感するのは変だろうか。
 けれど、ミルクは確かに愛に包まれている自分を噛み締めていた。
 ……好きで好きでたまらない……
 ……だから、好きな人の優しさがたまらなく嬉しい……
 ミルクは熱く潤んだ目でじっとマサトを見つめた。
「・・・ん?・・・どうした?」
 マサトがミルクの目に掛かりそうな前髪を指先でよけてやる。
「……好きだからぁ…見ていたいのぉ……」
 マサトは目を優しく細め、
「だったら俺は、24時間、お前から目が離せなくなるぜ。」
と言って、ミルクの両瞼にキスをした。
「ホント?……ミルのこと…好き?」
「ああ。・・好きで好きで困ってる所だ。ククッ。」
「そーなんだぁ……ミルもなのぉぉ。…フフッ。同じなんだねぇ…」
「そっか。・・・同じか・・・クスッ。・・・アハハッ。同じなんだな。」
 マサトとミルクはクスクスと忍ぶように笑い合って、熱い口づけを交わした。


 ミルクを家までフェラーリで送ったマサトは、自分も車を降りて玄関まで一緒に行くことにした。
 竜二の存在を知ってから、門から玄関までの短い距離も気が気でなくなった。
 玄関までの途中、ミルクが足を止めて空を見上げた。
「……ハァァ……星ぃ……綺麗ねぇ……」
 ミルクの白い息がほわっと空に消える。
 マサトはミルクを腕に抱き締めてから空を見上げた。
「・・・あぁ・・・綺麗だな・・・」
 マサトはそう答えたが、すぐにミルクに視線を戻し、愛おしげに髪に頬を押しつけた。
「・・髪・・・冷えてるぞ。・・早く、家に入れよ。」
 まだずっと一緒にいたかったが、ミルクの体を思い遣るとそう言うしかなかった。
「……ぅん。」
 ミルクが少し唇を尖らせて頷く。
 ミルクも離れるのが寂しくてたまらないのだ。
「心はいつもお前の側にあるんだぜ。」
 マサトが尖った口にキスをする。
「お休み、ミルク。・・・愛してる。」
「…ぅん。ミルも愛してるぅ。…お休みぃ、マサトぉ。」
 ミルクもお返しに、背を屈めているマサトの両頬と唇にキスをした。
 そして、玄関のドアを開け、小さく手を振って中へと姿を消した。

 玄関のドアが閉まり、車に戻りかけてマサトは空を見上げる。
 ミルクが見上げた星を目に焼き付けようとするかのように。
「・・・星々よ。・・・俺の行く手を阻むな。」
 運命までも示唆しようとするかのごとき星の運行に、マサトは挑み掛けるように呟いた。
 ・・・所詮、ロマンチックなど縁がない。
 マサトはフェラーリのエンジンをふかして発進させた。

<37>
「竜二」
§37§「竜二」

 黄昏にネオンが滲む。
 昼間より人混みの多いストリート。
 竜二はいつもの場所にバイクを停めると、馴染みのゲーセンへ顔を出す。
 ワックスで立てた銀髪に、トルコ風とでもいうのか・・・ダボダボで手首と足首の部分が細められている服を着ている。
 長身にその身なりでは否応もなく目立つ姿だが、それ以上に竜二は凶暴な性格で名を馳せていた。
 ゲーセンの中を一回り巡回すると、大抵半数近くの連中が首を竦めてぎこちない笑みで挨拶してくる。
 竜二を知らない連中も竜二や周囲の雰囲気から、唯ならぬ気配を感じて”触らぬ神に祟りなし”と身を縮こませている。
 ・・・チッ。どれも、面白くねぇ。
 一通り回ったが、手を出したくなるようなゲームはなかった。
 ちょっと古い機種なら、どれもランキング上位に竜二の名前がある。
 取り囲んで感心する連中を、得意げな顔で見下し楽しんでいたのは、つい最近のことだったのに・・・。

「よぉ、リュウ。久し振りじゃねぇか。」
「おう。」
 いつも連んでいるアツシが竜二に気付いて声を掛けた。
「これ、やってみねぇか?新しいゲームだぜ。」
 気乗りはしなかったが、隣りの同じ機種の空いてる席に座る。
 新しいゲームでも空いてるのは、アツシが場所取りして他の連中にさせないからだ。
 無表情にコインを投入し、説明を次々と飛ばしながらゲームをスタートさせる。
 ・・・フン。新しいって言っても代わり映えしねぇなぁ。
 序盤は簡単にクリア出来るエリアが続き、次第に難易度が上がるシステムでは、そこに行くまでに要領を覚えてしまうので、操作レバーとボタンの扱いに慣れていればそう難しくない。
 あっと言う間に高得点を打ち出していく。
「おーッ。・・・スッゲェーじゃねぇか。さすがリュウだぜ。」
 アツシが画面を覗き込む。
 顔間近の息遣いが煩わしい。
 ・・・面白くねぇ。
 竜二は眉間にシワを寄せながら画面を睨んでいたが、もう熱くなれない自分を感じていた。
 気持ちが泳ぐ。
 ぼんやりとする思考の奥で、沸々と煮え滾る想いが行き場を見失って燻っている。
 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 ケーキショップに姿を見せなくなったミルク。
 妹の小百合の話では、婚約者が心配してバイトを辞めさせガードも強化したらしい。
 ・・・クソ野郎ッ・・・
 ・・・お気に入りの人形を強化ガラスのケースにでも入れたつもりか?
 竜二はそれが竜二本人を守っていることを知らない。
 マサトを躍進を続ける大企業の会長としてしか知らない竜二に、闇の事情がわかるはずがなかった。
 ミルクに手を出す者を闇のマサトは許さない。
 闇に紛れて処刑され、闇から闇へと葬り去られるだろう。
 辛うじてミルクの友達の兄という立場が首の皮を繋いだのだ。
 それでもマサトは念の為、竜二の父親に釘を刺しておいた。
 「私の婚約者に付きまとうのはやめて頂きたい。ご自身の息子一人指導出来ない人間に、社員をまとめられるのですか?」と、言われた一条氏は息子竜二に「二度と近付くな!」と叱りつけた。
 ・・・どいつもこいつも自分勝手じゃねぇかッ!
 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
「・・あッ・・・おしーなぁー・・・」
 アツシが力の入っていた肩を落として溜息を吐く。
 怒りに手元が狂った。
「・・・フン。面白くねぇよ、こんなゲーム。」
 竜二がつま先で機械を蹴ってイスから立ち上がった。
「けど、すげぇぜ。ランキング入ってんじゃん。」
「・・・興味ねぇなぁ。」
 竜二が歩き出すと、アツシも付いて来る。
「リュウ。なに不機嫌面してんだよ?・・・ま、いいや。『プリズム』へ行こうぜ。」
「・・・あぁ。」
 気乗りはしないが、他にすることも見つからないので、アツシの誘いに乗ることにした。


 『プリズム』はいかがわしい店がいくつも入った雑居ビルの一角にあるスナックで、竜二の仲間達はよく利用していた。
 ゲーセンを出て店に向かう途中で拾った仲間二人も加えた四人で店に入ると、店は開いたばかりで客の数は少なかった。
 カウンター近い広めのボックスが竜二がよく利用する席で、ソファーに座るなりフィリピーナがおしぼりを持ってすり寄ってくる。
 ――スナックを根城に売春をしている外国人女性だ。
 彼女達は現地で日本の暴力団に買われ、売春する為に連れてこられた女の子達だった。
 ほとんどが十代の女性で、”日本に行けば欲しい物が何でも買える、贅沢出来る”と騙されて、わずかなお金を家族に残し、その何倍ものノルマ額を売春して返さない限り一切の自由がないという奴隷だった。――
 竜二に甘えるようにもたれ掛かるミーナもその一人で、竜二は時々客として金を払い、ホテルへ行くかわりに遊園地や映画に連れて行ってやることがある。
 客にはなるが関係は持たない、というのはミーナとだけの秘密だった。
 仲間が煩わしくなる時にその場から抜け出す理由にすることもあるが、それだけでなく、騙されて売春婦にさせられながら懸命に明るく振る舞うミーナが哀れに思えたのだ。
「・・・リュウ・・・今夜はダメ?」
 肩にもたれたまま顔を上げ、甘える視線を向ける。
「・・・いいぜ。」
 リュウはポケットから筒状に巻いた万札から、通常の三倍の売春料金に色を付けて渡してやる。
 彼女達の一日に取る客は2〜3人。
 先にその分のお金を払ってやれば、ミーナは今夜の仕事から開放されるのだ。
「リュウ、ありがと。」
 ミーナは嬉しそうに竜二の頬にキスをして、お金をママに渡しに行く。
 スナックのママはカウンターの奥から竜二に笑顔で会釈した。
 そして、ミーナにサービスのつまみを持たせて寄越した。
 ミーナは得意顔でウェーターが持ってきた竜二のボトルと氷やグラスで、水割りを作る。
「はい、リュウ。」
「おう。・・・ミーナも飲むか?」
「うん。・・いいの?」
「ああ。けど、ちょっとにしとけよ。毎晩じゃ体壊すぜ?」
「おーおー、いつものことながら甘いッスねぇ。」
 竜二の優しい言葉に仲間達がひやかす。
 仲間達はミーナを竜二の彼女の一人と思っていた。
 ――別に竜二は禁欲主義者ではないし、肉体関係を持っている彼女も何人かいる。
 ただ、金銭で売買する関係はしたくないだけで、他にももちろんミーナと同じ売春をしている女性が何人かいるが、秘密の関係にはなっていない。
 他のフィリピーナはミーナより日本が長く、それぞれ既に得意客を抱えていた。――

 ミーナの髪を撫でてやりながら、ゆっくりとしたペースで水割りを飲む竜二の顔は、相変わらず浮かない表情だった。
「リュウ。なにシケた顔してんだぁ?」
 仲間のケンジが怪訝そうに聞く。
「そういやぁ、しばらく見なかったなぁ?」
 金髪に染めたタクロウが首から下げたアクセサリーをジャラジャラさせて言った。
「ゲームでも冷めてたしなぁ。」
 アツシも気になってたようで話に加わる。
 ・・・うざってぇなぁー。
 竜二は内心聞かれたくなく舌打ちしたが、フンッ、と鼻で笑い、片方の唇を引き上げると、
「家の年賀パーティーで来た客の女を襲ってやったらよぉ、親父が久々にブチ切れやがった。」
と言って、ハッハッハーッ!と笑った。
 ケンジもタクロウもアツシも爆笑して喜ぶ。
「んで、どーだったんだ?」
「ものに出来たのか?」
「担ぎ上げて俺の部屋に連れてったのはいいが、後少しってとこで邪魔されちまったぜ。」
「そりゃ、残念だったなぁ。アッハッハー!」
「バイクは没収されるし、警備員雇って部屋に缶詰にされちまうし、・・・ったく、クサりたくもなるぜ。」
 実際はマサトの苦情があってからの状況だったが、ミルクの店に通い詰めていたなんてことは言えない。
「まぁ、親父さんにしてみりゃ客はマズいだろ。」
「リュウは女に困ったことねぇじゃねぇか。いつだって女から抱いてくれーって寄ってくんのによぉ。」
「そんなにいい女だったのかよ?」
 仲間の言葉に、
「・・・あぁ・・・いい女だったな。」
と呟いた竜二の顔が、フッ、とマジになる。
 親指の爪を噛み、目を閉じた竜二は、眉間にシワを寄せ、
「・・・あんな女・・・他にはいねぇ・・・」
と、思わず本音を吐露してしまう。
「・・・リュウ・・・」
 ミーナが竜二の腕を抓った。
 ッテッ・・・と目を開けた竜二はミーナに顔を向け苦笑する。
「何だぁ?嫉妬してんのかよ?・・・ミーナは早く金を精算して国に帰れよ。で、国で本当に好きな奴と真剣な恋をした方がいいぜ。・・・差別意識の強ぇ日本の男なんかろくなもんじゃねぇぜ。」
 ガラにもなく説教じみた言い方をしてしまった竜二は、仲間の気まずそうな顔に大きく溜息を吐いた。
 ポケットから再び筒状の万札を出すと、十枚ほど抜いてタクロウに渡す。
「悪ぃが用事を思い出しちまった。後は好きにしてくれ。」
「あ・・・あぁ。」
 タクロウは相撲取りのように手刀を切って金を受け取る。
「ミーナはどうするんだ?」
「今夜は俺の女だ。客を取らせられねぇように見ててやんな。」
「・・・リュウ・・・」
 ミーナが寂しそうに呼びかけ、席を立った竜二の腕をつかむ。
「・・悪ぃな。・・・今の俺は、お前にまで八つ当たりしかねねぇ。・・・無理して体を壊すんじゃねぇぞ?・・・また、な。」
 竜二はミーナの頭を撫でてやって、一人で店を後にした。


 バサバサバサバサバサ・・・
 強い風を受けダボダボの服が音を立てる。
 夜の冷たい風が体を芯から凍り付かせていく。
 ブォォォォーーーッ・・と轟音を響かせバイクを走らせる。
 場所は知っている。
 地図を見ながら頭の中で、何度も色々なコースで道を辿って目的地へ向かった。
 遠回りしてみたり、ジグザグに角を曲がっていったり、頭の中での一人遊びは繰り返された。
 会いたくて会いたくてたまらない彼女の家の前を、夢の中で何度通り過ぎたことだろう。
 道はもう完璧な程頭に入っている。
 後は行動を起こすのみ。
 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 妹の小百合が泣いて「諦めてくれ。」と訴える。
 父親は血管が切れそうなほど赤い顔で「恩を仇で返すな!」と叫ぶ。
 ・・・恩なんてあったか?
 父親に愛された記憶が浮かばない。
 この世に誕生させてやったとでも言いたいのだろうか?
 ・・・俺はいらねぇ子じゃねぇのかよ!
 今になって何を言われても聞く耳はない。
 だが、妹は文句を言いながらも、いつも俺を兄として見ていた。
 俺みたいな悪い兄貴を持ったばかりに、気位は高いが気持ちの真っ直ぐな妹が泣いてばかりいる。
 妹だけは追い詰められて行き場を失っていく俺を心配してくれていた。
 ・・・妹は泣かせたくねぇ。
 そう思って今日まで我慢してきた。
 それでも、もう我慢出来ないほど、ミルクに会いたくてたまらなかった。
 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 ミルクの家のある通りになってバイクのスピードを落とした。
 地図と実際に見る家並みの様子はかなり違った印象がある。
 平面図では見えている物でも、実際には手前に高い建物があればその先の視界はきかない。
 ブロック塀か生け垣かも判断はつかない。
 ゆっくり走りながら表札を見ていく。

 ・・・ここだ!
 表札を見る前に感じる物があった。
 何故かはわからないが、そう確信して門の所にあった表札を見ると、確かにミルクの名前があった。
 ・・・有栖川美琉玖・・・クスッ、名前も漢字も変わってるぜ。
 竜二は、この家にミルクがいる、と思うと嬉しくなって笑みを浮かべた。
 明かりが灯る家。
 二階の部屋にも明かりが灯っている。
 光がカーテンの色柄を映し出していることに気付いて、竜二は更に笑みを深めた。
 一方の窓にはほどんど光を遮っている濃紺のカーテン。
 反対側のカーテンはいかにも可愛らしいピンクのカーテン。
 妹の小百合が「ミツル様にもご迷惑を掛けてしまう。」と言っていた。
 ソイツは誰だと聞いたら、「ミルクのお兄様よ。」と、耳を赤らめて答えた。
 初恋か?・・とからかってやろうかと思ったが、やめた。
 考えてみたら、これほど人を好きになるのは竜二自身初めてだったのだ。
 ・・・ミルク・・・
 ピンクのカーテンを見上げながら、顔を見せてくれ、と祈る。

 と、視界を遮るように門の前に頑丈そうな男が立ち塞がった。
「何か、ご用でしょうか?」
 ・・・へぇ。・・・これが用心棒か?
 竜二はヘルメット越しに男を睨んだ。
「用がなければ立ち退かれることです。用件があれば私が伺いましょう。」
 竜二は返事の代わりにエンジンを蒸かした。
「やめなさい。迷惑行為をするなら強制的に排除しますよ?」
 ガードの男が竜二の手をつかむ。
 竜二は手を振り払うと、
「てめぇに出来んのかッ?」
と、バイクに乗ったまま、男の腹をおもいきり蹴った。
 股間を狙うつもりだったが、妙な張り具合から固いホルダーでガードしていることに気付き、咄嗟の判断で狙いを腹に変えた。
 男はバランスを崩し後ろによろけ、門に当たって、ガチャガチャッ、と音をさせた。
「貴様ッ!」
 男が態勢を立て直して竜二に飛び掛かろうとした時、
「どうした?」
と、玄関から若い男が飛び出してきた。
 若い男が二人。
 一人はミルクに似た面影があり、もう一人は実直そうな青年だった。
 だが、どちらも眼光鋭く、隙のない動きとただならぬ雰囲気を纏っていた。
 ・・・チッ。こっちの二人は手強そうだぜ。
 竜二は飛び掛かられる前にバイクを発進させて、ミルクの家を遠離っていった。

 ・・・確かに厳重なガードだぜ。
 喧嘩を売り込みに行ったわけではない。
 一目でいいからミルクに会いたかった。
 だが、こんな寒い夜にミルクが外に出ているはずもないし、初めからそれは無理だろうという予想はあった。
 明かりがもれていたピンクのカーテンを見れただけで今夜は満足しよう。
 あのカーテンの向こうにミルクがいた、と思うだけで嬉しくなる。
 竜二は軽快にバイクを飛ばして港を目指した。


「ミルクぅーーーッッ!!好きだぜぇーーーッッ!!」
 月明かりに揺れる海に向かって叫ぶ竜二は、清々しい青年の顔をしていた。

<38>
「兄」
§38§「兄」

「・・・あれが竜二?」
 走り去るバイクを厳しい顔で見送ったミツルが、ナンバーをメモしている星野に聞いた。
 星野はメモ帳に書き留めてあった竜二の資料に目を走らせ、
「バイクナンバーは同じですね。身長体格も類似してますから、おそらく本人かと思われます。」
と、ミツルに答えた。
 それから、門の前で腹を押さえている男に、
「この通りの入り口と出口を通行止めにしておけ。夜間だけなら通りの住民から文句も出ないだろう。いいな?」
と、命令する。
「・・は・・い。」
 男はどうにか背筋を伸ばして敬礼した。
 ミツルは自分とたいして歳が変わらない星野が、年上の男にごく当然のごとく命令している姿に感心した。
 考えてみればマサトという男もほとんど自分より年上の男達を動かしているわけで、実力主義の厳しさを垣間見た気がした。
 星野は携帯で他の部下にも指示を出している。
 ミツルは自分一人家に戻るのが気が引けて、なんとなく眺めていた。
 と、手短に電話の話を終えた星野がミツルに顔を向け、にこっ、と人懐っこそうな爽やかな笑顔になり、
「心配ありません。ミツル様は大事な時ですから、あまり気を煩わされませんように。・・アハッ、寒いですね。家の中に戻りましょう。」
と、明るい声で言った。
「・・そうですね。」
 ミツルは、このいかにも人柄の良さそうな青年がマサトの部下だということを、不思議に感じながら玄関へと向かった。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 今、有栖川家には24時間体制でガードの者が待機している。
 外回りの警備は常に交代制で監視されているが、家の中の安全も考えて夜も泊まり込みのガードを配置することにしたらしい。
 夜間は特に信頼の厚い数名が厳選され、一人ずつ日替わりで客間に寝泊まりしていた。
 その中で、星野はガード責任者として自らも泊まり込みガードをするようになっていた。
 鬱陶しいかと思っていたが、ガードは家の仕事も積極的に手伝い、時には琉美江と料理を作ったりと意外にマメなので、母親やミルクの評判は良かった。
 ガードだけに外見的には恐ろしげな男もいたが、話してみると皆冗談好きで親切なことに気付く。
 ミツルの中のマサトへの見方が変化したことで好意的に見るようになっただけとも思えない。
 魅力のある人間には魅力のある人々が集まるということだろうか。
 だが、それでもマサトを包み込む得体の知れない闇を容認することはどうしても出来なかった。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 ミツルは束の間、星を見上げた。
 ・・・いにしえの光よ。
 ・・・宇宙の真理よ。
 ・・・私を光の道へ導き賜え。
 そう、心で呟いたミツルは、小さく溜息を吐いて玄関のドアを開けた。

 玄関から入ったミツルは一歩踏み込んで固まった。
 ガシンッ!
 ミツルのすぐ後ろに付いて入ってきた星野は、瞬間硬直した後、反射的に身を翻したので閉まりかけていたドアに顔を強打してしまった。
「ッテッッ!・・・クゥ〜・・・」
 星野は顔を手で押さえてしゃがみ込んだ。
 しゃがみ込みながら外へ出ようと手探りでドアを押そうとするが、無常にも、カチリッ、とドアは閉まってしまう。
 ミツルは振り返って足元に踞っている星野に、・・純情な奴・・と、同情の視線を向けてから、キッ、と正面を向き、
「ミルク!何て恰好をしているんだッ!」
と、目の前に立っているミルクに注意をした。
「……ぅ……だってぇ……何かあったのぉ?」
 ミルクはまだ濡れた体にバスタオルを巻いて、ホカホカの湯気をあげて立っている。
 大きなクリップでアップにまとめた洗い髪も濡れたままで、ほつれ毛が首筋に貼り付いている。
 白い肌がピンクに上気し、盛り上がった胸と太腿が剥き出しの姿を見せられたら、兄であってもたまらない。
 ここは怒るしかないと、
「何があってもそんな恰好で飛び出して来るな!さっさと浴室に戻れ!」
と叱る。
「…ぅ〜……じゃぁ、地震の時はぁ?」
 ミルクは唇を尖らせ、浴室に戻りながら反論を試みる。
「揺れたからってすぐに外に出ればいいってもんじゃないだろ。」
「…じゃぁ、火事はぁ?」
「火事は、起きた時の心配の前に起こさないようにしろ。」
「……ぅぅ……ぁーぃ……」
 ミルクは浴室のドアを開け、ミツルにアカンベーっと舌を出してドアを閉めた。
 ミツルはなるべく平静を装って、
「ったく、子供で済みません。」
と、まだ顔を隠して踞っている星野に声をかけた。
 そして、おびただしい水滴で濡れた廊下を、靴箱の横にあった雑巾で浴室の前まで拭いて行った。
 星野は真っ赤になった顔を恐る恐る上げると、これも報告しなきゃいけないんだろうか、と今度は血の気が引いていくのを感じていた。

 ミルクはピンクのカーテンの部屋にはいなかった。
 エンジンの蒸かす音を風呂場で泡まみれの状態で聞き、何だろぉ?とシャワーで泡を流していると、二階からミツルが駆け下りてくる音と、キッチンから廊下を走っていく音を聞いた。
 これはただ事ではないのかも、と気になって玄関まで覗きに行ってしまったのだ。
 バイクの爆音を聞いた時、もしかすると・・・と浮かぶ顔があった。
 もしそうなら間違って攻撃してしまわないで欲しかった。
 いや。・・警戒している相手なのだから間違いとは言わないかも知れないが、あれほど傷付いた魂に苦しんでいる竜二を、誰にも傷付けて欲しくなかった。
 恰好なんて構っていられなかった。
 もし殴り合いにでもなったら、例え全裸でも飛び出していって止めたと思う。
 ミルクはドライヤーで髪を乾かしながら、ミツルにだけは自分の気持ちをわかって貰えるように話そう、と考えを巡らせていた。

 髪を乾かしパジャマの上に半天を羽織ったミルクがキッチンへ行くと、母親がミツルや星野から事情を聞いている所だった。
 母親は警備が前以上に厳しくなった理由を詳しく聞いてなかった。
 それはミツルも同じで、ただミルクを付け狙う男がいる、と聞いていただけなので、もっと詳しい事情を聞きたがっていた。
 星野はどこまで自分の立場で説明出来るのか悩んでしまい言葉を濁している。
 そんな状況で、気まずい沈黙が流れている所だった。
「あ、お兄ちゃん、まだ下にいたんだぁ。ちょうど良かったぁ。」
 ミルクの甘えた声に星野が、ビクッ、と緊張しうつむいて体を硬直させた。
「ちょうどいいって何だ?」
「だからぁ、話しておきたいことがあったのぉ。」
 ミルクは冷蔵庫からスポーツドリンクを出して、一口飲んでから星野の隣りの席に座った。
 母親とミツルが前に並んでいるので他に座る場所がなかったからだが、星野は益々困ったように顔をテーブルに近付けた。
「ぇ……星野さん、どうしたのぉ?」
「・・・いえ・・・」
「ミルクがあんな恰好するから彼だって困って顔も見れなくなるんだぞ。気を付けろよ。」
「……そなんだ。……ごめんなさい、星野さん。」
 ミルクはペコッと頭を下げる。
「・・ぃ・・いえ・・・」
「……だけど……竜二さんだったら……暴力を振るってほしくなかったんだもん。」
「はぁ?・・竜二ってゆーのは、お前を狙ってる奴だろ?」
 ミツルが訳がわからない、と言いたそうに眉をひそめた。
「あら。竜二さんって小百合さんのお兄さん?」
「うん、そうなの。ママのケーキが気に入って毎日買いにきてくれてたお兄様。」
「はぁぁ??!」
 ミツルは竜二という名前だけ聞いていて、小百合の兄だということは知らなかったようだ。
 母親は竜二は知っていたが、その小百合の兄がガードが厳しくなった理由だとは知らなかった。
 ミルクが小百合の家での本当のことを誰にも話さなかったので、マサトも含めた皆がそれぞれ事態をつかめてない状況になってしまっていた。
 そう・・・マサトにも襲われそうになったことは言ってなかった。
「いえ、アリス様。ケーキだけが目的なら毎日1個を買い求める為に3時間も入り浸るようなことはしません。明らかにアリス様に邪な思いを持っていると判断する方が正しいでしょう。ですから、ボ・・会長もご心配されておられるのです。」
 星野はガードの責任者としての顔に戻り、母親とミツルへの説明も込めてミルクに自覚を促した。
「それはそうだな。・・・現にこうして家にまで押し掛けてきている以上・・・彼の言う方が正しいだろう。」
 ミツルは小百合の兄だけに複雑な心境でそう言った。
 母親も言葉が見つからずに溜息ばかり吐いている。

「……そうかも知れない……けど……それだけじゃないような……気がするの……よく…わかんないけどぉ……」
「アリス様。ガードに相手の心情は必要ありません。目の前にある危険を取り除くのみです。」
 星野は敢えて厳しく宣言する。
 心の中で景山の”非情になれ”と言う言葉が響いている。
「だけど!……だけど…ミルにはお友達のお兄様だもん。……小百合さんだって心配してるし苦しんでるのに…他人事なんて思えない。…危険な障害物、みたいには思えないもん。」
「・・どうゆうことなの?」
 母親もミルクの話に関心を持ったようだ。
 ミルクは言い淀んだ。
 ここまできたらちゃんと話すべきだろう。
 襲われた部分は省いても、竜二が普通の状態ではないことを隠して、竜二自身の苦しみを理解して貰えないように思えた。

 ミルクは手に持っていたドリンクで喉を湿らせてから話し始めた。
「……前にね…小百合さんから家族のことを聞いたことがあったの。…お父様は財閥の一族で一流企業に務め、”将来は社長”って言われてた。お母様は人気絶頂の大女優スターだったんですって。」
「そうね。その話題は当時かなり騒がれたから有名ね。」
 母親は頬杖をついて頷く。
 星野はまったく日本の事情を知らなかったので少なからず驚いていた。
 ミツルは、今更、と冷めた顔で茶を啜る。
「……でもね、結婚してすぐに亀裂は生じ始めていたんですって。…威圧的な親族の中で、仕事を理由に庇ってくれない夫。長男が産まれても親族が”女優に子育ては出来ない”って取り上げてしまったそうなの。」
「・・・酷い侮辱ね。」
「……ぅん。…耐えていたのはお母様のプライド。でも、そのプライドが端から見ると”良妻賢母”に見えちゃったんですって。…小百合さんの見解だから何とも言えないけどぉ…」
「ホホッ。それはそうね。」
 母親が、わかってるから大丈夫、と言うように穏やかに微笑んだ。
「どんな家庭にだって問題の一つや二つ。波風が立つ時だってあるさ。」
 ミツルは冷静に言う。
 星野は、なるほどぉ、と黙って頷いている。
「……男の子を二人も産んでいるのに、実際には母親として接することを奪われてしまったお母様は、やっと産まれた女の子の小百合さんの教育に躍起なったそうなの。”女優だから”と言われない為に立派なお嬢様にしてみせる、って。」
「ええ。小百合さんは立派なお嬢様だわ。」
「……小百合さんの上のお兄様はとっても優秀なんですって。…そして…とても冷めて現実的な性格だそうなの。いわゆる親族にも見られる選民意識が強いそうで、小百合さんもほとんど話したことがない、って言ってた。」
「ご兄妹なのにねぇ・・・」
「……ぅん。」
 星野はテーブルの下で憤りに拳を握り締めていた。
 ミツルは茶を飲みかけて虚空に目を向けている。
「・・・それで?」
「ぁ…ぅん。……竜二さんももちろん優秀だったそうだけど…上のお兄様には及ばなかったんですって。…それも、小百合さんに言わせると、才能の問題以前に非情になれない優しさが追い越せない理由だと思う、って。……竜二さんはお父様に、認められたい、って思う一方で、お母様からも愛されたかったそうなの。」
「・・それは・・当然でしょう?」
「愛されてない、って勘違いしてたんじゃないのか?」
「ううん!そうじゃない!」
 ミルクはミツルを抗議するように見つめた。
「・・わかったから、・・で?」
「……小百合さんはまだ小さくて、そうした事情がよくわからなかったらしいけど、それでも小さいながらにも感じてたそうなの。…いつも独りぼっちの竜二さんを……」
 ミルクは涙が滲んできて目をテーブルに伏せた。
「……上のお兄様は父親とばかり話してるし、お父様もご長男ばかりを誉めそやし自慢そうに連れ回してる。お母様はお仕事と小百合さんの教育に必死。……ご夫婦の会話がない中で、竜二さんはどっちにも付けず、どっちも好きなのに、どちらからも相手にされなくなっていってしまったそうなの。」
 涙が、ポトリ、とテーブルに落ちた。
「……だけど…優しいから…ずっと我慢してたんだって。……小百合さんに、よく本をプレゼントしてくれて「視野を広げろよ。」って優しく笑ってたんですって。」
 ポタポタ、と涙が落ちて言葉が途切れた。
 母親も目を押さえながら、ティッシュをミルクに渡す。
 ミルクは涙を拭いて鼻を啜り、話を続ける。
「……でも…お母様が”良妻賢母”を看板にしてTVに出るようになってから…段々表情が暗くなっていって……色々と問題を起こすようになっちゃったんですって。」
「・・・それはねぇ・・・」
 そうでしょうねぇ、と言いたいのを止めて、母親は自分でもティッシュで涙を拭った。
 ミツルは腕組みをして天井を睨んでいる。
「……御年賀のパーティーに行った時……何があったのか、わかんないけど……竜二さんがすごく荒れていて……小百合さんを突き飛ばして気絶させちゃったりして……」
 えッ?!
 母親もミツルも星野も初めて聞く事実に驚いてミルクを見た。
「……なんだか……普通じゃなくて……あれって…変な薬のせいかなぁ…?」
「ミルちゃん・・・薬って・・・」
「何かされたのか?」
 母親が青ざめ、ミツルが顔をしかめる。
「よくわかんないー!……でも…普通じゃなかったのぉ……だから……」
「だから?」
「……ミルが……竜二さんを……抱き締めちゃったの……」
 一瞬の沈黙の後、
「・・・お前が悪いぞッ!」
と、ミツルが怒鳴った。
 母親が、あらあら、と苦笑する。
「……ぅぅ……わかってるもん。……だから…竜二さんにヒドイことをして欲しくないんじゃん。」
 ミルクがイジケた上目遣いで唇を噛む。
「・・・ったく、どーしてこうも自覚がないんだ。」
 ミツルが額を手で押さえて大きく溜息を吐く。
「・・そ・・そのことを・・会長は?」
「……ぅん。……マサトには話した。……だから…竜二さんを怒るのを押さえてくれてるんだもん。」
 星野はようやく納得して頷いた。

「…でもねぇ、星野さん。」
 ミルクが真剣な顔で星野の方を向いて言うので、星野は緊張して目を見開いた。
「・・・は・・い?」
「……星野さんなら、マサトさんが怒ると怖いのは知ってるでしょう?」
 でしょう、と言われても答えに窮する。
 母親とミツルはマサトの裏の顔を知らないのだ。
 ミツルは薄々承知しているようでもあったが、「ご家族には気付かれるな。」と景山参謀からキツク注意されている。
「・・・ど・・どうでしょう・・・」
「……言いにくいのはわかってるけどぉ…マサトさんだって、自分で言うもん…俺を怒らせるな、って。」
「・・・は・・はぁ・・・」
 あ〜は〜は〜・・・と星野は力無い笑みを浮かべる。
「……だから、竜二さんと一切接触するな、って言うんだけどぉ……ミル…ね……竜二さんとお話したいの。」
「・・・いえ。それは困ります。」
 ”非情になれ”と心で叫ぶ。
「…ぅ…だって、今のままじゃ……いつか、竜二さんとガードの人がぶつかっちゃうでしょう?」
「ガードはアリス様の安全の為にお守りしているだけです。」
「……それは…感謝してますぅ。……でも…相手はお友達のお兄様なんだもの。……お兄ちゃんが言うように…ミルも悪かったんだし……一方的に竜二さんを悪者扱いしたら悪いじゃん。」
「・・・そうねぇ。・・・竜二さんだって辛いでしょうねぇ。」
「・・確かに・・・ミルクにも充分反省すべき点が多々あるな。・・・とは言え、ミルクが付き合ってやれる訳じゃないだろ?」
「……そうだけどぉ……話せばお友達になれるかもぉ……」
「なれるかッ!」
 兄でいることさえ試練なのに、とミツルは苦虫を噛み潰す。
「・・・僕もそう思います。」
 星野がミツルに賛同して頷く。
「…だけど……話さなかったらこのままじゃない。何にも解決しないで…いつか接触して竜二さんが傷付けられるのを待ってろ、って言うの?…それってもっとヒドクない?…もぉ…もぉ…ミルは誰にも竜二さんを傷付けて欲しくないのッ!」
 ミルクが駄々っ子のように叫んで、ボロボロと泣き出してしまう。
 星野は頭が真っ白になった。
 自分の判断の限界を越えている。

「・・・ミルク。そーゆーことは自分でその怖い恋人に訴えればいいだろ?」
 ミツルが青ざめている星野に助け船を出す。
 星野は泣きそうな顔でミツルを見つめた。
 ミツルは肩を竦め、
「あー見えて・・・原田氏は相当な人格者だと、俺は認めてる。」
と、ミツルが言う。
「・・・ま、・・凶暴性があるか、どうか・・・までは知りたくもないが・・・」
「いえッ!会長は御立派な方です!」
「そうねぇ。マサトさんは優しい方だわ。」
 マサトを崇拝する星野と、裏事情をまったく知らない母親がマサトを養護する。
「……優しいけどぉ……立派だけどぉ……厳しい時もあるのぉ……」
 ミルクはティッシュを何枚も使って涙を拭い、鼻をかむ。
「……ミルだってぇ……どーすればいいか……わかんないのぉ……」
 ミツルだけはミルクの言いたいことがわかる気がした。
「・・・けどなぁ・・・お前が言えない相手に、他の誰が意見出来る?・・・まして、絶対的な命令を受けているガードに手抜きや仲裁を願うこと自体間違っているだろ?・・・星野さんを含め、ガードの人達が与えられた職務に忠実であろうとするのは、その相手を慕うからこそで、その気持ちを歪めるようなことを言うもんじゃないぞ。」
「……お兄ちゃん……」
 ミルクは鼻を啜ってうつむく。
 星野はテーブルの向かい側からミツルに深々と頭を下げた。
「……じゃぁ……どうしたらいい…?」
 ミルクは半天のたもとで熱くなって重い目を押さえた。
「・・・ま・・原田氏も・・・お前の口から他の男を弁護する言葉が出るのが気に入らないのかもな。」
 ミツルが微かに苦笑をもらし、
「次の試験までまだ少し時間があるから、原田氏の都合を聞いて、会って話してみるよ。」
と言った。
 ミルクは縋るようにミツルを見つめ、
「……お願いしましゅ……」
と、両手を合わせて拝んだ。

<39>
「幹部会」
§39§「幹部会」

 一月最後の週末となる土曜日。
 この日、ミルクは朝の内に家の用事を済ませて、マサトのマンションに来ていた。
 マサトは昼までには来られると言っていたが、ミルクは早めに来てお掃除を始めた。
 普段使わない部屋だし、たまに若松が掃除に来ているらしかったが、それでも窓を開けて風通しをしたり布団を干したりしたかった。
 そして、布団を干している間に、途中で買ってきた材料で昼食の用意をした。
 マサトの為に料理を作るのは久し振りのことで、お昼とはいっても手の込んだ料理を作りたかった。
 頭の中ではもうメニューは出来上がっていた。
 ミツルが「美味い。」と言ってからちょっと凝っているけんちん汁と、焼きナスと、ブリの照り焼き。
 デザートはさっぱりとみかんシャーベット。
 けんちん汁は具材に火が通った所でとろ火で煮込み、シャーベットは冷凍庫で固め、ご飯はお昼前に炊き上がるようにセットした。
 焼きナスとブリの照り焼きは器に盛ってレンジの中へ入れておく。
 食べる前に温め直せば美味しさアップするし、食事前に調理に使った器具は洗って片付けられる。
「はふぅ……ちゅかれたぁ……」
 ミルクは布団をベランダに干してある寝室に行って、布団のないマットレスで伸びをすると寝転がった。
 風は冷たいが陽射しは暖かい。
 気持ち良さに、うとうと〜・・・としかけて、ガバッ、と起きると、慌てて台所へ行く。
 ”火事を起こさない注意が大切”とミツルの声が耳元でして、とろ火にかけてあったけんちん汁のことを思い出したのだ。
 火を止めて、ホッと溜息を吐いたミルクは寝室に戻り、ようやく日溜まり猫になってうたた寝し始めた。


 クラブ『蛇窟』。
 夜がメインとなるこの通りは、まだ人通りも少なく行き交う人は気怠そうな顔をしている。
 ストリート自体が朝日に眩しそうに顔をしかめているようで、鮮やかなネオンが消えていると薄汚れた印象がある。
 それでも『蛇窟』の周辺や看板は綺麗に磨き上げられているのも、ここの影のオーナーの影響だろう。
 ミツルは、フッ、と笑みを浮かべて、まだ開店していない『蛇窟』の店内へと入っていった。

 誰もいない店内はスムーズに奥へと進める。
 カウンターにはいつもと違う男が入っていて、カウンターの席には朝から艶やかな黒いスパンコールで覆い尽くされたチャイナドレスを着た女性が座っていた。
「・・・あの・・・」
 カウンターの男に言いかけたミツルは、チラリと女性の横顔を見て固まってしまった。
 ミツルと視線が合った女性は優美な笑みを浮かべて目を細め、細長いシガレットの煙を色っぽい口から吐き出した。
 これだけ妖艶な美貌は一度見れば忘れない。
 ある事件で行き着いた一人の女性、『蛇窟蘭』のママ、アザミだった。
 ミツルは掛ける言葉が見つからず、眉を寄せて顔を背けた。
「どうぞ。いつもの鍵です。」
 カウンターの男は立派なスーツを着ていて、落ち着いた雰囲気ではあるが曲者としての怪しい影が感じられる。
「・・・どうも。」
 ミツルはここでマサトと会う約束をしている以上、奇妙な空気を感じても進むしかなかった。

 二階へ上がっていくと、開店前だというのにビリヤードをしている人達がいた。
 だが、いつもの客とは様子が違う。
 服装もそうだが、身のこなし、威圧感、ビリヤードのキュー捌きも別格といった感じだった。
 ミツルはなるべく顔を合わせないようにして奥の部屋へと向かったが、ここでも見覚えのある顔を見つけてしまい、間の悪いことにそのことに気付いた時には視線が合ってしまっていた。
「やぁ、どうも。」
 婚約披露パーティーで挨拶をしたことのある本郷が、陽気な笑顔でキューを振っている。
 水瀬の友達の一件では、会うことはなかったが本郷にも世話になっていた。
「・・ど・・うも。」
 ミツルは鳴り響く音楽がない静寂の中、辛うじて届くかどうかの声で返事をして会釈した。
 ・・・どうも、何かがおかしい。
 そうは思ったが約束の時間は間近で、引き返す訳にもいかず、部屋の鍵を開けて重い扉を開くと逃げるように中へと体を滑り込ませた。

 約束は午前9時。
 部屋の時計も、ミツルの腕時計も後何秒かで9時になろうとしていた。
 カツンカツン!
 扉に掛かった呼び板を叩く音がしてドアが開く。
「待たせたかな?」
 マサトが扉を大きく開けて入ってきた。
「いえ・・・」
 ミツルが席を立って挨拶しようとすると、マサトの後から次々と知らない人達(さっき顔は見ているが…)が入ってきた。
 下のカウンターにいた男も、アザミも入ってきた。
 ミツルが呆気に取られていると、バスンッ・・・っと重い音がして扉が閉まった。
 ミツルは、ムッ、とマサトを睨み、
「どうゆうことでしょう?」
と、問い質した。
「まぁ、いきり立つな。座って話をしようぜ。・・席は多少キツクなるが詰めれば座れるだろう?」
 マサトはミツルの隣りに来ると、ミツルを端に座らせ自らも並んで座り、他の人達にも適当に座るように言った。
「そうですね。失礼します。」
 一番年長に見える紳士は穏やかに微笑んでミツルの向かい側に座り、影のように気配のない男が無言のまま会釈してマサトの隣りに座った。
 年長の紳士の隣りに本郷、その隣りは鍛え上げた体の男が、
「オッス!」
と体育会系の挨拶をして座った。
 その時になって、年長の紳士景山も、影のような男若松も、豪放磊落な財前という男も、マサトとミルクの婚約披露パーティーで挨拶した記憶があることを思い出した。
 当時はマサトへの反発が強く、マサト側の人間をよく見てなかったことが悔やまれた。
 ・・・気付いていれば仕組まれた席だとわかったのに・・・。
 ミツルは、グッ、と膝に置いた手を握り締めた。
 広めのソファーに三人ずつ向かい合わせになった所で、カウンターにいた男が、壁に押しつけてあった背もたれのない小さめのソファーを二つ、移動させた。
 そして、向き合うソファーのセンターテーブルの横に少し離して置くと、一つをアザミに勧め、自分も座った。
 こうしてミツルとマサトを入れて計8名が、顔を向き合わせた。
「・・・で?」
 ミツルが片眉を吊り上げて、隣りのマサトの顔を斜に見上げた。
 マサトは片頬で笑うと、
「せっかくの機会だから、同郷の親睦会のメンバーを紹介しようと思ってな。」
と、白々と答えた。
 ・・・何が同郷の親睦会だッ!
 ・・・コイツ等がそんな穏やかな面をしてるとでも言うのかッ?
 ミツルは目を眇め、静かに息を吐いて下っ腹に力を入れた。
 ・・・おかしな真似をするようなら俺一人でもコイツ等と戦ってやるッ!
 気合いを入れて、ミツルより遙かに大人の面々を見回した。
「クックックッ。そう警戒するな。取って喰ぃやぁしねぇよ。」
 マサトがミツルの肩に腕を回して手を置くと、その手で肩を軽くポンポンと叩いた。

「大体の概要は報告を受けているからわかっている。・・だから、お前が何を言いたいかも承知している。」
 マサトがミツルの肩に手を掛けたまま、反対の手で二本指を立てると横に控えている若松が空かさず煙草を差し出し、マサトが煙草をくわえるのに合わせて火を点ける。
「・・・それで・・大挙して俺を説得しようと?」
「バーカ。反対だ。・・・つーか、お前を説得する必要なんてあるのか?」
 マサトが煙草の煙を吐き出して喉で笑う。
 ミツルは煙そうに顔をしかめ、
「・・・一応、妹の代理ですが。」
と言って口を引き結んだ。
「問題はそこだな。・・・俺は今回の件で妥協する気はねぇ。ミルクが迂闊だったのはミルクに注意した。・・・だが、どっかで、ミルクは俺に不満があるのかも知れねぇだろ?・・・同情から恋にでも発展したらどうすりゃいい?・・恋敵になりかねねぇ男に同情なんてしてられっかよッ!」
 マサトが忌々しそうに煙りを吐き出す。
「・・クソッ!・・俺が忙しいのが悪ぃのかッ?どーすりゃいいのか聞きてぇのは俺の方だぜッ!」
 耳元で良く響く声で怒鳴られると耳を塞ぎたくなる。
 マサトの声は普段低音に押さえて話しているが、本来は多少アルト気味の艶のある声で、ミルクのことになると元々の声が表に出てきてしまうらしい。
 ミツルが顔を遠ざけようとするが、軽く乗っているだけのはずの手がピクリとも動けないほどに、ミツルの体を押さえ込んでることに気付かされた。
 ・・・ッ?!
 ・・・バケモンかッ?コイツはッ?!
 ミツルは観念したように、深い溜息を吐いた。

「会長。・・クスッ。まぁ、急に本題に入っても、アリス様の兄君にも私達への警戒心もあるでしょうから、ここは簡単に自己紹介でもしながら飲み物でクールダウン致しましょう。」
 景山が宥めるように言う。
「チッ。俺としちゃぁ、さっさと話を終わらせて、待っているミルクの所に行ってやりてぇんだぜ?」
「はい。存じております。」
「今日はミルクが昼飯を作ってくれるってんだ。・・めちゃ久し振りだぜぇ?・・・とっとと話を終わらせろ。」
 ミツルに当てつけるように言っておいて、最後のセリフだけ低音で凄みを効かせる。
 ・・・・・ガキ。
 ミツルが目を眇めたまま腹で呟くと、
「兄君が会長の駄々っ子ぶりに呆れてますよ。」
と、景山が目を細めて言った。
 ギクリッ!・・・として体を強ばらせたミツルは思わず生唾を飲み込んだ。
 ・・・油断出来ない男だ・・・
 ・・・ヘタをすると生き馬の目を抜かれるぞ。
 ミツルは上目遣いに目の前の紳士に視線を向けた。
 景山はミツルの視線をやんわりと受け止め、静かに微笑んだ。
 アリス様に似てらして可愛い方だ、と思っていることなど、おくびにも出さず・・・。

 アザミが、「飲み物を持ってきます。」と部屋を出ていくと、
「じゃぁ、まずNo.2から紹介しよう。」
と、煙草を灰皿に投げ捨てたマサトが言った。
「・・・ナンバーって・・・」
「ん?・・あいうえお順がいいのか?・・面倒だぜ。それに、年齢順なんて言い出すとさっきのアザミが機嫌を悪くするぞ?クククッ。」
 マサトは、早く話を終わらせろ、と言ってたわりには、この状況を楽しんでいるような口振りだった。
「・・・わかりました。もぅ、何でも好きにしてください。」
 ミツルの方が、早く済ませてくれ、と言いたくなった。
「ククッ。では、・・No.2の景山勲。・・昔は俺の家庭教師で、今は俺や他の皆の親代わり、兄貴分、相談役、纏め役、・・・影では閻魔大王とも囁かれている。」
 ・・・閻魔大王ッ?!
 ミツルは、なるほど、と小さく頷いた。
 景山が片目を微妙に細め、マサトに言い過ぎに注意するように警告する。
「な?・・あーやって俺までイビリやがる。」
 ミツルは今度は大きめに頷く。
 プッ、と失笑したのは本郷。
 ミツルの素直な反応に思わず笑いを洩らしてしまったのだが、周囲の緊張した面持ちに横にいる景山の渋い顔に気付いて、咳払いをして誤魔化した。
「けどまぁ、お前はそう怖がるこたぁねぇぜ。何しろ、ミルクを目の中に入れても痛くねぇくれぇに可愛がってるからな。猫可愛がりっつーか、好好爺になっちまって世話焼いてるんだぜ?ミルクの着る服とか、他の奴には絶対選ばせねぇしな。」
「・・えッ?・・あ、それじゃ、妹がいつもお世話に?・・そうとは知らず、失礼しました。ご挨拶が遅れましたが、妹に親切にして頂いて、ありがとうございます。」
 ミツルが恐縮したように膝に手を置いて頭を下げる。
「いえいえ。天使のような姫君ですので、お世話するのも楽しませて頂いております。」
「そうそう。コスプレは景山の趣味になりつつある。・・フフン。お前もその内、王子様の恰好をさせられるかもな?」
「・・・そ・・・それは・・・遠慮しておきます。」
 ミツルは眉を寄せてうつむいたが、微かに耳が赤くなっていた。

「じゃぁ、次はNo.3・・と言いたい所だが、No.3とNo.4は海外勤務でこの場にいない。お前が会いたいなら呼んで顔見せさせてやるぞ?」
「結構ですッ。」
 ミツルは即答で断った。
 ・・・ったく、何の顔見せなんだ?
 ・・・こんな話は聞いてないぞ。
 ミツルの腹の虫がまた蠢き出す。
「フン。・・なら、No.5だ。・・若松司。俺の補佐をしている一見寡黙な男だが、腕は俺の次に立つから気を付けろ。」
 ・・・気を付けろ?!
 ・・・・・って・・・何を?
 ミツルが意味を探っていると、紹介された若松が、マサトの隣りでまた無言のまま頭を下げる。
 ミツルも慌てて頭を下げて挨拶をした。
「ミルクの前じゃ色々と話し込んだりしているらしいから、ようは人見知りの激しい内気な奴、ってことか。アッハハハッ。」
 だいの大人をつかまえて随分な言い様だったが、当人は気にする様子もなく、恐縮して照れているようにさえ見える。
 ・・・・・わからない人だ・・・
 ミツルは心の中で首を傾げながらも、わずかに危険な臭いを若松から感じ取っていた。
 何かの話で、主人に忠実であればあるほど冷酷で恐ろしい、と聞いたことがある。
 自我のない存在はある種、魔に近いのかも知れない。
 それでもミルクとはよく話すというのは、ミルクは若松を人として見ているからだろう。
 ・・・彼も不器用な人間なのかも知れない。
 そう思ったミツルは、
 ・・・・・ミルク好みか・・・?
 と、頭を抱えたくなった。
 だが、考えてみれば・・・マサトはもっと魔の匂いに満ちている・・・。
 ミツルはこの空間にいることが、段々息が詰まりそうに感じてきていた。

「No.6の本郷保・・は何度か顔を合わせているから知ってるだろ?」
「あ・・はい。いつも妹の体調管理をして頂いているようで、ありがとうございます。・・それと、先日は友人のことで大変お世話になりました。」
 この場は気に入らなくても、礼儀と筋は通すものだと考えるミツルは、丁寧に感謝の言葉を並べてお辞儀した。
「あぁ、預かった成美ちゃん、今も頑張ってるよ。・・あの子は可愛い、いい子だねぇ。」
「そうお聞きして安心しました。お願いしたまま、任せきりにしてしまい、気になってはいたのですが・・済みません。」
「ミツルに関係ねぇ相手のことなんて、もう忘れろ。」
 マサトが儀礼的な挨拶を嘲笑うように口の端を上げて言った。
「・・・そうゆーもんですか?」
「そーゆーもんだぜ。仲間内ではな。・・いいか?何が真実で何が嘘か、いちいち判断してやらなきゃならねぇ会話をしてられるほど、世の中の時間ってのはのんびりしちゃいねぇんだ。必要な要点を的確に相手に伝えることが大事だと心得ろ。・・欺瞞に満ちた挨拶は騙してぇ相手にだけ使え。いいな?」
 ミツルは唖然として言葉をなくした。
 それから少し冷静になると、
 ・・・・・仲間内・・??
 と、マサトの言った言葉が妙に引っ掛かった。

「No.7の財前昇。柔道、剣道、空手、合気道といった日本の伝統武芸だけでなく、テコンドーやカンフー、フェンシングまで師範クラスの腕前だ。特に害のない性格だから、剣道の稽古をつけて貰うといいぜ。」
 ・・・害がない・・・って・・・他は害があるのかッ?!
「いやぁ、高校生チャンピオンだそうですね。一度お手合わせをお願いしますよ。」
 財前が、確かに害のない笑顔でそう言った。
 ・・・どう返事すればいいんだッ?
 ・・・儀礼的な挨拶はするな、と言うなら、迷惑だ、と本音を言えばいいのか?
 ミツルは頬を引き攣らせて、口元に笑みを浮かべた。
「まぁ、対戦したらお前が負けるだろうがな。」
 マサトがボソリと呟く。
「・・・は?」
 ・・・やってみなきゃわからないだろうッ?
 と、ミツルは不服そうな顔をした。
 マサトは、単純に引っ掛かったミツルに目を細め、
「財前の技は全て実践タイプだからな。流儀や型に拘ってると後ろからキツイ一発を貰うことになるぜ。」
と言って、ウィンクした。
「・・・それは・・武道に恥じる行為かと・・・」
「勝てなきゃ意味ねぇだろうが?・・お前は武道に恥じて死ぬか?・・・一度財前にみっちり鍛えて貰うといいぞ。」
「私はいつでも。」
 財前が害のない笑顔で胸を張って軽く頭を下げる。
 ・・・何が、害がない、だ。
 ・・・充分闇に染まった、実害のありそうな男じゃないか。
 ・・・正義を通して倒してみたい・・・
 ミツルは、ギリッ、と奥歯を噛み締めて財前を睨んだ。

「やっとNo.8の島田衛か。次がNo.9のアザミだが・・取り敢えず、島田まで紹介しておこう。」
「お手柔らかに。」
 島田が姿勢を正して、45度に体を傾けた。
「島田は・・とにかく要注意人物だろうな。頭脳明晰でやたらキレる男だから、油断も隙もない。」
「・・・会長・・・」
 島田は困惑した笑みを浮かべる。
「こんな大人しそうな顔をしているが、笑みを浮かべたままアイスピックで心臓を貫ける奴だ。」
 ・・・・・ッ?!
 ミツルは、ギョッ!、として目を見開く。
「前からでも後ろからでも、時には脇の下からでも的確に心臓を貫き、平然として何事もなかったような顔の出来る男だ。・・多分。」
「・・・・・多分、ですか?」
 ミツルが半信半疑の顔になり聞き返した。
「会長ッ。・・・私がいつ、誰の心臓を、アイスピックで貫いたんですかッ?」
 島田が真剣に抗議する。
 マサトは軽く肩を竦め、
「ま、想像だ。・・いや、妄想か?・・・アザミが戻って来るまで退屈だろうと思って、ミツルにサービスしてやったんだが・・・気にするな。クックックッ。」
と、笑いながら溜息を吐いた。
 散々楽しそうに紹介しておきながら、冷めた顔で時計を見る。
 ミツルは、悪い冗談を言う暇はあるのか?、と言ってやりたかったが、マサトの表情が曇ったので言い出せなかった。
 マサトは何かを言おうと口を開いたが、息を吸って止め、扉にキツイ視線を向けた。

 カツンカツン!
 ノックの音がしてアザミが姿を見せたのは、マサトの視線が向けられた数秒後だった。
 完全防音の部屋で外からの音が聞こえるはずがない。
 これだけ閉鎖された空間だと、外の気配も感じられないと思える。
 少なくともミツルにはわからなかった。
 ミツルは、明らかにマサトに劣っている自分を、悔しさと共に噛み締めた。

「アザミ。随分遅せぇな?手際が悪いんじゃねぇか?」
「あら。・・だって、育ち盛りのミツル様に変な物はお出し出来ないでしょう?・・フレッシュジュースを作ってきたんですもの。そう、怒らないでよ。」
 アザミは艶やかな笑みをマサトに向けてそう言うと、トレーに乗せてきた手作りジュースと水の入ったグラスをそれぞれの前に置いていった。
 マサトは苦笑して厳しい表情を和らげると、
「ほぅ・・・ミツルはアザミの好みか?クククッ。・・・ミツル、モテるなぁ?このアザミに奉仕させるような男になれば、お前も一人前だな。」
と、また冗談を言った。
 アザミがいると部屋の雰囲気が変わる。
 緊張感が解れて一気に華やかになるようだった。
「ミツル様。どうぞ召し上がれ。」
 自分のソファーに戻ったアザミはマサトの冷やかしを無視してミツルに微笑んだ。
「・・あ・・はい。頂きます。」
 ミツルがジュースの入ったグラスに手を伸ばしかけた時、
「アザミ。惚れ薬なんて入れてないだろうな?」
と、本郷がからかった。
 ミツルの手が一旦止まり、躊躇った後、水の入ったグラスへと伸びる。
「アザミも油断出来ませんからねぇ。水にも仕込んでる可能性はありますよ?」
 島田が自分もからかわれた腹いせのように言葉を添える。
 ミツルは手を引いて膝の上で拳を握った。
「ドクター。衛。何なの?・・失礼じゃないの。・・・ごめんなさいね、ミツル様。本当に悪い冗談が好きな殿方ばかりで。何も変な物は入れてないから、安心してくださいな。」
 アザミは本郷と島田を睨んでおいてから、ミツルに色っぽい流し目をして笑みを深めた。
「・・いえ。・・・済みませんでした。頂きます。」
 ミツルは改めてジュースのグラスを手に取り、一気に飲み干した。
 ヒュ〜ッ!
 本郷が口笛を吹いたが気にするのは辞めた。
 そんなレベルの女性ではないのだろう、ということがミツルにもわかった。
 ・・・なんて強かな女性だろう。
 ミツルはこれまでに会ったことのないタイプの女性に感心していた。
 ・・・だから女性にしてNo.9なのか・・・ん?・・・No.9??
 ・・・・・くノ一か?
 ミツルは本気と冗談の境が見えなくなりそうで、眉を寄せると水で口直しをした。

「さて、紹介も済んだことだし、幹部会を開くとしよう。」
 マサトが声のトーンを変えて言うと、皆の背筋がピンと伸びた。
「・・幹部会・・?」
「俺に意見したいなら幹部会を通せ。でなきゃ聞く耳は持たねぇぜ。」
「・・俺には幹部会は関係ないでしょう?」
「お前、ミルクの代理って言ったよな?」
「はい。」
「ミルクは俺の妻だぜ?」
「はぁ・・・まぁ、いずれは・・・」
「つまり、ミルクは大幹部ってことだ。ってことは、代理のお前にはその責任がある、ということだろうが。」
「は〜ぁ?」
「お前には色仕掛けは出来ねぇんだから、幹部と結託して俺を説得して見せろ。」
 それまで非常に真面目な顔で言っていたマサトがクスクスと笑い出す。
 ミツルはわけがわからず思い切り顔をしかめた。
「景山ならミルクに甘いから応援してくれるぜ?・・まぁ、若松も景山がミルク側に回れば自分もちょっとは賛成に回ってやろうと思うだろう。ミルクは人望があるからな。」
「ですが、一番アリス様に甘いのは会長ご自身でしょう。」
 景山がマサトの言葉を受けてそう答えた。
 だが、マサトは感情の見えない顔で、
「いや。今度ばかりは許さないぜ。」
と、低いだけではない、異世界から響いてくるような声で淡々と言った。
 それまで穏やかだった景山の表情が凍り付き血の気が引いていった。
 もとより他の幹部も青ざめ言葉も出ない。
 ミツルも得体の知れない恐怖を感じ、息を飲んだ。

   『・・・さぁ・・・どう結論を出すのか・・・話し合って貰おうか。』
 闇から響く声・・・部屋の中は渦を巻く禍々しい妖気に包まれていった。


 ミルクはすやすやと笑みを浮かべて惰眠中。
「……ぅふっ……うふうふっ……ぃゃぁ〜ん……うふふふっ……」
 どんな楽しい夢をみているのか・・・。

 マサトは愛おしくミルクの寝顔を見つめていた。
 ミルクの横に並んで寝転がり、そっと頬ずりをする。
「……ン…ん?……マサトぉ?」
「・・・ミルク・・・起こしちまったか?」
「…うふん……いいのぉ〜……うふふっ……」
 ミルクがマサトの胸に顔を埋める。
 マサトは髪にキスを繰り返し、ミルクが顔を上げると今度は顔の至る所にキスをする。
「…んー……マサトぉ……しゅきぃ〜……」
「・・・あぁ・・・俺も言葉に出来ねぇほど好きだぜ。」
 ミルクはふにゃぁ〜っと笑ってマサトに抱きつく。
 マサトもミルクに優しく微笑みかけてからキツク抱き締め、頬ずりをする。
 けれど、頬ずりをするマサトの顔は苦渋に歪んでいた。
 マサトは眉間のシワをミルクの肩に押しつけて隠し、気持ちを気取られないように激しいキスをした。
 激しいキスから激しい愛撫へと移り、激しくミルクを求めた。
 ミルクは、
 ……あぁ〜ん……
 ……せっかくお布団ふかふかに干したのにぃ〜……
 と、思いつつ、マサトの激しい熱愛の渦に取り込まれていった。

<40>
「葛藤」
§40§「葛藤」

 昼下がりの倉庫街。
 搬入・搬出のピークを過ぎて、昼食後の弛んだ胃袋は否応なしに眠りを誘うらしい。
 門の横にある守衛室では帽子を目深に被った男が、イスに座って腕組みをしているものの、こっくり、こっくりと舟を漕いでいる。
 近くに停まっている大型トラックでも、男がラジオを付けっ放しで窓に足を掛けて寝ている。
 ・・・チッ。見締めねぇ奴等だぜ。
 竜二は不審尋問を受けることもなく、倉庫街へとバイクで侵入することが出来た。
 ・・・13番倉庫か・・・
 それでもなるべくエンジン音を立てないようにしながら、目的の倉庫を探す為奥へと進んでいった。

 竜二のバイクが、並んだ倉庫の奥へと姿を消すと、それまで眠っていたはずの守衛が素早く起き上がり、重い鉄格子の柵を閉じるスイッチを入れた。
 鉄格子の柵は二重になっていて、それぞれのレーンを静かに滑っていき、広い入り口を完全に遮断した。
 更に、大型トラックが柵の前に横付けにされ、中への視界を遮ったことを、竜二は知る由もなかった。


 13番倉庫はかなり奥まった所にあった。
 大きな倉庫で大型トラック数台が楽々収容される高さと広さがある。
 搬入口は必要以上に頑丈そうな鉄の扉で、幸運なことに少しだけ開いていた。
 竜二はバイクを下りて、倉庫を下から上まで睨みあげてから大きく深呼吸し、少し開いた扉の隙間から中に忍び込んだ。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 2時間ほど前。
 『ミルクに会いたければ午後1時に○○倉庫街の13番倉庫に来い。』
 と、竜二の携帯電話にかけてきた男が言った。
 まだベッドに突っ伏して泥のように眠り込んでいた時だった。
 寝惚けた頭にでも響く声。
 意味を理解する前に脳に刻み込まれた言葉。
 竜二はベッドの上に起き上がって、しばらく呆然としていた。
 ようやく脳が働き出して掛かってきた電話の内容を理解するに至って、自分の携帯番号をどうして知っているのか、とチラリと思ったが、そんなことはどうでもよかった。
 怒気を含んだ威圧的な声からして、相手が喧嘩腰であるのは火を見るより明らかだった。
 竜二はベッドから飛び起き、熱いシャワーで昨夜の深酒を洗い流した。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 倉庫の中は薄暗く奥までは視界が届かない。
 開かれた扉の隙間から差し込む光で、辛うじて自分の足元が見えるだけだった。

 ギィーーーッ・・・ガシーンッ!!
 入ってきた扉が完全に閉められた。
 途端に辺りは暗闇に包まれた。
 ・・・な・・・何だッ?!
 竜二は周囲を見回そうとしたが、自分が本当に見回しているのかさえ判断がつかない。
 両手を目の前に翳してみても、指の輪郭さえ見えない。
 漆黒の闇の中で完璧に視界を奪われた。
 ・・・闇討ちにするつもりかッ?
 竜二が両足を広げ腰を落として身構える。
 聴覚と第六感を働かせ気配を探った。
「よく来たな。・・・一人でここまで来たことは誉めてやろうか?」
 かなり先の方から声が響いてくる。
「いるかッ!それよりミルクはどこだッ!!」
 竜二は叫びながら、ジリッ、ジリッ、と足元を確認しつつ先へと移動していく。
「っざけんじゃねぇぇぇーーッッ!!」
 竜二を圧倒する音量の怒声。
「人の女を呼び付けにすんじゃねぇぜッッ!!」
 ・・・フン。
 ・・・やっぱり婚約者かよ。
 ・・・だと思ったぜ。
 竜二が闇の中で冷笑を浮かべた時、
 カタンッ!・・カタンッ!・・カタンッ!・・・という音と共に四方からサーチライトで照らされた。
 片腕で目元を隠したが強い光に目が痛くなる。
「何のつもりだッ?・・ミルクに会わせるって言うから来たんじゃねぇかッ!騙したのかッ?」
 ワックスで立てた銀の髪が白く光って針のように見える。
 荒んだ心に突き刺さる針のように・・・。

「ミルクはここにいるぜ。」
 マサトがそう答えると、別の照明が前方に灯された。
 竜二はサーチライトの眩しい光を透かすように目を凝らす。
 ゆったりとした肘掛け椅子に座る男と、その横に幾重にもロープが巻かれて縛り上げられた少女が立たされている。
 少女は、白いドレスにロープが食い込み、両手は体の前で手首を縛られている。
 両足も縛られているので、バランスを崩して倒れそうになるのを、後ろに立った覆面の男が支えている。
 ・・・ミ・・・ミルク?!
 うつむいていて顔は見えないが、サラサラの髪と細い首、華奢な体にしては形良く盛り上がった胸にくびれた腰、そして透明な程に白い肌は、間違いなくミルクだった。
 ・・・どうしてッ??!!
 竜二は息を飲んで目を見張り、しばらく呆然と見つめていた。
 そして、獣じみた声で呻くと、
「てめぇッ!何しやがんだぁぁぁーーッ!!」
と、叫んで突進していった。

 だが、一瞬目の前を影が過ぎったと思った瞬間、体が宙に浮き顔面からコンクリートに叩き付けられた。
 咄嗟に腕で体を支えなければ頭を強打したかも知れない。
 ズザザザァーーッ・・・
 額から頬へと細かい砂粒でヤスリに掛けたように擦れる。
「やめてぇぇぇーーーッ!!」
 顔を上げたミルクが悲痛な声で叫ぶ。
 何が起きたのかすぐにはわからず、コンクリートの床にへばり付いていた竜二は、ハッ、として撥ねるように飛び起き、身構える。
 額から一筋血が流れて頬を伝う。
「いやぁぁーーッ!やめてよぉぉぉーーッ!!」
 ミルクが激しく体を捩り首を振るが、後ろの覆面の男がロープをつかんで固定している。
 カンッ!カンッ!カンッ!カンッ!
 竜二を照らしていたサーチライトが消され、竜二の姿が闇に隠される。
 竜二は前方の明かりを目指して再び突進しようとしたが、今度は見えない影に後ろ手を取られて床に押さえ込まれてしまう。
{「まだお前の出番は早い。少しおとなしくしていろ。」}
 耳元で低い声が囁く。
 竜二が叫ぼうとする前に鋼鉄のような腕で鼻と口を塞がれ、
{「従わないなら、このまま首をへし折って、あの世に送ってやるぞ。」}
と、また竜二だけに聞こえる低音の声が耳の奥で響き、頭を固定する腕に力が入った。
 背中を膝で押さえ込まれた上に鼻と口も塞がれて息が出来ない竜二は、わずかに顎を動かし同意の意を示した。

「・・・ミルク・・・」
 黒尽くめの服を着たマサトが、ミルクの頬に掌をそっとあてがい、親指で優しく撫でる。
「あの男は俺の最も大切な宝物を盗もうと狙っているんだぜ?・・わかるか?」
 ……ミルは物じゃない。
 ……ミルの気持ちはマサトの物じゃん。
 矛盾する二つの言葉が頭の中をグルグル回って、ミルクはどう言えばいいのかわからなかった。
 ……どうしてダメなの?
 ……どうして竜二さんは許してくれないの?
 悔しさで唇が震える。
「お前がアイツを弁護することは俺への裏切りだぞ。」
 ……違う、違うッ!
 ミルクは首を振って抗議するが、マサトはミルクから手を放すと厳しい口調で、
「・・・吊せ。」
と命令した。
 マサトの座る椅子から1メートルほど離れた所に、天井から錨の付いたロープが下りてくる。
 ミルクを支えていた男は命令に従い、ミルクの手首を縛っているロープの端を錨にくくりつけた。
 ロープが巻かれていくと、ミルクの縛られた両手が上がっていく。
 ミルクは唖然としてマサトの横顔を食い入るように見つめた。
「……クッ…ン……」
 両腕が引き上げられ、足が浮いて手首に体重が掛かり、ミルクが顔をしかめた。
 覆面の男が天井を睨み、少し下げるように指示をする。
 それで、どうにかミルクの足が床に着き、ミルクは涙を溜めた目で頬を膨らませた。

 マサトが眉間にシワを刻んで、低い声でミルクに話し掛ける。
「よく考えろ。・・・俺が言うことが無理なのか。それほど理不尽なことを言っているのか。」
 ミルクは両腕を吊り上げられた状態でマサトを上目遣いに見ていたが、そう言われて視線を虚空に彷徨わせた。
「……わかんなぃ……」
 ミルクの切なく悲しげな声が暗闇に染み込んでいく。
 マサトは目を閉じて溜息を吐くと、
「・・では、そこの男に聞こう。」
と、わずかにシルエットが闇に浮かぶ相手に問い掛けた。
 マサトの言葉に応えて倉庫中央の天井から照明が灯され、若松に組み敷かれている竜二の姿が現れる。
 若松は竜二の背中に乗せていた足を退かして、竜二の腕を背中に捻り上げたまま立ち上がらせた。
 竜二は長い足を真っ直ぐに少し開いて立つと、マサトに憎悪の視線を向けた。
「てめぇ・・・自分の女だと言いながら、よくそんなマネが出来るなッ!」
 竜二になじられてもマサトは表情を変えずに、
「質問にだけ答えろ。」
と、冷淡に返した。

「貴様に問う。生涯だた一人と決めて心底惚れている自分の女が、その女に妄執している男が言い寄るのを、認めてやれ、許してやれ、傷付けないでくれ、と願ったらどうする?」
 マサトのあまりにもストレートな質問に竜二は戸惑った。
 ・・・それは・・・俺のことか?
 竜二はミルクに抱き締められた時の柔らかな胸を思い出した。
 華奢な腕に包まれた優しい感触とほのかに甘く香る肌を思い出すと、胸が甘酸っぱく疼く。
「挙げ句に、傷付いた魂が愛おしくてたまらないと泣いて訴える。自分にはどうしてやることも出来ないが、せめて友達として心を抱き留めたい。・・・そう願われたら、貴様は聞いてやるか?俺と貴様と逆の立場になったつもりで答えてみろ。」
 ・・・・・逆の立場・・・・・?
 竜二はしばらくコンクリートの床に視線を落としていた。
「・・・・・クッ・・・クックックックックックッ・・・アーッハハハハハハッ!!」
 初め低く笑っていた竜二が、顔を上げ腹を突き出すようにして狂ったように笑い出した。
 シンとした倉庫にけたたましく笑い声が響く。
 天井からの照明は倉庫の壁際に並んで取り囲んでいる男達の姿もボンヤリと闇の中に浮かばせている。
 そして、竜二が笑えば笑うほど、男達の憎悪と敵意がどす黒いオーラとなって竜二に忍び寄っていった。
 竜二は一頻り笑ってから、ピタリ、と笑うのを止め、沈痛な表情になると、
「・・・そんな男はぶっ殺してやるぜ。」
と、呻くように呟いた。

「ほぉ・・・なるほど。」
 マサトは片眉を吊り上げ、冷淡に頷く。
 竜二が再びマサトを睨み上げ、
「つまりはそーゆーことだろ?てめぇは俺をぶっ殺してぇって言いてぇんだろッ?」
と、挑むように叫んだ。
「・・・殺して済むならとっくに殺しているぜ。・・・完全なる敵なら迷いはしないし、容赦もしない。相手が命を狙う以上、戦いに敗れた方が命を落とすのは当然のこと。」
「理由なんかどうだっていいッ!俺が気に喰わなきゃ、さっさと殺せッ!」
「・・クックッ。そう死に急ぐな。・・・貴様が欲しいのは俺の命か?それともミルクの愛か?」
「知らねぇよッ!・・・てめぇを殺してミルクが手に入るなら殺してやるぜッ!」
 ヒッ!
 息を飲む音がした後、
「ダメェェェェェェーーーーーーーッッ!!マサトを殺すならその前にミルを殺してぇぇぇーーーッッ!!マサトを殺しちゃだめなのぉぉぉーーーーーーッッ!!!」
と、絶叫が響き渡った。
「マサトの命はみんなの命なのぉぉぉーーッッ!!絶対に、絶対に、絶対に生きてなきゃいけないのぉぉぉーーッッ!!!」
 魂が引き裂かれたような悲痛な叫びに、マサトは眉間を指先で押さえた。
 竜二は冷水を浴びせかけられた顔になって、体を小刻みに震わせた。
「・・・へッ・・・ヘッヘッヘッ・・・あんたを殺してもミルクは手に入りそうもねぇな。」
 竜二は視線を床に落として、目に滲んだ涙を隠し自分を嘲笑うように言うと、ガックリと肩を落とした。
「・・・もぅ、いい。・・・勿体付けねぇで手早く殺してくれ。どうせ日陰で萎れた雑草みてぇな俺だ。・・・誰も惜しみゃしねぇさ。」
「嫌ぁぁぁーーーッッ!!バカぁぁぁーーーッッ!!小百合さんが泣くじゃなぁーいッ!!ミルだって泣くもぉーーんッ!!バカバカバカぁぁぁーーーーーッッ!!!」
 ミルクが焦れったそうに体を大きく揺らす。
「やだやだやだぁぁぁーーーッッ!!!……うぇぇ〜〜ん!マサトぉぉッ!やなのぉぉ〜〜ッ!!」
 泣き叫んで体を揺らすので、足が床に着いていられなくなり、腕が強く引っ張られている。
 ミルクの泣き声に痛みに呻く声が混じり、ロープの、ギシッギシッ、と軋む音が痛々しく鳴る。
 覆面の男がミルクの体を支えてやろうとしたが、マサトに視線で征され手が出せず、拳を握ってじっと耐えている。

「こーゆー訳だ。・・・貴様の命を奪うなど造作もない。だが、貴様はそれで清々しても、ミルクの心には一生消えねぇ傷が残っちまう。ミルクの傷は俺にも痛ぇ。自分の傷以上に痛くてたまんねぇ。・・・だから、そう簡単に貴様に死なれちゃ迷惑だぜ。」
 マサトの声が低く響いて竜二の耳に届く。
 実際にはミルクが泣きじゃくって、
「やぁなのぉ〜ッ!ぶぃぇぇ〜〜んッ!バカバカぁ〜ッ!死ぬ死ぬ言うなぁ〜ッ!どぉ〜やったって生きれない命だってあるのにぃ〜ッ!マサトもぉ〜竜二さんもぉ〜おバカぁぁ〜〜ッ!!」
と叫んでいて、お互いの会話が成立しないほど騒がしい。
「・・・ミルク。少ぉーし黙ってろ。」
「……ぅぅ…ヒック…グシュ…グシュ……ぅううッ……意地悪ぅぅ……」
 ミルクが気持ちが治まらずにしゃくり上げながら呟いた時、マサトが椅子の後ろに手を回し、隠しておいた鞭を引きずり出した。
 ヒュンッ!…ビシーーンッ!!
 風を切って呻った鞭がミルクの体に打ち据えられた。
「…ッ…キャァァァァァ……」
 痛みに反り返った体が大きくしなり、ギシギシ、とロープが揺れる。

「てめぇぇぇーーッ!!何しやがんだぁぁぁーーッ!!」
 怒りに目を血走らせた竜二が吠えた。
 倉庫の壁際をぐるりと取り囲んだ男達にも動揺が走った。
「・・・俺の女だ。どうしようと俺の勝手だぜ。」
 マサトが冷たく嘯く。
「ぐッ・・・てめぇ・・・言ってることとやってることが違ぇじゃねぇかッ!それとも惚れてる女を虐めるのが趣味なのかッ?!大事に出来ねぇなら、俺に渡せーッッ!!」
 竜二の言葉に、それまで淡々と話していたマサトが、怒りの感情を迸らせて、
「貴様に髪の毛一本やるかよッ!他の誰かに渡すくれぇなら、頭のてっぺんからつま先まで小骨も残さず綺麗に喰らってやるぜッ!」
と、全身から紅蓮の炎のごときオーラを噴き上げながら叫んだ。
「…ぅッ…ぅぅッ……食べちゃやぁ〜ん……」
 ヒュンッ!…ビシーーンッ!!
「口出しすんじゃねぇーッ!!」
「キャァァァァァァァァ……」
 ギシッ、、ギシッ、、ギシッ、、
 ロープの軋む音とミルクの啜り泣く声だけが、恐ろしく静まり返った倉庫内に聞こえている。

「・・・やめてくれ。・・・頼むから・・・俺のせいでミルクを責めないでくれぇッ!」
 竜二が足をガクガク震わせて跪いた。
「貴様も人の女のことに口出しはするんじゃねぇぜ。」
 マサトは目を怒らせて睨みつける。
「俺に意見するなら、俺を倒してから言えッ!」
 マサトの言葉に竜二は再び憎悪に燃えた目でマサトを睨み返した。
「だったら勝負しろッ!相手になってやるぜッ!!」
「貴様が?・・・相手に?・・・クックククッ。」
 マサトは口の端を引き上げて片頬に笑みを浮かべたが、目は決して笑っていなかった。
「・・・ヤバイなぁ・・・何しろ、俺も久々にキレちまってるしな。・・・ミルクの願いなのに聞いてやれなくなりそうだぜ。・・・貴様・・そんなに頑丈か?どれほどの腕前なんだ?」
 冷たく嘲笑しながら聞く。
 竜二はマサトを睨んだまま立ち上がり、
「もとより捨て身の覚悟ッ!死ぬ気になった人間の底力を見せてやるぜッ!!」
と、挑戦状を叩き付けた。
「いやぁぁぁーーッ!!だめぇぇぇーーーッッ!!」
 ヒュンッ!…ビシーーンッ!!
「ッヒッ…アァァァーーーァァァ……」
 ギシッ、、ギシッ、、ギシッ、、

「では、こうしよう。貴様が腕をつかまれちまってる後ろの男を倒すことが出来たら、俺が直々に相手になってやるぜ。」
 マサトはミルクを鞭で黙らせておいて、そう宣った。
 竜二は、えッ?!、と後ろを顔だけで振り返った。
 若松はニヤリと笑みを浮かべると、
「そーゆーことだ。」
と言って、竜二の捻り上げていた腕を放してやった。
 竜二は若松に向かって身構えながら、痺れている腕をさする。
 そして、若松を睨みながら、
「何で俺の相手がコイツなんだッ?!てめぇは自信がねぇのかッ?」
と、マサトに抗議するように叫んだ。
「バカか、お前。」
 若松が余裕の笑みで冷たく竜二を見下す。
「俺でも会長には敵わねぇよ。・・お前なんか瞬殺されちまうぜ。」
 ・・・・・・・・・・・ッ?!
 竜二は言葉もなく固まった。
「それこそ、捨て身の意地を見せる前に、速攻あの世の住人になっちまう。・・・俺を相手にしろ、と言うのは、会長の温情ってもんだぜ。」

「若松さんーダメェェーーッ!お願いーッ!やめてぇぇーーッ!!」
 ヒュンッ!…ビシーーンッ!!
「アァァァーーーッ……」
 ギシッ、、ギシッ、、ギシッ、、
 若松が苦渋に顔を歪める。
「男の真剣勝負に口を挟むんじゃねぇッ!」
 マサトがミルクを叱る。
「……ぅぅぅ……だってぇ……」
 ミルクが涙でグショグショになった顔を真っ赤にして鼻を啜る。
 覆面の男がそっと濡れたタオルで、ミルクの顔を拭ってやった。
 マサトはなるべくミルクの顔を見ないようにして言葉を続ける。
「お前が泣いて止めたら、若松には手が出せねぇだろーがッ!えッ?・・それとも、若松なら頑丈だから多少殴られても平気だとでも思ってるのか?・・・相手は命懸けで突進してくる猛犬だぜ?窮鼠猫を噛む、ってゆーじゃねぇか。若松だって真剣に相手してぇだろ?」
 ミルクは横隔膜を痙攣させて震える息遣いをしている。
「……若松さんも…怪我するのはいやだもん。……どっちも嫌……こんなの嫌ぁぁーッ!」
 ヒュンッ!…ビシーーンッ!!
「アゥゥゥゥゥゥッッ……」
 ギシッ、、ギシッ、、ギシッ、、
 揺れるミルクの手首から血が滲んで腕を伝う。
 ギクッ、とした覆面の男が、ミルクとマサトを交互に見るように忙しなく顔を動かし、無言の内にマサトに訴え掛けている。
 ロープで巻かれたミルクのドレスも数ヶ所裂けている。
 マサトは眉間のシワを深めながら厳しい口調を変えない。
「ミルク。・・・もう言葉じゃねぇんだ。そんなこたぁ、みんなわかってる。・・・だが、理屈じゃ収まらねぇ男の意地ってものがあるんだぜ?・・・それをわかってやれ。」
「……ぅぅーッ……マサトのバカぁぁぁーーーッ!」
 マサトは鞭を握る手を微かに震わせ、一瞬躊躇ったが再び、
 ヒュンッ!…ビシーーンッ!!
と、強かに打ち据えた。
「キャァァァァァァァァ……」
 大きく仰け反ったミルクが膝を震わせ足の力をなくし、全体重を手首に掛けてしまう。
 ギィィッ、、ミシッ、、ギィィッ、、
 揺れて過重が掛かった手首の関節が外れてしまったようで、指が真っ白になってダラリとする。
「……ぅぅ…クゥゥッ……」
 二重の痛みにミルクは失禁してしまっていた。
 白いドレスの裾から、ポタッ、、ポタッ、、と滴が落ちる。
 顔を背けたマサトが肘を付いた手を拳にして口元を押さえる。
 覆面の男が堪らず、ミルクの体を支えてしまったが、今度はマサトも止められなかった。
 倉庫に悲しみの息遣いが広がっていく。

 シンと静まり返った中、
「・・・竜二よ。」
と、マサトが初めて名前を呼んだ。
「貴様も辛ぇかも知れねぇが・・・ミルクも辛ぇし、若松も辛ぇし、俺だって辛ぇぜ。いや、ここにいる全員が辛ぇ。」
 ・・・コイツは何を言ってんだ?
 竜二は意味がわからずにマサトを睨んでいる。
 マサトが言葉を続ける。
「・・・貴様の魂の痛みってのはどれくれぇの痛みだってゆーんだ?貴様にミルクや俺達の痛みがわかってるのか?」
 ・・・てめぇのどこが痛ぇってゆーんだッ?
 竜二は、勝手な言い分だ、と奥歯を噛み締める。
 だが、
「親に愛されねぇぐれぇが何だッ!俺は母親から”死ね!”と忌み嫌われて育ったぞッ!・・・だから、何だッ?それぐれぇのことでグレてられるほど、俺は暇じゃねぇーぜッ!!・・・自分で自分の魂を貶めてどうなるッ?あッ?・・・目を覚ませッッ!!」
と、マサトの魂からの慟哭が、激震のように倉庫を震わせ、竜二は落雷にでもあったかのように衝撃を受けた。

「・・・貴様の甘ちょろい事情なんてここにいる誰一人同情なんかしねぇぜ。貴様よりずっと辛ぇ生き方をしてるからな。」
 マサトがそう言うと、倉庫中から熱いオーラがマサトの周囲に集まってくる。
 皆のオーラがマサトを包み込み、マサトが更に激しく赤々と燃え盛るオーラを立ちのぼらせた。
 目に見えるものではないが、竜二でなくても誰であってもそうとわかるほどに、熱く激しいオーラだった。
「だが、問題は不幸比べなんかじゃねぇッ!」
 マサトはきっぱり断言する。
「ここにいる皆は誰一人命を粗末になんかしてねぇぜ?生きることを楽しんでいるぜ?わかるか?」
 ・・・・・沈黙・・・・・
「生まれてきたからには魂を燃やせッ!燃やすのは己自身だろうがッ!人をアテになんかすんじゃねぇぇーーッ!!」
 ビリビリッ、と空気が振動する。
「・・・捨ててぇ命なら捨てちまえ。一度捨てて、もう一度生きてみろ。・・・若松が甘くねぇ生き方ってのを仕込んでくれるぜ?」
 そこまで言って、大きく息を吐いたマサトは、
「さぁ・・・始めて貰おうか。」
と、若松と竜二のファイトのゴングを鳴らした。