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<96>
「弔問」
§96§「弔問」

 かつての親友同士で、美佳の通夜をするように、ミルクと香織は肩を寄せ合って朝を迎えた。
 うとうと、と仮眠している所をミツルに起こされ、一度家に戻って着替えてから、また香織と落ち合うことにした。
 美佳の葬儀に出られなかったミルクが、せめて美佳の遺灰にお線香を手向けたいと言うので、香織も付き合うことにしたのだ。

 家に戻ると、ミルク用の車が駐車場に収まっていて、ボディーガードが二人、困った渋面で門前に立ち、左右に広がる道路に視線を走らせていた。
 ミツルの漕ぐ自転車の後ろにミルクの姿を発見すると、
「ご無事でしたか・・・」
と、大きく安堵の息を吐き、
「お側を離れて、申し訳ありませんでした。」
と、深々と頭を下げた。
「連絡しなくて、ごめんなさい。急な用件だったし、気が急いていたから・・」
 ボディーガードの存在に慣れたミルクは、遠慮がちではあったが、どこか主然とした雰囲気があった。
 それは、さながら召使いを使うことになれた貴婦人のようでもあり、ミツルは一夏で成長した妹を感じずにはいられなかった。

 そんなミルクでも、玄関から家の空間に入ると、緊張が緩んで、どっと疲れが襲ってくるようだった。
 二階へ行ってからすぐ下りてくるのが億劫で、ミルクはそのまま冷たいシャワーを浴び、気持ちを引き締めた。
 物を食べる気がしなかったが、心配する母親やミツルに注意されたこともあり、ミルクはどうにか半分ほど用意されていた朝食に箸を付けた。
 そして、弔問用の服に着替える為に、二階へと上がった。
 自分の部屋ほど落ち着く空間はないだろう。
 ベッドに座って肩を落としたミルクは、ともするとそのまま意識が消えそうになるのを、首を振って呼び戻した。
「さて、着替えましょう。」
 自分に呼び掛けて立ち上がろうとした時、昨夜投げ出したままだった携帯電話が、手に触れた。
 折り畳むのも忘れて開いたままになっている。
 ミルクは手に取って、充電が足りているか確認した。
 と、何度かマサトからの電話があり、メールも来ていることに気付き、開いて読むことにした。

―∈気付いたら、すぐに電話しろ!∋―
「あちゃ・・・」
 いかにも不機嫌そうな短い文面に、ミルクは苦笑して、すぐにマサトに電話を入れた。
「もしもし・・」
―「もしもしじゃねぇッ!」
「ぁん・・怒鳴らないでよぉ。色々あって大変だったんだからぁ・・」
―「大変な時に携帯を忘れるなッ!何かあったら、どうするんだッ!」
「ごめんなさいー・・・でも、お兄ちゃんも一緒だったから、心配ないよ。」
―「信用出来ねぇ。」
 マサトは声のトーンを下げたものの不機嫌は相変わらずで、低い声で抑揚もなく宣わった。
 ミルクはマサトの声が聞けただけでも、ホッとして嬉しかったので、クスッと笑いを洩らした。
「そんなこと言うと、お風呂から飛び出してきて付き合ってくれた、お兄ちゃんに悪いじゃん。髪も濡れたままで自転車漕いで、風邪引いちゃったかもぉ。」
―「あれがそれぐらいで風邪引くタマか?・・って言うより、何があったんだ?」
「あ・・うん。・・・美佳がねぇ、自殺したんだって。」
―「・・・ふむ。」
「え・・驚かないの?」
―「事件絡みだろ?・・まして風俗が関わってれば、島田からも報告が入るさ。」
「そっか・・・」
 そういえば、ミルクを助けたのは、表向きには島田だった。
 島田自身も関わった暴力団組織である以上、事件があれば報告するのも当然だろう。
―「すぐ寝ると思ったから、ボディーガードも付けなかったのに・・ったく、出掛けるなら連絡しろよ。」
「・・ごめんなさい。・・だって・・・」
―「冷静になれ、と言っても無理な時もあるだろうが、どんな時でも、行動を起こす時には自分の周辺をチェックして確認するもんだぜ。」
 まるで特殊訓練所で、非常時への心得を享受するようなマサトの口調に、ミルクの口元に浮かんでいた笑みが消える。
「・・ミルは訓練受けてないもん・・・」
―「出来ないと言い張るなら、今度から俺がいない時は、首輪付けて鎖に繋ぐぞ。」
「・・ぅ・・・」
 ミルクは電話に向かって唇を尖らせた。
―「他人事に夢中になるのが、ミルクの良い所なんだろうが、勇み足で自爆したら、俺や家族が悲しむだけでなく、みんなが困ることになるんだぜ?・・その辺の自覚は持ってくれよな。」
「・・・ぁぃ・・・」
 そこまで大袈裟に言うことないのに、と思いながらも、反論するだけの気力はなく、消えそうな声で返事をした。
 電話の向こうでマサトの溜息が聞こえる。
 顔も見えずに溜息だけ聞かされると、心が寒くなる気がした。
―「・・それで・・・お前、寝てねぇんだろ?」
 ミルクが黙っていると、マサトの声が優しい響きで聞こえてきた。
 少しだけ安心して、
「・・・ちょっとは眠ったから・・・」
と答える。
―「・・疲れてたのを承知で目一杯抱いちまったし、起きてられねぇと思った俺が油断してたな。・・この後、寝るのか?」
「・・・ううん。お線香上げてきたいから・・・」
―「・・バカだなぁ。・・・お前、限界だろうが。」
 マサトの労るような優しい声に、ミルクの苦しいほどに寒かった胸がジワーンと熱くなった。
 心が溶けるように涙が滲んでくる。
「大丈夫だよ。・・それに・・寝ようとしても、寝られない。・・さっきは香織が側にいたから。・・・一人でいるのが怖いの。・・理由はわかんないけど・・怖くてたまらないの。・・多分・・寝たら、きっと・・怖い夢を見そうで・・・夢から醒めた時、たった一人でいるのが怖いからだと思うけど・・寝たくないの。」
―「・・ミルク・・・目の前にいたら、抱き締めてやれるのに・・・」
「マサトぉ・・・ごめんね、心配かけて・・・」
 震える息でそう言ってから、ミルクは零れた涙を拭い、
「香織が一緒に行ってくれるっていうんで、約束した時間があるから、支度しなきゃ。」
と、自分を元気づける意味も込めて、明るめの声で言った。
―「お焼香が済んだら、家に帰ってちゃんと休めよ?・・俺もなるべく時間の都合をつけて、そっちに行くから。な?」
「・・ぅん。・・ありがと。」
―「出る時は携帯を忘れるなよ。」
「・・ぁぃ。」
 ミルクは通話を切ると、携帯を胸に押し当て、こんな時にマサトがいてくれることに感謝した。
 目の前にいるのでなくても、心にマサトがいることで、強くなれる自分を感じていた。
 辛いことも悲しいことも、不安や恐怖といったものも、一人では耐えられないと思うことが、マサトを心に感じることで勇気が湧いてくる。
 ミルクは着替える間だけでも充電しておこう、と携帯を充電器に差し込み、黒い服に着替え始めた。

 ミルクを心配するミツルも同行すると決めたらしく、一階で黒いスーツを着て待っていた。
 香織の家くらいまでなら自転車で充分だとミツルは主張したが、運転手やボディーガードが譲らないので、結局ミツルもミルク用のロールスロイスに乗り込んだ。
 香織の家から美佳の家はすぐ近所だったが、それでも香織まで乗り込むことになった。
「・・ったく。どっちがミルクの保護者かわかんねぇな。」
 ミツルはそこにいない相手への嫌味を呟いた。
 運転手やボディーガードの頑なな態度は、マサトの意志が反映されているからだろう。
「あら、お兄様。小姑の嫉妬はみっともないですよ。」
「・・香織君。その言い方はやめろ。」
「はい?」
「様と呼ばれるほど、俺は偉くもないんでね。」
「あはは。じゃぁ、ミッチー、って呼んじゃうかなぁ。」
「うッ・・やめてくれ。・・・普通に名前で呼べばいいだろ?」
「でもぉ、名前で呼ぶと、その辺から嫉妬に狂った女性に、石を投げられそうなんだもの。」
 そう言って笑う香織は、妙に明るい。
 香織にとっては美佳の死はある程度時間の経過している事実だったので、ミルクとは受け止め方が違うのだろう。
 そして、悲しみと同時に抱いた疑問を一人で抱えていたのを、ミツルという強力な助っ人を得て、それが嬉しいのかも知れない。
 どんな時でも、一人で抱え込むのは辛いものだ。
 助け合える仲間がいることで、一人では出せないパワーも生まれてくるのだろう。
 ミルクは会話に入れないものの、香織とミツルの会話にも勇気づけられていた。

 美佳の家の前で車が停まり、運転手を残してボディーガードも一緒に降りてきた。
 ミツルが代表してチャイムを押す。
 しばらく待っても反応がないので、何度か繰り返して鳴らしてみた。
「・・・留守か?」
 家人が出掛けない内にと、早めに弔問に訪れたはずだった。
 商店やスーパーが開く時間にはなっていない。
 だから、買い物に出たとは考えられなかった。
「ちょっと庭に回って、様子を伺ってこよう。」
 と言って、ミツルが家の脇から庭へと回り込んだ。
 しばらくして戻ってきたミツルは、眉を寄せて口を引き結んでいる。
「・・どうしたの?」
「・・・うーん・・・雨戸が閉まってて、よくわからないが・・・人の気配がしないんだ。」
「えー・・・」
 ミルクと香織は顔を見合わせる。
 香織にもわからないらしい。
 と、そこに隣りの家の婦人が声を掛けてきた。
 隣家の物々しさに様子を見に来たらしい。
「角田さんを訪ねてらしたのかしら?」
 ミルク達の服装をジロジロ眺めている。
「はい。・・お留守のようですが・・何かご存知ですか?」
 ミツルが尋ねる。
「あぁ・・やっぱりねぇ。・・多分、角田さん、引っ越されたんじゃないかしら。」
「えっ・・・多分ですか?」
「だって、何にも挨拶がないのよ。でも、夜中にゴソゴソ音がしてたから、主人が見に行ったら家具とかを運んでいた、って。」
 それは多分とは言わないと思うぞ、と内心思いながら、ミツルは神妙に頷いた。
「そうですか。ご親切に教えて頂きまして、ありがとございます。」
 ミツルが頭を下げたので、ミルクと香織も慌てて頭を下げた。
「いーえ、たいしたことじゃありませんわ。」
 隣りの婦人は、礼儀正しいミツルに笑みを零した。
 それから、ミルクに視線を向けると、ジッと観察を始めた。
「ねぇ・・お嬢さん・・もしかして、ミルクちゃんじゃない?」
「あ・・はい。」
 ミルクは名前を呼ばれて、緊張した面持ちでもう一度頭を下げた。
 どこかで会った知り合いだろうか。
「やっぱりねぇ。TVで見てから、あんまり近所なんでビックリしちゃって、お宅の方へも行ってみたのよぉ。素敵な婚約者が見つかって良かったわねぇ。」
 まるで親戚の叔母さんのような話しぶりだ。
「・・ぁ・・ありがとうございます。」
 ミルクは肩をすぼめ、うつむきながら小さな声で礼を言った。
 こんな時に言われたくない。
「ホントにねぇ・・・お目出度い話題でTVに出るならともかく、殺人やら自殺やらで騒がれたら、どこかに逃げたくもなるでしょうねぇ。」
 同情するような口振りだが、言ってる内容は無神経も甚だしい。
 お目出度い話題でも騒がれるのは、慣れてない者には苦痛なのだ、と言ってやりたい所を我慢して、ミツルは、
「角田さんのお墓は、ご存知ありませんか?」
と、まだ話したそうにしている婦人に聞いてみた。
「いえ。そこまでのお付き合いじゃないから・・」
 思った通りの答えに、
「そうですか。わかりました。・・お騒がせして済みませんでした。他に当たってみますので、これで失礼致します。」
と、丁寧に挨拶をして、ミルクと香織を車へと促した。
「お邪魔しました。失礼致します。」
 ミルクもお辞儀をしてから、車に乗り込んだ。
「まぁー、立派な車だわねぇ。・・さすが婚約者が立派だと・・」
 そこでミツルがドアを閉めたので、後は立ち去る車を眺める婦人の口が動くのが見えるだけだった。
 ミルクは堪らなくなって顔を伏せ目を逸らした。

 運転手が気を利かせて、すぐに発進してくれたが、目指す目的地は決まっていなかった。
「どうする?」
と、ミツルが聞く。
「・・ぅ・・ん・・・」
「お墓もわからないんじゃね。・・・現場に行って、お線香あげる?」
 香織の提案にミルクはドキッ、としたが、美佳の魂の痛みを思うと、現場を見る恐怖以上に花を手向けたいとミルクも思った。
「・・・うん。・・お兄ちゃん、いい?」
「いいよ。付き合ってやるぜ。・・心細いだろ?」
「・・・うん。ごめんね。」
「花も用意しような。」
「うん。・・・ありがと、お兄ちゃん。」
 ミツルは、なるべく早く警察の友人に事件についての詳しい話しを聞きたいと思っていたが、ミルクの青ざめた白い頬があまりにも生気が無いので、心配だったのだ。

 現場に花を手向け、お線香を添えてから手を合わせたミルクは、改めてマンションを眺め上げた。
 立ち上がって見上げると、その高さに目が眩む。
 足が竦み、体がブルブルと震えてきて、悪寒が日陰の湿った風と共に足元から這い上ってくる。
 日の当たる所は、まだ残暑の強い陽射しに照り返しているのに、ミルクにはまったく暑さが感じられなかった。
 マンションの更に上には、白く霞む空が広がっている。
 美佳の魂は、天上へと向かったのだろうか。
 ・・・神様・・・
 ・・どうか美佳の魂を・・優しく包んでくださいますよう・・・
 祈る言葉を知らないミルクは、一心に手を合わせ、空を見上げて、美佳の魂の安らかなることを願っていた。
 と、不意に目を覆われた。
 瞼に触れる掌が熱い。
「そんなに現場で思いを込めるもんじゃないぜ。・・魂が引き込まれるぞ。」
 耳元で囁く声は、誰よりも側にいて欲しかった相手だ。
 ミルクはそのまま後ろに倒れ込んだ。
 熱い腕に抱き包まれ、ミルクは自分の体が冷え切っていたことを知る。
「・・こんなに思い詰めて・・・体を壊しちまうぜ。」
 マサトが労るように頬ずりをする。
 そして、有無を言わさず抱き上げると、
「ミルクは預かるぜ。一人じゃ眠ることも出来ねぇって言うし、こんなに体温が下がってるのはマジにヤバイ。・・死者の妄執に引きずり込まれて、連れて行かれちまうぞ。」
と、ミツルを睨んで言った。
 その目が、何で現場にまで連れてくるんだ、と抗議している。
 確かに人の感情に感応しやすいミルクを、死者の怨念や恨みといった残留思念が強く残る場所へ連れてくるのは、迂闊だった、とミツルも感じていた。
「・・済みません。」
 ミツルは素直に詫びて、軽く頭を下げた。
「明日の朝、早めに送っていけば、登校出来るだろう。」
「はい。・・お願いします。」
 マサトは怒りが収まらない表情で、目を眇めたまま背中を向けると、自分が乗ってきた車にミルクを抱いた状態で乗り込んだ。

 車が走り出すと、マサトは膝に抱きかかえているミルクに、自分の熱を吹き込むような熱いキスをした。
「、、、ぁ、、ふ、、、ん、、マサトぉ、、どうして、、、?」
 マサトは溜息を吐いて、ミルクをじっと見つめ、
「お前達が花を買っている時に、運転手が連絡してきたから、電話で口論するより現場に来た方が確実だと思ってな。」
と言って、蝋のように白い頬を撫でた。
「、、、マサトぉ、、、」
 ミルクはマサトの首に腕を回し、顔を摺り合わせた。
 そして自分からも唇を重ねてマサトの温もりを求めた。
 マサトの温もりに包まれ、ミルクの張り詰めていた神経が解れていく。
 瞼までが重くなり、開けていられなくなる。
 それでもマサトの顔が見たくて、何度も開けようとするが、力が入らなくなっていく。
「眠っていいんだぜ。」
 マサトが瞼にキスをして優しく囁いた。
「、、、らってぇ、、、」
 呂律も上手く回らなくなっている。
「ずっと側にいてやるぜ。・・悪い夢魔がミルクの夢に忍び込もうとしたら、追い払ってやるからな。」
「、、、ぅ、、ん、、、」
「安心してお休み。」
「、、、、、ん、、、」
 ミルクはマサトの肩にもたれ、全身から力を抜いた。
 霞みに包まれていく意識の中で、髪を撫でられる心地よさに浸っていた。

<97>
「甘いひと時」
§97§「甘いひと時」

 …カタカタカタカタ…カタカタ…
 小さな音が耳元でする。
 何度か瞬きをして目を開けたミルクの視界に、スラリと長いマサトの指と小振りのPCが見える。
 ミルクは大きく深呼吸して、顔をマサトの脇腹に擦りつけた。
「クックッ。相変わらず、くすぐったい子だなぁ。」
 マサトはキーボードから手を離し、ミルクの髪を撫でた。
 肌掛けの掛かった膝は、片方の太腿をミルクの枕にし、片方にノートPCを置いている。
 背中にクッションを重ねて支え、眠り込むミルクと肌を合わせつつ、PCで出来る仕事をしていたらしい。
「、、、んー、、、」
 ミルクはマサトの太腿に抱きつくように腕を回し、体を丸めてマサトの膝下に両足を絡めた。
「・・コアラか?」
「、、、だってぇ、、、マサトの肌ぁ、、気持ちいいんだもぉん、、、」
 ミルクはまた脇腹に、スリスリと顔を擦りつけた。
「うぅ・・こっちの方が気持ち良すぎて、蛇が暴れ出しちまうぜ。クククッ。・・・もう、ちょっと待ってくれな?・・キリを付けちまうから・・」
「、、、うん。、、、別にいいよぉ、、ずっとお仕事してもぉ、、、」
「・・これだ。」
「、、どれ?」
 ミルクがPCの画面を覗き込むと、軽く額を叩かれた。
「誘っておいて焦らす、って言ってんだよ。・・ったく。」
「、、、ァゥチ、、、」
 ミルクは手で額を撫でる代わりに、脇腹に額を押しつけて擦った。
 柔らかく細い前髪も一緒に擦れるので、余計にくすぐったさが増す。
 マサトは腰を堪らなそうに引いて身悶え、
「ちょっと待ってろ、って言ってるだろぉ?」
と、苦笑すると、呼び鈴を鳴らした。
 小さな銀細工の呼び鈴は、高く澄んだ響きがいかにも可愛らしい。
「、、ぁ、、それ、、、見せてぇ、、、」
 マサトのマンションでは初めて見る呼び鈴だった。
「、、可ぁ愛いぃねぇ、、、」
 チリチリン… チリチリン…
 目の前で鳴らしたミルクが嬉しそうに微笑む。
「お呼びでございますか?」
 若松の声にビクッ、として、ミルクは小さな呼び鈴を掌で包んだ。
「ああ。・・・可愛いだろ?・・ミルクが気に入ると思ってな。・・最近、ヤングママの間で純銀製の小物が人気あるんで、卸している宝石店から仕入れを頼まれてたんだ。」
 マサトは、若松に短く返事をしておいて、ミルクに説明した。
「ほぇぇ、、、そーなんだぁ、、、ぇ、、マサトの会社って宝石も扱ってたっけ?」
「いや。・・俺個人の繋がりだが、依頼されりゃ何でもするぜ。」
「、、、ふぅんー、、、忙しい訳ねぇ、、、」
 チリチリン…
 ミルクはもう一度、鳴らしてみた。
「今やってるのは、溜まってた報告書からデータを集めて系統別の累積表と統計のグラフィックを・・・」
 そこまで説明しかけたが、ミルクのわざとらしいあくびに片眉をひそめた。
「・・ま、いい。・・若松、ミルクに専用ボトルでアイスティーを入れてきてやってくれ。」
 やっと用件を言われて、
「畏まりました。」
と、頭を下げて寝室を出ていく。
 ミルクはマサトの太腿に乗せている頭を仰向けにし、胸まで肌掛けを下ろして体を伸ばした。
 マサトもミルクも服は着ていないので、肌の温もりが伝わりやすく、側にいるだけでも充分温かかった。
 空調が効いていて、ひんやりとしたマイナスイオンの空気が部屋中に満ちている。
 それでもベッドの中は、暖炉の側にいるように温かくて気持ちが良かった。
 ミルクは呼び鈴を顔の真上に掲げて、遊ぶように鳴らしている。
「顔に落とすなよ。」
 マサトは、愛しそうにミルクの前髪を後ろに撫でつけると、またPCのキーボードを叩く。
 ほどなく、若松が慌てた様子で寝室に飛び込んできた。
「お待たせいたしました。・・急ぎましたので、まだよく冷えておりませんが・・」
「ククッ。ミルクが急かすから・・・」
「えー?、、、何も言ってないじゃぁーん、、、」
「ずっと呼び鈴を鳴らしてたじゃねぇか。」
「、、、ぇ、、、ぁ、、、ごめんなさぃ、、、そんなつもりじゃ、、、」
 起き上がりかけたミルクの口に、マサトが瓶の先を突っ込んだ。
「、、、ぅ、、、ふぁにぃ、、ほふぇ、、、」
 冷たいレモンティーが口に入ってきてしまうので、くわえたまま眉を寄せる。
 口の中に当たる感触は、くにゅくにゅとしたゴムのようだ。
 ミルクが瓶を持って寄り目がちに確認すると、メモリの付いた哺乳瓶だった。
「、、、ふぁぅぅ、、、」
「駄々っ子の赤ちゃんには、丁度お似合いだぜ?・・クククッ。」
 ”専用ボトル”の意味がわかったミルクは、乳首状の先端をくわえて頬を膨らませたが、喉が乾いていたのも確かだったので、仕方なく、チュゥチュゥ、と吸い始めた。
 マサトは普通にグラスでレモンティーを飲みながら、笑いを零すと、若松に戻っていいと合図して、仕事を片付ける為に忙しくキーを打ち込み始めた。

「よし。キリが付いたぜ。」
 フゥッ、と息を吐いたマサトが、ノートPCを閉じて、サイドボードの横に立てかけた。
 ミルクはまだ哺乳瓶をくわえている。
「今度はこっちをチュパチュパして欲しいなぁ・・」
 マサトがミルクの口元に蛇の先端を押しつける。
「、、、こっちがいいもん、、、」
 寝ながら飲める便利さに、意外と気に入ってしまったミルクは、哺乳瓶を離そうとしない。
「口が冷えただろ?・・こっちは温かくていいぞぉ?」
「、、ぁ、、そっかぁ、、、温かいのもこれで飲めるねぇ、、、」
 中身が少なくなったので、先端だけ囓って遊んでいる。
 瓶がふっくらとした胸の間で安定している様子に嫉妬したマサトは、肌掛けを剥いでミルクの体を跨ぐと、無理矢理、哺乳瓶を引っ張って奪った。
「、、ぁーん、、、」
「こっちのがいいぜ。」
 マサトは決めつけるように言って、蛇の胴体を胸の谷間に乗せ、胸を左右から押し上げて挟み込んだ。
「あぁぁ・・・気持ちいいぜぇ・・・」
 熱い息を吐いて、そう言ったマサトは、ミルクの胸を鷲掴みにして揉みながら、蛇竿を押しつけるように擦り始めた。
「、、、ぁぅ-、、、」
 シーツに押さえ込まれたミルクは、力を抜いてされるままになっていた。
 蛇竿を包み込む為、胸を揉み上げるマサトの指に力が入って、食い込んでくるのが痛い。
 その上、ローションを使っていないので、摩擦感が強く、蛇本来の熱に加えて熱さが増す。
 それでもその内に、溢れてきた我慢汁とミルクの汗で滑りが良くなってきた。
 擦る速度が加速する。
「ミルク・・枕で頭を上げて、先端を舐めろ。」
「、、、ぁ、、ぅん、、、」
 ミルクは頭の上に手を伸ばし、手探りで枕をつかむと、自分で頭の下に押し込んだ。
 顎を引いて、真っ赤な顔で睨み付けてくる蛇を、舌先で舐め回す。
「うぅぅ・・・いいぜぇ・・・溜まらなく感じるぜ・・・」
 マサトは相変わらずミルクの胸を強く揉みながら、突起した乳首の先端を指先で捏ね回す。
「、、ぁぁ、、、ミルもぉ、、、感じるぅ、、、」
 ミルクは両腕を頭の両側に投げ出し、目を閉じて顎を上げて仰け反る。
 命じられるまま、為すがままになっていると、マサトに支配されている自分を感じて、嬉しさが込み上げてくる。
 ミルクは感じで時々背中を反らせながらも、懸命に蛇頭の先端を舐め回した。
「・・どうだ?・・・俺の女だって感じるだろ?」
「、、、ぅん、、、」
「・・俺の女は・・俺のことだけ考えてりゃいいんだぜ?」
「、、、ぁぃ、、、」
 マサトは、蛇竿をミルクの胸で扱き続けながら、目を細めて舌舐めずりをした。
「、、、マサト、、、?」
「・・もっと感じさせてやるぜ。」
 そう言ったマサトはようやく胸から手を離し、跨っていたミルクの上から降りて、ベッドの下を覗くようにして手を伸ばした。
「、、、なぁに?」
「何かな?・・クックックッ。」
「、、ぅぅ、、、教えてよぉ、、、」
「・・まだ早いかと思ったが、・・使いたくなっちまった。」
 カチャカチャッ、、と音をさせて引きずり出した物は、本当に鎖の付いたベルトだった。
 それが何本も次々と出てくる。
「、、、ぇぇ?、、、どぉするのぉ?」
 マサトは、ニヤリ、と口元を引き上げると、戸惑うミルクの手首、足首にとベルトを巻き付け動かないように締めていく。
 両手・両足首にはすでに細い金の鎖が幾重にも掛かっているのに、更に太い鎖付きのベルトをはめられて、怠くなる。
「、、、ぁぁーん、、、重いよぉ、、、」
 ミルクは手足を投げ出したように伸ばしてマサトを睨む。
「言い付けが守れない子は鎖に繋ぐって言っただろ。」
 マサトは鎖の端を持って、ベッドの四方に括りつけていく。
 それも弛まないように引っ張って括るので、足の鎖を引っ張られた時にはさすがに、
「ゃぁーん、、、恥ずかしぃぃぃ、、、」
と、足をバタつかせた。
 けれど、マサトの力に敵うはずもなく、両足を開いた状態で固定されてしまった。
 ミルクは涙で潤んだ目で、拗ねた顔をしてマサトを睨み付けている。
「クスッ。・・可愛いなぁ。・・・で、付け心地はどうかな?」
「ぷぅぅぅ、、、いいわけないじゃん、、、」
「そう怒るなって。・・なかなかに可愛い姿だぜ?」
「、、、可愛いのぉ?」
 ミルクは半分納得がいかない顔で、唇を尖らせる。
「あぁ。・・どこにも逃げられない俺のミルクだ。」
「、、、逃げないのにぃ、、、」
「いいじゃねぇか。・・ちょっとした遊びなんだからさ。」
「、、、怖い遊び?」
「そんなんじゃねぇよ。」
 マサトはミルクの体を掌で撫で回す。
「、、ぁぁ、、、ぁん、、、」
 足元から撫で上げられ、鳥肌立つほどの快感が走り、背中を浮かせて仰け反ってしまう。
「なぁ?・・・気持ちいいだろ?」
「、、、ぅん、、、ぁ、、ぁぁぁ、、、」
 ミルクの開かれた股間の奥で、花唇がヒクヒクと収縮を繰り返し、熱い蜜を溢れさせる。
「・・甘酸っぱい蜜が・・いい匂いだぜ・・・」
 マサトが丁寧に花唇を押し開き、蜜に濡れた花弁を剥き出しにする。
「・・ちょっと膝を広げろ。」
「、、ぅ、、、出来ないよぉ、、、」
「動かせる範囲でいいから・・」
「、、、ぁ、、ぃ、、、」
 ミルクは仕方なく、鎖をカチャカチャさせながら、膝を軽く曲げて外側に向ける。
 どうにか前より大きく股を開くことが出来た。
「よしよし・・いい子だ。」
 マサトは花弁に舌を這わせ、蜜を啜りる。
「ぁぁ、、、ぁぁん、、、ぁぅぅ、、、」
 ミルクが感じて身悶える度に、鎖が動きを奪ってカチャカチャと音をさせた。
 思うようにならない手足に焦れながら、股間の感度がいつも以上に鋭敏になっていく。
 マサトの舌使いが、ダイレクトに脳天を直撃するようで、快感に痺れてくる。
「ぁぁぁん、、、マサトぉ、、、どうにかなっちゃぅぅ、、、」
「あぁ・・・俺もどうにかなりそうなくらい・・・お前を愛してるぜ。」
 マサトは股間から顔を上げると、股の付け根を舐め、そのまま上へと舐めていく。
 下腹部からヘソ、鳩尾から胸の膨らみへ。
 膨らみを丸く辿って脇から肩、首筋へと舌と指で愛撫していく。
「ぁぅぅ、、、マサトぉ、、、感じるけど辛いよぉ、、、」
 マサトにしがみつけない焦れったさが、ミルクの心を切なくする。
「・・・俺も・・辛くて堪んねぇんだ・・・」
 マサトは、両手両足を鎖に繋がれて身動き出来ないミルクの体を、切なく抱き締める。
 激しく唇を重ねてキスを貪るマサトの息が震えていることに、ミルクは気付いた。
「、、、どうして?、、、ミルもマサトを愛しているよ?」
「・・・俺は・・俺の生き方しか出来ねぇ。・・・それがいつか・・お前に否定されちまうかも知れねぇだろ?」
 マサトが苦しそうに間近でミルクを見つめる。
「、、、そんなの、、ヤダ、、、だって、、、魂の半身だって言ったじゃん、、、」
「あぁ。・・・その半身に嫌われたら・・・俺は人じゃなくなる・・・心が欠けた・・・化け物になるだろうぜ。」
「愛してるよぉ、、マサトぉ、、、」
「・・・信じさせてくれ。・・・こんな鎖で繋ぎ止めなくていいくれぇに・・・」
「マサトぉ、、、信じてよぉ、、、」
 ミルクは動かない手足以上に、苦しげなマサトにどう言えばいいのか、わからないもどかしさに、身を捩って喘いだ。
 ガチャガチャガチャッ、、と鎖を鳴らす。
「、、、マサト、、抱いてぇ、、、マサトが欲しいよぉ、、、」
「あぁ・・・俺もお前の全てが欲しいぜ。」
 マサトはミルクの顔をじっと見つめたまま、蛇をつかんでミルクの花弁に宛い、グィッ、と捻込んだ。
「ぁ、、ぁぁぁ、、、ぁぁ、、、マサトぉぉ、、、」
 マサトに抱きつきたくて、ミルクは鎖をガチャガチャさせて腕を引こうとする。
「、、、ぅぅ、、、ふぇぇ〜ん、、、マサトにつかまれないよぉぉ、、、」
「俺はここにいる。・・お前の目の前に。・・な?」
「、、、ぐしゅ、、、ぅ、、ん、、、」
「・・今は一点で俺を感じろ。・・・俺と見つめ合ってな。」
「、、、ぁ、、ぃ、、、」
 ミルクは自分を見つめるマサトの熱い眼差しと視線を絡ませながら、押し開かれた膣いっぱいにマサトを感じていた。
 マサトは奥深くまで押し込んでから、ゆっくりと上下に体を動かし始めた。
「、、ぁぁ、、、ぁぅ、、、ぁぁん、、、」
 見つめ合って、お互いを感じ合う。
 マサトの腰の動きが次第に早くなっていっても、絡み合う視線が逸れることはない。
「はぁ・・・俺を感じるか?」
「、、ハァハァ、、、ぅん、、、めちゃめちゃ感じるぅぅ、、、」
 ミルクには何も出来ない一方的な行為。
 それでも、ミルクは肉襞でマサトにキュゥゥゥーーーッ、、としがみつく。
「うッぅぅ・・・可愛いぜ・・ミルク・・・こんな時でも俺を求めてしがみついてくる・・・可愛いミルク・・・」
 マサトは堪らずミルクを羽交い締めにすると、激しく腰を動かし突き上げる。
「あぁぁぁぁん、、、マサトぉぉぉ、、、あぁぁ、、、ぁぁん、、、」
 ミルクはもどかしく仰け反り、体を痙攣させて感じている。
「あぁぁ、、、いくぅ、、、いっちゃぅぅぅ、、、もぉぉ、、、どうかしちゃぅぅぅー、、、」
「はぁはぁ・・いいぜぇ・・・一緒にいこうな・・・」
 マサトは熱烈なキスでミルクの唇を覆い、お互いが息を止めて絶頂に達した。
 唇を離して息継ぎをした時には、ミルクは恍惚の表情で気絶していた。
 マサトは何度か大きく息継ぎをしてから、そっと体を離し、ミルクの手足の拘束を解いてやった。

 ミルクが少し眠って目を覚ました時には、マサトの腕に包まれるように抱かれていた。
「、、、マサトぉ、、、」
 かすれた声でマサトを呼び、腕を伸ばす。
 ようやくマサトに抱きつくことが出来た。
 けれど、手首に包帯が巻かれてあり、ミルクは不思議そうに眺めた。
「・・済まん。・・・やっぱり無理させちまったな。・・赤く痣になっちまってたから湿布したんだ。」
「、、、そなのぉ?、、、ぅ、、、臭いかも、、、」
「そいつは良く効くんだぜ?・・・明日まで消えるといいけどな。」
「、、、カッコいいリストバンドで隠すかぁ?、、、でも、、この臭いじゃ変かなぁ、、、」
 他人事のように言うミルクを、マサトは優しく抱き締め、
「・・・本当に・・悪かった。」
と言って、頬ずりをした。
「、、、ぃぃよ、、別にぃ、、、」
「・・・怒らないのか?」
「、、、だってぇ、、、どんなマサトでも好きだ、って言ってるじゃん、、、」
 ミルクもマサトに回した腕で抱き締めるように力を入れると、スリスリと頬ずりをして甘えた。
「・・・どんな俺でも・・か・・・」
「うんッ。」
 マサトの呟きに、ミルクは嬉しそうに頷く。
 そんなミルクを狂おしいほどに熱い眼差しで見つめ、
「・・・離さず、いつも一緒にいてぇなぁ・・・」
と、再び呟く。
「、、、ぅん、、、」
「嫌か?」
「ぇ、、、そうじゃないけどぉ、、、同棲は、、、見つかったら退学だもん、、、」
「ちゃんと籍を入れればいいんだろ?」
「、、、わかんない、、、」
 マサトは溜息を吐いて、前髪を梳き上げると、天井に視線を向けた。
「・・俺との結婚は・・・まだ辛いか・・・」
「そんなことないよぉ、、、」
「・・俺がお前だけの為に生きてやれればいいんだが・・・俺の肩に掛かった責任や色々な物が・・・お前を辛くさせてばかりだしな・・・」
「、、、辛くなんかない、、、」
「・・旅行中、俺が忙し過ぎて、帰りたいって泣いたくせに・・・」
「、、、ぁぅ、、、」
「今だって・・ベッドの中でさえ仕事をしている最低の恋人だろ?」
「そんなこと、、、それは仕方ないじゃん。、、、会えただけだって嬉しいし、、、こうして肌を合わせて甘えられるようにして貰えたんだもん。すっごく贅沢な恋人だ、って思うよぉ。」
「・・・そうか?」
 マサトはミルクの方へ顔を向け、額を合わせて鼻を擦りつけた。
「うん。、、、感謝してましゅ。」
「・・・そうか?」
「うん。、、、マサト、大好ゅき。」
「・・・そうか?」
「うん。、、、っとぉ、、、ぁぅ、、、」
「何だ、もう終いか。」
「ぁぅぅぅ、、、」
「あははっ・・・冗談だぜ。」
 マサトは可笑しそうに笑って、ミルクに優しくキスをした。
 ミルクも笑ってキスに応え、甘えてキスを何度もおねだりした。
 マサトといると、それだけで幸せだった。
 怖い夢をみることもなく、辛い現実を忘れてしまい、楽しい夢が広がっていくようだった。
 この時のミルクは、まだマサトの心情を理解していなかったのだ。
「ミルク・・・愛しているぜ。」
「うん。、、、ミルもぉ、、マサトを愛してるぅ。」
 見つめ合い、触れ合う肌は温かく、交わす言葉は優しい。
 束の間、悲しい思いを忘れ、幸せな陶酔に浸っていた。

<98>
「声なき悲鳴」
§98§「声なき悲鳴」

 登校日の朝、マサトのフェラーリに送られて自宅に戻ったミルクは、急な外泊を母親に詫びた。
 母親は友人の死と一連の事件を知ったミルクのショックの方が心配だったので、頬にうっすらと赤味が戻ったことを喜んでいた。
 悲しみ過ぎると、魂が引きずり込まれてしまう、というのは、決して大袈裟なことではない。
 例えば、カリスマ性の高いミュージシャンの死後、後追い自殺が頻発してしまうように、どこかで気持ちを切り替えることも必要なのだ。
 けれど、ミルクはそれが昔から苦手だった。
 ミルクがまだ小さい頃は、よく道路で車に轢かれて死んでいる猫を、家まで抱いてきてしまうことがあった。
 死というものが理解出来ずに、「動けないないのぉ。痛い痛いのぉ。」と言って離さず、血や泥で汚れた体を洗ってやって、一番お気に入りのハンカチで傷口を覆うように縛ってやっていた。
 母親なのに、どう接していいかわからず困っていた時に、「土の中で寝んねすると、お空の神様の所へ行けるんだよ。」と教えたのは、兄のミツルだった。
 そうして埋めた動物の数は両手でも数えきれないだろう。
 母親がいつも庭に花を絶やさないように心掛けるようになったのも、埋められた動物達の魂の浄化を願ったからかも知れない。
 そして、小さいけれど綺麗な花が咲いた時、「お空に行けてありがとう、って咲かせてくれたのね。」と言ってやると、ミルクは嬉しそうに空を見上げて無意識の内に両手を合わせていた。
 今では、そうした動物の姿自体、見ることが少なくなっていたし、死を受け止められるようにもなっていたが、それでもたまに見かけると、首輪があれば飼い主を捜して届け、野良のようなら河原まで抱いていって土に埋めてやっているらしい。
 ただ、一度あまりにも悲惨な状態になった子猫を、抱き上げようにも道路から剥がせず、その場に踞って動けなくなり、半年神経科に通って、ようやく怖い夢から開放され、食事も普通に食べられるようになったことがあった。
 ミツルが早朝、自主トレを兼ねて近所をランニングするのも、ミルクにそうした物を見せないようにチェックしているのだと、ミルクのいない時に洩らしたことがあった。
 だから、ミツルもミルクの感応しやすい性格は充分承知しているはずだった。
 それでも、だからこそ原因をはっきりさせたいのだと言うミツルと、昨夜は珍しく口論になってしまった。
 母親としては、ただの自殺で済ませて欲しかった。
 けれどミツルは、はっきりした原因がわからなければ、いつまでも納得出来ない心を引きずることになる、と言って譲らない。
 母親は、得体の知れない胸騒ぎが、思い過ごしであるようにと願うしかなかった。

 まだ完全に食欲が戻らないミルクだったが、新学期を迎えるということで、気持ちを新たにしているようで、箸を置くと元気な声で、
「ご馳走様ぁ。」
と言って、二階へ上がって行った。
 クリーニングされて新品のようになった制服に着替えている所に、ミツルが顔を出した。
「あ、お兄ちゃん。校章と赤十字のバッジつけてぇ。」
 細かい作業がミルク以上に得意の兄には、取れかけたボタンを頼むこともあった。
「・・着る前に付ければ楽なのに・・・」
 ミツルは溜息を吐きながらも、小さな留め具を付けてやった。
 甘えん坊の妹に慣れた兄だからこそ出来ることだったが、成長した妹の胸当たりに触れるのは、抵抗感が拭えない。
 極力息を止めて、さっさとバッジを付けてやり、甘い香りの漂うミルクから離れて、窓際に立った。
 ミルクは気にする風でもなく、
「ありがとう、お兄ちゃん。」
と、笑顔で礼を言った。
 ミツルは妹の笑顔から眩しそうに視線を逸らし、
「あー・・美佳さんのことだけどな・・・」
と、部屋まで来た用件を切り出した。
 ミルクも、ハッ、と気が付き、
「ぁ・・うん。」
と、真面目な顔で頷いた。
「道場の先輩は管轄が違うから、詳しいことはわからないらしい。」
「・・・そぅ・・・」
「けど、先輩の親友が本庁にいるんだ。先輩が言うには、これだけの事件になると、当然本庁が主導権を握っているだろうし、所轄に聞き回るより、核心に探りを入れられるだろう、ってことで、今夜その人に会わせて貰えることになったんだ。」
「えー・・香織が喜ぶねぇ。」
 ミルクの目が輝く。
「だから、香織君を夕飯に招待して、家で待って貰ったらどうかな?・・帰りは俺が送って行けば安心だしな。」
「あ、うん。そうだねぇ。じゃぁ、メール入れておくね。」
「あぁ。・・じゃぁ、俺は先に出るけど・・・時差ボケでぼやっとしてて転ぶなよ。」
「わかってますぅ。」
 ミルクはちょっと膨れたが、部屋を出る時手を小さく振ったミツルに、微笑んで手を振り返した。
 マサトと婚約以来、ミツルが以前のように優しく甘甘の兄に戻ってくれたことが嬉しかった。
 愛してくれるマサトだけでなく、優しい母や兄、そして好意的に接してくれるマサトの関係者の人々。
 ミルクは自分が本当に恵まれていると思うと同時に、美佳にとって自分が苦しめるだけの存在でしかなかったことを、今でも胸が痛くなる思いで感じていた。
 誰もが、ミルクが美佳を許したのだと思っている。
 けれどミルクには、そう思えなかった。
 許してくれたのは美佳の方だったのだ。
 だから死のうとしたのを思い留まってくれたのだ。
 なのに、自殺してしまうなんて・・・。
 ミルクは真相がわからない内は、美佳に許して貰えない気がしていた。

   二学期の始業式なので、学校は午前中で終わったが、お弁当持参で午後に部活動をする人達がほとんどだった。
 皆、部活動そのものより、夏休みのことを話したり、お土産を交換したりしたかったのだ。
 ミルクもチャレンジクラブの人達だけには、内緒で、婚約者との旅行に行くことを話していたので、麗子曰く”口止め料”のお土産を持って部室へ行った。
 ”口止め料”の必要がない他のみんなも、各々にお土産を持ち寄っていて、一人ずつ旅の報告をしながらお土産を渡していった。
 一通り、皆がお土産を配り終わり、雑談を始めた。
 ミルクはあまり話すこともないので聞き役に回っていたが、聞いて相槌を打ちながらも、皆がそれなりに楽しい夏休みを過ごせたクラブ員の笑顔を見ていて、さすが恵まれた人達の学園だなぁ、と感心していた。
「毎年のことだし、特に感慨もないけど・・」
と、海外での夏休みをサラリと言ってのける人でも、日本で公開が待たれている話題の映画を先に観てきたことや、外国で活躍しているスポーツ選手の試合を観戦したことなどを話す顔は、何処か得意げに見えた。
 ミルクがぼんやりそうしたことを考えていた時、誰かが女子高生の起こした事件の話題を持ち出した。
 上杉は、同じ中学の後輩であり香織との付き合いもあって、美佳を知っているだけに、表情を曇らせたが、自分とは関連がないと感じている人達には、恰好の興味深い話題だったようだ。
「すげぇよなぁ。ホストに入れ上げた挙げ句、殺して自殺なんてなぁ?」
 誰が言ったのかを確認する前に、ミルクは思わず耳を塞いだ。
 美佳への非難が、そのまま自分を責めているように聞こえてしまう。
「え・・アリス?どうしたんだ?」
「そー言えば、その女子高生ってアリスの近所らしいな?」
「えぇッ?!マジぃ?!・・もしかして知り合いか?」
 ミルクは益々体を小さく丸めるようにして質問を拒んだ。
「いい加減にしろよッ。・・俺も知り合いだ。・・こんな興味本意に話されると、ムカつくぜ。」
「そうね。私にも後輩になるし、憶測だけで騒がれると、本人が亡くなっているだけに反論も出来ないでしょうし、可哀想で堪らないわ。・・この話題は金輪際部室で出さないで頂戴。」
 麗子がビシッ、と言ったので、部室はシンと静まり返った。
「・・・済みませんでした。」
「済みません。・・悪気はなかったんですが・・」
 悪気がないのはわかっている。
 イジメをする子供達さえ、悪気というものは感じずにしているのだ。
 自分の気持ちが損なわれない限り、悪気の意識が持てないらしい。
 そして、謝った彼等は、本当に普段は普通以上に親切で寛大な人達だった。
 それでも自分に関わりがなければ、死者を鞭打つことが出来てしまう。
 それが普通なのだと諦めるしかないのだろうか。
 だとすれば、虐げられ続け歴史の闇に葬り去られたマサト達が、”自分達を守る為に戦うしかない”と言う、言い分にも理があるようにも思える。
 ミルクは一度に色々なことを考え過ぎて気分が悪くなってしまい、麗子と花梨に支えられて、迎えに来ていた車まで連れていって貰い、先に家へと帰った。

 ミルクが帰宅した時には、誰もいなかった。
 母親はお菓子作り教室があって出掛けていたのだ。
 ミルクは制服を着替えてベッドで横になり、音楽をかけて気持ちを紛らわせた。
 これ以上考えたくなかった。
 考え出すと止まらなくなり、目眩と吐き気に襲われる。
 目を閉じ音楽に集中する。
 なのに、音楽の向こうから、美佳が体育館で叫んでいた罵声が聞こえてきてしまう。
 そして・・・目の前に美佳が落ちてきた。
「・・ぁ・・・ぃ・・・ぃ・・・ゃ・・・」
 喉が詰まって叫ぶことが出来ない。
 足元に見る見る広がっていく血の海。
 その血が意志を持っているかのように、ミルクの足を上がってくる。
「・・ぅ・・・ぃ・・・ゃ・・・ぁ・・・」
 這い上がってくるどす黒い血が、塩酸のように肌を焼いて溶かしていく。
 ジュゥジュゥ・・シュゥシュゥ・・ブツブツ・・・
 肌が爛れていく音が美佳の悲しい声に変わっていく。
 ズルイヨ・・・ズルイヨ・・・シアワセヲヒトリジメ・・・
 肌を焼く痛みが骨にまで伝わる。
「・・ゃ・・・ぁ・・・」
 どうやっても声が出せず、涙が溢れてきた。

「ミルクッ!・・しっかりしてッ!ミルクッ!」
 体を揺さぶられ、ミルクは意識を戻した。
「・・ハァ・・ハァ・・・香・・織?」
「玄関開いてたし・・・靴があったし・・・呼んでも出てこないから・・・」
「・・ごめん。・・やっぱ、時差ボケかな。・・寝ちゃってたみたい・・」
 ミルクが起き上がろうとするのを香織が止めて、
「待ってて。今、タオル絞ってくるから。」
と、部屋を出ていった。
「ぁ・・香織ぃ・・・」
 ミルクは不安そうに手を伸ばしたが、香織はすぐに戻ってくると、ミルクの涙や汗の滲む額を拭ってくれた。
「・・ありがと。・・・ごめんね、心配かけて。」
「謝るのは私の方だよ。・・・ミルクがこーゆーのに弱いってわかってたはずなのに・・・現場にまで誘っちゃって・・・」
「・・香織のせいじゃないよ。・・・ミルが・・弱過ぎるだけ・・・」
「ううん。私が悪いの。」
 香織は寝ているミルクの首に腕を回してしがみついた。
「・・・香織ぃ・・・」
「私が納得出来ない、なんて騒がなければ良かったのに。・・ミルク・・何でも自分のせいみたいに考え込んじゃうから・・・」
「そんなことないって。・・ただ弱虫だから・・すぐに怖い夢を見ちゃうだけだよ。・・起こして貰えて助かったぁ。」
 ミルクは明るく苦笑して見せ、
「苦しいよぉ・・・起きないとお土産渡せないぞぉ。」
と、戯けたように言った。
「・・あー・・・それは困るぅ!」
 香織はミルクを開放するのと同時に、ミルクを助け起こし、頬を濡らしていた涙を拭って、照れ臭そうに笑った。

 香織にお土産を色々渡している時に、ミルクを心配したマサトからの電話が掛かってきた。
 マサトは友達が来ていることとミルクの明るい声に安心したようだったが、
―「眠れないようなら、またこっちにくるといい。朝、間に合う時間に送ればいいだろ?」
と言ってくれた。
「ありがと。・・でも、遅くなりそうだから・・大丈夫。」
―「我慢はするなよ?・・寝る前に、必ず電話しろ。一晩中だって子守歌を聴かせてやるぜ。」
「あはっ。・・マサトの子守歌ってぇ?」
―「ラブソングくれぇ歌えるぜ。」
「そっかぁ・・・じゃぁ、楽しみにしてるぅ。ふふっ。」
―「上手過ぎるって、二度惚れするぜ?」
「わぁ・・・今、聞きたいかもぉ・・・あ・・でも、友達いるから、また後でね?」
―「何時でもいいからちゃんと電話するんだぞ?」
「はーぃ。・・またね。」
 ミルクが携帯を耳にあてながら空いてる手を振ったので、香織が思わず吹き出した。
 携帯の通話を切ってから、ミルクは香織に唇を尖らせて、
「何よぉぉ・・・」
と、拗ねた顔で言ってみせた。
「ごめん、ごめん。・・だって、ミルクってホッント可愛いんだもん。」
 香織はミルクの髪を撫でながら、一瞬ミルクにキスをした。
 ミルクがキョトンと瞬きすると、
「笑ったお詫びぃ。・・女同士だもん。気にしない、気にしない。」
と、明るく笑った。
「・・ん。・・そだね。」
 ミルクもちょっぴり顔を赤くして笑みを零した。

 夕飯は帰ってきた母親が香織の分も作ってくれた。
 そして、食後はまたミルクの部屋で音楽を聴きながら、お互いの学校のことを話題にしてミツルの帰りを待った。
 帰宅したミツルは、シャワーで汗を流して、夕食を済ませてから、ミルクの部屋にやってきた。
「お疲れ様でした。・・・どうでしたか?」
 香織はミルクのこともあって、遠慮がちに聞いた。
「あぁ。先輩のお陰で色々聞くことが出来た。・・絶対口外しない約束で、かなり話して貰えたよ。」
「わぁぅ・・・」
 ミルクが小さく叫ぶと、香織も、ふんふん、と身を乗り出して頷いた。
「・・けど、期待外れかもな。」
 ミツルはそう言って、手帳を開いてメモしたものに視線を落とした。
「それでもいいです。・・本当はもう納得するべきだとも思ってましたし・・」
 香織がペコッと頭を下げるのを横目で一瞥してから、
「ま・・聞いたことは話すよ。」
と言って、話し出した。
「簡単に言ってしまうと、二つの殺人事件も自殺も、まったく不審な点はなく、疑いようもないらしい。」
「・・・はぃ。」
「ただ、初めの殺人が起きた動機が、微妙に怪しいと言えば言えるそうだ。」
「初め・・と言うと、ホストがホストを殺した件ですよねぇ?」
「そう。・・二人がいがみ合って争うようになった切っ掛けが、一人の女性にある、ということらしい。」
「一人の女性?・・美佳じゃなく?」
「彼女はKの客の一人で、Kからはあまり相手にされてなかった、とKの同僚が証言してる。」
「・・・ヒドイ・・・」
「問題は二人のホストを夢中にさせてしまった女性がいることなんだ。」
「ホスト二人が夢中に?・・・客の女性じゃなく、ですか?」
「いや。ホストクラブには客として来ていたそうだ。・・ただし、素人じゃない。問題のホストクラブなど足元にも及ばない、最高ランクのクラブを経営するママ。その若さと美貌は水商売の世界で知らない者がいないほどらしいぜ。」
「・・・そんな人が・・・何でまた・・・」
「ホステスが仕事で男に気を使う分、ホストクラブで遊んで発散することは珍しくはないそうだ。・・そう言ってしまえば、初めの事件も”不運だった”だけと言えるかもな。」
「・・そうですかぁ・・・」
「単に、ホストが気に入られようと奪い合った客、というだけでは、事件への関わりを問う訳にはいかないし、その女性がママをしているクラブは政財界の要人も会員になっていることもあって、報道では彼女のことを扱わないという暗黙の了解が出来てたらしい。」
「・・・結果が全てでしょうか?・・・原因だけは特別扱いで、一切の関わりを問われないなんて・・・不公平です。」
 香織は悔しそうにうつむいた。
「だが、警察は罪を犯した相手だけに、対処出来る機関だからな。”みんなで仲良くしようとしていたのに、喧嘩しちゃったなんて残念だわ”と言われたら、そこまでだろ?」
「・・・はぁ・・・」
「けど、まぁ・・直接会って話が聞けるとも思わないが、一応その女性とクラブの名前を聞いてきたんだ。」
「教えてください。・・無駄かも知れないけど、会ってみたいです。」
 香織が、キッ、と顔を上げて聞く。
「そうだな。・・クラブはジャクラン、ママはアザミと言うそうだ。」
 ミツルが手帳を見ながらそう言った。
 その瞬間、ミルクが、ギクリ、と体を震わせた。
 ずっとミツルと香織の会話を聞いているだけの傍観者のようにしていたが、ミツルの言った名前が頭の中に飛び込んできて、繰り返し響く。
 ・・・蛇窟蘭のアザミママ・・・
 耳鳴りのような反響は収まりそうもない。
 それでもミルクは、咄嗟に自分の動揺をミツルと香織に知られたくない、と思っていた。
 元々二人から離れて聞いていたので、そっと体を移動してベッドに静かによじ登り、息を潜めて横になった。
「・・おい、ミルク。・・まだ説明してる途中だぞ。」
 さすがにミツルは目聡くミルクがベッドに横になったことを見咎めた。
「・・だってぇ・・・時差ボケでぇ・・・体調が悪いんだもぉん・・・」
 ミルクは枕に顔を押しつけながら怠そうに返事を返した。
「あ、そうそう。さっき、私が来た時にも具合が悪そうだったの。」
 香織は事実を言っただけだったが、ミルクの動揺を隠す手助けになっていることに、気付いていなかった。
「・・・そっか・・・じゃぁ、どうする?・・・もう遅いから、送って行こうか?」
「そうですね。・・済みません。」
 そう相談してミツルと香織は部屋を出て行った。
 一人になったミルクは、ようやく震える息を吐くと毛布を頭から被り、口を押さえて声には出来ない悲鳴をあげ続けた。

<99>
「運命の歯車」
§99§「運命の歯車」

 頭の中に響いていた悲鳴が遠離り、耳鳴りが治まってくる。
 毛布を被った暗闇の中で、ミルクは流れ出る涙の熱さだけを感じていた。
 ミツルから「ミルクが具合が悪そうだ。」と聞いた母親が様子を見に来たが、毛布を被ったまま「もう寝るから。」とだけ答えた記憶は、うっすらとある。
 頭に響く悲鳴とは無関係に、口が勝手に動いて答えた。
 遠くから自分を見ているような朧な記憶。
 ”美佳の死”とマサトを決して結びつけてはいけない。
 マサトの闇の顔は、家族にも知られてはいけないのだ、と醒めた意識が警戒している。
 心は悲鳴をあげ、体は涙を流し、意識はマサトを守ろうと働いている。
 バラバラな自分。
 バラバラになってしまった心と体と意識の全てを包む魂は、何を考え求めているのだろう。

 事件の発端は蛇窟蘭のアザミから始まった。
 もう、それ以上の事実はいらない。
 どこまで関わっているのか、何をしたのかは問題ではなかった。
 アザミが関わる以上、一連の事件の裏には、マサトの意志が働いているということだ。
 そして・・・マサトの意志が何故美佳に照準を合わせたかと言えば、ミルクを守りたい一心に決まっている。
 マサトはミルクを悩ませないように言い訳するかも知れない。
 仮に問いつめて事実を認めさせたとしても、禍根を残していることが自分にとって不愉快・・もしくは危険だから、と主張するだろう。
 けれど・・・もう、そんな理由は必要なかった。

 何故なら・・・ミルクは少しもマサトに怒りを感じていないからだ。
 マサトはマサトの生き方と主義を貫いただけなのだ。
 それでも友情があるなら抗議するべきなのだろう。
 友情がなかったとは思わないし、消えたのでもない。
 でも・・・ミルクにはマサトの方が大事だった。
 マサトもきっとそうなのだろう。
 ミルクが大事・・・ただ、それだけなのだ。

 自分本位の意志を自我というなら・・・ミルクも美佳と変わらない。
 マサトの行為を否定できない自我。
 どんな罪があろうと守りたいと願ってしまう自我。
 あんなに可哀想な美佳なのに・・・美佳の為に流す涙より、マサトを思って流す涙の方が熱い。
 所詮、ミルクも自我の塊なのだ。
 だから、ミルクは自分が許せなかった。

 どこかで狂ってしまった歯車。
 不幸な坂道を下っていってしまった美佳の運命の歯車。
 それを狂わせたのは、ミルクなのだろう。
 どうすれば良かったのかは、わからない。
 ミルクはミルクで精一杯だった。
 美佳が羨むほど、自分だけが幸せを独り占めしていると思わない。
 いつも悲しみや寂しさと背中合わせで、不安や悩みと隣り合わせに、精一杯生きていたつもりだ。

 ミルクの消えそうな魂を、マサトのハンカチが優しく包んでくれた。
 その出会いを幸運だと言うならそうだろう。
 運命的なほどに、求め合う魂の出会い。
 かつて、傷付いて動けなくなった小さな動物をハンカチで包んだミルク。
 けれど、ミルクのハンカチでは何も救えなかった。
 傷を隠すしか出来なかった。
 マサトは、魂を包み込み救ってくれたのだ。
 何て大きく強く頼もしい存在だろう。
 マサトはミルクの聖騎士様・・・。

 マサトが救いたいと願う対象はミルクだけではない。
 圧倒的な権力と無関心な民衆という構造の中で、闇に埋もれた人々の悲鳴や慟哭を怒号に変える。
 痛みを知らない思い上がった楽園の住民に、地獄の恐怖を見せつけ闇に落ちた者の叫びを聞かせる。
 これは戦いなのだとマサトは言う。
 戦いの中の犠牲を肯定するつもりはないが、戦いに勝ち抜く為に傾ける努力を否定することも出来ない。
 マサトを愛した時から、全てを受け入れることにしたのだ。
 共に武器を手に取って同じ戦場で戦うことは出来ないけれど、魂は側にあって共に戦いたいと願った。
 マサトの罪は自分の罪でもあり、マサトの罪を罪と思わないことが、マサトに捧げるミルクの愛なのだ。
 誰も認めないことでも、ミルクは認める。
 いや、認める以前に、全てをあるがままに受け入れていた。
 ミルクの魂は一切の迷いなくマサトを愛している。

 問題は・・・ミルクが自分自身を認められるほど強くないことだ。
 その為にどうしても自分を許せないと思ってしまう。
 痛くて痛くて堪らない。
 マサトのミルクを思う愛が痛い。
 マサトの優しさが痛い。
 愛されることに甘えている自分が許せなくて、暖かな思いさえ尖った氷の刃に変えてしまう。
 好きで好きで堪らない気持ちは溢れてくるのに、そんな自分を認めてやれなかった。

 どうすればいいのだろう。
 息苦しさに毛布から頭を出した。
 母親が電気を消していったらしく、部屋はシェードランプの淡い光だけになっていた。
 毛布から出ても息苦しさが変わらない。
 ミルクは起き出して、閉まっていた出窓のガラス扉を開けた。
 9月に入り、夜の風はいくらか涼しくなっている。
 深く息を吸い、ゆっくり吐き出した。

 マナーモードになっている携帯のアンテナが点滅している。
 ゆっくり歩み寄り携帯を手にして確認すると、マサトからのメールだった。
 ミルクはベッドに座ってメールを開いた。
―∈まだ友達と話してるのか?・・眠るのが怖いなら、迎えに行くから、俺の所に来いよ。∋―
 涙で文字が霞んでしまう。
 ミルクは、涙を拭っては何度も読み返し、泣きながら微笑みを浮かべた。
 そして、深呼吸してから返信メールの文字を打ち込んだ。
∈友達は帰ったの。でも、もう遅いから・・家で寝ることにするね。∋
―∈だったら、電話にしようぜ。会話して返事を返すのが怠いなら、歌を歌ってやるからさ。∋―
 ギュゥーッと胸が締め付けられる。
∈・・何か・・メールのマサトの方が優しいみたい。ふふ。∋
―∈そうかぁ?・・会ってる時の方が俺的には優しいつもりだぞ。∋―
∈そだっけ?・・・うーん・・・ずっとデートらしいデートしなかったからなぁ。・・二人っきりのデート。∋
―∈確かに、お邪魔虫やらギャラリーやらが多くて、二人っきりになれるのはベッドの中くらいだったからな。∋―
∈ベッドの中にいたってぇ・・・∋
―∈若松?(←お邪魔虫なんだよ、お前ぇ!笑)∋―
∈ププ。わーるいんだぁ。(笑)・・・てゆーか・・・マサトの心が半分、仕事とか色々な方に向いちゃってたもん。∋
―∈俺はいつだってお前に夢中だぞ?・・俺の胸を割ってみろよ。お前のことばっかで呆れるぜ。ハハ。∋―
 キューン・・・と切ない痛みが走る。
 胸の痛みで息苦しい。
 涙が止まらない。
∈そぉ〜?・・なら、そうしておくね。(笑)∋
 メールとは便利な物だ。
 泣きながら、笑ったり冗談が言えてしまうのだ。
―∈なぁ。電話にしようぜ。打ち込むのがかったるい。∋―
∈だって・・・もう、寝てるって思われてるし・・・お兄ちゃんが勉強してると悪いじゃん。∋
―∈あいつなら受験勉強しなくても、T大ぐれぇ受かるぜ。∋―
∈ふーん・・・随分評価高いね。∋
―∈賢い奴ってのは、そんなもんさ。別に誉めちゃいねぇよ。∋―
∈なーんかライバル視してない〜?∋
―∈誉めちゃいねぇが、一応は認めてやってるぜ。・・が、最近ミルクと仲がいいのが気にくわねぇ。∋―
∈あはっ、いいじゃぁーん!∋
―∈よくねぇー!・・お前が甘えていいのは俺だけだぞ!∋―
∈・・・うん。・・・そだよね。・・・わかってるよ。∋
―∈ん?・・・何か元気ねぇか?∋―
∈ちょっと眠いかも。・・ねぇ、それよりぃ・・デートしたいなぁ。∋
―∈眠いなら電話に変えろよ。俺の美声が聞きたくねぇのか?∋―
 ・・・ミルだってマサトの声が聞きたい。
 ・・でも・・・電話にしたら、泣いているのがバレちゃうじゃん。
 ミルクはもう涙を拭うこともやめてベッドに体を横たえた。
∈もう、寝るね。お休みなさい、マサト。・・・デート・・してね☆Chu!∋
 送信を終えると、携帯を胸に抱いて目を閉じた。

 最後のデートをしよう。
 思い出を閉じ込めて、心も封印しよう。
 マサトよりも、美佳よりも、・・誰よりも罪深い自分への罰。
 自分を罰しない限り、許すことも出来ない。
 それが、ミルクの辿り着いた結論だった。

 一番大事な・・・生きる支えでもあるマサト。
 マサトを失ったら、自分自身さえも見失ってしまう。
 それでも・・・
 何も見えない漆黒の闇を、砕けた心の破片を踏みしめ歩いていこう。
 マサト自身が歩いてきた地獄の道を。
 美佳が落ちてしまった地獄の闇を。

 一人で歩いていくことで、弱虫な自分が多少なりとも強くなれたら、その先に光明が見出せるかも知れない。
 そんな先はわからないけど、守られて甘えているだけの自分を変えなければいけない、とミルクは決意していた。


 マサトは地下アジトの総裁室で、机に上げた足を苛々と揺すっていた。
 メールの返事が返らなくなったので、堪らなくなって電話したのだ。
 だが、何度か掛け直してミルクが出るのを待っていたが、何の反応もない。
「クソッ!」
 机を蹴って立ち上がると、車のキーをつかんだ。
 あれほど一人で眠るのを怖がっていたミルクが、そう簡単に寝られるとは思えない。
 遠慮してるのか、強がりなのか、・・・それとも別の理由なのか。
 取り敢えず、ミルクの家の前まで行ってみよう、と思いたった。
「ボス?・・・お出掛けですか?」
 別の机でPCを睨んでいた若松が顔を上げた。
 ついて来ようと腰を浮かしかけたのを見て、
「お邪魔虫は来るんじゃねぇッ。」
と、不機嫌に言う。
「・・はぁ・・・喧嘩、なさいましたか?」
 若松は笑うまいと引き締めた口元をムズムズさせている。
 ミルクのことで不機嫌になるのは、仕事で問題が起きた時の不機嫌さと明らかに違う。
 どこか、駄々っ子のような焦れったさが感じられるのだ。
 どんなに覇気の強い逞しい男でも、心底惚れた女には、弱音や甘えを見せるものらしい。
 惚れた女の為に、より一層強くもなれるし弱くもなる。
 それだけマサトも純粋なのだ。
 そう思うと、不機嫌さにも笑みが浮かんでしまう。
「いってらっしゃいませ。」
 立ち上がってドアを開け、若松は頭を下げた。
 が、マサトはドアの所で立ち止まってしまった。
 そして、
「あ・・・お出掛けになられる所でしたか。・・少しお時間は頂けませんか?」
と、島田の声がした。
「急ぎか?」
 マサトが眉をひそめる。
「お耳に入れておいた方がよろしいかと・・・」
「・・いいだろう。」
 マサトは島田に許可をして部屋に入れると、ソファーに座った。

 勿体を付けるつもりは島田にはない。
 ソファーに勧められて座ると、すぐに用件を話し始めた。
「警察の動向を探らせていた者から、気になる報告がありました。」
「ほぅ・・」
 マサトは煙草に火をつけ、煙を細く吐き出す。
「本庁の竹村警部補が、友人宅で外部の人間と接触したそうです。訪れた先は大学の同期で警察官としても同期の友人ということで、それは問題ないのですが、そこで会った外部の人間というのが・・・慶京高校の制服を着ていたそうです。」
 マサトは眉間にシワを刻む。
「隙のない男で、尾行するのが困難だったようですが、○○線の電車に乗ったのだけは確認出来たそうです。」
「・・・有栖川美都琉か・・・」
「おそらく。・・・竹村の友人の交友関係を調べれば、はっきりすると思いますが、調べさせましょうか?」
「・・・いや。今は余計な動きはしない方がいい。怪しい影が彷徨けば、かえって疑惑を持たせることになる。」
「はい。」
「フン。・・金と権力と美貌を備えた一人の女の気紛れが発端とはいえ、色と欲に取り憑かれた男が嫉妬に狂って勝手に起こした事件に責任はない。・・男を狂わせる魔性の女として、アザミの勲章が増えただけのことだ。」
「そうですね。」
「アザミ自身に自覚がなければそれまでだ。悪意のないアザミを咎める法はない。」
「はい。」
「誰に問われても、悪びれず自然な態度でいることだ。・・・ミルクが詰問しようと、・・な。」
「はい。それはアザミも承知しております。」
 マサトは、美佳の自殺の一件について、いずれミツルが疑問を抱くことも有り得ると、最初から予想はあった。
 と言うより、美佳が殺人まですることは計算外だった。

 アザミを手に入れたと思い込んだカズヤに、同僚のヤスヒロとの関係がバレるようにしておいた。
 それでもアザミの本命はカズヤだと思わせる一方で、ヤスヒロを優遇する。
 アザミから贈られた物をヤスヒロは得意満面に自慢する。
 それも、カズヤのプライドを傷付けるようなセリフを寝物語に教えてやり、付きまとわれて困ると零す。
 ヤスヒロはカズヤに手を引けと罵る。
 カズヤにはヤスヒロが怒ると怖いから仕方ないの、と宥めておく。
 本当はカズヤが一番なの、と泣いてみせ、アザミの想いはカズヤにあると信用させる。
 ホストが女達の嫉妬を煽り競わせるように、同じ手口を彼等以上に巧妙に仕組んだのだ。
 どっちが最終的な手を下そうと構わなかった。
 カズヤが加害者でも被害者になっても、美佳の気持ちを確かめることが出来る。
 自分を裏切った男と認識し、気持ちを切り離せているのかどうか。
 景山のしつこい意見を受け容れ、最終的結論は美佳自身に委ねることにしたのだ。
 美佳の改心が本物なら、ミルクとの友情を認めてやろう。
 それが出来ないなら、排除する、と。
 男から「助けてくれ。もう頼れるのはお前しかいない。」と言われたぐらいで、バイト先から盗んでまでお金を貢ぐとは愚かなことだ。
 だからアザミから、「外国へ逃がしてあげるわ。」、とカズヤに電話をしてやった。
 そこで試されたのはカズヤだった。
 カズヤが美佳を健気と思い、美佳と手を取り合って逃げるなら、好きにさせても良かった。
 だが、カズヤはあっさりとアザミの救いの手をつかんでしまった。
 予定では、打ちのめされた美佳は喪心状態で夜の街を彷徨い、不注意から事故に遭遇するはずだった。
 事故でなければならなかった。
 自殺と事故では、残された者の心の負荷が違う。
 事故なら憎む相手が出来る。
 可哀想だと素直に泣くことも出来る。
 だが、自殺されたら、身近な者ほど自分を責めて辛くなる。
 優しく感受性が強いほど、自分に何も出来なかったことを責めてしまうだろう。
 人の心とは難しいものだ。
 まさか、カズヤを殺して自殺するとは。

 マサトがすぐに指示出来る状況になかった。
 戦場の中にあって、仲間と友を守る為に紛争していたのだ。
 戻ってその結果を聞かされた時には、女の情念の凄まじさを思い知らされた。
 悪魔の囁きが引き金になっているとしても、悪魔が呆れるほどに、自ら地獄へと突き進んでしまった。
 マサトと言えども完璧ではない。
 まして女の情念は、門外漢かも知れない。
 だから女達の元締めをアザミに任せているのだ。
 美佳の自殺は、マサトにとっても痛い出来事だった。

「本庁の捜査では、アザミも事情聴取されております。・・当然竹村もアザミのことは知っているでしょう。それをアリス様の兄君が知ったとなると、いずれはアザミの名をアリス様も聞いてしまわれるでしょう。」
「・・・そうだな。」
「アザミは相当な女優です。演技と思わせずに対処するでしょう。・・・けれど・・・」
「ミルクのことはいい。それは俺の問題だ。」
「・・・はい。・・申し訳ありません。」
「ミツルも放っとけばいい。あいつは妹思いだ。どんな事実をつかもうと、騒ぎ立てたりはしねぇさ。」
「わかりました。」
「警戒しすぎて痛くない腹を探られるな。いいな?」
「はい。そう致します。」
 島田は立ち上がって姿勢を正し、深々と頭を下げてから、総裁室を退室していった。

 マサトは目を閉じて深い溜息を吐いた。
 ・・・ミルクの耳にもう入っているのか・・・
 メールからはミルクの変化は感じ取れない。
 ・・・だが・・・
 マサトは灰皿の中で燃え尽きてしまっている煙草をしばらく眺めていたが、
「出掛けるのはやめた。・・ワインを用意してくれ。」
と、若松に言ってから、新しい煙草に火をつけた。
「承知しました。」
 静かな声で承った若松も、顔から笑みが消え暗い影が差していた。
 若松が部屋を出ていき一人になったマサトは、燻る煙を眺めながら次に打つべき手を思案していた。

<100>
「ラストデート」
§100§「ラストデート」

「お待たせぇ〜。」
 軽やかな声で言いながら玄関に現れたミルクは、フレアがたっぷりとした広がりのあるワンピースを着ていた。
 ベビーピンクのシルク生地の上には、更に薄く透ける淡いピンクの布が重なっている。
 羽衣のようにフワフワする布は、ちょっとした動きにも軽く舞い上がる。
「・・まるで妖精みたいだな。」
 マサトは眩しそうに目を細めて笑った。
「変?・・久し振りのデートだから、頑張ってみたのにぃ・・」
「・・あんまり素敵だからさ。・・フワフワと飛んでいってしまいそうだよ。」
 そう言ってマサトがじっと見つめると、ミルクはフッと目を逸らし、ラメピンクの細い紐使いが可愛いサンダルに足を滑り込ませた。
 ミルクが腰を屈めて留め具に手を伸ばす前に、マサトが目の前に屈み込んだ。
 足首を手で支えながらサンダルを履かせてくれるマサトの掌の温かさが、ミルクの胸を切なく締め付ける。
 マサトには話していないが、ミルクには最後のデートだった。
 最後の思い出としてマサトの目に映る自分を、精一杯可愛く見せたくて、朝から頑張ってお洒落した。
 ・・・泣き顔はギリギリまで見せたくない。
 ・・マサトが愛してくれた笑顔の自分を記憶に留めて欲しいから。
 ミルクは、泣いてデートを台無しにしない為に、なるべく明るい気持ちでいよう、と改めて自分に言い聞かせた。
「よし、出来たぞ。・・じゃぁ、出掛けようか?」
「うんッ。」
 ミルクは嬉しそうな笑みを浮かべて頷いた。

 見送りに玄関先まで出てきた母親に、
「行ってきまぁーす。」
と、手を振り、マサトと手を繋ぐ。
 久し振りにマサトと歩く駅までの道。
 今日はボディーガードもマサトの部下もいない二人だけのデート。
 婚約のことでマスコミに騒がれて以来、二人だけで外を歩くことはほとんどなかった。
 騒ぎが落ち着いてきてからは、外食に出ることくらいは出来るようになったが、それでも車での移動ばかりで、二人だけで街を歩くこともなかった。
 マサトと一緒にいられる時間があればそれだけで充分幸せだったが、やはりミルクの年頃では普通のデートがしたかった。
 イベントとかではなく、ごく普通に他の人達と同じ風景の一部として、街に溶け込むようなデートがしたい。
 最後の我が侭をぶつけて叶えた最後の思い出。
 ミルクは残暑の残る薄青い空を見上げて深呼吸をした。

 マサトはミルクが転ばないように手を繋ぎながら、普段と変わらない態度でミルクの様子を伺っていた。
 メールで”デートしてね。”と言ってきた夜から三日、ミルクは何かと理由をこじつけてマサトと会おうとしなかった。
 電話で話そうとしても、「メールがいいの。」と、なかなか出ようとしない。
 といって機嫌が悪い訳ではなく、デートについてアレコレ注文を付けてくる。
 ミルクをすぐにも誘い出したいマサトと、デートの話に夢中なミルクの間で、ちぐはぐなメールが行き交った。
 明らかに様子がおかしいミルク。
 その理由は問わずともわかっている。
 ミツルから、”美佳の死”に”蛇窟蘭のアザミ”が関わっていることを聞いたのだろう。
 ただ、そのことでミルクから問い質すこともなく、怒りをぶつけてくることもない状況が、マサトにはかえって不気味だった。
 色々策を弄しようかと思案もしたが、結局、ミルクの様子を見ながら対応した方がいいだろう、という考えに至った。
 相手はミルクなのだ。
 マサトを表も裏も知った上で、いつも側にいてくれたミルク。
 ミルクに策を弄することは裏切りだろう。
 もう、二人の間にそんなものは必要なかった。

   まだ開店前の商店街を抜け、駅に入る。
 切符を買うだけで嬉しそうなミルク。
 ホームへの階段もつま先で駆け上がり、マサトの手を引く。
 手を繋いでいるのに、一歩先に到着したと自慢そうに笑う。
 電車を待つ間も腕に寄り添い、甘えるように小さくスカートを揺らせる。
 けれど、時折長い睫毛が震えて口元の笑みが消えかけると、カジュアルスーツを着ているマサトの袖に顔を擦り付ける。
 明るさを装うミルク。
 そうわかっていても、装いを剥ぎ取るようなことはしないでいよう。
 ミルクが自分で装いを脱いだ時、有無を言わせず抱き締めればいい。
 マサトはミルクのしたいように付き合うことにした。

 電車に乗り込み、ガラス窓から差し込む光に透けるミルクの肌が、蝋のように白過ぎるのが気になって、
「・・ちゃんと寝られてるのか?」
と聞いた。
 ミルクは顔を上げ、明るく澄んだ目をクルンと煌めかせ、
「うん、大丈夫。・・お兄ちゃんが嫌がるくらいボリューム上げて、音楽流しながら寝てるから。ふふっ。」
と答えた。
 会話にミルクの兄が出てくるだけで面白くない。
「だったら電話したって構わねぇじゃねぇか。そんなに俺の歌が聴きたくねぇのか?」
 地下アジトの休憩室にカラオケの機械を設置して、密かに慣れない歌を練習したのだ。
 ミルクの年頃に合うよう、部下からも歌い方を指導されながら、暇を見つけては練習した。
「聴きたい、聴きたい。自慢の美声を。・・ププッ。」
「マイク握らせたら、熱唱しちまうぜ。・・映画の後、街をブラつく前にカラオケ行かねぇか?」
 片眉を上げ、ふふん、と顎を上げてみせる。
 マサトの胸も苦しい嵐が吹き荒れていたが、感情を押し殺すのはミルクより得意だった。
 ミルクは一瞬戸惑いを見せたが、
「ぁ・・ぅーん・・・でもぉ、切ない系のラブソングって弱いんだもん。聴いてると意識しないのに涙が出てきて、友達にすーぐ笑われちゃうのぉ。・・元気の出るようなロックにしてくれる?」
と、予防線を張る。
「・・・うッ・・・それはまだ未開のジャンルだったぜ。」
「じゃぁ・・アニメソング。古くてもいいから。うふっ。」
「・・・アニメは・・古い新しいの問題じゃなく・・知らねぇ・・・」
「えー・・・演歌はやめてよねぇ。・・・あの音楽が流れ出すと・・しんみりした曲でも・・笑い出しちゃうんだもぉーん。」
 ミルクは思い出したのか、すでにクスクス笑っている。
「こらこら・・失礼だぞ。」
 マサトが小声で注意する。
「ぅ・・・ぁぃ。・・・やっぱ、カラオケはやめよ?」
「・・チッ。これまでの練習が無駄になったぜ。」
 ボソッ、と言ったマサトの言葉に、ミルクはスーツに寄り掛かっていた顔を上に向け覗き込んだ。
「・・・練習したの?」
「・・悪いか?」
 ミルクの顔が一瞬歪み、マサトの胸に押しつけて誤魔化しながら首を振る。
「・・・ぅぅん・・・すごく嬉しい・・・」
「・・ミルク・・・」
 マサトはキツク抱き締めたい思いを堪え、そっと腕で包み込むと、ミルクの髪にキスをした。

 ミルクが二人で観ようと決めた映画は、中国の牧歌的な景色が全編に広がる素朴な作品で、田舎で静かに年老いていった女性に秘められた一途な思慕が、遺品から明らかになり、かつてほのかに恋心をときめかせた初々しい世界が蘇る、という物語だった。
 離れても愛している。
 生涯想い続ける。
 そんな気持ちをマサトに贈りたかった。
 いつか二人で観た映画をマサトが思い出してくれたら、一時怒りに荒れても、ミルクの真実の想いをわかって貰えるのではないか、という願いが込められていた。
 ミルクはマサトと手を繋いだまま涙を流し続けた。
 映画に引き込まれたと言い訳出来るから。
 そして見終わった後、映画館の狭い化粧室の水で顔を洗い、泣いた火照りを冷やしてきたミルクは、パンフレットを二部買った。
 一部はマサトに持っていて欲しかったから。
 ”さよなら”を言う前に渡そう、と胸に抱いた。
「袋くれたぜ。」
 マサトはミルクからパンフレットを取り上げると、袋に入れて手に持った。
 あぅ・・・ミルクはコケそうになり、マサトの腕につかまった。
「お前なぁ・・・何でも同調しすぎだぞ。」
 マサトはサラッと言ってのけると、ミルクの手を取って歩き始めた。
 あぅぅ・・・
 頭の中で何度か練習したシチュエーションが、本物のマサトを前にすると微妙に狂う。
「映画のヒロインを気取るより、俺の人生のヒロインでいろ。」
 マサトは、映画館から明るい陽射しの世界に出た時そう言って、いきなりキスをした。
 陽射しよりも熱い唇。
 耳元をくすぐる風よりも優しい感触。
 それほど長いキスではなかったが、唇が離れた時、目の前を光の渦が取り巻いて一瞬視覚を失った。
「・・転ぶなよ。」
 手をギュッと握られ、ミルクは現実に帰り、
「うん。」
と、小さく頷いた。
 歩き出して周囲の人達に注目されていることに気付き、ミルクは赤くなってうつむいた。
 「ねぇ・・あの二人ってもしかして・・・」
 「あー・・・ホントだぁ。」
 「マジにラブラブじゃーん。・・いいなぁ。」
 「・・いいねぇ。」
 そんな声が背後から聞こえた。
 婚約してから約三ヶ月。
 まだマスコミで騒がれたのを覚えている人達もいたんだ、とミルクは肩を竦めた。
 別れたらまた騒がれてしまうのだろうか。
 ミルクは自分の決めたことが、マサトに迷惑を掛けてしまうのではないか、と不安になってきた。
 好奇心旺盛で遠慮もモラルも知らない一部のマスコミが、あれこれと探りを入れてくることは避けなければならない。
 マサトの闇の顔まで辿り着けないとしても、マサトが動き難くなってしまうのでは申し訳ないと思う。
 どうすればいいのだろう。
 ミルクの心は迷い揺れ動いていた。

 レストランで窓際の席に座ったミルクは、頬杖をついて通りを眺めていた。
「ほら。料理が来たぜ。」
 と、マサトに声を掛けられるまでボンヤリしていたミルクは、
「・・ぁ・・ごめんなさい。」
と、気まずそうに笑った。
「まだ映画の世界に引き込まれてたのか?」
 マサトは苦笑を洩らしながら、ミルクのパスタに粉チーズをかけた。
「・・ん・・・そうかも・・・」
 ミルクはフォークの先にパスタを小さく絡めて、溜息のように答えた。
「あの景色がミルクには綺麗に見えるんだな。」
「・・・ぇ・・・?」
「・・・俺には・・悲しいくれぇ痛いぜ・・・」
 マサトは微かに眉間にシワを寄せ、ワインで口の中のパスタを流し込んだ。
「かつて毛沢○とブレジ○フ書記○が会談した。その時、毛○東は自分の人民政策が原因でで起きた農村の飢餓飢饉を、数十万人が政策の犠牲になろうとたいしたことはない、と言ってのけたそうだ。」
 うッ・・・
 ミルクは口に運んだパスタを食べかけて固まった。
 今更口から出すことも出来ず、仕方なく押し込んだが、上目遣いにマサトを睨んだ。
 マサトは口の端を、ニッ、と上げる。
「どこも権力者なんてそんなもんだがな。・・いにしえの歴史を辿っても、山積みの死体を礎にして権力は成り立っている。・・・あの景色の土の底から、怨念が陽炎となって立ち上るようだぜ。」
 ミルクは口の中のパスタを咀嚼出来ずに、水で飲み込んだ。
「・・ケホッ・・・もぉぉ・・・食事時の話題にしないでよぉ。」
「クスッ。・・そうだな。」
「それに・・土は悲しい魂を浄化してくれるんだもん。木々や草花を育み自然の命を受け継がせていくように、昇華した魂を次の命へと送ってくれるもん。だから、怨念なんてないですぅ。」
「ほぅ・・・」
「・・・多分・・・」
 ミルクは拗ねた顔で頬を膨らませた。
「はいはい。・・そうしておこう。」
「・・・じゃなかったら・・・悲しいじゃん・・・」
「・・あぁ・・・済まなかったな。・・・じゃぁ、詫び代わりに中国に連れてってやろうか?」
「・・・ぇっ?・・・」
「万里の長城から景色を眺めると、長い歴史の中で戦ってきた各々の民族の深い想いに触れるようだぜ。」
「・・・そぉなんだぁ・・・」
 ミルクは写真で見た風景を思い出しながら、築き上げられた大いなる石積みとそこに秘められた人々の思いを想像し、その偉大さに触れて静かな時の流れを感じてみたい、と思った。
 マサトは目を細め頷く。
「冬休みに行ってみるか。・・寒さが厳しいかも知れないが、だからこそ冷たい風で気持ちが洗われる気がするぜ。」
「・・・いいなぁ・・・行きたいなぁ・・・」
 ミルクは思わず、そう呟いてしまった。
 そして、ハッ、として眉を曇らせると、パスタを食べることに専念し始めた。
 マサトはミルクの気を逸らさないように話を続ける。
「けど、やっぱり先に沖縄に連れて行ってやりたいな。・・ミルクも行ってみたいだろ?」
「・・・ぁ・・・ぅん・・・」
「よしよし。歴史を辿りつつ、新旧の文化を見て回るのもいいもんだぜ。三連休あたりに予定しておくか?」
「・・ぅー・・まだ、先のことはわかんないもん。・・・二学期は色々行事があるし・・・」
 ミルクは目を伏せて答えると、フォークを必要以上に回してパスタを絡めた。
「・・そうか。・・・なら、考えておいてくれよな?」
「・・・ぅん。」
 ミルクはパスタを頬張り、モグモグとしながら曖昧に答えた。

 食事が済んでから、駅一つ分を歩いて賑やかな通りに出た。
 土曜日とあって若い人達が多い。
 中学生くらいのグループもいれば、休みでも制服を着ている女子高生もいる。
 彼女達は部活動の帰りとかではなく、明らかに援交目当ての様子が見える女の子達である。
「こーゆー街は嫌ぇだぜ。」
 マサトはミルクの手を引っ張りながら大股に歩き、また駅一つ分を進んで、多少落ち着いた雰囲気のある通りまで来た。
 残暑の残る照り返しの強いアスファルトを、駅二つ分も歩くのは、さすがにキツイ。
 ミルクの顔からは汗が噴き出し、息継ぎも荒くなっている。
 足が熱を持って怠く、ミルクは手を繋いだままその場にしゃがみ込んでしまった。
「・・ハァハァ・・・疲れたよぉー・・・」
 マサトはニッコリ笑い、
「そうかぁ?・・・じゃぁ、ブラブラ歩くより、カラオケでもして休んだ方がいいな。」
と言う。
 ミルクは大きく息を吐いて、負けたぁ、と心で呟き、
「・・そうしましゅ。」
と項垂れた。

 マサトの熱唱は本物だった。
 ノリノリにマイクを持ち、しかも振り付けまで披露して、スター気取りで歌い上げる。
 心配するような胸キュンのラブソングはなく、
「ねぇ・・・それを子守歌代わりにする気だったの?」
と、ミルクが思わずツッコミを入れてしまうほどアップテンポでハイテンションな曲だった。
「いいだろ?・・悪夢なんてブッ飛ぶぜ。」
 そう言ってウィンクをする仕草まで、芝居掛かっている。
 ミルクは呆れたように頷いたが、内心では、カッコ良すぎてどーしよぉ、と逆上せ顔で目を潤ませていた。
 けれど、
「・・では、ラストに・・」
と言って歌い出した曲は、あまりにも切ないラブソングだった。
 過激で不器用な生き方しか出来ずに夭折した天才が残した、悲しいラブソング。
 ミルクは溢れてくる涙を瞬きして落としながら、じっと目を逸らさずマサトを見つめて聴いていた。
 マサトもじっとミルクを見つめて歌う。
 もうミュージシャン気取りの素振りはなく、そこで歌うマサトはマサトの魂そのものだった。
 歌い終えたマサトはミルクを見つめたまま目の前まで来ると、
「・・二度惚れしたか?」
と、悲しげな笑みを浮かべて言った。
「・・・ん・・・でも・・ズルイ。・・・だって・・会う度に好きで堪らないのに・・・その上・・こんなに素敵でカッコ良かったら・・・ちっぽけなミルクが・・好きでいる資格もなくなっちゃう・・・」
「バーカ・・」
 マサトはミルクの隣りに座り、顔を間近に接近させて、
「・・お前が俺を・・好きだ、好きだ、と見つめるだけで・・・俺はそれが可愛くて、愛しくて・・大好きだ、大好きだ、って・・どんどん魂を吸い込まれちまってるぜ。」
と、唇を重ねた。
 ミルクもマサトの舌を求めて口を吸う。
 熱い舌と甘い舌が絡まり合って、魂が溶け合う。
「・・俺達だけの場所へ行こうぜ。」
 唇が離れた時、熱い息で囁かれて、ミルクはもう逆らうことは出来なかった。

 マサトのマンションの寝室。
 装いを脱ぎ捨てた二人は、肌を重ね合わせて抱き合い、熱いキスを繰り返した。
 感じ合う以上に溶け合いたかった。
 マサトは、魂の器であるミルクの体を恭しそうにゆっくりと撫で回す。
 ミルクは、大きな魂の器を両腕一杯に抱き包もうとマサトの背中に腕を回す。
 リンゴを食べてお互いを欲する欲望が芽生えた時、誰に教えられたのでもないアダムとイブが自然に結ばれたように、マサトとミルクも考える必要もなく、お互いを求めるままにひとつに繋がった。
 結ばれて、お互いの魂がお互いの中に流れ込んでくるのを感じる。
「、、ぁぁぁ、、、マサトがミルの中にいるぅ、、、」
「・・あぁ・・・ミルクも俺の中にいるぜ。」
 見つめ合う目に涙が溢れる。
「、、マサトぉ、、、」
 ミルクは思いをどう伝えればいいのかわからず、全身でマサトを抱き締める。
 マサトの一部をしっとりと包む肉襞も、キュゥキュゥ、、と締め付けている。
「・・ミルク・・・」
 マサトはお互いを感じ合える程度に繋がった部分を擦り合わせている。
 わずかな動きでも快感が全身を駆け上っていく。
「ぁぁ、、、すごく感じるぅ、、、」
 頭のてっぺんからつま先まで甘い痺れが広がる。
 感じて締め付けてしまうほど、更に快感が強く押し寄せる。
「、、ぁぁん、、、ぅぅ、、、マサトぉぉ、、、」
 ミルクは背中を浮かせて仰け反り、身悶えて震えながら、切なく啜り上げた。
 ひと時の甘い陶酔。
 けれど、明日からはもう・・どんなに恋しくても触れることさえ出来なくなる。
 ミルクは悲しみを抑えきれなくなり、嗚咽しながら泣き出していた。
「・・ミルク・・・もう何もかも話せよ。」
 マサトは、ミルクの汗で貼り付いた前髪を撫で上げて、悲しみを含んだ優しい声で言った。
「、、、マサト、、、」
「・・思ってること・・言いたいこと・・・全部ぶちまけちまえよ。・・な?」
 ミルクはしゃくり上げながら、口を固く引き結んだ。
 しゃくり上げて痙攣するミルクの腹部が、重なり合うマサトの腹部にも伝わってくる。
 ミルクの悲しみが痛いほど伝わってきて、マサトの胸も締め付けられる。
「・・お前が何を言おうと、俺は聞かねぇ・・・」
 マサトは呻くように言って腰の動きを早めた。
 ズンズンズンズンッ、、、とマサトの想いが伝わってくる。
 ズンズンズンズンッ、、、とマサトの愛に包まれる。
「ぁぅぅ、、、ぁぁぁん、、、マサトぉぉぉ、、、」
 ミルクも、キュゥキュゥキュゥ、、と締め付ける。
 キュゥキュゥキュゥ、、と悲しい心がしがみつく。
 繋がった体が焼け尽きそうに熱くなる。
 溶け合う魂が燃え上がり、心も体も焦がしていく。
「ぁぁぁ、、、熱いぃ、、、」
「・・俺のいる地獄はもっと熱いぜ。・・・それでも付いて来るんじゃねぇのかよッ!」
 マサトは堪らずに叫んだ。
「、、、そうだよ、、、ずっとマサトに付いて行く、、、」
「だったら・・どんなことがあっても弱音を吐くんじゃねぇッ!」
「、、、弱音じゃないぃぃ、、、強くなりたいのぉぉぉ、、、」
 ミルクも負けずに泣き叫んだ。
「、、、ぅぅ、、、だから、、、ミルも、、、マサトの地獄を、、、一人で歩くのぉ、、、」
「馬鹿野郎ぉッ!・・・お前は俺が守るッ!そう決めたことに逆らうんじゃねぇッ!」
 マサトは怒り狂って激しく突き上げる。
 ミルクは大きく揺さぶられ、気絶しそうなほどの快感の渦に取り込まれながらも、必死で訴える。
「あぁぁぁん、、、弱いままじゃ、、、いつか自滅しちゃうぅぅ、、、あぁぁん、、、あぁん、、、このままじゃ、、、ミルは自分を、、、許せないのぉぉ、、、」
「俺がそんなことさせるかッ!・・お前は俺だけ見てりゃいいんだッ!俺だけ信じてりゃいいだろうがッ!」
 ズズズンッズズズンッズズズンッ、、、
 ズッズンッズッズンッズッズンッ、、、
 怒り狂ったマサトの熱情がミルクの全身に噴き上がる。
 悲しく切なく狂おしい快感が魂を沸騰させる。
「あぅぅぅ、、、だったら壊してよぉぉ、、、このままぁ、、ミルを、、、殺してよぉぉぉ、、、」
「・・っんなこと・・出来るかぁぁぁッ!!・・・チクショーぉぉぉッ!!」
 マサトの目からも熱い涙が溢れて飛び散る。
「ぅぁぁぁぁ、、、ぁぁん、、、守られるだけじゃ嫌ぁぁぁぁぁ、、、ミルもぉ、、、マサトや、、、美佳の地獄で、、、自分の弱さと戦うのぉぉぉ、、、」
 絶頂の痙攣が全身に広がっていきながらも、精一杯に叫んだ。
「・・・ぅぅううう・・・させるか・・させるかッ・・させるもんかぁぁぁーーーッ!!」
 マサトはミルクの体を抱き締め、全身をぶつけるように激しく突き上げた。
 そして、
「バカヤローぉぉぉぉぉーッッ!!!」
と、叫ぶと同時に熱い激情を破裂させ、ミルクの中に噴出した。
「ぁぁぁ、、、マサト、、愛してるぅ、、、」
 ミルクは遠離る意識の中で、小さく呟いて気絶した。
 マサトは繋がったままミルクを抱き締め、
「・・チクショォ・・・バカヤロォ・・・俺にも愛させろ・・・ゥゥゥ・・・」
と呟きながら、いつまでも噎び泣き続けた。

 マサトの涙が枯れ果てた頃、意識を取り戻したミルクは、マサトの胸に顔を埋めて、思いの丈を静かに語った。
 何があろうと、ミルクはマサトを愛していること・・・
 誰よりもマサトが大事でたまらないこと・・・
 どんなことでもマサトと分かち合いたいと願っていること・・・
 ・・ただ・・
 どうしても自分の弱さが自分を責め続けていること・・・
 このままではマサトを愛するほどに負担をかけてしまうこと・・・
 ・・だから・・
 強くなれるまで・・自分を認められるようになるまで・・別れようと・・・
 それがいつになるかはわからないし・・
 マサトの心が遠離っても・・・
 マサトを思い続けていく心は変わらないのだと・・・
 ミルクは小さな声で、切々と訴えた。

 枯れていたマサトの涙が再び溢れ出し頬を濡らす。
 ・・・もう・・どう言っても聞きゃぁしねぇ・・・
 ・・・ミルクほど頑固な奴を他には知らない・・・
 ・・・脅して罵声を浴びせようと・・睨み付けて威嚇しようと・・・
 ・・・真っ直ぐに見つめ返して自分を主張しやがる・・・
 ・・・無償の愛を捧げてくる姫君の一途な想いが・・・
 ・・・俺の荒れ狂う狂暴な魂を・・愛という檻に取り込んじまった・・・
 ・・・俺が唯一敵わねぇ・・絶対の姫君・・・
 ・・・姫君の決意に・・ナイトは逆らえるはずもねぇぜ・・・
 マサトは苦渋の決断で受け入れるしかなかった。
 ただし、婚約は解消せず、ミルクの気持ちが納得して落ち着いたら、再び会うことを約束させた。
 意見を受け容れつつも自分を主張する強さは、マサトの方が上手だった。

 そして・・・
 夜が更け・・・朝日が射し込むまで・・・マサトは何度もミルクを激しく愛し続けた。
 魂の一部をお互いの体に埋め込み残しておくかのように。
 何度も、何度も、繰り返し愛を囁きながら、抱き締め合った。
 マサトは・・・
 ・・・必ず俺の腕に戻って来い、と願いを込めて・・・
 ミルクは・・・
 ・・・いつか再び巡り会いたい、と祈りを込めて・・・

                                   『S』第一部 完