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<11>〜<15>





<11>
「恋する想い」
§11§「恋する想い」

「、、、ぁ、、、ぁぁッ、、、ぁ、、ん、、、」
 マサトの体が上下する度に、切ない喘ぎ声が洩れる。
 両足を肩まで抱え上げられ突き上げられると、背中が浮くほど仰け反ってしまう。
「ぁん、、、ぁぁん、、、ぁぁぁッ、、、マサトぉ、、、んんッ、、、」
「・・はぁ・・・愛してる、ミルク。・・・めちゃめちゃ可愛いぜ。」
 マサトは腰を動かし続けながら、ミルクの汗ばんだ額に張り付く前髪を後ろに撫で上げ、キスをする。
「、、、んぅ、、、はぁはぁ、、、ぁぁぁ、、、もうどうしていいか、、わかんなぁい、、、」
「感じろ。・・・俺をミルクの中で感じていろ。」
「、、ぅ、、ん、、、マサトが、、、ミルの中、、、いっぱぁいぃぃ、、、ぁぁぁッ、、、」
 グッチュッ、グッチュッ、、、と淫靡な音がする。
 少女漫画でのHシーンは、もっと静かで綺麗だった気がする。
 もっとも絵なのだから音も匂いもないのは当然だが・・・。
 お互いの激しい息遣い、肌の触れ合う湿った音、ベッドの軋みやマットレスのバネの音までする。
 中でもマサトの蛇が激しく動き回る音は、聞いてるのが恥ずかしいほど嫌らしい。
 マサトの汗はどこか血生臭い獣の臭いを帯びている。
 それでもミルクの甘い匂いと絡まって、媚薬のような、魂を虜にされる香りに変わる。
「、、ぁふっ、、、ぁぁん、、、イキそぉぉ、、、」
 喘ぎ声は嫌でも口から飛び出してくる。
 他に例えようもない快感に、頭は真っ白になっていき、どこからか強い光を感じる。
「はぁぁぁ、、、っぁぁぁ、、、ぁぁああぁぁッ、、、イクゥゥッ、、、」
 目眩く光に向かって意識が飛んでいく。
「・・いいぜッ。・・はぁ・・・ぅっ・・・俺もイクから・・・」
 マサトが体を起こして腰の動きを早める。
 ビチュグチュビチュッ、、
 淫靡な音に、パンパンパンパンッ、、、と肌のぶつかる音が混じる。
「あぁぁぁ、、、マサトぉぉッ、、、ぁぁぁぁーッ、、、」
「よしッ・・イクぜッ!・・・ぅぅッ・・ぁ・・ぁぁッ・・はぁぁぁぅぅぅッ・・・」
 ミルクの伸ばした手に応えるように、マサトがミルクを抱き締めて、熱いキスをする。
 キスをしながら、昇り詰めた快感をお互いに確かめ合う。
 息が止まりそうになり唇を離すと、お互い荒い息遣いで体をぐったりと横たえる。
 フゥーッ、と大きく息を吐いたマサトは、放心状態のミルクを腕枕して優しく髪を撫でる。
「・・大丈夫か?」
「・・・・・ぅん・・・」
 ミルクは目眩の中から微かに返事をする。
 まだ息が落ち着かず、耳の中がドクドクと鳴っていて、目が開けられない。
 喉が乾いて、二人の汗が混じり合ったマサトの胸の汗をチュッと吸う。
「あ・・喉が乾いたよな。」
 マサトは枕元に用意しておいた水を口に含んで、ミルクに口移しで飲ませてやる。
 何度か水を飲み込むうちに、逆上せが引いていき、ミルクはようやく目を開けた。
 マサトはミルクの顔に張り付く髪を指で撫でつけながら、優しく見つめている。
「ホントは少し寝かせてやりたいけどな・・・門限破りはさせたくねぇし・・・」
 そう言って、頬を掌で包み込むようにして撫でる。
「・・ん・・・大丈夫。」
 ミルクはまた目を閉じて、マサトの湿った胸に頬ずりをする。
 学校帰り、マサトのマンションに寄って、愛し合った。
 放課後に抱かれるのは初めてのことだ。
 門限の7時までに帰宅しなければならないのはキツイ。
 いつまでも余韻に浸っていられない。
 少しでも早く火照りを冷まさなければ・・・。
「・・シャワー・・浴びなきゃ・・・」
 ミルクは怠い体をゆっくりと起こす。
 マサトがミルクの背中に手を添えて助けてやる。
「歩けるか?洗ってやってもいいんだぜ?」
「・・ん・・でも、時間かかっちゃうもん。」
 ミルクはマサトが用意してくれた、薄ピンクのシルクのガウンをスルスルッと羽織り、浴室へと向かった。

「――・・っざけんじゃねぇ。そんな我が侭言わせるほど、てめぇは甘ちゃんか?――言い訳はいい。てめぇに出来ねぇなら、別の奴に任せるまでだぜ。――何だ?――だったら、初めからそうしろッ。」
 シャワーから戻って来たミルクは、マサトの低い声にドキッとして、ドアを開けたまま固まってしまった。
 マサトがミルクに気付き、携帯を耳にあてたまま手招きする。
「――いちいち、くだらねぇことで俺を煩わせるな。結果だけ報告しろ。――ああ、それでいい。」
 マサトは通話を切ると、オズオズと近付いたミルクを優しく抱き寄せキスをした。
「仕事の電話だ。・・気にするな。」
 そう言ってミルクの濡れた髪を拭いてくれるマサトは、いつもの猫笑いをした。
「・・うん。」
 ミルクはマサトにもたれて、汗くさい首筋に鼻を擦り付けた。
 ・・首に巻き付く細い蛇。
 マサトのいる闇の象徴なのだろうか。
 ミルクは細い蛇の頭にそっとキスをした。
「クックッ。ミルクが蛇を怖がらないでいてくれて良かったぜ。」
「・・だって・・絵だもん。・・本物は見たことないから、わかんない。」
「可愛いもんだぜ。今度プレゼントしてやろうか?」
「えーッ・・・やだぁ・・・」
「ミルクスネークの変種で、赤と白のシマシマになってる可愛い奴がいるんだ。同じ名前だから愛着が湧くかも知れないぜ?クックックッ。」
「・・・ミルと同じ名前?・・・でもぉ・・・毒は?」
「ミルクスネークには毒はねぇから安心しろ。」
「・・・ぅぅ・・・でもなぁ・・・家じゃ飼えないよ、きっと。」
「ここで飼えばいいだろ?・・ちょっとは慣れて貰わないと、他のマンションや自宅の方に連れていけねぇぜ。」
「・・他のマンション?」
 多分、自宅は別にあるだろう、とは思っていたが、まだ別のマンションに部屋があるとは思わなかった。
「蛇の飼育の為だけに借りてる部屋もある。クックックッ。」
 ウゲッ・・・。
「・・そこには・・・行きたくない・・・」
 マサトはミルクの言葉に眉を曇らせた。
「俺の行く所には、ミルクも連れて行きてぇ。・・俺のタトゥーに慣れてくれたように、俺のいる闇にも、少しずつでいいから慣れてくれ。・・なるべく怖いものや醜いものは見せないようにするが・・・蛇だけは・・・俺の一族の守り神でもあるからな。」
「・・・うん。」
 ミルクは不安になりながらも頷いた。
「別に俺は蛇マニアって訳じゃねぇんだぜ。・・ただ、俺の支配する組織の象徴が蛇ってだけさ。・・昔は毒蛇を操って、その恐怖で闇を支配してたらしいが、今はそんな時代遅れなことはやってねぇし、もっと恐ろしいものはいくらでもある。」
 ミルクは眉を寄せ、首を傾げる。
「ま、ミルクはそこまで知らなくていい。・・けど、俺の嫁になる女が、蛇を見る度に悲鳴あげたり、気絶してるようじゃ・・クックッ・・俺も部下達に示しがつかねぇしな。」
「・・・ごめんなさい・・・」
 ミルクは唇を尖らせた。
「・・謝ることじゃないさ。・・・ミルクに俺の表の顔だけ見せておくことだって出来ねぇ訳じゃねぇ。・・・ただ、俺が・・・いつでもミルクといたいって思っちまったんだ。」
「それはミルもそう思うよぉ。」
「・・時には怖がらせちまうかも知れねぇ。」
「・・・うん。」
「だが、お前はもう、俺の一部だ。お前の存在があって俺は完全な俺になれる。・・ずっと、側にいてくれ。」
「うん。・・マサトとずっと一緒にいるぅ。」
 マサトはこれ以上ないと思えるほど優しい顔で、
「ありがとう。・・愛しているぜ、ミルク。」
と、熱烈なディープキスをした。
「・・さて。俺も汗を流して来よう。・・そろそろ送って行かねぇと、遅くなっちまう。」
「車、渋滞するし・・電車で帰るからいいよぉ。」
「だから、俺も電車で送ってくぜ。・・いつも一緒って言っただろ?」
「うんッ。」
 ミルクは嬉しくなって微笑んだ。

 電車を待つ駅のホーム。
 色々な人達が溢れている。
 仕事帰りの会社員やOLはもちろん、学生や高校生らしい制服を着ている人達もいる。
 だから、セーラー服姿のミルクが特に目立つこともなかった。
 マサトもミルクに合わせて、学生っぽく見える服を着ている。
 そして、サングラスの代わりに帽子を目深にかぶっていた。
 服装は周囲に馴染めても、マサトの冷気を含んだ鋭い眼光は、得体の知れない怖さがあって、無意識に一歩身を引かせてしまうからだ。
 それでも、引くくらいならいいが、中には勘違いで思い上がったツッパリ族が、わざと挑戦してくることもある。
 到底敵わないとわからせることは容易いことだったが、人混みの中で騒ぎを起こせば、警備員や警察官が駆けつけてきて、余計な手間がかかってしまう。
 そうした煩わしさを避ける為に、マサトは人の多い場所では目を隠すようにしていた。
 能ある鷹は爪を隠す。
 ミルクは、強さを主張しないマサトのそんな所も好きだった。

「なぁ。・・昨夜の話はまだ聞いてなかったな。」
 電車を待ちながら、マサトが思い出したように言う。
 ミルクはマサトの腕に腕を巻き付け、甘えてもたれていた。
 身長の高いマサトなので、下から見上げるミルクには目も見える。
「・・昨夜の?・・・・・あ、そっか。」
 ミルクはちょっと間をおいてから思い出した。
 兄のミツルが学園に乗り込んできたことや、それからのことを話そうと思っていたのだ。
 ミルクはマサトから手を離すと、時々ジェスチャーを入れながら話し出した。
 途中、電車が着たので、マサトに支えられて乗り込んでも、小さな身振りを付けて話した。
 マサトは頷きながら、たまに堪えきれずに笑って聞いていた。
 特にミルクが小百合のマネをして、
「・・ドキドキですわぁ。」
と、両手を合わせて言った時には、しばらく笑いが納まらなかった。
 話し終えたミルクは、またマサトの腕に腕を絡ませ、
「もう、どうしたらいいか・・訳わかんない。」
と、溜息を吐き、腕に頬ずりをした。
 マサトは空いてる方の手でミルクの頬を優しく撫で、
「その程度のお嬢様にビビるこたねぇ。ミルクは俺のお姫様なんだぜ?クックックッ。」
と言った。
「ビビるっていうより、スゴイなぁって感心しちゃう。・・超美人だから・・マサトも興味持つかも・・・」
「怒るぞ。・・人間なんて一皮剥きゃ、みんな骸骨なんだぜ?・・だから大切なのは中身ってことさ。」
「・・ぅぅ・・・それもムズそぉ。・・・ミル、いつも中身が足りないって言われるもん。・・ちょっとは外見でも勝負したいなぁ。」
「いや。その中身じゃ・・・」
 どう説明してもミルクがイジケそうなので、マサトは苦笑して、
「もちろんミルクは可愛いぜ。・・俺の可愛いミルクを傷つけるような女だったら、お綺麗な顔が思い出せなくなるまで潰してやってもいい。」
と、声を低くして囁いた。
「・・ぁぅッ・・冗談でもそんなこと言わないでよぉ。」
「本気で言ってるに決まってるだろ。」
「もっと悪いじゃん。」
 ミルクは頬を膨らませて、マサトを睨み上げる。
「クックッ。ミルクのそんなとこが、めっちゃ可愛い。」
 マサトは膝を折って腰を屈めると、軽くキスをした。
 それから、
「ミルクの兄貴がどこまでお嬢様に合わせられるか、そもそも合わせる気があるのか、ないのか、・・難しい所だな。」
と、話を本題に戻した。
「うん。・・お兄ちゃんの好みのタイプって全然わかんないもんなぁ。」
「・・・そうか?」
 マサトは、妹を溺愛しながら、それを表には出せない、兄という立場の心情に同情する一方で、最大最強のライバルになりそうなミツルに、警戒心を抱き始めていた。
 ただの恋敵なら捻り潰してやれるが、肉親の情という厄介なもの。
 怒る訳にもいかず、ヘタに手を出せばミルクを悲しませ、最悪な場合、愛想づかしもされかねない。
「お兄ちゃんって、友達とか彼女を家に呼ばないんだもん。」
 だろうな、とマサトは内心で思う。
 うっかり友達を呼んで、大事な妹に興味を持って欲しくないのだろう。
「目標とかあると、女よりそっちを大事にする奴もいるしな。」
「目標かぁ・・・法科を目指してるんだからぁ・・・弁護士かなぁ?」
「弁護士なら、財閥の後ろ盾とかあると、立派な事務所とかも持てるし有利だろうが・・」
「そっか。・・・じゃぁ、マジにくっつけちゃうか?フフッ。」
 ミルクが目を輝かせて言うので、
「お前なぁ・・」
と、マサトが笑い出す。
「まぁ、いいさ。・・で、いつ家に呼ぶんだ?」
「小百合さんが早く来たいって言ってるから、週末のどっちかかな?」
「チッ。やっぱり週末か。」
「お兄ちゃんが家にいなきゃ意味ないから、聞いてからじゃないとわかんないけどぉ・・」
「俺達だって、休みじゃなきゃ、ゆっくり会えないんだぞ?・・ったく。」
「毎週招待する訳じゃないんだからぁ・・」
「当然だろ。・・そこまでお人好しでいる必要はないぜ。」
「・・ぁぅ・・・」
「兄貴だって、気が散って勉強に集中出来ねぇだろ?・・その辺は、ちゃんと小百合って奴に言っておいた方がいいぞ。」
「うん。わかってる。」
 ミルクは話し疲れたように、マサトの胸に顔を埋めた。
 マサトはミルクの髪を撫でながら、毎日でも会いたいのに、と抱き締めたい衝動を押さえていた。

 ミルクの家の近くにある駅で電車を降りる。
 マサトが手を繋ごうとすると、
「ごめん。もう、近所の人とか、すれ違うかもしれないから・・」
と、ミルクが済まなそうに手を引っ込めた。
 マサトはミルクの歳を思えば、噂になるのが怖いのは仕方ないだろうと理解し、少し距離を置いて歩くことにした。
 最近、やたらと理解してやることが多い。
 『チャレンジクラブ』に入ったことで、放課後に会えない日が出来たことも、そのクラブに招き入れた男のことも、内心腹立たしさを感じながら、大人の余裕を見せて認めてやった。
 ミルクの写真を撮った奴も、ミルクに「何もしないで。」と言われて我慢していたのだ。
 本当なら兄貴に先を越される前に、マサト自身がヤキを入れてやりたかった。
 まったく、いつからこんなにお人好しになっちまったのか。
 自分の思い通りにならないことはこれまでなかった。
 逆らう奴は煮るなり焼くなり潰すまでのこと。
 ミルクに言いなりの自分を少し情けなくも思うが、これが惚れるということなのだろう、とお人好しになっている自分を楽しんでいる部分も確かにある。
 ミルクを泣かせるのが怖い。
 何よりミルクが大事に思える。
 どこに惚れたか、そんなものは後からついてくればいい。
 人さえ喰う闇の世界の中で暗黒の絶対的力を求めて走り続け、放ったらかしにしていた心というアンテナに、勝手に引っ掛かっちまった。
 一度引っ掛かったら気になってたまらない。
 ミルクがよく買い物をする街で、露店を出していたのも、会いたい一心だった。
 俺がこんなに惚れてることを、ちっともわかってねぇんだからな。
 マサトは薄闇の中で、まだうっすらと頬を赤らめているミルクを、眩しそうに見つめた。
「でね、ここのパン屋さんのフランスパンが超美味しいの。・・・あ、あそこの電気屋さんは、修理とかを頼んだり、電球とかも届けてくれるから超親切なんだよぉ。フフッ。」
 ミルクは駅前の商店街をマサトに紹介する。
 地元の暖かさがミルクの説明から伝わってくる。
 この街でおかしなマネは出来ねぇな、と改めて実感する。
 ミルクが生まれ育った街。
 ミルクを育んでくれた街。
 そこをミルクと歩けることがマサトには嬉しかった。
「ちゃんと足元を見て歩かねぇと、また転ぶぞ。」
「うんッ。」
 振り返るミルクの笑顔が可愛くてたまらない。
 この笑顔があれば、手を繋げないことも我慢出来る。
 ・・・誰にも渡さねぇ。
 他の男にこの街は歩かせねぇ。
 そんな無茶なことさえ思ってしまうマサトだった。

 ミルクを自宅手前まで送り、ミルクが家に入るのを見届けて駅まで戻ってきた。
 構内には入らず、駅前の通りで入り口付近の混雑を避けて立ち止まる。
 駅前にマサトを拾う車が来ることになっていた。
 今夜はこれから組織のアジトの方へ行かなければならない。
 一度覚悟して風俗に入ってきた女達が、取り分を上げろ、と言い出しているという。
 どうやら女達を先導しているのは、他の組織の女からそそのかされたバカな女らしい。
 その辺の使い捨てのような売春婦ではない。
 ちゃんとブランド物も身につけられる高級娼婦にしてやったのに、何をふざけたことを抜かすのか。
 風俗関係を任せておいた男は女の手管にまんまと嵌ってしまったようだ。
 薬の売人が薬に手を出したら仕事にならないのと同じ。
 女を商品にする以上、娼婦に手を出すものじゃない。
 躾か調教で抱くのは勝手だが、思い上がった女の言い分を聞くようになったらお終いだ。
 父親の代から使ってきた男だが、もう潮時だろう。
 マサトは煙草に火をつけて、煙を細く吐き出した。
 闇を纏ったマサトの周囲だけ暗闇は深さを増している。
 マサトは車を待ちながら、明るい駅構内への入り口を眺めていた。
 夕方の渋滞に掴まったのか、なかなか車が来ない。
 チッ、弛んでるぜ。
 煙草を足元に投げ捨てたマサトは苛立ちまぎれに踏み潰す。
 それから、顔を上げた時、ハッ、として帽子の鍔で顔を隠した。
 警戒しながら少しだけ顔を上げる。
 初めて見る顔だが、間違いようもなくミルクの兄だ。
 夜でさえ光を纏ったように清々しい姿で、信号を待っている。
 マサトは目を細め、ミツルを凝視した。
 ミルクとの付き合いを思えば、表向きだけでも友好的にしなければならない相手だろう。
 だが、正義感が強く、法律を学ぶという。
 いつか、敵対することになるかも知れない。
 ミルクだけは手放さない。
 例え、この兄と戦うことになっても。
 その為にミルクさえも泣かせることになっても。
 信号が青になり、ミツルが帰路を歩き始める。
 一瞬、立ち止まり後ろを振り返って見たのは、マサトの殺気を感じたからだろうか。
 マサトはミツルの遠離る後ろ姿をじっと睨んで見送った。

<12>
「ブルーデー」
§12§「ブルーデー」

 水曜日はクラブに参加したので、マサトのマンションには木曜日に寄ることになった。
 マサトは、毎日でも迎えの車を来させてもいい、と言っていたが、マサトのマンションが市街地の中心にある為、渋滞でかえって時間が掛かってしまい、会っている時間が少なくなってしまう。
 それで、今日もミルクは電車でマサトの元へ向かった。
「こんにちわぁ。」
 マンション玄関にいる警備員に軽く会釈すると、警備員も笑みを浮かべて、
「いらっしゃい。」
と応えてくれる。
 当番制で、いつも同じ人というわけではなかったが、一通りの警備員とは顔馴染みになった。
 カードの合い鍵はマサトから渡されていたので、ミルクは中にいる警備員にも挨拶をして、すぐにエレベーターに乗る。
 それでも部屋の呼び鈴は必ず鳴らすようにしていた。
 二回鳴らしてもマサトが出ない場合は、鍵を開けて入ってくるようにと言われている。
 用があって出られない時や、爆睡している時もあるからだ。
 会う時は一応、前の日の夜に約束して、当日学校を出てからすぐにメールするので、不在ということはなかった。

 呼び鈴を二回鳴らす。
 しばらく待っても返事がない。
 ミルクは慣れない手つきで鍵を開け、室内に入った。
 マサトはノートPCを操作しながら携帯で話をしている。
 今日の口調からすると、表の仕事の用件らしい。
 マサトの言葉の語尾が明らかに違うので、内容まではわからないミルクにも、表か裏かくらいはわかる。
 ミルクは鞄を置き、マサトの隣りに座ってもたれかかった。
 今日は体調が悪かった。
 お腹が痛くて、頭痛も少しする。
 スローモーションの魔法でもかかったように、体が重く感じ、瞼も重く下がってくる。
 ここへは寄らずに家に帰りたい気持ちもあったが、マサトに会いたい思いの方が強かった。
 ミルクは、マサトに寄りかかって目を閉じるうちに、意識がぼんやりしてきた。
「悪い。・・待たせたな。」
 話を終えたマサトが、ミルクの肩を抱いて、キスをする。
 口を吸われ、ミルクは雲の中を漂っていた意識を、現実に引き戻された。
 しばらくそのままキスに応え、それからマサトの胸に顔を埋めた。
「どうした?・・高校の勉強は難しい?」
 元気のないミルクの髪を撫でながら、マサトは顔を覗き込むようにして聞いた。
「・・んー・・・」
 ミルクは曖昧な返事をして、マサトの胸に顔を擦り付ける。
「俺が元気をつけてやるぜ。」
 そう言って、マサトがミルクを抱き上げようとした。
「・・ぁ・・ぃゃ・・・今日はこのままがいいのぉ。」
「お?・・セーラー服のまま、このソファーでヤリたいのか?」
 ミルクは眉をひそめて顔を上げる。
「ミルクがそうしたいなら、俺は構わないぜ?」
 マサトが口の端を上げて含み笑いをする。
「・・違うよぉ。・・・今日はこうしていたいのぉ。」
 マサトの確かな感触と温もりが感じられれば満足だった。
 ベッドで愛し合う時以外のマサトは、大人の優雅さと品の良さを感じる香りがする。
 ミルクはずっと甘えていたくて、腕をマサトの腰に回し、また顔を胸に埋めた。
「ん?・・・あ、そうか。・・・始まった?」
「・・うん・・・」
 ミルクの大体の生理日と周期を聞いていたマサトは、今日のミルクがやけに怠そうな理由を理解した。
「生理痛はひどい方なのか?」
「・・わかんない。・・・でも、お腹痛いし・・頭もぉ・・・」
「セックスをマメにしてれば生理痛も軽くなるらしいぜ。」
「そうなのぉ?・・・へぇ・・・」
「適度なスポーツが体にいいのと同じことじゃねぇか?・・女じゃないから、よくわからん。」
「・・ふーん。・・・マサトの周りの女性方から聞いたのかと思った。」
 ミルクは少し拗ねて唇を尖らせた。
「バーカ。俺の知ってる女達は、みんなピル飲んでるから生理はねぇだろ。・・TVか雑誌でそんなことを言ってた気がしただけで確証はねぇよ。」
「・・ピル飲むと生理がないんだぁ。いいなぁ。」
 毎月の痛みと煩わしさから開放されるなら、ピルでも何でも飲んでみたいと思ってしまう。
「成長期にピルなんて飲むもんじゃねぇぞ。」
 マサトが怒った口調で言う。
「ミルクの年齢じゃ、普通の状態でもホルモンは不安定だろうし、そこに変な薬を飲んだりしたら、体がおかしくなっちまうぜ。しっかりとした大人になってから、そーゆー物は考えた方がいい。」
 意外にまともなことを言うマサトに、ミルクは、やっぱ大人だなぁ、と思う。
「俺は生理だって、ちっとも構やしねぇんだぜ。俺のブラシで擦って白濁液で洗い流してやろうか?クックックッ。」
 ・・・誉めた所なのにぃ・・・
「・・プゥッ・・・生理の時はいやぁ。」
「何で?・・いいじゃねぇか。多少汚れても、後で綺麗に洗ってやるぜ?」
 汚れても・・・
 その言葉に、夜ナプキンがずれてシーツまで染みついてしまった時のことを思い出し、嫌な気分になる。
「嫌なものは嫌なのぉッ。」
 ミルクは額をマサトの胸に押しつけ、首を振る。
「チェッ。」
 マサトは舌打ちをすると、テーブルから煙草を取って吸い始めた。

「・・じゃぁ、俺のをしゃぶってみねぇか?」
 しばらく会話が途切れた後、マサトは煙草を灰皿に捨てて言った。
 ミルクは意味がわからず首を傾げた。
「あぁ・・フェラチオって言葉、聞いたことねぇか?」
「うーん・・・知らなぁい。」
「マジかよ?・・・やっぱお嬢ちゃんだぜ。」
 マサトは、やれやれ、と耳の後ろを掻いた。
「俺の可愛い蛇君にだな・・こんにちは、とキスをして・・ペロペロキャンディーの要領で、舐めたりくわえたりしてしゃぶるんだ。」
「・・蛇・・って?」
「ここの奴。」
 マサトは股間を指差す。
 あ・・・え・・・嘘ッ?!
 やっと意味を理解したミルクは、理解しても想像がつかず、言葉をなくした。
 まだ触るのも恥ずかしいのに、口で触れるなんて信じられなかった。
「なぁ・・・『チャレンジクラブ』に入ってんだろ?・・チャレンジしてみろよ。いいだろ?」
 マサトは、返事も出来ずに真っ赤になっているミルクを、抱き締めてキスをする。
 ミルクはそんな言い含められるようなキスはしたくなくて、体を捻ってキスから逃れようとした。
 すると、マサトはムキになって、ミルクをきつく抱き締めキスを繰り返す。
 マサトの力強い腕に羽交い締めになると身動きが取れなくなってしまう。
 ミルクは仕方なく、キスだけには応じた。
 だが、マサトはミルクの手を取って、自分の股間へと誘導する。
 ミルクが嫌がって手を引こうとしても、逆らえない。
「・・ぅぅッ・・・ぃ・・嫌だって言ってるのにぃ!」
 唇が離れた瞬間、ミルクは叫んだ。
 ギクリッ、としたマサトが顔を離すと、ミルクが泣き出してしまっていた。
「・・ひっく・・・ぅぇッ・・・ふぇぇ〜んッ・・・」
 今日は嘘泣きではなかった。
 ボロボロ零れる涙を手で拭いながら、マサトを睨んでいる。
「え・・・おい・・・」
 今度はマサトがたじろいで言葉を無くしていた。
「・・ぅっくッ・・ホントは・・お腹痛くて・・家に帰りたい、って思ってたんだから。・・えぐっ・・ぐしゅッ・・・だけど・・マサトの顔が見たくて・・・それだけだったのに・・・それだけでいい、って思ってたのに・・・ひっく・・・なのに・・マサトは・・Hばっかしたがるんだもん。・・そんなの・・うっく・・そんなの・・ぃ・・いゃぁ・・・ぶぇぇ〜〜んッ!」
 ミルクはそう言うと泣きながら立ち上がった。
「ぁ・・ちょっ・・ちょっと待てッ。」
「ふぇ〜んッ。・・もう帰るもん。」
「いや・・だから・・ちょっと待てって。」
「帰るのぉーッ!」
 ミルクが持ち上げた鞄をマサトがつかんで止める。
「悪かった。謝るから・・・そんなつもりじゃなかったんだぜ?・・なぁ?」
 ミルクは首を振って鞄を引っ張る。
「えっぐ・・・帰るぅぅぅぅゥゥゥ・・・」
「送ってくから。な?・・そんな泣き顔じゃ帰れないだろ?な?」
「・・ぅぅぅ・・・だって・・・マサトが・・・ぐしゅ・・・」
「帰りにパフェ食べてこうか?・・ん?」
「・・・・・パフェ・・?」
「時間あるから車で送れるだろ?・・だからさ、ファミレス寄って、パフェでもケーキでも・・な?」
「・・・パフェと・・ケーキ?」
「ああ。もちろん両方だっていいさ。・・だから、送らせてくれ。いいだろ?」
「・・・う・・ん・・・」
 ミルクはまだしゃくり上げていたが、小さく頷いた。
 マサトはほっと息を吐くと、ミルクを優しく抱き締めて、髪に頬ずりをした。

 ミルクはフルーツパフェとチョコレートケーキを頼んだ。
「・・クスッ。・・どうだ?美味いか?」
「うんッ。」
 ミルクは、まだ赤く潤んだ目をした熱っぽい顔で、笑みを浮かべて頷いた。
「・・さっきはホント、悪かったよ。」
「ん・・もう、いいの。」
「俺、マジに女の子と付き合うってなかったし・・そーゆー心理とか、気にしたこともなかったしな・・たまに、失敗しちまうことだってあるさ。」
「・・・うん。」
「別に俺はお前の体が欲しいだけじゃねぇんだぜ?」
「ぅ・・シーッ。」
 ミルクは指を口に当てて周囲を見回す。
 制服を着ている時に、その手の話を人前でしたくなかった。
「・・そうゆうとこもさ。」
 マサトは苦笑して、コーヒーを一口飲むと、煙草に火をつけた。
「けど、シルバーアクセサリーの店してる時に、買いに来るミルクくらいの歳の子は、けっこうHなことを言ってくるぜ。」
「えー・・・どんなぁ?」
 ミルクは目を眇めてマサトを軽く睨む。
「・・・ま、いい。これ以上お前の機嫌を損ねてもつまらねぇしな。」
「・・気になるぅ・・・」
 ミルクはクリームのついた唇を尖らせた。
 マサトは身を乗り出し、その唇にキスをする。
「ぁ・・もぉ・・・」
「くだらねぇ話さ。・・・それより、ご学友の訪問が決まったんだろ?」
「・・うん。・・日曜日。」
「じゃぁ、土曜日はドライブでもしよう。海沿いを走れば気分も軽くなるだろ。」
「・・・うん。」
 あまり出掛けたくなかった。
 マサトを好きで一緒にいたいと思う気持ちは強いのに、生理の時にあまり知らないトイレを使いたくない、と思ってしまう。
 ましてドライブだと色々心配になる。
 気が重くなって、ミルクはゆっくりパフェのクリームをすくって口に運んだ。
 ミルクがしばらく黙ってそうしていると、マサトが顔を前に出して、
「あーん。」
と、口を開ける。
 ミルクは、ん?、と瞬きしてから、細いスプーンを、これ?、と小さくあげてみせる。
 マサトは口を開けたまま、うんうん、と頷く。
 ミルクはクスクス笑ってアイスとクリームをすくって、マサトの口元に差し出した。
「はい。・・あーん。フフッ。・・美味しい?」
「・・・めちゃ甘い。」
 マサトはわずかに眉を寄せて、コーヒーで口直しをした。
「・・どうして男の人って甘い物が苦手なんだろぉ。」
「どうして女の子って甘い物が好きなんだろぉな。」
 そう言い合って、顔を見合わせた二人は、吹き出して笑い出した。
 ミルクが笑いながらチョコレートケーキを口に頬張った時、マサトがミルクの頬に掌でそっと触れた。
「可愛いよ。ミルク。」
 マサトは何度かミルクの頬を撫で、手を戻した。
 サングラスをかけたマサトの口元に浮かんだ笑みが、どこか寂しげに見える。
「・・・マサト?」
「・・不安や不満があったら、貯め込まずに何でも言ってくれよ?」
 ミルクは、ドキッ、として唇を噛んだ。
「お前に・・嫌われるのが・・一番怖いぜ。」
 マサトは指出し手袋をした手を握り締め、自分の唇に押し当てた。
「そんな・・それはミルクだって・・・」
「付き合い始めて、まだ日が浅い。お互いわからないことや誤解もあるだろう。・・俺も気付いてやれないこともある。・・けど、俺はお前って決めたんだ。もう、他の女は考えられねぇ。・・俺にはお前しかいねぇんだぜ?・・・それだけはわかっていてくれ。」
「・・・マサトぉ・・・」
「返事は?」
「あ・・うん。」
 ミルクは目を潤ませて頷いた。
「よしよし。」
 マサトは手を伸ばし、ミルクの頭を撫でた後、コーヒーを飲み干した。

 ミルクを送り届けたマサトは、その足で車を飛ばし、アジトへと向かった。
 マサトの会社が所有する倉庫街。
 厳重警備の入り口を抜けて、いくつか倉庫を通り過ぎると、一見普通の事務所風の建物がある。
 実際、普通の仕事でも使用しているが、その地下には組織の秘密基地があった。
 他の倉庫にも通じる地下道もある為、人の出入りは空から監視されたとしても、わかりにくくなっている。
 マサトは地下の射撃訓練場に行くと、立て続けに銃を撃ち始めた。
 パンッパンッパンッ!
 軽い銃から始まって、
 ドンッドンッドキュゥーンッ!
と重く響く銃へと手にしていく。
 機嫌がいい時は、両手撃ちや曲芸的な撃ち方をして楽しむマサトだったが、今日は寡黙にじっと的を見据え、冷気を纏って撃ち続けている。
 その鬼気迫る様子に、部下達は誰も近付けずに、ドアの外で様子を伺っていた。

 銃声が止まり、マサトが姿を現すと、ドア間近にいた男達が、
「お疲れ様ですッ。」
と、頭を下げる。
「ジェイソンはいるか?」
「格闘技の練習ですか?」
「決まってるだろ。アイツが他にどんな取り柄があるってんだ?」
「すぐに呼びに行かせます。」
 そう答えた男は、部下に命令する。
 マサトは無表情に次の部屋へと向かった。
 トレーニング器具が部屋の隅にズラッと並んでいる。
 中央にはリングがあり、ちょっとしたボクシングジムの雰囲気がある。
 マサトはジェイソンを待つ間、テコンドの格闘着のような服に着替え、トレーニング器具で体を動かしていた。
 ようやく現れたジェイソンは、大柄なマサトより更に二回りは大きな大男だった。
「よしッ。上がれ。」
 軽々リングに上がったマサトが指で呼ぶ。
「イェッサーッ!」
 野太い声を上げて、ジェイソンがリングに這い上がる。
「手加減はするなよ。」
「OK!ボスッ!」
 二人は身構えて、戦闘態勢に入る。
「ウォォーッ!」
と叫んで、ジェイソンが飛び掛かってくる。
 海兵隊くずれだけに、見た目より動きが敏捷だ。
 だが、マサトの素早い動きには敵わないようで、高い跳び蹴りに翻弄されている。
 サンドバッグ並みにボディーを叩かれ、岩のような体で呻き声をあげる。
 がむしゃらに手や足を出して対抗しているが、30分も経たない内に、
「オーノー、ボス。・・ギブアップ、ギブアップ・・・」
と、腫れ上がって鼻血が吹き出す頭を抱えて踞ってしまった。
「チッ。・・もっと鍛えておけッ。」
 舌打ちしたマサトは、リングをヒラリと舞い降りた。
 それでもいくらか運動にはなったようで、マサトの盛り上がった筋肉に汗が伝う。
 部下が差し出したタオルで血生臭い汗を拭く。
「サウナの用意が出来ておりますが・・」
「いや。もう少し体を動かさねぇと、お前までぶん殴りたくなっちまうぜ。」
「・・ハッハッ・・・恐ろしいご冗談を・・・」
 側近のこの男でなければ、笑えないジョークだ。
 二日前、マサトに殴られた男は、鼻が折れ眼球が破裂し、結局その後、連れの女と海の藻屑となったのだ。
 直接手を下したのではない。
 手当され、制裁が終わった、と潰れた顔で安堵の息を吐いた時、この男が射殺した。
 青ざめ疲れ切った顔の女が、悲鳴をあげる前に頭を打ち抜いた。
 それでも一切表情を変えない男は、仲間からも冷酷で恐れられている。
 マサトの小さい頃は教育係もしていた男、景山勲。
 その景山でもマサトは怖かった。

  「何をそのように苛立っておられるのです?」
 サウナから出て、総裁室でワインを水のように飲むマサトに、景山が気遣わしげに尋ねる。
「・・・女ってのは・・・難しいもんだぜ。」
「例の一件でしたら、もう騒ぎは静まっております。これに懲りて、余計なことを言い出す者はないでしょう。後を引き継いだ島田は若いが冷静で頭の切れる男です。何より組織への忠誠心・・いえ、ボスへの崇拝心は絶対的です。後は任せても大丈夫でしょう。」
「それはわかってる。・・・俺個人の方だ。」
「あぁ・・・」
 景山は表情を和らげ、マサトの向かい側のソファーに座る。
「いかがなさいました?」
 そう言って笑みを浮かべる景山は、教育係をしていた頃の口調だった。
「・・・抱こうとしたら怒って・・せめてフェラでもと思ったら泣かれた。」
「ほぅ・・・」
「それならと、ドライブに誘っても喜ばねぇ。・・ちっと言葉を間違えても傷つけちまいそうで・・なかなか大変なもんだぜ。」
「なるほど。」
 景山はニヤニヤして頷いている。
「・・・おいッ。」
「は?」
「俺を女に鈍い奴と内心笑ってねぇか?」
「いえいえ。ボスが女性に興味を持たれて安堵しております。まさか蛇を覇羅蛇家の嫁に迎える訳には参りませんし。・・ただ、私にもアドバイスは・・正直、私も女性は苦手ですから。・・・恐怖で支配するのは簡単ですが、それでは奴隷にしかなりません。・・母君のように・・・」
「そうゆーことだ。・・俺はあんな女はいらねぇ。自分で生んだ俺さえ怖がってた。・・フンッ。」
「父君は残忍な方でしたから。」
「・・・ミルクは俺に無心に甘えてくれる。・・可愛い笑顔を向けて・・・」
「大事になさいませ。ボスのお気持ちはきっと通じるはずです。・・まだ少女でいらっしゃるのですから、急がず時間を掛けて、信頼と愛を育まれればよろしいでしょう。」
「・・ああ。・・そのつもりでいるんだが・・・」
 マサトはワインをあおると、特殊な息遣いで音を消した口笛を吹いた。
 どこからか、スルスルッと1mほどの蛇が現れ、マサトの足元に近付く。
 マサトが手を差し出すと、巻き付きながら昇ってくる。
 赤と黒の斑模様の蛇は、チロチロと赤い舌でマサトの肌を舐める。
 マサトはおもむろに蛇の頭をつかむと、牙を出してワイングラスの縁に押し当てた。
 透明な猛毒がグラスに滴り落ちる。
 そこにワインを注ぎ、回して混ぜた後、一気に飲み干す。
 この毒がマサトの汗を血生臭くしているのかも知れない。
 すでに免疫が出来ているマサトは、いかにも美味しそうに唇を舐めた。

<13>
「歓迎会の夜」
§13§「歓迎会の夜」

 『チャレンジクラブ』の第一回イベントは新入部員の歓迎会。
 金曜日の放課後、一度帰宅してから集まった。
 場所は定番の”カラオケ”。
 ミルク達新入部員3人を入れて、総勢12人が参加する会となった。
 カラオケは定番でも、普通では済ませないのが『チャレンジクラブ』のようだ。
 部長が「各自テーマを考えた服装をしてくること。」と言っていた意味を、みんなが集まった時になって理解した。
 ミルクは高校生らしい服装を心掛けて、普通のブレザースタイルにしていたし、他の一年生2人も似たようなものだった。
 けれど、部長の篠田麗子が現れると、拍手が起こった。
 普段は楚々としたイメージがある麗子だったが、さすがに『チャレンジクラブ』の発起人らしく、真っ赤なボデコンに超ピンヒールを履き、”女王様”といった扮装だった。
 偽物のムチまで用意するという念の入れようで、麗子がポーズを取るだけで爆笑が起こった。
 上杉は”タキシード仮面”を気取り、シルクハットにマントと杖、胸には真っ赤な薔薇を差していた。
 他の二、三年生も、これで普通に電車に乗ってきたのだろうか、と思ってしまう見事なコスプレで集まってきた。
 呆気に取られながら、ひたすら笑っていたミルク達一年生も、自己紹介とミニコメントを順番に言う頃には、来年は自分達もリキを入れて扮装しよう、と思うようになっていた。

 『チャレンジクラブ』のモットーとして、”集団で行動する時には公共道徳を守ろう。”という基本テーマがあった。
 それで、歓迎の乾杯も、各々好きなノンアルコール飲料で乾杯をした。
 敢えて”集団で”と付けた理由は、「個人については、自己管理・自己判断が出来るようにならなくてはダメよ。」ということだったが、実際は個人でコンパ等に参加する人もいて、そうした席ではアルコールも飲むようだった。
 ただ、クラブ活動でそれをしてしまうと、クラブ存続の危機にもなりかねない。
 自己中心的な考えを慎むことも、友達関係を構築するには大切なのだ、と説明された。

 今年度の新入部員3人は、全員女の子だったので、ミルク達は相談してアイドルグループの歌をフリ付きで歌うことにした。
 その為、昼休みに集まって練習を繰り返してきた。
 3人ともクラスが違うので、初めは馴染むまでに時間がかかったが、練習を重ねる内に打ち解けるようになっていた。
 香坂成美は日焼けした丸顔の活発な性格で、中学時代はテニス部に入っていたが、香蘭学園のテニス部はスポーツ特待生の多い強豪チームを編成しているので入りたくない、と言っていた。
 松下花梨は母親がオーストラリア人で、目鼻立ちがはっきりしている、少し日本語が苦手な帰国子女だった。
 花梨が見せてくれたオーストラリアでの写真は、コアラやダチョウやカンガルーと一緒に写っているもので、母方の祖父母が農場を経営しているから遊びに来て、と言った。

 それぞれが決めていた歌が一巡して、後は希望者の自由ということになったので、ミルクは席で落ち着くことにした。
 少し腹痛だったのを気付かれないように無理して踊ったものの、役目を終えた途端にズンと腰が鈍い痛みに襲われ、持ってきていた痛み止めをバックから出して飲んだ。
「あら?・・アリス、何のお薬?」
「おいおい、ドラッグじゃないだろうな?」
「違いますぅーッ。」
 ミルクはお腹と腰が痛いのだと身振りをした。
「・・あ、そっか。じゃぁ、アリスは無理しないでね。」
 同じ女性の麗子はすぐに気付いて、優しく微笑んだ。
 男子も気付いたようだが、それには触れず、すぐに違う話題を始めてくれた。

 皆、ハイテンションで盛り上がり、普段学園では見せないような笑顔で笑い転げていた。
 ミルクも一緒に笑っていたが、ふとメールが気になり、バッグから携帯を取りだした。
 テーブルに隠れて、膝の上で着信を確かめる。
 やはりマサトから二通メールが届いていた。
 会えない日はいつも、夜7時を過ぎた頃にメールをくれるのだ。
―@「もう歓迎会は終わったかな?・・楽しかったかい?」
―@「ちゃんと真っ直ぐ家に帰ったんだろな?・・浮気するなよ!」
 マサトはミルクからの返事が遅れると、苛立ちも露わに文句を言うのだ。
 ミルクも段々慣れてきて、不機嫌そうなマサトの顔を想像して、クスッと小さく笑った。
@「まだ歓迎会が終わってないんだもん。すぐには返事出来ないよぉ。着信音が聞こえないのぉ。」
 ミルクが送信すると、待ちかねたようにすぐに返事が来た。
―@「終わってない?・・どーゆーことだ?門限は7時だろ?」
@「夕食を一緒に、ってことで、8時までなんだもん。ママにはそう言って、許可貰ってるから大丈夫。」
―@「クラブなら門限破りもOKかよ?・・ズルイぞ!」
@「そんなこと言ったって・・」
―@「で?・・そんな遅くに一人で電車乗って帰るつもりなのか?」
@「ううん。先輩の家の方が送ってくださることになってるの。」
―@「へぇ。先輩って誰?」
@「部長、副部長と後二人。方角が近い同士で乗せて貰えるの。」
―@「ミルクを乗せるのは誰だって聞いてるんだ。」
 ミルクは、えー、誰だっけ、と首を傾げた。
 と、その様子を見ていた麗子がミルクの膝を覗き込む。
「こらぁ〜。歓迎会の最中に、誰とメールしてるんだぁ?」
 麗子の声に、からかいの色が見える。
「え・・あ・・えっと・・・ただのメル友です。」
「ふーん・・・そうかなぁ?・・・なぁんか顔が嬉しそうだけどぉ?」
「・・・そうですかぁ?」
 ミルクは自分では気付いていなかったので、麗子に言われたことが意外だった。
 そして、そうなんだぁ、と思った瞬間、顔が赤らんできてしまった。
 ミルクの白い肌が見る見る赤く染まっていき、耳まで湯気が出そうなほど真っ赤になってしまった。
「あ〜・・やっぱりそぉ〜なのねぇ〜?」
 麗子自身が意外だったように目を丸くして、そう言った。
 二人のやり取りとミルクの真っ赤になった顔に、他の部員達も興味を引かれたらしく、注目してしまっている。
 ミルクは赤い顔を、プルプルッと振って、
「違います、違いますぅ。本当にただのメル友なんですぅ。」
と、否定するしかなかった。
 ここでバレたら、すぐ兄のミツルにも知られてしまう。
「別にウチの学園は男女交際禁止してないからいいのよ?」
「何言ってるんッスかぁ。また先輩に乗り込まれたら大変ッスよ。」
「このクラブに裏切り者がいなければバレないでしょ?」
「クラブからでなくても、隠し事はいつかはバレるものでしょう?」
「あーゆーお兄様がいると、アリスも大変よねぇ。」
「いや、あれは怒って当然だろう?・・プライバシーの侵害をされたんだからな。」
「けど、勝負して勝てなければ認めない、ってのは、アリスの気持ちが考慮されてないだろ?」
「勝ち負けよりも、それぐらい本気でなければ好きになるな、ってことじゃない?」
 皆、歌よりもミツルの話題で盛り上がってしまった。
 ミルクの返事が遅いのに苛立ったのか、またメールの着信があった。
 ミルクは返事を返すことも出来ず、赤い顔でうつむいていた。

「あ・・あの・・・ちょっとトイレ行ってきます。」
 ミルクはいたたまれなくなって、カラオケルームから抜け出した。
 女子用トイレに入ると、ミルクはマサトに電話した。
 そう長くは抜けていられないし、メールでは時間が掛かるからだ。
 トイレにも音は響いていて、マサトはカラオケの店内にいることを納得してくれた。
 そして、みんなの前でメールしていると噂されるから返事は家に帰ってから、と言うミルクの言い分も聞いてくれた。
 それからミルクは、火照った顔をハンカチを水で絞って冷やし、どうにか落ち着いた所でみんなのいる部屋へと戻った。
 ミルクが戻った時には、また歌で盛り上がっていたので、ほっとして席に納まった。
 8時で歓迎会は閉会となり、ミルクは上杉の母親が運転する車で送って貰った。

―@「また、上杉って奴かよ!」
 送ってくれた先輩の名前を伝えた途端、マサトが怒り出した。
@「だって、中学が同じってことは同じ学区内ってことだもん。仕方ないでしょう?」
―@「だったら部長の篠田って子もそうじゃないのか?」
@「あ、それねぇ、麗子さんの家、引っ越したんですって。」
―@「チッ。・・これ以上、上杉って名前聞いたら、頭の中がブチ切れそうになるぜ。」
@「そんなに怒らないで・・・。お互い、何とも思ってないんだからぁ・・・。」
―@「毎日顔を合わせられて、門限破りもOKで、車で家の前まで送ることが出来るんだぜ?・・みんな俺には出来ないことばかりだ。」
@「ミルが好きなのはマサトだけだもん。」
―@「けど俺は・・車は近くの公園の駐車場まで。見送りも30m手前まで。お休みのキスだってしてやれねぇんだぞ?・・・やりきれねぇ・・・」
@「ごめんなさい。」
―@「今だって・・会いたくてたまらない。」
@「明日は朝から会えるじゃん。」
―@「明日は明日、今日は今日だぜ。」
@「でも・・今夜は早く寝なきゃ。・・明日、朝が早いから・・お休みなさい。」
―@「・・わかったよ。・・・せめて、俺の夢を見ろ。・・お休み、ミルク。愛してるぜ。Chu!」
@「うん。ミルもマサトを愛してる。Chu!Chu!」
 ミルクはメールを終え、溜息を吐くと、お風呂に入ることにして一階へと下りて行った。

「ママぁ、お風呂入るねぇ。」
 ミルクがキッチンに向かって言ったが、母親からの返事がなかった。
 あれ?・・・っと、キッチンを覗くと、母親はテーブルに頬杖をついて、ぼんやりしている。
 手元には手紙を持っているが、読んでいるようでもなかった。
 手紙を持った手を力無くテーブルに投げ出しているように見える。
 怪訝に思ったミルクだったが、手紙の陰にある海外便の封筒に気付いて、
「あッ、ママッ。パパから?」
と、嬉しくなって聞いた。
 母親は、ハッ、とミルクと視線を合わせると、慌てたように手紙を畳んで、封筒と一緒にエプロンへと押し込んだ。
「・・ママ?・・・パパからじゃないの?」
「え・・ええ。・・ミルちゃん、明日早いんでしょう?早くお風呂に入りなさい。」
「今、入ろうと思ってたのにぃ・・」
「ミルちゃん、いつも長めだから、早く上がるようにね。」
「わかってますぅッ。・・・ねぇ、ママぁ・・パパでしょう?連休に帰れるって書いてない?」
「・・・連休?」
「プレゼントのお礼、Eメールで出した時に、会いたいから連休に帰ってきて、ってお願いしたの。・・でも、まだわからない、って返事が来たっきりだったから・・・」
「・・・そう・・・でも、きっと無理でしょうね。忙しいみたいよ・・・」
 母親はそう言ってイスから立ち上がると、もう充分綺麗な流しを磨き始めた。
「えーー・・・」
 ミルクは頬を膨らませ抗議しようとしたが、母親に言っても仕方ないことなので、諦めて浴室へと向かった。

 お風呂から上がって、自分の部屋へ行ったミルクだったが、ベッドに横になっても全然眠くならなかった。
 歓迎会の興奮が醒めきっていないのか、まだ頭の中で音楽が鳴り響いているようだった。
 明日着ていく服も気になる。
 春らしい淡いワンピースを着るつもりでいるが、整理中なので大丈夫か不安もある。
 合わせる靴は白いサンダルにしよう。
 バッグはショルダーより白いビーズの方がいいよな。
 そんなことが次々と浮かんできて、眠れない。
 その内、喉が乾いてきてしまったミルクは、飲み物を取りに一階へと下りた。
 すでに明かりが消されている。
 ミルクは電気を点けながら恐々とキッチンへ向かった。
 冷蔵庫を開けようとしたミルクの耳に、
「・・そんなの勝手すぎるわッ。」
と、悲鳴のような声が聞こえた。
 え?・・・ママ?
 ミルクはそっと両親の寝室に足音を忍ばせて行った。
 ドアに耳を近付けると、中から話し声が聞こえる。
 今は母親しかいないはずだから、電話だろう。
「父親としての責任をどう思ってるの?」
 相手はパパなんだ。
 ミルクは気になって、息を潜めて耳を澄ませた。
 所々声が小さくなって聞き取れない部分もあるが、あまりいい雰囲気ではない話しぶりは伝わってくる。
「・・私にだって仕事はありますッ。」
 また母親が苛立ったように声を荒げた。
 滅多に怒ることのない母が、ここまで怒る理由は何なのだろう、とミルクは不安になる。
「・・どうして・・私が離婚の話し合いでそっちに行かなければいけないのよ?・・・勝手なことばかり言わないで・・・」
 え・・・?!
 離婚??!!
 ミルクは息が止まりそうになった。
 血の気が引いていき、体がガタガタと震えてくる。
 嘘ッ、嘘ッ!
 聞き間違えに決まっている、とミルクは首を振った。
「とにかく・・・ミツルは受験期ですし、大事な時なんです。ミルクも多感な年頃だってことを考えてください。・・・離婚とかに応じる気持ちはありませんから。」
 また離婚って言った。
 ミルクは胸が痛くなって、泣きたくなってしまった。
 すると、母親の泣き声が聞こえてきた。
 話し声はなく、くぐもった嗚咽が洩れてくる。
 電話を切った母が、張り詰めていた気持ちが崩れて泣き出したのだろうか。
 ママ・・・ママ・・・
 ミルクも涙が零れてくる。
 ミルクは口を手で押さえると、震える足で壁につかまりながら、そっと自分の部屋へと戻っていった。

 布団を頭から被り、ミルクは震えながら泣いていた。
 一体、いつからそんなことになってしまったのだろう。
 あんなに仲が良かったパパとママなのだ。
 離婚なんて言葉は無縁のものだと思っていた。
 父親があまり帰って来なくなったのも、単に仕事が忙しいだけのことだと、ずっと信じていた。
 いつだって、愛してる、と言ってくれていた父だった。
 きっと・・・寂しくて、喧嘩になっちゃっただけだもん。
 ミルクはそう自分に言い聞かせた。
 長く離れていたから、少しだけ気持ちがすれ違っちゃっただけ。
 パパが帰ってくれば、またみんな笑顔で仲良く・・・
 ミルクは込み上げる嗚咽を、枕に顔を押しつけて声が出ないようにした。
 しゃくり上げながら泣き続けた。
 どれほど泣いたのか、泣き疲れて眠るまで、ミルクは信じられない言葉を否定し続けた。

 翌朝、起きてこないミルクを母親が起こしにきた。
 カーテンを開け、光を部屋に入れると、
「ミルちゃん?・・お友達と約束してるんでしょう?」
と、笑顔で声を掛けてくる。
「・・・うん・・・」
 ミルクは腫れぼったい顔で怠そうに起きあがった。
「朝飯、出来てるから、ちゃんと食べて行きなさいね?」
 母親はそう言って部屋を出ていった。
 いつも通りの母の笑顔だった。
 早い時間でも、朝食を用意してくれる優しい母。
 昨夜のことは夢だったのだろうか、と思えてくる。
 けれど、まだ涙で湿気ってる枕が、夢ではないと告げていた。
 エイッ、、エイッ、、エイッ、、
 庭からミツルが剣道の素振りをしている声がしている。
 ベッドから出たミルクは窓の所へ行って下を覗く。
 エイッ、、エイッ、、エイッ、、
 かけ声と同時に凄まじい勢いで風を切る音がする。
 ミツルは早朝からやたらと気合いの入った顔をしている。
 ミルクは、ふと、ドレッサーの鏡に映った自分の情けない顔が目に入り、ベェーッ、と舌を出した。
 マサトとの約束がある。
 支度するにも、こんな顔はしてられない。
 冷たい水で顔をひきしめなきゃ。
 ミルクは、気持ちを変えよう、と軽く頬を両手で叩いた。

<14>
「ドライブよりも…」
§14§「ドライブよりも…」

 ミルクの家の近くには、野球場やテニスコートが設置されている運動公園がある。
 それで、自由に駐車出来る駐車場も、そう大きくはなかったが用意されていた。
 家の前まで車での送り迎えをして貰うのは抵抗があったので、待ち合わせにはこの駐車場を利用していた。

 今朝は早朝野球をしているらしく、駐車場は車でいっぱいになっていた。
 ミルクが入り口で見回していると、
「ミルク!」
と、マサトが車の外に立って、手を振った。
「・・おはよぉ。」
「おはよう。つーか、遅いから心配したぞ。クスッ。・・じゃぁ、行こうか。」
「・・うん。」
 マサトの笑顔に、ミルクは力なく頷き、フェラーリの助手席にと乗り込んだ。
「どうした?・・体調が悪い?」
「・・ううん。」
「元気ないぞ。」
「・・別に。」
 ミルクのいつもと違う様子に、マサトが声を掛けるが、ミルクはぼんやり窓の外の流れる景色を眺めていた。
 きっと、ただの喧嘩なのだ。
 いつまでも引きずるのはやめよう。
 そう思って出掛けてきたはずだったが、気持ちが重く沈んでいく。
 ただの喧嘩で、”離婚”なんて言葉が出るのだろうか。
 ミルクは胸が息苦しくなってきた。
「・・マサトぉ・・・」
「ん?」
「・・眠い・・・」
「んー?・・早起きは苦手だっけ?」
「・・そうじゃないけど・・・」
「眠いなら寝てってもいいぞ。海が見えたら起こしてやるから。」
「・・でも・・・泣きたい・・・」
「あー?!」
 マサトはミルクの唐突な言葉に困惑した。
 ハザードランプを点灯して、路肩に車を寄せて停める。
「一体どうしたんだ?」
 マサトがミルクの顔を覗き込む。
 ミルクは答えられず、胸を押さえて唇を噛んだ。
「俺が何か機嫌を損ねることをしたのか?」
 ミルクはうつむいて首を振った。
「・・パパが・・ママと・・離婚するって・・・」
「・・・え・・・?」
「・・よくわかんないけど・・・昨夜・・ママが電話で・・・」
「・・・何でまた・・・」
「・・わかんない。」
 首を振るミルクの目から涙が一滴飛んで、朝日に煌めいて落ちた。
「あぅ・・・わかった。じゃぁ、ドライブは延期してマンションに行くか?」
「・・うん。」
 マサトはブレーキ音を鳴らして乱暴に車を反転させると、アクセルを踏み込んだ。
 景色が逆戻りする。
「すぐ着くからな。ちょっとの間、辛抱してくれよ。」
「・・うん。」
 マサトは小さく頷くミルクの手を、ギュッ、と握った。

 マサトの腕に包まれ、ミルクはマサトの胸に涙を落とした。
 昨夜、涙も涸れるほど散々泣いたのに、また涙が溢れてきてしまう。
「・・じゃぁ、ミルクのママは離婚する気はないんだな?」
 マサトは改めて詳しい話を聞いた後、ミルクの髪を撫でながら言った。
「・・・多分・・・」
「なら大丈夫だろ。すぐに離婚なんてことにはならねぇさ。」
「・・・ホント?」
「ああ。・・どんな理由かは知らねぇが、親父の方から言い出してるってことは、原因が親父の方にありそうだし、そうなりゃ拒否してるお袋さんの方が強ぇはずだぜ。」
「・・・そうなんだ・・・」
 でも、離婚しなければいい、という問題でもなかった。
 もう幸せだった家族の時間には戻れないのだろうか。
 ミルクは震える息で溜息を吐いた。
「・・・何で・・パパは離婚するなんて言うんだろぉ・・・」
「単身赴任した初めの頃はマメに帰ってきてたんだよな?」
「うん。・・・ミルク達の休みに合わせたり・・・」
「じゃぁ、原因は赴任先にありそうだな。」
「ニューヨーク?」
「おそらく。・・・調べてやろうか?」
「え?・・・どうやって?」
「ニューヨークには俺の会社の支社もあるし、調査員か探偵を使えば数日で報告書が届くぜ。・・ま、俺に任せておけ。」
 マサトはミルクの熱を持った瞼にキスをした。
 瞼から鼻へ、鼻から唇へとキスが移る。
 唇ではゆっくりと優しいキスが繰り返された。
「・・・ん、、、ぁ、、、」
 ミルクは目を閉じて、マサトのキスに応える。
 マサトの温もりで、不安な心が溶けていく気がする。
「マサト・・・温かくて・・気持ちいい。」
 ミルクはマサトの胸に頬ずりをして、そこに彫られた蛇をなぞるように撫でる。
 大きな蛇が恐ろしげに口を開いているが、慣れると愛着が湧く。
「ミルクの肌も・・しっとりと滑らかで・・気持ちいいぜ。」
 マサトはミルクの腕を優しく撫でる。
 ミルクはワンピースがシワにならないように脱いでいたが、下着はそのまま身に着けていた。
「・・・眠い・・・」
 話すだけ話したミルクは安心したのか、眠そうに顔を擦り付ける。
「眠るといいよ。・・・可哀想に。・・昨夜からずっと一人で苦しんで泣いていたのかと思うと、俺まで胸が痛くなるぜ。」
「・・マサトぉ・・・」
 ミルクはもう瞼を開けてられない様子で、目を閉じたままマサトの唇に指で触れた。
 マサトはミルクの手をそっと握って、キスをする。
「俺がずっと側にいてやるから・・怖がらずにお休み。」
「・・うん。」
 ミルクは大きく息をすると、そのまま深い眠りに落ちていった。

 魂が開放されるような深い眠りだった。
 心も体も温まった充実感に満たされながら、ミルクは半覚醒の微睡みの中にいた。
 醒めきらない意識の向こうから人の話し声がする。
 低く静かな話し声が次第に鮮明になっていった。
 うっすらと目を開けたミルクは、ゆっくりと手でマサトの胸を撫で、存在を確認する。
「・・ん?・・・起きたかな?」
「・・・ぅ・・ん・・・」
 ミルクは顔をマサトの胸に擦り付け、チュッチュッ、と吸い付くようなキスをする。
「クックックッ。くすぐったいぞ。」
 マサトはミルクの頬を撫でて顎に指をかけると、軽く上向かせて優しくキスをした。
「・・・ぁ、、ふっ、、、・・・おはよぉ・・マサト。」
「おはよう。俺の眠り姫。・・よく眠れた?」
「うん。」
 ミルクは甘えてマサトの首に鼻先を擦り付けた。
 含み笑いをするマサトの喉の動きが伝わってくる。
 マサトはミルクの髪を撫でて、額に唇を押し当てた。
「ミルクの甘い匂いに包まれて、俺も熟睡してたらしい。・・んー・・チュッ。」
「ぁん・・・マサトぉ・・・」
 ミルクは微笑んで目を開ける。
 マサトと見つめ合い、再び唇を重ねる。
「・・ん、、、クチュッ、、、チュッ、、、ぁ、、、ん、、・・・」
 微睡みの温もりの中でするキスは心地良い。
 鼻と鼻を擦り合わせ、笑みを浮かべたままキスを繰り返す。
 ミルクが笑うとマサトも笑い、マサトが笑うとミルクも笑う。
 時々、笑った歯がかち合って、またクスクス笑いが洩れる。
 何もかも忘れてしまう甘いキス。
 優しさと優しさのアヤトリをするような甘いキス。
 マサトの指先がミルクの頬を撫で、唇にも触れる。
 ミルクはその指先を軽く噛む。
「クックッ。もっと強く噛んでごらん。」
「・・ぃ、、やぁ〜ん、、・・ウフッ・・」
 甘いじゃれ合いがしばらく続いていた。
 ミルクは首筋を舌でくすぐられ、笑いながら首を振った。
 と、その時になって、初めてベッドの脇に人が立っていることに気付いた。
 ミルクが鈍いのか、それまでまったく人の気配を感じなかったのだ。
 そういえば人の話し声が聞こえていたっけ、とようやく思い出す。
 ミルクはマサトの胸に顔を隠した。
「あぁ・・彼なら気にすることはない。公私共に俺の補佐をしている男だ。・・紹介しておこう。若松、俺のフィアンセのミルク。可愛い子だろ?」
「はい。とても愛くるしい御方でらっしゃいますね。」
 ミルクはおずおずと顔半分だけ、若松と呼ばれた男に向けて見る。
「クックッ。今更恥ずかしがっても遅いだろ?・・ほら、ミルクも挨拶しなさい。噛みついたりしないから。クスッ。」
 ベッドで裸の男に抱かれながら挨拶する、という状況が恥ずかしいのにぃ・・と、ミルクはまた胸に顔を隠してしまった。
「よろしいですよ、ボス。急なことで戸惑われるのは当然ですから。・・お風呂の用意をしてまいりましょう。」
「ふむ。・・そうだな。」
 マサトはミルクの髪を指先で弄びながら頷いた。

 ミルクは、起きあがりかけて、
「ぁッ・・・」
と、小さく声をあげると、顔色を変えた。
 マサトが、ん?、と視線を向けると、シーツに赤い染みが出来ている。
 ミルクの真っ白なスリップにも染みが広がっている。
 ミルクは目に涙を溜めて、震え出してしまっている。
「泣くなって。・・たいしたことじゃないさ。」
「・・ぅぅぅッ・・・でも・・でもぉ・・・ぅぅッ・・・」
「よしよし。・・大丈夫だから・・・」
 マサトはミルクを抱いて背中を撫でてやり、
「泡のお風呂でさっぱりしてこような?」
と言って、抱き上げた。
 そのまま浴室まで運び、泣いて恥ずかしがるミルクを宥めながら下着を脱がせると、泡が盛り上がった浴槽にミルクを入れた。
 マサトはミルクの下着を持って一度浴室を出たが、すぐに自分も履いていたトランクスを脱いで戻ってきた。
 そして、泡に隠れるように小さくなっているミルクを後ろから膝の上に抱っこしてやった。
 頭の回りの泡をどかし、背中からミルクに頬ずりをする。
「あれぐらい、ちっとも恥ずかしいことないんだぜ?」
 そう言ってやっても、項垂れたミルクの細い肩が小さく震えている。
 マサトはミルクの肩にお湯をかけてやりながら背中を撫で、そのまま手を前へ持っていった。
 お椀のように脹らんだ柔らかい胸をそっと撫でる。
「ぁ、、、」
「ミルクが嫌なら何もしないから・・」
 労るように撫でながら、時々肩や首周りにピンク色のお湯をかけてやる。
 お湯はピンクがかった乳白色で薔薇の薫りがする。
 ぬるめのお湯が気分をリラックスさせてくれる。
 洋風の長さのある浴槽で、身長の高いマサトでも足を伸ばせるくらいある。
 少しずつ気分が落ち着いてきたミルクは、マサトにビーチチェアーのように寄りかかった。

「薔薇の匂いって好き。」
 ミルクは泡をすくって顔に近付ける。
「もっと泡立てようか?」
 マサトは足をバタつかせ、お湯をバシャバシャ、とかき混ぜる。
 少なくなっていた泡がまた盛り上がってくる。
「ミルもぉ・・」
 ミルクも一緒になって足をバタつかせる。
 が、つるんッ、とミルクの体が滑って、お湯にもぐってしまう。
 マサトが慌ててミルクを拾い上げると、頭から泡だらけになったミルクが顔を出した。
「えへへ・・失敗しちゃった。」
 マサトに髪と泡を顔から拭って貰いながら、ミルクが照れくさそうに笑う。
 マサトはその愛らしさに、思わず吹き出すと一緒になって笑った。
 それから、ミルクのお腹に腕を回し、
「シートベルト装着。今度は失敗しないぜ?」
と、ミルクの頬にキスをする。
「うんッ。もう一回、チャレンジーッ。」
 二人は同時に足をバタつかせ始めた。
 泡はどんどん盛り上がって頭の上まで襲い掛かってくる。
 顔の周りの泡をよけながら、浴室まで溢れ出るほど泡立てた。
 そして、二人で一頻り笑った後、泡に包まれて、甘く切ないキスをした。

「、、、ん、、、マサトぉ、、、愛してるぅ、、、」
 ミルクが体を捻ってマサトの首に腕を巻き付けてくる。
「愛してるぜ、ミルク。」
 マサトはミルクを抱き締め、熱いキスをする。
「、、ん、、ふぁぅ、、、マサトとぉ、、、ひとつになるぅ、、、」
「・・ミルク・・・いいのか?」
「、、、ぅん、、、」
 頷いたミルクは自分からマサトの唇にキスをした。
 マサトはミルクの唇を愛しげに吸う。
 蛇が縺れ合うように舌を絡ませる。
 クチュッ、、ンチュッ、、、チュプッ、、、
 音を立ててキスをしながら、マサトはミルクの体を撫で回す。
 ミルクの腰や足を撫でながら、跨いで向き合うように座らせる。
「このままひとつになるよ?」
「、、うん、、、」
 マサトはミルクの体を一度浮かせて、蛇の頭を花唇に合わせると、ミルクのお尻を下げていった。
「、、ぁッ、、、ぁぁん、、、ぁ、、ぁ、、」
 蛇がミルクの熱い肉襞に包まれる。
 無意識に締め付けてくるのが可愛い。
 初めは静かに擦る。
 チャプン、、チャプン、、、と、お湯が揺れる。
 快感を感じ取ったミルクの肉襞が蠢き出す。
「はぁ、、ん、、、ぁん、、、ぁん、、、ぁぁ、、、」
 ミルクが切なそうに仰け反って体を揺らす。
 マサトは背中を支えてやりながら、シーソーのように体を動かす。
 チャプッ、、チャプッ、、チャプッ、、、お湯と泡が波立ってくる。
「ミルク・・自分でホッピングしてごらん。」
「ん?、、、あ、、ん、、、こう?」
 ミルクがマサトの肩につかまって、腰を上下させる。
「そうそう・・・上手いぜ。・・いい子だ。もっと続けて・・」
「、、、うん、、、ぁぁッ、、、ぁん、、、ぁん、、、んん、、、」
 ミルクがリズムをつけて体を上下させ、結合した部分を擦り上げる。
 自分が腰を落とした時に子宮が突き上げられる感覚に戸惑いながらも、病みつきになっていくように、次第に激しく動き始めた。
 チャップ、チャップ、チャップ、、ビチャッ、、、
 お湯が大きく波立ち、外まで零れ出る。
「、、ぁん、、ぁん、、、ぁぁぁッ、、、ぁふぅ、、、」
 ミルクは仰け反り、たまらないとばかりに眉を寄せる。
「・・あぁ・・・気持ちいい・・・最高だぜ。」
 マサトはミルクの首や肩にしゃぶりついて唇を這わせる。
「、、、んんッ、、、ぁぁぁッ、、、マサトぉ、、、イキそぉ、、、どぉしよぉ、、、」
 ミルクはホッピングしながら切なそうに訴える。
 まだ、自分でイクまでは出来ないだろう。
「よしよし。後は俺がイカせてやるぜ。」
 マサトはミルクの腰を抱くと、力強く突き上げてやる。
「、、あん、、、あんん、、、ぁぁぁん、、、イクぅぅ、、、あぁぁぁぁ、、、」
「いいぜ。・・一緒にイクぞ。・・はぅッ・・・ぅぅぅぅぅッ・・・あ・・・」
 ミルクは体を痙攣させて、マサトの胸に崩れかかった。
 マサトは抱き留めてやると、荒い息遣いのミルクの頬を撫でてやった。
 力尽きた蛇をゆっくり引きずり出すと、ミルクの体からトロリと熱いものが出る。
「、、ぁ、、、温かい、、、」
「今日は中出しも大丈夫だからな。」
 マサトは満足そうに言って、優しく猫笑いした。

 マサトは逆上せてフラフラしているミルクを綺麗に洗い流してやった。
 タオルにくるまれて浴室を出ると、さっき汚したはずの下着がすでに洗って用意されていた。
 丁寧なことに、乾燥させた後、アイロンまでかけてある。
 おそらく、若松という男がしておいてくれたのだろう。
 ミルクは不思議な気分で、ぼーっとしたまま、マサトが着せてくれるままになっていた。
 マサトが新しいナプキンを当てて、ショーツを履かせてくれた時も、もう逆らう気持ちはなく、素直にされるままでいた。
 おとなしく着せ替え人形になっているミルクに、マサトはクスクス笑いながら、ブラジャーとスリップも着せてやり、イスに座らせると、髪をドライヤーで乾かしてやった。
「・・うん。これだけ乾けばいいだろう。」
 ミルクの髪を指ですくい、サラサラと落として確認する。
「・・マサトぉ・・・どうしてそんなに優しくしてくれるのぉ?」
 ミルクが逆上せた顔でマサトを見上げながら聞いた。
「クスッ。そりゃ、愛してるからに決まってるだろ。」
 マサトは腰を屈めてミルクにキスをした。
「・・・でも・・・ミル・・・マサトを愛してても・・優しくない時がある・・・」
 ミルクが怒ったように頬を膨らませて口を尖らせる。
 ドライヤーを片付けていたマサトは、吹き出し、しばらくお腹を押さえて笑っていた。
「アハハハッ。・・ったく、可愛くてたまらないぜ。」
 マサトは自分もラフな部屋着を着て、ミルクを抱き上げた。
「俺だって、怒る時もあるだろ?」
「・・あ・・・そっか。」
 ミルクはマサトの腕に抱え上げられながら頷いた。
「嫌いで怒ってるんじゃないが・・・つい・・な。」
「・・うん。・・・かもね。フフッ。」
 ミルクが笑うとマサトも苦笑した。
 それからキスをして、バスルームを後にした。

 ベッドのシーツも真っ新になっていた。
 けれど、もう眠くなかったので、リビングでくつろぐことにした。
 そして日がな一日、ミルクはマサトの膝の上で過ごした。
 必要な用事は若松がしてくれる。
 飲み物もケーキも食事も用意してくれる。
「・・若松さんって・・・ママみたい。」
 ミルクが感心して言うと、マサトと顔を見合わせ、二人で笑い出した。
「そう言って頂ければ、お世話の甲斐があります。」
「ミルクのママは、働き者のいいママなんだな。」
「うんッ。・・・とっても優しい・・・素敵なママ。」
 ミルクは思い出してマサトの胸に顔を埋めた。
「・・なら、・・俺が、優しいママを虐める悪い奴を・・お仕置きしてやろう。」
 マサトはミルクの髪に頬ずりをしながら、低い声で囁いた。
「・・・だけどぉ・・・パパも・・・優しいのに・・・」
 ミルクは顔を埋めたまま、くぐもった声で呟いた。
「・・フン。・・じゃぁ、パパに悪魔でも取り憑いたか・・・クックックッ。」
 マサトは低く笑った。
 口の端で笑うマサトは、どこか不気味だった。
 若松も微かに同じ笑みを浮かべている。
 けれど、それをミルクが見ることはなかった。

<15>
「小百合の訪問」
§15§「小百合の訪問」

 日曜日。
 一条小百合は、見たこともないような高級外車を家の前に横付けして訪れた。
「まぁ・・・こぢんまりとした素敵なお宅ですわね。」
 ミルクとミルクの母親が表まで迎えに出た時、小百合が言った。
 遊びに来るミルクの友達で、”こぢんまり”と言ったのは小百合が初めてだ。
 みんな、広くていいね、と言っていたけど・・。
「いらっしゃい、小百合さん。・・ミルのママなの。」
「ようこそ、小百合さん。狭い家ですけど、ゆっくりしてらしてね。」
「ミツル様のお母様ですの?・・まぁ、なんて素敵なお母様。母よりお若く見えましてよ。」
 実際、ミルクの母親の方が10歳若いのだから当然だろう。
「ホホッ。光栄ですわ。でも、小百合さんのお母様は、本当にいつまでも若くてお綺麗で、とても及びません。」
 ミルクの母が謙遜して言うと、
「ええ。女優ですもの。」
と、あっさりと肯定した。
 ミルクが内心溜息を吐くと、小百合の後ろに控えていた運転手が、
「恐れ入ります。これは家の者から・・気持ちばかりですが・・」
と、菓子折と花束を母に渡した。
「そんなお気を使われなくても。・・ありがとうございます。」
 断るのも失礼だと思った母親は、遠慮がちに受け取った。
「では、お嬢様。2時にはお迎えにあがりますので。」
 運転手はそう言うと、車に戻って立ち去っていった。
「さぁ、どうぞ。」
 母親は小百合を家の中へと招く。
 小百合は胸を張って、ゆっくりとした足取りで玄関へと向かう。
「あら・・可愛い花壇。なんて小さな花でしょう。・・小さなお花がたくさんあって、可愛いお庭ですわね。・・これ、みんなお母様がなさるの?」
「ええ。小さく風に揺れる花が好きなんですよ。」
「そうでしたの。・・家では薔薇や牡丹、蘭といった花ばかりだから、とっても珍しいですわ。」
「クスッ。そうでしょうね。」
 母親は小さく苦笑した。

 家に上がった小百合を、ミルクは他の友達と同じように二階の広いフロアへと案内した。
 絨毯は中国の物で厚みがあり、そこにクッションを敷いて座れば、けっこう楽なのだ。
 ステンドグラスから差し込む明かりも柔らかく、居心地のいい空間になっている。
「・・ここに・・座れと?」
 小百合は眉を寄せてクッションの前に立ち尽くした。
「今朝、何度も掃除機かけたし、クッションのカバーも新しいのにしたから、綺麗だよぉ。」
「・・私・・イス以外は苦手ですわ。」
「えー、そうなのぉ?・・だって、お茶とか生け花、習ってるんでしょう?」
「・・ぁ・・あれは・・また、別ですわ。」
「ふーん・・そうなんだぁ。ミルはそーゆーのが苦手だから習ったことないし、よくわかんないけど。エヘッ。・・・でも、ミルの部屋にも応接セットみたいなソファー置いてないし、ミルの友達はいつもここでお話するんだもん。」
「・・そう。・・・仕方ありませんわね。」
 小百合は大袈裟な溜息を吐くと、不承不承といった感じでクッションに座った。
 朝から掃除や窓拭きや庭への水撒きと追われていたミルクは、お嬢様ってゆーのは・・と、小さく首を振った。
「それで・・ミツル様はどちらにいらっしゃるの?」
「あ、・・今ねぇ、剣道の部活で後輩の指導があるからって出掛けてるの。」
「そんなぁ・・・それじゃ、私、何の為に来たか、わからないですわ。」
 小百合が眉間に怒りを見せて抗議する。
「早朝練習だから、昼前には帰ってくるって。お昼を一緒にしよう、って言ってたから、待ってて貰える?」
「ま。・・・ミツル様が・・待っててくれ、と?・・・うふん・・それでしたら、けっこうですわ。」
 ・・はいはい・・。
 そこにミルクの母親が、冷たい紅茶と手作りのクリームブリュレを持って上がってきた。
「お口に合うとよろしいけど、どうかしら。」
「まぁ、素敵。・・Tホテルのレストランのですの?・・でも、まだ暖かいですわ・・」
「さっき作ったばかりですのよ。」
「え・・・お母様の手作りですの?」
 小百合は本気で驚いているようだった。
「ママはお菓子作り教室の先生をしてるの。今度、『簡単に作れるお菓子』って本も出ることになってるから、良かったら試してね。・・これは、ミルもお手伝いして作ったのぉ。フフッ。」
「・・・ミルクさんも・・御一緒に?」
「あらあら、ミルちゃん。恥ずかしいから宣伝しないで頂戴。・・それに、小百合さんのお母様の方が、お料理の本はたくさん出してらっしゃるのよ。」
「へぇ・・そうなんだぁ。ごめんなさーい。知らなかったぁ。」
 ミルクが照れ笑いすると、小百合はフッと沈んだ表情になり、
「・・でも、母が家で料理することってないんですのよ。」
と、小さな声で言った。
 ミルクも母も、えっ、と口を押さえ、気まずい表情になった。
「お忙しそうですものね。」
 母親はそう言うと、
「じゃぁ、後はよろしくね。」
と、一階に下りていった。

「・・うーん・・・美味しいですわぁ。」
 小百合はクリームブリュレを一口食べると感激して言った。
「良かったぁ。・・ミルはいつも美味しいって思うけど、他の人はどうかなぁ、って少し心配だったのぉ。」
「これでしたら、どのレストランでも負けませんことよ。」
「ホントォ?・・わぁ、ママが喜ぶよ。・・ママね、これの他にもケーキが超美味しいの。」
「まぁ・・・お店を出したら、きっと評判になりますわ。」
「でしょ、でしょ?・・フフッ。だから、ミルもママにケーキ屋さんを出したら、って言ってるのぉ。それで、ミルもママを手伝ってケーキ屋さんになろっかなぁ、なんてぇ・・。」
「・・・素敵な夢ですわね。」
「ミル、勉強苦手だけど、ママのお手伝いとかしててけっこう料理は得意だから、バリバリのキャリアガールより、そっちの方が向いてるかなぁ、って。」
「・・・いいですわね・・・」
 小百合が目を伏せて、寂しそうに言う。
「ミルクさんが、羨ましいですわ。」
「・・へ?・・・だって・・小百合さんは、将来は芸能界とかに進むんでしょう?」
「それは、・・・父が反対してますから、有り得ませんわ。」
「ふーん・・・そーなんだぁ。」
「優しくて、お料理が得意で、素敵なお母様。素敵なお兄様もとても妹思いでいらっしゃる。・・ミルクさんって恵まれてらっしゃるのね。」
 ほぇぇぇ・・・。
 ミルクはいきなりそう言われて、戸惑ってしまった。
 内情はそんな甘い状況でもないと思うが、人からはそう見えるらしい。
 だが、それを言うなら、小百合の方がもっと恵まれた環境だろう、とミルクは思ってしまう。
「小百合さんは、ご兄弟はいらっしゃらないの?」
「・・兄が二人・・・」
「なら、いいじゃん。フフッ。」
「上の兄はとても優秀で・・父にベッタリ。・・・下の兄は・・ろくでなし・・ですわ。」
 こらこら・・・。
「でも、女の子一人だから、小百合さんはみんなに可愛がって貰えるでしょう?」
「一条家では男の方が大事にされますのよ。特に長男は跡継ぎとして、親族からもチヤホヤされてますわ。・・女は習い事に躾にとうるさく教育されて、玉の輿になるようにと言われるくらいですもの。」
「うっわぁ・・・それって超ムカつくよねぇ。・・・そっかぁ・・小百合さんも色々大変なんだねぇ。」
「それで、一条家の家風に息苦しくなった母は、一度引退したものの、結局復帰して一日中外で生活してるから・・・家のことなんて見向きもしませんの。」
「・・・きっとお母様もお辛いのね・・・」
「母は好きなことが出来るからいいわ。・・でも、残された子供は、他人に任せきり。下の兄が反発するのも、無理ないかも知れませんわね。」
「・・・そう・・・」
「父はそんな下の兄を見捨てて、優秀な長男ばかり大事にして・・・よくあるパターンでしょうけど、あんまり不良っぽい人達が家に出入りするからって、下の兄は離れで生活してるんですのよ。・・・父としては勘当したいようですけど、良妻賢母の看板を背負っている母が世間体の為に認めませんの。」
 ・・・おいおいおいおい・・・。
「・・小百合さん・・・そんなこと、ミルに話しちゃっていいのぉ?」
「あら・・・ホント・・どうかしてますわね。」
 小百合は寂しそうに苦笑した。
「あんまり平穏で幸せなご様子に、つい羨ましさが暴走してしまいましたわ。」
 暴走って・・・あはは・・・けっこう過激な性格?
 ミルクも苦笑を洩らした。
「でもさぁ・・・そんなに平和でもないかもよぉ。」
「そんな慰めはよろしくてよ。」
「・・とかってゆーんじゃなくぅ・・・やっぱ、良さそうに見えても、色々あるからさぁ。」
「そうですの?」
「・・ぇ・・あはは・・・お兄ちゃんだって、みーんな羨ましがるけど、家でなんて文句ばっか言ってるしぃ・・いっつも喧嘩してるしぃ・・」
 ミルクは父親のことは話せなかった。
「まぁ・・どんなことで喧嘩なさるの?」
「んー・・例えばぁ・・ママがお仕事するようになったから、家を留守にすることも多くなったでしょう?・・小百合さんの家みたいにお手伝いさんとかいないじゃん?・・だから、すぐ家の手伝いをしろッ、て怒るの。・・ミルの方が小百合さんを羨ましいって思うよぉ。」
「・・そうですわねぇ・・・」
 小百合は、なるほど、と頷いた。
「お兄ちゃんねぇ、小さい頃はいっつも女の子に間違われてたくらい、細くて背も低いし可愛い顔してたんだ。だから、その反動で、きっと今みたいな横暴な性格になったんだよぉ。」
「フフフッ。横暴かしら?」
「だってぇ・・いきなり殴り込みなんてぇ・・超恥ずかしかったもん。」
「そこが素敵なんですわぁ。」
「・・小さい頃のアルバム見る?」
「ええ。ぜひとも拝見したいですわ。」
 小百合が目を輝かせる。
「じゃぁ、持ってくるね。」
 ミルクは話題が変わったことにほっとして、部屋にアルバムを取りに行った。

 昼近くになってミツルが帰宅した。
 汗をかいたから、とミツルがシャワーを浴びて、濡れた髪のまま出てくると、
「きゃぁ・・水も滴るいい男って・・本当ですわぁ。私・・どぉしましょぉ・・・」
と、真っ赤になって興奮するので、ミツルの方が照れてしまっていた。
 それから、お昼の用意をするミルクの母を手伝うと、エプロンを借りて張り切り出し、甲斐甲斐しくミツルの世話を焼こうとするので、時々ミツルが小百合の見えない所で、思い切りミルクを睨みつけた。
 それでも、テラスにセッティングしたテーブルで、楽しい昼食会になった。
 食後のティータイムになって、小百合はより一層ミツルに接近して、話に熱を入れた。
「ミツル様は将来の目標とかは決めてらっしゃるの?」
「一応、弁護士か検事か・・直接、法に関わる仕事がしたいですね。その為に大学在学中に、取れるだけの資格は取ろうと思っています。」
「まぁぁ・・・素晴らしいですわぁ。」
 小百合は胸の前で手を合わせ、うるうるとミツルを見つめる。
「いや、別に・・・剣道の先輩に、そっち方面の方が多いってこともあって、勧められているから、ってこともありますが。」
「そっち?・・・あぁ、警察関係?」
「ええ。」
 ミツルは曖昧に笑い、
「大学へ行っても剣道は続けるつもりですし、資格を取るにはそれなりの勉強も必要です。・・遊んでいる暇はないでしょうね。」
と、暗に付き合う時間はないことをほのめかせた。
「では、大会とかにもご出場なさるのでしょう?・・私、絶対応援に参りますわ。ウフッ。」
 小百合は少しも気にすることなく言った。
 小百合にとっては、見返りよりも思うことが重要なのだろうか。
 ミルクは少し感心していた。
 ミルクなら絶対兄のような恋人は持ちたくない。
 恋人ならいつでも一緒にいたい、と思ってしまう。
 小百合がミツルを慕い続けるなら、それはそれでいいかも、と思うようになっていた。

 来た時の約束通り、迎えの車は午後2時少し前にやってきた。
 小百合はもっとミツルと話していたいようだったが、どうしても出席しなければならないパーティーがあるから、と残念そうに迎えの車で帰っていった。
「はぁぁ・・・肩が凝った。」
 ミツルは車の姿が見えなくなると、首を回しながら言った。
 そして、
「ミルク。もう、こーゆーのは御免だからな。」
と言うと、自分の部屋へ行ってしまった。
 ミルクは母親を手伝って、後片付けをした。
 そして、母親も用事があるから、と洗い物はミルクに任せて出掛けてしまった。
「・・プンッ・・・ウチだって、バラバラ家族じゃん。」
 ミルクはキッチンの流しで洗い物をしながら呟いた。

 やっと洗い物を済ませたミルクは、自分の部屋に入ると、携帯を取ってベッドに寝転がった。
 小百合が何時に帰るのか、昨夜の段階ではわからなかったので、マサトには夕方になるかも、と言っておいた。
 それで、マサトは「なら仕事でもするか。」とつまらなそうに言っていた。
 今メールしたら、仕事の邪魔になってしまうだろうか。
 ミルクは手にした携帯を見ながら、会いたさに切なくなった。
 ミルクの中で二つの心が葛藤する。
 マサトはいつも、ミルクに会うことを優先してくれる。
 あれだけの会社を運営しているのだから、忙しくないはずはないだろう。
 しかも、それさえも趣味だと言い、本業は闇の組織だと言うなら、もっと抱えている仕事は多いはずだった。
 でも、闇ってどんな仕事?
 ミルクは浮かんだ疑問をさっさと放棄して流してしまった。
 考えてもわからないし、聞くのも何となく気が引ける。
 マサトはマサトなんだから、どんな仕事をしていてもかまわないじゃん、と思う。
 ただ、自分がマサトの仕事の邪魔になることだけは避けたかった。
 煩い女、なんて思われたくない。
 でも、会いたくてたまらない。
 散々思い悩むうちにミルクは、朝からあれこれ用事をしてきた疲れが出たのか、眠ってしまっていた。
 ふわっと肩から毛布がかけられた。
 ミルクは体半分眠りの国に浸ったまま、少し寒かった体が暖かくなるのを感じた。
 そして、昼の暖かさに開け放していた窓を閉める音を夢の中で聞いた。
 お兄ちゃん・・カーテンもぉ・・・
 ミルクが微睡む意識で思っていると、カーテンが引かれる音がして、代わりに小さな明かりが灯った。
 ミルクはほっとするのと、体が暖かくなったことで、再び夢の世界へと意識を奪われていった。