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<16>〜<20>





<16>
「海で…」
§16§「海で…」

 次の土曜日。
 先週、行けなかったドライブに、改めて行くことにした。
 特に目的があった訳ではないが、ミルクのブルーデー終了と共に放課後のラブラブデートが重なっていたので、ゆっくりした時間がある時は、ベッドから離れたデートもしよう、ということになったのだ。
 マサトはラフなジャケットにスカーフを巻いていた。
 ミルクは春の陽光が一層眩しく感じる真っ白なワンピース。
 晴れ渡った青空に風が爽やかな、絶好のドライブ日和となった。

 朝から陽射しが強く、車内は温室効果でエアコンをつけていても暑く感じる。
 ミルクは軽くて薄い素材のワンピースだったので、強い陽射しも気持ちいいくらいに受け止めていたが、マサトは額に汗を滲ませていた。
「・・マサトぉ・・暑いなら、ジャケット脱げばいいのにぃ。」
「下がTシャツだからな・・・」
「蛇のタトゥー、見えたっていいじゃん。・・それとも隠さなきゃいけないものなのぉ?」
「いや。・・けど、俺が怖がられるとミルクが辛くならないか?」
「ううん。気にしないもーん。・・二人でいることを楽しむことが大切だ、って言ったのはマサトじゃん。」
「・・まぁな。」
「それに、怖くないよぉ。カッコいいってミルは思うけどなぁ。」
「クスッ。初めて見た時は、泣きそうな顔してたぜ?」
「あれはぁ・・・だって、いきなり全身に蛇が巻き付いてたら・・・ビックリするでしょう?」
「クックッ。もう慣れた?」
「うんッ。慣れたぁ〜。フフッ。」
「よしよし、いい子だ。」
 マサトはミルクの手を握って口元へ持っていくと、愛しそうにキスをする。
 ミルクの細い手首には三本の金のブレスレットが煌めいている。
 一本は恋人になった記念。
 二本目は初キスの記念。
 三本目が初めて結ばれた記念。
 マサトは「記念日ごとに増やしていこう。」と言ったけれど、初H以上の記念日は出てきそうもないので、当分は三本のままかも知れない。
「じゃぁ、思い切ってタトゥー解禁にしちまうか。」
 マサトは首のスカーフを外して、それで額の汗を拭いた。
 それから、
「ちょっと握っててくれ。」
と、ミルクの手にハンドルを握らせた。
「ぅ・・うぇぇーッ?!・・ちょ・・ちょっと待ってよぉ!」
「大丈夫。ほら、今は真っ直ぐだからさ。」
 運転中に上着を脱ぐのは大変らしい。
 ミルクはハンドルを握る手を強ばらせ、前を必死に見つめる。
「・・あ・・あぁ・・・どうしよ、どうしよ?・・曲がってるよぉ。」
「クックックッ。ミルクだってその内免許取るだろ?・・練習、練習。」
 マサトは少し軌道修正をしただけで、ミルクに任せている。
「はぁ・・・スッキリしたぜ。」
 マサトは脱いだジャケットとスカーフを後ろに置いて、気持ち良さそうに蛇の巻き付く腕を撫でている。
「あーん・・・脱げたら早く代わってよぉ。」
「クックッ。・・ちょっと面白いゲームだろ?」
 マサトは腕組みをして眺めている。
「TVゲームなら事故っても、すぐ復活するけどぉ・・現実は怪我しちゃうじゃぁーん。」
 ミルクが本気で怖がっているのに、マサトは余裕顔で煙草に火をつけ、煙を吐き出す。
 煙を外へ逃がす為、窓を少し開けた時、風圧のせいか・・ミルクの強ばった手がミスったか、車が揺れる。
「ヤダァーッ・・・」
と、ミルクが叫んだ瞬間、マサトがハンドルを握って走行を安定させた。
「アッハハッ。心配するなって。俺がついてんだから、何も問題ねぇよ。」
 マサトは軽く笑ったが、隣りを走っていた車からクラクションが鳴る。
「・・チッ。あれくらいでガタガタぬかすんじゃねぇッ!」
 マサトは窓を全開にすると、蛇を巻き付けた逞しい腕を出して、中指を立てて見せた。
 途端に、並んで走っていた車が減速して後ろに下がった。
「クックックッ。意気地のねぇ奴。」
 マサトは煙草を後ろの車に向かって弾くと、アクセルを踏み込んでスピードを上げた。

 ドライブインに寄って、ミルクがトイレから出てくると、マサトはマサトのフェラーリを見物に集まってきたライダー達と談笑していた。
 ツーリング中の大人の集団のようで、皆それなりのライダースーツを着ていて独特の雰囲気があった。
 中に女性のライダーがいて、ボディーラインを強調するようにピッタリとしたスーツを着ている。
 化粧映えのする美人で、ヘルメットを小脇に抱え、長い髪を後ろに梳き上げる仕草が色っぽい。
 ミルクは階段の上で、下りられずに眺めていた。
 襞のたっぷりとしたフレアスカートを風が煽っている。
 真っ白い花を咲かせているようなミルクを、マサトと話していた一人が指差した。
 振り返ったマサトは眩しそうに目を細めて笑みを浮かべると、そこにいたライダー達に手を挙げて挨拶し、階段を上がってきた。
「どうした?」
 マサトはそういいながら、ミルクにキスをする。
「・・だってぇ・・・」
 ミルクが尖らせた唇にまたキスをして、マサトが笑う。
「さっきさ、ミルクを指差した奴が何て言ったと思う?」
「プーンだ。知らなぁーい。」
「クックッ。そんな膨れるな。せっかく、あの天使は知り合いか、って言ってくれたのに。」
「・・ぇ・・・」
 ミルクはチラッと下を見て、頬を赤らめた。
「バーカ。見てんじゃねぇ。嫉妬しちまうだろ。」
 マサトはミルクの顎をつかんで、ゆっくりめのキスをした。
 それから、ミルクの手を握ってドライブインの建物の中へと入っていった。
 ミルクはソフトクリームを買って貰って、マサトと並んで座り、舐めながらお土産コーナーを気にしていた。
「欲しい物があるのか?」
「見ないとわかんないけどぉ・・ドライブの記念になる物が買いたいなぁ。」
「こんな所にたいした物はねぇよ。海に着いてから買えばいいだろ。」
「あ、そっか。」
 ミルクは頷いたが、まだ目はお土産コーナーに釘付けになっていた。
 マサトは苦笑し、結局ミルクが選んだ、どこにでもあるようなキーホルダーを買ってやることにした。

 海水浴シーズンではなかったが、海が近付くにつれ道が混んできた。
「これじゃ、海辺に車を停めらんねぇな。・・先にホテルに車を置いてから、浜辺に出た方が良さそうだ。」
「・・・ホテル?」
「ん?・・ああ、海辺のホテルを予約しておいたんだ。」
「・・・ミル・・泊まれないよぉ?」
「わかってるさ。休憩に使うだけだよ。」
「・・・ふーん・・・」
「レストランとかに寄っても落ち着かねぇし、ホテルの部屋からゆっくり海を眺めるのも、いいもんだろ?」
「あ・・うん。」
 ミルクはさり気なく頷いたつもりだったが、耳が赤くなってくるのを止められなかった。
 ホテルって、やっぱりHするのかなぁ。
 まだ、マサトの部屋以外ではHしたことがない。
 知らない場所、知らない部屋でHするのかも・・・と思うとドキドキしてしまう。
 うつむいて唇を噛んだミルクの手を、マサトが優しく握る。
 マサトの手の温もりが一層ドキドキを煽ってしまう。
 ミルクは窓を開けて顔に風を当てた。
 風はもう、潮の香りを含んでいた。

 ホテルにチェックインするマサトは、さすがにジャケットを着ていた。
 入れ墨がある客を嫌がるホテルが多いらしい。
 もっとも、この海辺のリゾートホテルは、マサトの知り合いが経営しているので、その辺は大丈夫らしかったが、他の客への気遣いもあった。
 特に荷物もないので、マサトは鍵を受け取るとミルクと手を繋いで、そのままプールサイドを抜けて海辺へと降りていった。
 浜辺にはサーフィンやウィンドサーフィンをしている若者達がいくらかいる程度で、夏のような混雑はなかった。
 ミルクはサンダルを脱いで、波打ち際に裸足で入った。
 マサトもジャケットと靴を砂浜に投げ出し、ズボンの裾をたくし上げて波に足を晒した。
「きゃぁ・・・足がすくわれそぉ・・・」
と、ミルクが笑うのを、マサトは嬉しそうに見て一緒に笑った。
「この浜辺には桜貝があるらしいぜ。」
「ホント?・・・どこぉ?」
 ミルクは真剣になって足元を眺め回した。
「あッ・・これかなぁ?」
 ミルクがピンク色の小さな貝殻をマサトに翳して見せる。
「多分そうだろ。・・クックッ。ホテルのPR作戦で時々撒くらしいから、探せばけっこう見つかるはずだぜ。」
「なんだぁ・・・」
 ミルクはちょっとガッカリした顔をしたが、手にした貝殻を見るうちにまた笑顔になって、
「でも、可愛いからそれでもいいかも。フフッ。」
と言って、また真剣に探し始めた。
 マサトもミルクの後をついて歩きながら、時々目にした貝殻を拾う。
 ミルクはずっと下を向いたままで探していたので、波が打ち寄せ、引いていく繰り返しで、平行感覚をなくしてしまい、体が前のめりに転びそうになった。
「おいおい。頭からずぶ濡れはヤバイぞ。」
 マサトはミルクの体を支えて、笑いながら言った。

 しばらく桜貝の貝殻を探していたが、マサトが拾ったのと合わせると掌いっぱいになったので、ホテルに戻って休むことにした。
 そして、レストランで海を眺めながら食事をして、部屋へと移動した。
 白を基調とした爽やかな印象の部屋で、広い窓に広がる海の青さと調和している。
 窓を開けると潮騒がよく聞こえた。
 ミルクは海風に髪をなびかせて、水平線を眺めていた。
「寒くない?」
 マサトが後ろから覆うようにミルクを抱き締める。
「ううん。平気。」
 ミルクが顔を向けると、唇が重ねられた。
 甘く優しいディープキス。
 キスをしたまま、マサトが窓を閉める。
「・・ぁん・・・潮騒を聞いていたい・・・」
「耳を澄ませれば、聞こえるよ。・・さぁ、・・お・い・で。」
 キュン、とミルクの心と体が疼いてしまう。
 ミルクはマサトの首に腕を回し、マサトに抱き上げられると、肩に顔を埋めた。

 真っ白でヒンヤリするシーツ。
 けれど、マサトの体は温かい。
「、、、ぁぁッ、、、ん、、、」
 マサトの丁寧な愛撫にミルクは爪を噛む。
「、、ぁぅ、、、はぁぁん、、、」
 乳房を揉まれ、乳首を摘まれたミルクは指を噛んで仰け反る。
「自分の指を噛んだらダメだろ。」
 マサトがミルクの噛んでいた指にキスをする。
「噛みたかったら、俺の指を噛め。」
 マサトはミルクの口に指を差し込んで、ミルクのピンク色の乳首をきつく吸った。
「ぁぁぁ、、、ぁん、、、」
 マサトの指に軽く歯を立てる。
「そう・・それでいい。」
 マサトは更に執拗にミルクの柔らかな胸を愛撫した。
 それから、ミルクがたっぷりと蜜壺を満たしたところで、指を滑り込ませる。
「、、ぁ、、ん、、、ん、、、」
 クチュ、クチュ、クチュ、、、蜜が溢れ出した花弁が淫靡な音をたてる。
 知らない部屋に恥ずかしい音が広がっていく。
「、、あぁん、、、マサトぉ、、、」
 ミルクはたまらずマサトにしがみつく。
「ひとつになろうか?」
 マサトは優しい笑みを浮かべて、ミルクの頬を撫でる。
「、、ぅん、、、」
 マサトは決してミルクに無理はさせなかった。
 ミルクの歳でも、性技に長けた少女がいることは知っている。
 というより、マサトの組織にはそうしたことを仕込む男もいる。
 けれど、マサトにとっては快楽だけが目的ではなかった。
 ミルクとの関係は時間をかけてゆっくり育めばいい。
 そう思っていても、時々暴走はしてしまうが、マサトをよく知っている者には信じられない辛抱強い姿だった。
 それだけに、マサトのミルクへの深い愛情を感じない訳にはいかなかった。
「あぁぁぁぁ、、、ぁぁぁ、、、マサトぉぉ、、、」
 マサトの蛇がズブゥーッと頭をめり込ませてくる。
「うぅ・・愛してるぜ、ミルク。」
「ミルもぉ、、、マサトを愛してるぅぅ、、、ぁぁぁ、、、んん、、、」
 奥まで押し広げられてから、グイグイグイッ、と突き上げられる。
「ぁん、、ぁん、、ぁん、、、」
 マサトを体の中に感じて、ミルクは心まで満たされていく。
 痺れるような快感が体中を駆け巡る。
「あぁぁ、、、あふん、、、気持ちぃ、、ぃぃぃ、、、」
「はぁ・・・俺も気持ちいいぜぇぇ・・・ミルク・・俺のミルク・・・」
 マサトの動きが大きくなり、ミルクの体も大きく揺れる。
「、、あぁ、、ぁぁ、、、ぁぁん、、、」
 ミルクは可愛い声で鳴き続ける。
「はぅぅ・・・可愛くてたまらないぜッ・・・くぅ・・・」
 マサトはミルクを抱き締め、より深く結ばれようと、奥へ奥へと突き上げる。
「マサトぉぉ、、、あぁん、、、イクぅ、、、イッちゃうぅぅ、、、あぁぁぁん、、、」
「よしよし。・・一緒にいこうな。」
 我慢しようと思えばもっと我慢出来るが、ミルクと同時にイクことがマサトには重要に思えた。
 上り詰める為に腰の動きを早める。
「あ、、あぁ、、ぁ、ぁ、ぁぁぁ、、、あぁぁぁーッ、、、」
 ミルクが大きく仰け反り頭を振る。
「いくぜぇ・・・うぅぅッ・・・ぁぅッ・・・はぁぁぁぁッ・・・」
 マサトはミルクを抱き締め、キスを繰り返してから、そっと体を離した。

 部屋に設置されているミニ冷蔵庫から、冷たいジュースを出してミルクに飲ませてやったマサトは、ミルクに腕枕してやり髪を指で弄んでいた。
 そして、腹筋の上に灰皿を置き、しばらく天井を眺めながら煙草を燻らせていた。
 まだ時間はある。
 マサトは煙草を潰すように消した灰皿をサイドボードに戻すと、意を決してミルクに顔を向けた。
「・・あのな、ミルク。」
「ん?・・・なぁに?」
 ミルクは火照った顔でトロンと瞬きをする。
「・・ちょっとミルクには辛い内容だが、話しておく方がいいと思うんだ。」
「・・・え?」
「ミルクの親父さんのことを調べるって言っただろ?」
「・・あ・・・うん・・・」
「結果はもうわかってた。・・ただ、話せる機会がなくって言い出せなかった。」
 ミルクは怪訝そうに眉を寄せた。
「話して・・落ち着くには時間が掛かると思ってな。」
「・・・そんなひどい内容なのぉ?」
「まあ、ショックだろうな。・・・聞けるか?」
 マサトは気遣わしげにミルクの髪を撫で、額から鼻へと唇を滑らせる。
 ミルクは、うん、とゆっくり頷いた。

 調査結果はこうだった。
 ミルクの父親にはニューヨークで付き合っている彼女がいる。
 父親が配属された支社で秘書をしていた日本人女性で、二人の関係は父親がニューヨークへ行ってすぐに始まったようだ。
 父親の希望で父親専属の秘書となり、半年後には同棲するようになった。
 二人の関係は周知の事実で、実際パーティーなどには妻同様の扱いで同伴しているということだった。
 そんな二人をミルクの母親も一年以上前から知っているらしい。
 お菓子教室を始めたのは、そうした辛さを紛らわせる為だったのかも知れない。
 一時の浮気として、待っていれば戻ってくれる、と信じていたのではないか。
 その辺は推測だが、結果はそうならなかった。
 父親の付き合っている彼女が妊娠し、今年の夏頃が出産予定らしい。
 彼女は妊娠がわかった時点で退社して、今は新しい家庭の為に父親が購入した庭付きの家で、出産に備えて生活している。
 父親が最近になって離婚を言い出したのも、子供が生まれる前に彼女と夫婦として籍を入れておきたいからだろう。
 もう、ミルクの母親との関係を修復するのは難しい状況にあるようだ。
 ・・・というのが、届いた報告だったという。

「・・・ミルクは・・・もう・・・いらない子なの・・・?」
 愕然と聞いていたミルクは、しばらく喪心したように言葉を失っていた。
 そして、ようやく言葉を発した時、涙が溢れ出した。
 マサトが抱き締めても、体をさすってやっても、ミルクの震えは止まらない。
 マサトもここまで酷い報告が届くとは思っていなかった。
 ミルクのあまりにも無邪気な笑顔を見ていると、何の不安も悲しみも知らず、世間の厳しい荒波にも、冷たい風にも触れることなく、幸せに包まれて育ったように思えてしまう。
 だからこそ、ミルクを見ているとみんなが羨ましさを感じるのだろう。
 そんな家庭を持ってきたミルクの父親が、まさかここまでの裏切り行為をするとは、マサトも予想しなかった。
 海外への単身赴任の開放感で、おそらく浮気をしているだろう、程度だった。
 もっとも、もっと悲惨で最悪な父親も多数見てきたし、そう珍しいことではなかったが、悲しんでいるのがミルクとなると、マサトの中での気持ちも変わる。
 ミルクの痛みが自分の痛みになるのだ。
 ミルクが可哀想で可哀想でたまらなくなる。
 理屈じゃない。
 惚れた女が悲しんでいれば、自分も辛いのは当然だろう。
 マサトはミルクを抱き締め、慰め、キスを繰り返した。
 ミルクがショックを受けることはわかっていた。
 だから、綺麗な海を見せたかったのだ。
 大人の醜さを知る前に、信じることしか知らない澄んだ目に、優しい光景を映してやりたかった。
 いっぱい無邪気に笑わせたかった。
 そして、潮騒に包まれて、泣かせてやりたかった。
 少しでも痛みが和らぐように。
 少しでも穢れた大人の腐臭を消し去れるように。

 一時間ほど泣き続けたミルクは、魂の抜けた人形のようにぼんやりとしていた。
 マサトは浴槽にお湯を張って、ミルクを優しく洗ってやった。
 体のバランスは自分で取れるので、まったくの放心状態ではないようだ。
 ミルクは、スポンジを泡立ててミルクを洗うマサトの手元を眺めていた。
 そしてマサトが、シャンプーした髪を乾かし、服を着せてソファーに座らせてやった時、
「・・ごめんね。・・・ありがとう。」
と、小さな声でミルクが言った。
「・・ん?・・・どうして謝るんだ?」
「・・調査して貰ったのに・・お礼言えなかったし・・・また、みんな洗って貰っちゃって・・・ミル・・甘えてばかりなんだもん・・・」
「いくらでも甘えればいいさ。甘えてくれた方が俺は嬉しいんだぜ?」
 マサトは優しい声で静かに言った。
 ミルクはミルクの前に跪き、顔をじっと見つめているマサトの頬へそっと手を伸ばし、その頬を撫でた。
「・・ミルク・・・」
 マサトは傷ついた小鳩に触れるように、頬を撫でるミルクの手を握ってキスをした。
 その姿は姫に傅くナイトそのものだった。
「・・マサトは・・・ずっとミルの側にいてくれる?」
「俺は裏切りは嫌いだ。どうしてもミルクが俺を信じられなくなったら、その時は鋭いナイフでこの胸を切り裂き、俺の真実の心を確かめてくれ。」
「・・ぁ・・・マサトぉ・・・」
 ミルクは飛び込むようにマサトの首に抱きついた。
 マサトは愛しさに感激しながら、きつくミルクを抱き締めた。

 ホテルをチェックアウトする前に、二人はもう一度浜辺に降りて、波打ち際を歩いた。
 手を繋ぎ、水平線を眺めながら、ゆっくりと歩いた。
 会話はなく、打ち寄せる波の音だけが聞こえていた。
 と、ミルクが繋いでいた手を離して、数歩前へ小走りに進んだ。
 裾を気にしながら足元へ手を伸ばす。
「見つけたぁ。」
 振り返って貝殻を見せるミルクは、いつもと変わらない愛くるしい笑みを浮かべていた。
 マサトは頷いてみせながら、鳥肌立つほど感動していた。
 ミルクの無垢な魂は、守られたものではなく、穢れをはね除ける強さなのかも知れない。
 俺の天使・・・
 マサトはミルクを抱き締め、熱い熱いキスをするのだった。

<17>
「闇とは…」
§17§「闇とは…」

 日曜日。
 朝はマサトの方に用事があるからと、10時にマンションで会う約束をしていた。
 駅に着いた時電話を入れたら、いる、と言っていたのに、呼び鈴を鳴らしても返答がなかった。
 10時にはまだ10分早い。
 早すぎちゃったのかなぁ・・・
 ミルクは合い鍵で玄関を開けて部屋に入った。
 フォト画廊のようになっている広いリビングは、シーンと静まり返っている。
「・・マサトぉ?」
 何故か忍び足になりながら、ミルクは小さな声で名前を呼んだ。
 すると、寝室の方から何か聞こえたような気がした。
 見るとドアが少し開いている。
 ミルクは遠慮がちに寝室を覗いた。
 ベッドにマサトがいた。
 全裸で突っ伏している。
 すぐ側の絨毯敷きの床には、乱雑に脱ぎ捨てられたライダースーツや下着類が落ちている。
「マサト・・・どうしたの?」
 ミルクが側に行って顔を覗き込むと、
「・・ン・・・悪い・・・30分・・・寝かせてくれ。」
と、羽毛布団に顔を埋めたまま、くぐもった声で呻くように言った。
「いいけどぉ・・・具合が悪いの?」
「・・いや・・・」
 マサトは体を反転させ、上向きになると、前髪を梳き上げた手で額を押さえた。
「・・50億の取引をして・・・さっき戻ったばかりなんだ。・・・能登半島沖が・・・海上警備隊が張ってて危ねぇってんで・・・急遽青森に変更したから・・・取引終えてすぐに、ずっとバイク飛ばして戻ってきた。」
 マサトはコメカミを押さえるように目を覆って、喉で笑う。
「クックッ。・・・裏掻いてやったから・・・警察の奴等、今頃、臍を噛んで悔しがってるだろうぜ。・・・はぁぁ・・・これでミルクを日本一のお姫様にしてやれるぜ。・・・50億の現物・・・末端価格は・・・クックッ・・・クックックッ・・・」
「・・ミル・・・日本一のお姫様より、マサトだけのお姫様がいい。」
「・・・ん?」
 マサトは目を覆っていた手を翳すようにして、片目だけ薄く開けた。
「けどな・・生きるってのはサバイバルだぜ?・・・金がなきゃ、どんなに偉い講釈を宣おうが、通用しやしねぇ。・・・勝ち残るには・・・金を掴むことさ。・・・ま、いい。・・・30分経ったら起こしてくれ。」
 マサトは再び掌で目を覆った。
「・・うん。・・・でも、寝るならお布団掛けなきゃ・・・」
 ミルクはマサトの体をずらしながら、どうにか布団を引っ張りあげ、マサトの体に掛けてやった。
「・・・ミルク・・・」
 マサトは目を閉じたまま、顔の横の枕を軽く叩いた。
 その下には、腕枕をするぞ、と主張している逞しい腕があった。
 ミルクは、クスッ、と小さく笑って布団に潜り込み、マサトの腕に納まった。
「んー・・・いい匂いだ。・・・ンーチュッ・・・」
 ミルクの体を抱き枕のように抱き包んだマサトは、ミルクの額にキスをすると、そのまま寝息をたて始めた。
 マサトの寝息を聞くうちに、ミルクも眠くなってきて、いつしか一緒に眠ってしまっていた。

「・・・あ・・・?」
 深い熟睡から目を覚ましたマサトが、壁の時計を見て片眉をひそめる。
 午後1時・・・30分のつもりが3時間も経過していた。
 伸びをしようとして、ミルクが腕枕されたまま眠っているのに気が付いた。
 ・・おいおい。
 目覚まし時計が寝ちゃっちゃ、しょーがねぇな。
 マサトは苦笑しながら、穏やかな寝顔のミルクに魅入っていた。
 柔らかく膨らみのある頬が幼さを残している。
 桜の花びらよりも淡く頬を染め、安心しきった顔で眠っている。
 ほのかな甘い香りに、花咲き乱れる春の野原が思い浮かぶ。
 こんなに可愛い眠り姫を起こすのは罪人だろう。
 まして眠ってるところを襲おうなどと思うのは大罪だ。
「クックックッ。・・だから俺は襲う。」
 マサトはミルクの上にのし掛かり、抱き締めてキスをする。
「・・・ンア?、、、ンンッ、、、」
 目を覚ましたミルクが状況をつかめずにいる。
「クスッ。目覚まし時計の役を放棄した眠り姫には、お仕置きだよ。」
「、、ぁん、、、だってぇ、、、ン、、、」
 ミルクは寝惚けたままキスに応える。
「午後に目を覚ますと俺はオオカミに変身するんだぜ。クックッ。」
「えー、、、うっそぉ、、、」
「・・今日だけ・・な。」
 マサトは笑いながらミルクのスカートの中へ手を侵入させると、ショーツを膝まで降ろした。
「、、あ、、、いやん、、、」
「いやじゃない。」
 マサトは熱いディープキスをしてから、ミルクの足を顔の方まで持ち上げた。
 ミルクのまだ幼い秘部がマサトの目の前に晒される。
「、、、いやぁ〜ん、、、」
 顔を真っ赤にして恥ずかしがるミルクだったが、足を降ろそうにも膝に掛かったいちご柄のパンツが拘束ベルトの役をしていて、開くことも出来ない。
「あ、、あぁ、、、や、、、ぁぁん、、、」
 マサトがピンク色の花唇に口づけをする。
 そしてそのまま舌で花弁を弄ぶように舐め始めた。
「ぁんーッ、、、やぁーッ、、、くふん、、、ぁぅぅ、、、」
 ミルクが恥ずかしがって膝から下の足をバタつかせても、マサトはビクともしない。
 それどころか、舌を花唇の中へと侵入させ、音を立てて吸い付く。
 チュプッ、ピチュッ、クチュッ、、、
「、、ぁ、、、ぁぁ、、、ぁぁん、、、」
 恥ずかしいのに感じてきてしまう。
 ムズムズするような快感に背中が浮いてくる。
 顔が仰け反り、開いた口から熱い吐息が漏れる。
 揃えたまま動きの止まった足のつま先が反り返ってくる。
 クチュッ、チュプッ、ピチュッ、
「、、、あぁぁ、、、んー、、、」
 蜜壺から甘酸っぱく香る蜜が溢れ出してくる。
「そろそろいいかな。」
 マサトが顔をあげ、ミルクの両足を胸に抱くようにした。
 ズブゥゥーッ、ズブッズブゥズブゥーッ、、、
「あッ、、、あぁぁぁ、、、あふッ、、、んん、、、」
 両足を揃えたままのミルクの膣が、マサトの蛇に押し広げられる。
 いちごパンツを膝に引っ掛けたまま、両足を抱えられ、マサトの挿入を受け入れる。
 ズップ、ズップ、ズップ、、、
 そのままの格好でマサトは腰を動かし始めた。
「、、ぁ、、ぁ、、ぁん、、、」
 足を揃えていると太腿の付け根でもマサトを感じる。
 ズルッ、、ズルッ、、と蛇が体を擦らせるのが伝わってくる。
 体の中で感じるのとはまた違った感覚に、戸惑いながらも強くマサトを意識して、快感が込み上げてくる。
「、、ぁん、、ぁん、、ぁぁんん、、、はぁ、、ぁん、、、」
 ミルクが感じるに従って、マサトの動きも激しくなってくる。
 ズン、ズン、ズン、ズン、、
 ジュプッ、ジュプッ、ジュプッ、、、
「・・はぁ・・・どうだ?・・・こーゆーのもいけるだろ?」
「、、ぅ、、ん、、、ぁぁぁ、、、感じるぅぅ、、、ぁふん、、、」
「よしよし。・・・じゃぁ、フィニッシュまでいくぜッ。」
 マサトはミルクの足を更に高く上げ、お尻が浮くように抱きかかえると、腰を震わせるようにして突き上げた。
「あぁぁぁ、、、あぁ、、あぁん、、、イク、、、イク、、、イク、、、あぁぁぁぁぁ、、、」
「・・・うぅぅ・・・今日は何もつけてねぇ・・・マズイかな・・・」
 マサトは眉間にシワを寄せながら、腰を動かし続けていたが、ミルクが、
「あぁぁぁ、、、もぉ、、、イクゥゥゥーーッ、、、あぁぁーーッ、、、」
と、体を大きく仰け反らせて恍惚の表情になったのを見届けると、
「俺もいくぜッ。」
と、ミルクの足を降ろし、体を跨いだ。
 はぁはぁ、と荒い息遣いで、うっすらと目を開けたミルクの顔の前に、顔を真っ赤にした一つ目の蛇が睨んでいた。
「・・・ぇ・・・?」
 ミルクが驚いて目を見開いた時、蛇を握るマサトの手がクイクイクイッと動いた。
「うぅぅ・・・はぁぁぁ・・・」
 ドピュッ、、ドッピューン、、、ドクドクドクッ、、、
 いきなり噴き出した白濁液がミルクの顔を襲った。
「あぅッ、、うえぇ〜ん、、、何、これぇ〜、、、ベトベト、、ブッ、、、苦ぁ〜い、、、」
 ミルクは顔中にかかった粘液を指で拭おうとするが、目にも口にも入ってしまって、泣きそうな顔になる。
「クックッ。・・苦い味もその内慣れるさ。」
「あぅぅ〜・・・」
「わかった、わかった。膨れるなよ。今、タオル絞ってきてやるから・・」
 マサトは満足そうな笑みを浮かべて、ミルクの上から降りると、取り敢えずティッシュで顔を拭ってやった。
 それから熱いお湯で絞ったタオルを持ってくると、丁寧に顔や首を拭いた。
「・・・あーん・・・服にもかかってるぅ・・・」
「ミルクがこれを飲めるようになれば、口の中に出しても良かったんだが・・・まぁ、少しずつ慣れような?」
「・・・苦いの・・・やだもん。」
「愛があれば我慢出来るはずだぞ。」
「・・・プゥゥゥッ・・・」
「クックッ。大人になれば好きな味覚も変わるさ。・・・服は洗って乾燥機で乾かせば、すぐ元通りになるから・・・ほら、機嫌直せよ。」
 マサトはミルクを優しく抱いて、宥めるようにキスをした。

 マサトのドーパミンは一度だけでは納得しなかったようだ。
 肉体的な疲労や精神的興奮が、脳内ホルモンの分泌を促すらしい。
 そう言えば、マサトは昨日、帰りの車の中で仕事の電話をしていた。
 あれからすぐにバイクに乗り換え、青森へ向かったのだろうか。
 深夜から明け方まで仕事をして、またそのまま休まずバイクを飛ばしてきたとしたら、タフなマサトでも疲れるだろう。
 どんな仕事でも、干渉するつもりはない。
 ただ、無理をして怪我したり、体を壊すようなことだけはしないで欲しかった。
 マサトは、ミルクの服と汗だくになった下着も一緒に、洗濯機に突っ込んだ後、もう一度全裸になったミルクを抱いた。
 マサトの蛇が巻き付く体にやっとしがみつけたミルクは、やっぱりこうして肌と肌を合わせ、抱っこされながら愛されるのが一番好き、と思いながら感じていた。

 マサトの後からゆっくりシャワーを浴びたミルクが、バスローブを纏ってリビングに来ると、マサトはケーブルTVのニュース専門番組を見ながら、電話であれこれと仕事の指示をしていた。
 マサトはミルクにテーブルを指差し、食べろ、と身振りで示した。
 ぷっくりとしたイカがお皿に乗っている。
 皿に触れると温かい。
 ミルクは箸で膨れたイカに囓りついた。
 中には餅米が入っていて、香ばしい醤油の風味とイカの味が染みていた。
(おいひーッ!)
 ミルクはマサトに口だけ動かして伝え、ニッコリと笑った。
 マサトも笑みを返して頷いた。
 そして、パッケージの表になってた部分をミルクに見せた。
 青森の文字がある。
(お土産?)
 ミルクが嬉しそうに聞くと、マサトは、うんうん、と頷く。
 やっぱりマサトって優しいなぁ。
 ミルクはマサトの温かさにジワァーンと感激しながら、お土産のイカ飯にかぶりついた。
 マサトの電話はなかなか終わらなかった。
 取引した物の搬送や保管は、徹底した秘密裏に行われるらしい。
 その為、任せる人選を細かく指示している。
 警察の動きには充分注意しろ、と声を厳しくして言う。
 そして何かの情報が入ったのか、じっと眉を寄せて聞いている。
 ミルクはTVを何となく眺めながら食べることに専念していた。
 TVでは外国の猟奇的連続殺人の特集をしていて、逮捕された犯人の姿が映っていた。
 ごく普通の人に見えるが、やはりどこか気持ち悪い。
 ミルクは、TVも面白くないなぁ、と思いながらイカのミミを囓った。

「どうだ?・・美味いか?」
 ようやく電話を終えたマサトが、ミルクの頬を撫でながら聞く。
「うんッ。超ー美味ちぃ〜。ウフッ。」
「そうか、そうか。先に行った部下に買わせておいて正解だったな。・・俺も前に行った時、気に入ったから、ミルクにも喰わせてやりたいと思ってな。」
 マサトはそう言って、自分の分のイカ飯を囓った。
「うん。やっぱ温めた方が美味いな。」
 マサトは納得したように頷き、ペットボトルの水で喉を潤す。
「・・ねぇ、TVこれじゃなきゃいけないのぉ?」
「ん?・・いや、もういいぜ。・・ちょっと昨夜の取引先の奴等が問題起こしてないか、確認してたんだ。どうやら今回は無事本国へ帰ったらしいな。」
「今回?」
「たまにドジって警備隊に追っかけられたり、座礁したり、厄介を起こすから・・ったく、しょうもねぇ連中だぜ。」
「・・・ふーん・・・」
 ミルクは興味もなく聞き流すと、TVを普通のお笑い番組に替えた。
 でも、少し不安になる。
「・・・ねぇ・・・マサトが捕まったらどうするのぉ?・・・ミル、会いに行けるぅ?」
「アッハッハッ。俺が捕まるってことは、絶対ないから心配するな。」
「そうなのぉ?・・絶対にぃ?」
「万一、警察がシッポを掴んだとしてもそこまでだ。俺の下には何重にも部下の層があるから、俺の所までは上がってこれねぇよ。」
「・・・ふーん・・・なら、いいけどぉ。」
「それに、実際、警察だって上に行けば行くほど、俺達に近くなるんだぜ。」
「・・・ほぇ?」
「つまり、それだけ悪どくなるってことさ。」
「ほぇぇぇぇ・・・そんなものなのぉ?」
「クスッ。そんなものと思っておけばいい。」
「・・・ふーん・・・」
 ミルクはよくわからないまま、眉を曇らせた。
「何だ?・・まだ不安か?」
「だってぇ・・・捕まらないにしても、危険な仕事なんでしょう?・・・マサトが怪我したりしたら・・・ミル、泣いちゃうぅぅ・・・」
 ミルクはマサトの肩にある深い傷痕が心に引っ掛かっていた。
「仕事でドジるほど、俺は抜けちゃいねぇぜ。」
「・・・うん。・・・でもぉ・・・」
「・・この肩の傷か?・・・これは子供の頃の・・・ちょっとした悪戯さ。」
 マサトは話を打ち切るように、煙草を吸い始めた。
 ミルクはぼんやりTVを見ながら、残っていたイカ飯を食べきった。

 食事の後、マサトは乾かしたミルクのワンピースにアイロンを当ててくれた。
「これが仕上がったら、約束通り、映画を観に行こうな。」
「・・疲れてるなら、休んでいいよぉ。」
「3時間も寝られりゃ、お釣りがくるぜ。」
 マサトはそう言って、クスクス笑う。
「・・そんなに忙しいんだぁ・・・」
 ミルクはマサトのアイロンをかける手元を眺めながら呟いた。
「そうでもないぜ。・・ま、今回みたいな大きな取引は、俺が采配してねぇと問題が起きた時、対処出来ねぇから、ちょっと無理はしたが・・いつもってことじゃないさ。」
「・・・そう・・・」
「ミルク。・・・俺の仕事は嫌いか?」
「・・・別にぃ。・・・世の中には色んな仕事がある、って社会の先生が言ってたもん。」
「クックッ。そーゆーことだな。なかなかいい教師だ。クックックッ。」
「歴史の時間だけど・・・人の嫌がる仕事をしている人でも差別しちゃいけない、ってぇ。」
「・・クスッ。・・・差別ね・・・ちょっと違うが、まあ、いいさ。」
「でもぉ・・・」
「ん?」
「そんなにお金をいっぱいにして、どうするのぉ?」
 マサトは吹き出して笑う。
「そりゃ、色々使い道はあるぜ。・・組織の運営資金やプール金、政治家や警察関係への賄賂、それから更なる投資とかな。」
「うわぁ・・・組織を持つって大変なんだねぇ。」
「クックックッ。ま、そうだな。・・けど、組織の仕事もけっこう面白いもんなんだぜ。」
「だけど、危険なんでしょう?」
「全部が全部、危険って訳じゃねぇさ。・・例えば・・銀行とかで焦げ付いてる物件とかを買ってやる。銀行も抱えててもどうにもならない奴だから、安く買い叩ける。」
「えー・・そんなの買って大丈夫なのぉ?」
「組織には取り立てのプロもいるしな。自己破産で逃れようったって俺達は容赦しねぇ。・・それに、返済できねぇ相手には返済方法も教えてやれる。」
「返済方法?」
「それも様々だな。・・・クックッ。けど、ずっと偉そうにしてきた奴ほど、意外と醜い本性を現したりするもんなんだぜ。結局は、金と金によって得た権力でふんぞり返ってた奴等ばかりさ。」
「・・・そーなんだぁ・・・」
「もう死ぬしかない、って泣き言ぬかす奴に、娘に稼がせる手もあるって耳打ちしてやる。すると99%は娘を組織に差し出してくる。」
 ミルクは目を丸くし、口を手で押さえた。
「だが、そのまま受け取るほど、組織は甘くない。第一、それじゃ、俺達は娘を人身御供に取った悪人になっちまう。悪いのは、借金が払えねぇ本人だろうが。だから、それを思い知らせてやるのさ。」
 ミルクは無言のまま瞬きを繰り返した。
「どうやるか、想像つくか?・・クックッ。ミルクには考えつかねぇだろうな。・・・組織はその父親に本気で娘を売るのかを尋ねる。本気だと言うなら、俺達の前で娘を抱いてみろ、ってな。」
「・・・う・・そ・・・」
「娘を売るってのはそーゆーことだ。娘に相手を選ぶ資格はねぇ。命令されりゃ、親でも抱かれなきゃやってけねぇ仕事なんだ。親心があればそんなマネはさせられねぇのが常識だろう?・・・そんな常識も持ち合わせちゃいねぇのさ。それを自覚しもしねぇで、組織が恨まれちゃ、たまんねぇからな。・・・で、父親は獣の目になって娘を犯す。娘は自分が親に売られたのだと自覚する。父親を憎んでも、組織には逆らえないと諦めが生まれる。・・万事目出度しだな。」
「・・・ぅぅぅ・・・目出度くない気がするぅぅぅ・・・」
「人の心の本性を剥き出しにする。・・それが闇ってものなのさ。面白いだろ?」
「・・・面白くないと思う・・・」
「俺なら・・お前の父親の愛人を、始末してやることも出来るんだぜ?」
 ミルクは拗ねた顔で首を振る。
「クスッ。・・ミルクはいい子だな。」
 マサトは優しく笑って、ミルクの頭を撫でた。
「よしッ。話が長くなったが、ワンピースは綺麗に仕上がった。出掛けるとするか?」
 ミルクはちょっとの間、深刻な話の重苦しさにうつむいていたが、肩をすくめて溜息を吐くと、
「うん。」
と、マサトに笑顔で答えた。

<18>
「顔合わせ」
§18§「顔合わせ」

 入学して半月が過ぎ、そろそろ連休の予定などが会話に出てくるようになった。
 入学したばかりの頃は、ミルクの愛くるしさにライバル心を持っていた小百合の影響で、友達が出来にくい状況があったが、その小百合がミルクとよく話すようになったこともあり、徐々にミルクに声を掛けてくれるクラスメートも出てきた。
 小百合の態度が変わったことだけでなく、ミルクには不思議と人を和ませる雰囲気があり、決して自分を強く主張する訳ではないのに、気が付くと視線がいってしまう、という人柄も認められるようになっていた。
 それでクラスの大半は、ミルクを『チャレンジクラブ』で呼ばれている”アリス”という愛称に、親しさを込めて呼ぶようになった。
 ただ、物語の主人公は自分でなければ気が済まない小百合とその取り巻きは、ミルクを名前で呼んだ。
 ミルクにとっては、元々自分で言い出した呼び方ではなかったので、どう呼ばれても気にはならなかった。
 それに、小百合の母親が常に良妻賢母の看板を背負っていなければならないように、小百合もお嬢様としての看板とプライドを守らなければならないのだということが、何となくわかるミルクは、小百合を尊重して立てるように接していた。
 そして、小百合からお嬢様の大変さを聞いたミルクは、平凡な庶民で自然体でいても憚らない気楽さにホッとしていた。
 ただ、付き合っている彼氏は、あまりにも過激な存在だった。
 過激で魔的で強烈な世界だけに、ミルクの現実感からは理解を越え、想像もつかないのがかえっていいのかも知れない。
 見える部分、触れられる部分だけのマサトを見ていれば、満足だったし、安心出来た。
 人の心には表と裏があり、人が生きる社会にも表と裏があることくらいはわかる。
 だから、裏を悪いとは言いきれないミルクは、自分で判断出来るマサト個人だけを信じていればいい、と思っていた。
 そして、ミルクの知っているマサトは、決して裏切らない優しいナイトなのだ。

 この日の『チャレンジクラブ』の話も、連休中の予定についてだった。
 お金持ちが多いだけに、海外へ行くという人達もいた。
 予定を無理に空ける必要はないが、暇を弄んでいるという侑士は一緒に遊びに出掛けよう、という企画が部長の麗子から出された。
 ミルクは特に予定はなかったが、マサトに聞いてからにしようと、返事は保留した。
 ミルクの家では、ミツルが勉強と剣道部の部活動に専念しているし、母親も忙しいだけでなく、そんな心境にはなれないように思えた。

 クラブを終えて家に帰ると、家の中が薄暗かった。
 ミツルが遅いのはわかっていたが、母親は朝何も言ってなかった。
 取り敢えず、家中の明かりを点ける。
 暗い場所があるのが怖いのだ。
 それから母親のメモを探したが、どこにもそれらしい物はなかった。
 いつもなら帰りが遅い時は、朝食の時に母親から話があるか、帰った時にメモが置いてあった。
「もぉぉ・・・ママ、忘れてるぅぅ・・・」
 ミルクは冷蔵庫から出した麦茶をキッチンテーブルで飲みながら、母親の携帯に電話をした。
 けれど呼び出し音が鳴らない。
 何度掛けても通じない。
 次第に不安になってきたミルクは、無駄と知りつつミツルにも電話してみた。
 だが、塾にいる間は電源を切るミツルの携帯も、やはり通じなかった。
 独りぼっちが苦手なミルクは、足元から冷気と暗闇が這い上がってくるようで、鳥肌立っていた。
 もうマサトしかいない。
 そう思っても、ミルクと合わない時には目一杯仕事をしているマサトの邪魔をしたくない。
 本当は声が聞きたいのを我慢してメールした。
@「マサトぉ・・ただいまぁ。」
―@「お帰り、ミルク。クラブは楽しかった?」
@「まあまあかなぁ。連休の予定を聞かれたんだぁ。上杉先輩とか他にも海外に行く人達もいるんだよぉ。」
―@「ミルクも行きたいなら、俺が連れていくぜ。笑」
@「・・何処ぉ?」
―@「香港、マカオ、シンガポール、・・ラスベガスもいいな。カジノ巡りなんてどうだ?」
@「ミルは未成年ですぅ!」
―@「じゃぁ・・パリ、ミラノ、ロンドン辺りで、ブランド買い漁りってのはお気に召すかな?」
@「・・プゥゥ・・・ミル、ブランドって似合わないもん。」
―@「アッハハハ。よく自分を知ってるな。偉い、偉い。あーゆーのは大人の女性向けに作られてるから、子供が持っても可愛げがねぇよな。」
@「そんなの知らなぁーい。小百合さんみたなお嬢様なら似合うと思うけどぉ。」
―@「で、ミルクはどこに行きたいんだ?・・本気ならすぐに手配するぜ?」
@「・・・行ける訳ないじゃん。」
―@「やれやれ。まだ、秘密の恋人状態か。・・来年には俺達も公認になって、どこにでも行けるようになるといいな。」
@「・・・うん。」
 マサトとメールをしていると、不安が消えて、寂しかった心が温かくなる。
―@「日帰りでも一緒に行ければ楽しいぞ。明日予定を立てるか?」
@「うん。・・ねぇ、マサトは今お仕事中?」
―@「いや。今日は久々に路上販売してるとこだ。時間が空いても、ミルクがいねぇとつまんねぇしさ。」
@「・・・いつもの場所?」
―@「ああ。俺を待っててくれる連中もけっこういるしな。」
@「・・・GXのコンサートチケット、貰うんだぁ・・・プンッ!」
―@「バーカ、違ぇよ。俺の扱うシルバーアクセサリーのファンってのがいるんだぜ。」
@「あ・・そうだよね。・・ごめんなさい。」
―@「ヤキモチ妬いてくれて嬉しいぜ。Chu!」
 メールなのに、嬉しいと頬が熱くなる。
 マサトの猫笑いが目に浮かぶ。
 ミルクはマサトに会いたくてたまらなくなっていた。

  「・・・・・おい。」
 マサトは目深に帽子を被った顔を上げ、呆れたようにミルクを眺めた。
「来ちゃった。・・エヘッ。」
 ミルクは大きなクッションを両腕で胸に抱え、マサトの前に立っていた。
「こんな時間に・・・どうしたんだ?」
「家、誰もいないんだもん。・・・ミル・・独りぼっち・・・」
「だったら、そう言えよ。店なんか出さず、食事に誘ったのに。」
「お店してるマサトが見たかったんだもん。ミルだって、マサトのシルバーアクセサリーのファンなんだからぁ。」
「・・で、そのクッションか・・・」
 マサトは苦笑して、隣りに座るように目で合図した。
 ミルクは目を輝かせて嬉しそうに笑うと、いそいそとクッションを敷いてマサトに並んで座った。
「・・変なオヤジとかに声掛けられなかったか?」
「え・・・変なって・・・何で?」
「ハァッ。・・ったく、そんな可愛い服着て、可愛いクッション抱っこしてりゃ、ロリコンにゃたまんねぇだろうが。・・カモがネギ背負ってるようなもんだぞ。」
 マサトは溜息を吐きながら首を振った。
「カモ・・ネギ・・・」
 ミルクは拗ねて頬を膨らませた。
 マサトは喉で笑いながらミルクにキスをした。
 優しく甘いキスで、マサトの気持ちが伝わってくる。
 心配するから、つい文句も出るのだ。
「こーゆー場所、こんな時間に路上でいるには、それなりの格好ってのも必要なんだぜ。」
「・・・だってぇ・・・マサトみたいなボロボロ、持ってないもん。」
「ボ・・・これもファッションなんだぞ。」
「・・・しょっぱそぉ・・・」
 ミルクはクスクスと楽しそうに笑った。
「あ・・そうだ。これを渡しておこう。」
 マサトはそう言うと、Gジャンのポケットから小さな布袋を取り出し、掌の上で傾ける。
 シャラッ、、と小さな音がして、金のブレスレットが現れた。
「・・・へ?・・・何でぇ?」
 ミルクはマサトに四本目のブレスレットを付けて貰いながら、不思議そうに首を傾げた。
 マサトはミルクの耳元に顔を近付けると、
「クックッ。・・・初ホテルHの記念。」
と、囁いた。
 ミルクは、あッ、と声にならない叫び声をあげ、見る見る顔を赤くした。
 細い金のブレスレットも四本が重なると存在感がある。
 腕の動きに合わせて、シャラッ、、シャランッ、、と小さな音を立てる。
「・・・ありがとぉ。」
 ミルクは立てた膝に真っ赤になった顔を半分隠して、消え入りそうな声で言った。
「クスッ。どういたしまして。」
 マサトはミルクの髪に優しくキスをした。

「ケッ!・・お前等、商売してんのか、イチャついてんのか、はっきりしやがれッ!」
 酔った中年男が、マサトとミルクの熱々ぶりを目にして、怒鳴りつけてきた。
 酔って判断力を失った素人が一番厄介だ。
 この街に集まる不良やヤンキー、暴走族、更にやくざといった連中は、マサトの正体は知らなくても、闇を纏う禍々しい雰囲気を感じ取り、普段は近寄らないようにしている。
 そして、マサトに手招きされた時だけ、腰を低くして「何かご用でしょうか?」とご機嫌伺いをするのだ。
 以前、ミルクに絡んだ不良達も、マサトを見るなり逃げようとしていた。
 ただ、マサトが素早く回り込んで叩きのめし、逃がさなかったので、路上に這い蹲り土下座して謝罪するハメになったのだった。
 マサトが顎をちょっとだけ動かし、「去れ。」と命令して、ようやく転がるように逃げ出した彼等は、あれ以来この街を避けていた。
 それほどカリスマ的オーラを出しているにも拘わらず、時たま無謀に勘違いする人達がいるのだ。
「こんなまがい物、売りやがってよぉ。」
 中年男は余程面白くないことがあったのだろうか。
 八つ当たりのように絡んでくる。
「インチキ商売してんじゃねぇぞッ。」
 中年男は勢いに乗じて、シルバーアクセサリーの並ぶ布を蹴り付けた。
 この男は侵すべからざる領域に足を突っ込んでしまった。
 マサトの表情に冷酷な支配者としての笑みが浮かぶ。
 それはミルクの知っている猫笑いとは全然別の顔だった。
 マサトが肩まで上げた手の指を、クイッ、と曲げると、何処からともなくヤンキーが集まってくる。
「おらおらおるぁーッ!」
「おっさんよぉッ!いい歳こいて、妬いてんじゃねぇーぜッ!」
「商売物に傷つけたらどーすんだぁぁ、こるぁぁーッ!」
「あんたの安サラじゃぁ、弁償しきれねぇぜッ!」
「歳くってっからってぇ、思い上がってんじゃねぇぞぉーッ!」
 あっと驚いてる間もなく、中年男の周りを10人以上が取り囲んでどやしつける。
 その中の数人が、
「兄貴。ちっとこいつとなしぃ付けてぇんで、お借りしていいッスか?」
と、中年男の襟首をつかんで言う。
 そしてマサトが軽く頷くと、中年男を引きずって建物の陰に消えていった。
 マサトは残った男達に、全く関係のない話題を振る。
 ヤンキー達は緊張しながらも嬉しそうに受け答えする。
「へぇ・・そうかい。・・まぁ、楽しいのが一番だぜ。クックッ。」
 マサトはそう言って、「小遣いだ。」と万札を一人一人に渡してやった。
「どうもッ。」
「スミマセン、兄貴。」
 口々に礼を言って、ヤンキー達がまた街中に消えていった頃、中年男を連れて行った男達が戻ってきた。
 中年男の姿はない。
「いやぁ、参ったッス。酔っぱらって寝ちまいやした。ケッケッケッ。」
「寝たまま起きないと厄介だぞ。」
「大丈夫ッス。ゴミ置き場に転がしときましたから誰か気付きますって。ヘッヘッ。」
「フッ。そりゃ、大変だったな。」
 マサトは数枚ずつ、万札を握らせた。
 ヤンキー達は、ヒュ〜ッ、と口笛を吹いてマサトに礼を言うと嬉々として立ち去っていった。
 もう、街の通りはいつもと変わらない。
 ミルクはドラマでも見るように眺めていた。
 しばらくミルクとマサトの会話が途切れていたが、
「ねぇ・・・いつバイト雇ったのぉ?」
と、ミルクが素朴な質問をした。
 マサトは思わず吹き出してから、口元を手で押さえ笑いを噛み殺しながら、
「雇っちゃいねぇぜ。あれはただ小遣いをやっただけのこと。・・意味がわかるか?」
と、顔を近付け小声で言った。
 ミルクは眉を寄せ、首を振る。
「俺が何かさせたんじゃマズイだろ?・・アイツ等がしたことと俺は無関係だ。そんなことはアイツ等だって承知してるぜ。」
 マサトの説明に、なんとなくだけわかったミルクは、ふみゅふみゅ、と人形のように頷いた。

 夜も更けてきた頃、一台のベンツが路肩に寄って停まった。
 降りてきた長身の男は、皮のスーツを着てサングラスをかけた姿で、真っ直ぐにマサトの前まで進んだ。
 長い足をグイッと折って屈み込む。
「頼んでおいたのはある?」
「ああ。持ってきてるぜ。」
 マサトは後ろのリュックから、布に包んだ物を取り出した。
 布を男の前で広げて見せる。
 特殊なデザインで、凝った作りをしているシルバーアクセサリーだった。
「これだよッ、これッ。・・くぅーッ・・・欲しかったんだよなぁ。」
 男が爽やか系の笑顔で感激している。
 サングラスをしていても、ミルクはどこか見覚えがある気がした。
「ちっとも姿が見えないから、忘れられたかと思ってたよ。」
「俺は約束は守る男だぜ。」
「ああ。それはわかってるけどさぁ。・・じゃぁ、これ、貰うな。・・・後、これとこれと・・これ。・・・あぁぁ・・時間があればもっとゆっくり見てたいけどなぁ、これから撮影なんだぜぇ。・・ったく、嫌んなるよ。」
「クックッ。売れる時を大事にしねぇと、すぐ落ち目になるぜ。」
「アツッ。言われたぁ。・・ハハッ。オタクにはかなわないな。じゃぁ、請求はマネージャーに出しといてくれる?」
「OK。」
 皮スーツの男はマサトに手を挙げて挨拶すると、車に戻り走り去って行った。
 ほんの10分程度の出来事だった。
 ミルクは固まったまま目を見開いて瞬きを繰り返している。
「・・チッ。・・・あーゆー奴が好みかよ?」
 マサトは煙草に火をつけて面白くなさそうに言う。
「え・・え・・・だって・・・そうじゃないけど・・・今の人って・・・人気俳優の藤沢慎吾じゃない?」
「・・だから?」
 マサトは目を眇めて煙りを吐き出す。
「・・・へぇぇ・・・スターもマサトのお客さんなんだぁ。・・・スゴイねぇ。」
「フンッ。そんなもんかね。・・・女ってのはこれだからなぁ・・・」
「何でぇ?・・・別に好みじゃないもん。ただ、いきなり芸能人が目の前に現れたら、普通の人なら誰だって驚くよぉ。・・・女とか関係なくぅ!」
 ミルクはフグも負けるほど頬を膨らませた。
「クックッ。・・・それだけ丸くなったら風船と間違われそうだぜ。」
 マサトは煙草を携帯灰皿に捨て、ミルクの肩を抱き寄せてキスをした。
 路上なので、そう長いキスは出来なかったが、マサトの機嫌は直ったようだった。
 ミルクは、優しいけれど嫉妬深いマサトの性格を、忘れていたことを反省した。
「ミルはマサトしか興味ないもん。」
 ミルクはマサトの腕に手を回し、肩にもたれかかった。
 風がかなり冷たくなってきていた。
 ミルクは冷えた頬をスリスリとマサトの腕に擦り付けた。
 と、マサトの手がミルクの頬を撫でる。
「冷えてきたな。・・もう店仕舞いにしよう。」
「・・うん。」
 ミルクは、スンッ、と鼻を吸って頷いた。

「わぁぃ、亀だぁ。」
 丸いクッションをリュックとの間に挟み込んだマサトの格好を見て、ミルクは楽しそうに笑った。
「なら、ミルクはラッコか?」
 ミルクが両手でクッションをお腹に抱える姿が、貝をお腹で割るラッコの可愛さと重なる。
「・・つーか・・お前、こんな時間まで帰らないで大丈夫なのか?」
「・・・うん。」
「ちゃんとママに言ってきたんだろうな?」
「だから留守だって言ったじゃん。」
「電話とか出来ねぇのか?」
「・・・だって・・・通じないんだもん。」
「は?・・・じゃぁ、兄貴は?」
「お兄ちゃんも。」
「・・・どうなってんだ、お前の家族は?」
「お兄ちゃんは塾の時って携帯の電源切ってるから。・・・ママは、今日は・・・わかんない。」
「わかんないって?」
「いつもは、朝に遅くなるって言うか、帰った時メモがあるんだけど・・・今日はなかったの。それで、電話したけど、通じなくて・・・」
「お・・お前なぁ、何でそーゆーことをもっと早く言わねぇんだよッ。」
 マサトは眉間にシワを寄せて、怒鳴った。
「・・・独りぼっちだって・・言ったもん。」
「そーじゃなく・・・」
 マサトは呆れたように溜息を吐くと、ミルクを胸に抱き寄せて髪を撫でた。
「スマン。・・俺がもっと詳しく聞いてやれば良かったな。・・・とにかく、もう一度電話してみろ。」
「・・うん。」
 ミルクは携帯を出して、母親の携帯に掛けてみる。
「・・ぅぅ・・やっぱ、通じない。」
「兄貴は?」
 マサトに言われ、ミルクは今度はミツルに掛ける。
「・・お兄ちゃん、電源入れるの忘れてるのかも・・・」
「自宅は?」
 しばらく携帯を耳に当てていたミルクが力なく首を振る。
「ハァァッ・・まいったな。・・・しょうがねぇから、マンションに行こう。お前の体、冷えきっちまってるぜ。」
「・・うん。」
 マサトは一度リュックを降ろして、自分のGジャンをミルクに着せてやった。
 それから、ミルクの手を握ってマンションに向かって歩きながら、自分の携帯で部下に、ミルクの母親の居場所を探すよう指示を出した。

 マンションの部屋について、マサトがミルクに温かいレモンティーを入れてやっていると、マサトの携帯に電話が掛かってきた。
 ミルクの母親は、今度出版するお菓子の本の写真を撮影する為、某スタジオにいるようだ、と報告があった。
 場所を詳しく聞いたマサトは、ミルクがレモンティーを飲む間にスーツに着替えて、フェラーリでスタジオに向かった。
 だが一足遅く、ミルクの母親は今さっき帰ったところだと、片付けで残っていた関係者が言った。
「・・行き違いにはなったが、理由はわかったし、事故とかじゃなかっただけ良かったな?」
 家まで送りながらマサトは、元気のないミルクを慰めるように言った。
「・・・うん・・・」
「ミルクのママもこんな遅くなると思ってなかったんだろう。まさか、スタッフのミスで撮り直しになるなんてさ。」
「・・・うん・・・」
「せっかく作ったケーキを潰されちまえば焦りもするし、他に気が回らなくなっちまったんだろ。また、作り直さなきゃならねぇんだもんな。」
「・・・うん・・・」
「・・どうした?・・・ママを怒ってる?」
「・・・ううん・・・」
「ミルクが遅くなったのを気にしてるのか?・・けど、ミルクだって寂しかったんだしなぁ、・・友達の所で待ってたって言えば、ママにも怒れねぇだろ。・・な?」
「・・・うん・・・」
 ずっとうつむきがちに空気が抜けたような返事しかしないミルクに、マサトは怪訝な顔になる。
 ミルクのクッションを抱えたままでいる手をそっと握って、マサトは、ハッ、となった。
 ミルクの手が異様に熱い。
 いつもならマサトの方が体温が高く、ミルクの手はひんやりと感じるのに。
 慌ててミルクの額に手を当てて、思い切り顔をしかめて舌打ちをした。
「・・チッ。・・・迂闊だったぜ。・・・風邪を引かせちまったか。・・クソッ!」
 マサトは渋滞する道路を苛立たしく睨んだ。

 ぐったりしているミルクを歩かせる訳にはいかず、マサトはミルクの家の前に車を停めた。
 助手席に回ってミルクを抱き上げるマサトの姿を目にした母親が、驚いて家から飛び出してきた。
 ミルクを家に運びながら、マサトは今日ミルクが出掛けた理由やそれからのことを簡単に説明した。
 母親は涙を浮かべ、ミルクに「ごめんね。」と声をかけた。
 そして玄関まで下りて来ていたミツルに、ミルクを部屋まで連れていってやるように言ってから、マサトに深々と頭を下げて感謝した。
 マサトはミルクをベッドまで運んでやりたい衝動を堪え、礼儀正しく挨拶をするとミルクの家を後にした。

<19>
「表の顔」
§19§「表の顔」

 翌朝、マサトは会社から有栖川家に電話をした。
 初めに、女性秘書に社名を名乗って電話を掛けさせ、ミルクの母親に少し話をして頂ける時間があるかを確認させた。
 これだけのことで、自分で宣伝しなくても、社会的地位や信用性を相手に印象付けられる。
 秘書が、
「それでは、会長に代わります。」
と、OKサインを出す。
 マサトは自分の机の電話をおもむろに取った。
「朝の忙しい時間に申し訳ありません。昨夜、ご挨拶もそこそこに失礼してしまったので、その後いかがされたかと気になっておりました。」
―「まぁ・・本当に昨夜はお世話になりました。こちらこそ、簡単なお礼しか言えなくて、恥ずかしいですわ。」
「いえいえ。・・それで、ミルクさんの様子はいかがでしょう?」
―「はい。なにぶん遅かったものですから、解熱剤を飲ませて、水枕で寝かせるくらいしか出来なかったのですが、今朝はだいぶ熱も下がっております。」
「医者に診せた方がよろしいのでは?」
―「あ・・はい。掛かり付けの先生が、じきに往診して下さることになってますの。」
「それなら安心ですね。」
―「ええ。ご心配下さって、ありがとうございます。」
「お母様は、今日はご在宅ですか?」
―「は?・・あ、私ですか?・・ええ。今日はずっと家におります。」
「では、差し支えなければ、午後にお見舞いに伺いたいのですが、お許し頂けますか?」
―「まぁ・・もちろん構いませんが、そこまでして頂かなくても・・・」
「私にも責任がありますから、ミルクさんの顔を見ないと気懸かりで落ち着きません。」
―「そんな・・・では、お待ちしておりますね。」
 そう言った母親の言葉には笑みが含まれていた。
 母親の勘で、娘に恋する男の気持ちを察したのだろうか。
 別に構わない。
 顔を合わせた以上、嘘で取り繕うつもりはない。
 最初が肝心なのだ。
 嘘で誤魔化すと、後の真実さえ信用をなくす。
「会社を出る時、また電話をしますので、よろしくお願いします。」
 マサトは落ち着いた大人のイメージを保ちつつ、電話を終えた。

 リムジンに運転手、プラス男性秘書。
 マサトよりも年上の秘書は、お見舞いの大きな果物籠を母親に渡すと、車に戻っていった。
 ミルクの家の前にずっと車を置いておけないので、近くの駐車場で待つことになっている。
 母親はマサトが抱えている大きな花束にも驚いていたが、盛り沢山の果物にも目を見開いていた。
「まぁ・・・こんなに沢山・・・かえって申し訳ないですわぁ。」
「ミルクさんから、お母様はお菓子作りが得意でいらっしゃると聞いております。お母様なら果物も無駄にはならないでしょう。」
 そう言って、マサトは軽く笑った。
 さり気なく自然に笑うように気を付けながら・・・。
 セッティングと服装と会話で、なるべく闇の気配を消す。
 ただ、首と手から覗く蛇のタトゥーは、隠すと不自然になる。
 第一昨夜の時点で見られていると思った方がいい。
 どんなに表の顔をアピールしても、マサトの存在そのものに不信感があるのは拭えないだろう。
 どの様な関係で昨夜一緒にいたのか、まだ説明はしてないのだ。
 母親としても、一応確認しないことには、病気で寝ている娘の部屋に通せないのは当然だった。
 母親に応接間に案内されながら、マサトは、すぐにも会いたい、とはやる気持ちを納得させていた。

 母親はマサトにお茶を出すと、改めて昨夜の礼を言った。
「スタジオの方まで、娘を連れて行って下さったそうで、本当に済みませんでした。」
「いいえ。もっと早くにミルクさんから事情を聞いていれば、と反省しております。・・夜7時が門限だというのは聞いていたのですが・・一人きりで寂しい、と言うので、趣味に付き合わせてしまいました。」
 母親は、ああ、と納得して頷きながら、
「・・趣味?・・・あ、いえ・・・私もいつもはこんなことないんですけど、昨日は動転してしまって。・・まさか、撮影しようとした瞬間にライトがケーキを並べた上に倒れてくるなんて・・・」
と、頬に手を当てて首を振り、
「スタジオを借りられるのが昨日だけだったものですから、次から次へと忙しさに追われてしまってました。」
と、溜息を吐いた。
「そうでしたか。・・大変でしたね。」
 マサトは眉を寄せて頷く。
「ええ。・・・あのぉ・・・それで、原田さんはどうして娘をご存知でいらっしゃいますの?・・・学園のお友達のご家族の方かと思っておりましたけど・・・」
「いいえ。今、お話した趣味を通じて、・・・と、言いますか、私の趣味はシルバーアクセサリーの収集なんですが、同じ趣味の人達にも私が海外で手に入れた物を紹介することが出来ればと思い、街で路上販売をしているのです。」
「路上・・販売?」
 マサトの今の服装からは想像出来ない。
 母親はミルクとよく似た顔で同じように瞬きをした。
「ハハッ。普段、会長などという堅苦しい役をしている反動でしょうか。自由な時間がある時には、一人で街に出て、色々な人達と触れ合うのを楽しみにしています。」
「まぁ・・・そうですのぉ。」
「はい。・・ミルクさんとお会いしたのも、そうした時でした。ご友人方とコンサートへ行かれたとか。帰り道で悪漢に絡まれてしまわれたようで、声を掛けたのが切っ掛けです。」
「え・・・あ、じゃぁ・・・あの時、娘を助けて下さった方?」
 母親には思い当たることがあった。
 転んでも打ち身くらいの子が怪我をして帰ってきた時、傷が残らないかと心配するのは母親として当然のことだ。
 しかも男物のハンカチで傷口を縛ってある。
 訳を聞いて、助けて貰った、という話は聞いていたのだ。
「そうでしたの。・・知らずに、お礼も出来なくて・・・度々、娘を助けて頂いて、本当にありがとうございます。」
「いえ、たいしたことではありません。それに、ハンカチを返しに来てくれたことで、お付き合い出来るようになりましたし、礼を言われてしまうのも恐縮です。ハハハッ。」
 母親もつられて笑う。
「あらあら、ホホホッ。・・あ・・・もしかして・・ブレスレットは原田さんが?」
「・・済みません。」
「あ・・いいえ。理由がわかってホッとしましたわ。一本くらいならお小遣いでも買えるでしょうけど、増えていくのが心配でしたのよ。」
「もっと早くご挨拶に伺いたかったのですが、私の年齢が離れているので、ミルクさんも紹介しずらかったのだと思います。」
「フフッ。歳が近ければ紹介しやすい、ということもないでしょうけど。」
「それもそうですね。ハハハッ。」
 母親というのは娘の恋人には寛大なもののようだ。
 相手が余程不良や悪人でなければ、父親のように頭ごなしに反対はしないらしい。
 母親はマサトの表の顔を気に入ったようで、すっかり打ち解けて談笑していた。
「それで・・・ミルクさんには、会わせて頂けますでしょうか?」
 焦れてきたマサトが遠慮がちに切り出すと、
「あら・・そうでしたわね。」
と、すっかり忘れていたらしく、思い出したように言った。
 ・・・やれやれ。
 性格もミルクに似ているらしいな。
 マサトは表の顔を崩さないようにしながら、内心溜息を吐いた。

 ミルクはお昼の後の薬が効いていて、母親が起こすまで眠っていた。
 目を覚ましたミルクは、マサトの姿に唖然とした。
「・・・ほぇ・・・?」
「あらあら、ミルちゃん。ちゃんとご挨拶なさい。・・ほら、こんなに綺麗な花束を頂いたのよ。それにお見舞いの果物もたぁーくさん。フフッ。」
 マサトは母親の後ろで、感極まったように黙ってミルクを見つめている。
 会いたくて、会いたくて、やっと会えた。
「頂いた果物、食べる?」
「・・・うん。」
「じゃぁ、剥いてくるわね。・・それに、お花も花瓶にさしましょうね。」
 母親はそう言うと、マサトに、
「それじゃ、ちょっと失礼します。」
と言って、ミルクの部屋を出ていった。
「・・・マサトぉ・・・」
「・・ミルク・・・」
 マサトはミルクの枕元に跪き、ミルクの手を握ると唇を押し当てた。
「心配でたまらなかった。・・どうしても会いたくて・・我慢出来なかったんだ。」
「・・・うん。」
「・・ちゃんと表の顔で来てるから・・・」
 マサトは顔を近付け、小声で囁いた。
「クスッ。・・ありがと。」
「・・まだ、熱があるんだな。」
 マサトはミルクに頬ずりをして、キスを繰り返す。
「・・ぁん・・・風邪が移っちゃうよぉ。」
「移して欲しいぜ。・・ミルクの風邪を吸い取れるものなら吸い取ってやりたい。」
「そしたら、今度はミルが心配しちゃうじゃぁーん。」
「クックッ。俺は風邪は引かない体質なんだ。残念だが・・・」
「へぇ・・そなんだぁ。・・ミルもそんなには引かないみたい。だから、たまに風邪引くと、お兄ちゃんにバカにされるぅ。」
「そうか?・・昨夜、すっげぇ怖い顔で睨まれたぜ。」
「・・んー・・覚えてない・・・」
「ミルクは相当熱があったからな。・・・色々あったから、神経使ってストレスが貯まってたんだろう。ストレス性の風邪ってのもあるんだぜ。」
「ストレス?・・キャハッ・・ミルって大人ぁ・・・」
「喜んでるなよ。・・どれだけ心配したと思ってんだ。」
 マサトは熱い吐息で言うと、顔を擦り付ける。
 額と額、鼻と鼻、頬と頬、唇と唇、、感触を味わうように目を閉じて肌を触れ合わせる。
 そして優しく情熱的にキスを繰り返す。
「・・ん、、、ぁん・・・ママが来るとヤバイじゃん。」
「・・・交際宣言はしたぞ。」
「ぅえっ?!・・・マジ?」
 目を丸くするミルクに、マサトは大きく頷いてみせた。
 たちまちミルクの顔が赤くなっていく。
「おいおい。また熱を出さないでくれよ?」
「・・・ぅぅ・・・だってぇ・・・」
「これでちゃんと家まで送り迎え出来るようになったんだ。・・あ、そうだ。交際宣言の記念ブレスレット、用意しなきゃな。」
「えー・・・五本になっちゃうよぉ?」
「ブレスレットのことも、ママは気付いたぜ。だから、もう何本増えても大丈夫。」
「・・・てゆーか・・・腕が重くなるぅ・・・」
「・・・ぉぃ・・・つーか、それくらい鍛えろ。」
「えー・・・」
「ストレスでも風邪を引かなくなるぞ。・・クックッ。」
「・・ふぇ〜ん・・・」
「嘘泣きは禁止。」
「・・・ブゥゥゥ・・・」
 ミルクが尖らせた唇に、マサトが笑ってキスをした。
「ったく・・・可愛くて可愛くて、蛇がムズムズと頭出したがってるぜ。」
「・・いやぁ〜ん・・・」
 ミルクは真っ赤になって布団を頭まで被ってしまった。

 果物を剥いて運んできた母親は、赤い顔のミルクの額に手を当て、
「あら・・・また、熱が出てきちゃったの?」
と優しく微笑んだ。
 それから、マサトにミルクを休ませたいからと、
「下でお茶でもいかがですか?」
と勧めた。
 マサトはミルクの額に軽くキスをすると、
「ゆっくり休めよ。」
と言って、部屋を出ていった。

 母親はマサトの前にオリジナルケーキを差し出した。
 マサトはギクリとしたが、顔には出さず、静かに紅茶を一口飲んだ。
「昨日は50種類のケーキを作りましたのよ。それで、スタッフの方達にもお分けしたんですけど、家にも持ち帰りましたの。・・あ・・失礼でしたかしら・・・」
「いえ。ミルクさんから、お母様の作られるケーキはお店が出せるほどに美味しい、と伺ってましたので、甘い物が苦手な私でも一度は頂いてみたいものと思っておりました。」
「ホホッ。そうでしたの?・・そのケーキでしたら、甘さは控えてありますから、男性でも大丈夫かと思いまして。」
「ほぅ。では、頂きます。」
 マサトは小振りのケーキをフォークで切り分け、口に運んだ。
 香ばしいクルミの香りが広がり、ほんのりブランデーの芳香が口から鼻に抜けていく。
 見た目や感触より口溶けが優しく、微かな苦みが最後にスーッと消えていく。
 甘すぎるケーキにありがちな残留感がなく、確かに大人向けの爽やかな中に深みのある味わいだった。
 マサトはしばらくじっとケーキを見つめていた。
 そして、
「・・・これは素晴らしい。・・なるほど、確かにミルクさんが自慢するだけのことはありますね。」
と、感激して言った。
「まぁ・・フフッ。ありがとうございます。お口に合って、良かったですわ。」
「お世辞ではありません。本当に甘いのは苦手なのですが、これでしたら全部頂けます。」
「クスッ。家でもミルクの兄のミツルがそうですのよ。子供達は小さい頃から正反対の味の好みで、両方に合わせる工夫や研究を重ねてきたのが、役に立ったようですわ。」
「・・・素晴らしい・・・」
 マサトは更に感激して言った。
「お母様は、本当に優しく賢明な母君でいらっしゃるのですね。」
「そんな・・恥ずかしいですわ。」
 まだ30代の母親は頬を染めて恥じらいだ。
 それから、フッと表情に影を差して、
「私なんて・・だた子供を思う母親として普通のことしか出来ない、つまらない女ですわ。」
と、静かに言った。
「女性が母であること以上に偉大な業績があるでしょうか?」
 マサトは力のこもった声で、断言した。
 え?、と母親は驚いてマサトを見つめた。
「今の時代、母としての役割が軽く見られがちです。男女同権を謳い、男性と肩を並べて仕事出来る女性を褒め讃える。・・・ですが、本当にそうでしょうか?・・それでいいと思われますか?・・・社会に出て活躍出来る子に育て上げるのは母親です。夫が安心して仕事が出来るのも、子供を任せられる母としての妻の存在があればこそです。・・・母親というのは豊かな大地のようなものだと私は思っています。元気な木々を育み、立派な実をつけさせる力は大地にこそあります。」
 母親は圧倒されて息を飲んだ。
「誰もが目にも見え、見栄えする新緑の樹木となりたがる時代ですが、一方で木々を育む大地は涸れて砂漠かアスファルトのように豊かさをなくしていく。砂漠に木が育ちますか?砂漠に生える樹木が太い幹となり沢山の葉を茂らせることが出来るでしょうか?・・・すべて、豊かな大地があればこその豊かさだったのです。」
「・・はぁ・・・」
「大地の努力は目に見えにくいものです。木を誉めても大地を誉める人は少ない。ただ、偉人や天才が業績を残した時のみ脚光を浴びる。本当は皆、母親の存在の偉大さや価値をわかっているはずなのに、普段踏みつけているだけに忘れがちです。目は美しい花へと誘われる。」
「・・え・・・」
「踏みつけられるばかりで、努力を認められない存在というのは、辛いものです。誰も誉めてくれなければ、時には光を浴びる樹木となって大空に向かって手を広げてみたくもなるでしょう。そうした苦しみに耐え、慈愛を注ぐ大地となる母親という存在以上に、私は素晴らしい業績を見出すことは出来ません。」
 そう言って眉をひそめるマサトからは微かに闇の気配が漂っていた。
 母親は胸を押さえて大きく息を吐いた。
「・・・原田さんのお母様は御立派な方ですのね。・・・お話を聞いて、私、恥ずかしくなりましたわ。」
「いいえ。・・その逆です。」
 マサトは苦笑して紅茶で喉を潤し、少し力説してしまった自分を自嘲するように首を振った。
「全く子供に関心のない母でしたので、・・余計、母親という存在に憧れを抱いたのかも知れませんね。」
「まぁ・・・そうでしたの。」
「原因は父にもあったのですが・・・っと、ここで家の愚痴を言っても仕方ないですね。申し訳ありません。」
 母親はどう答えていいかわからず、曖昧に笑みを返した。
「ですが、母としての努力から生まれた素晴らしい才能を、生かすのも素晴らしいことですね。大地も時として、噴火し山となりますから。ハハハッ。」
「あら・・そうですわね。フフッ。」
「ミルクさんにお聞きしました。ケーキの店を持つことが夢だとか。」
「あ・・ええ。先のことですけど・・・」
「ご子息が無事大学に入学されれば、母親としての大役も果たされるのではありませんか?」
「え・・いえ・・まだミルクが・・・」
「ミルクさんには私がおりますから。」
「まぁ・・・ホホホッ。・・そうですわね。」
「それにミルクさんの夢も、お母様を助けながらケーキ職人の腕を磨くこととか。・・作るより、店先で販売してる方が似合いそうではありますが・・・」
 マサトはそう言って思わず笑う。
 母親も一緒になって笑った。
「ですが、私としてもミルクさんの夢・・先んじてお母様の夢に協力させて頂きたい。ミルクさんが卒業される前に、お店がある程度順調に営業出来ていれば、就職先で迷う必要もないでしょう。」
「・・・はぁ・・・」
「いかがでしょう。私に融資させて頂けませんか?」
「・・・は?」
「無担保、無利子で、必要なだけいくらでも、・・ご融資致します。」
「・・あ・・・でも・・・急にそう仰られましても・・・」
「ええ。ゆっくり考えて頂いて構いません。・・来年の春に開店出来るくらいを目処に、話を進めていくくらいでいいでしょう。」
「はぁ?・・・来年の春ですか?」
「街の中心地にドーンと6Fくらいのビルを建てて、1Fでは販売、2Fは喫茶かレストラン、3・4Fを工場、5・6Fは貸し事務所でもいいでしょう。大々的にお母様の味を打ち出してみるのも、面白いですよ?」
 母親は呆気に取られて聞いていたが、
「まぁまぁ、ご冗談ばっかり・・」
と言って、笑い出してしまった。
「いえ。本気ですが。」
 マサトは真剣な顔で言った。
「ですが・・そこまでして頂くのは・・・」
「自信と決断と実行。これを確実なものとすることで、私は会社をゼロから今の状態にまで育てあげました。国内に7社、海外に5社、全て優良株です。」
「まぁぁ・・・」
 母親は驚いて開けた口を片手で押さえた。
 そんな仕草もミルクに似ていた。
「・・今、私の最大の目標は・・・ミルクさんを妻にすること。」
「あら・・・」
 母親は今度は両手で口を覆って無邪気に笑い出した。
「本気で悩んでいるんです。ミルクさんが将来を不安がって、大学へ進むとなれば、7年も待たなければならないのですから・・・」
「・・それもそうですわね・・・プッ・・・クスクスッ・・・」
「お母様と御一緒にお店の仕事が出来れば、妻となっても出来ることですし・・・私自身の為にも、お店を出されるという夢は重要なのです。」
「ありがとうございます。・・・フゥッ・・・本当に娘を思って下さってますのね。」
 そう、しみじみと言う母親の目にうっすらと涙が浮かぶ。
「ご融資して頂けるなら、私も真剣に考えてみますわ。」
「それはいい。」
「ですけど・・お店は小さなものがいいと思っておりますの。あまり大き過ぎでも、それに見合った製産をしなければいけないでしょう?・・お客様にお出しする物は全て、真心を込めて自分で手掛けたいと思いますのよ。」
 恥ずかしそうに言う母親の姿を、マサトは感動の面持ちで見つめた。
「・・・あぁ・・・あなたも・・・野辺の花を愛でられる方なのですね。」
「・・え?」
「ケースに守られた大輪の花ではなく・・・自然な風そよぐ野辺で咲く、小さな花の生き方を望まれていらっしゃる。・・・まさに・・・小さな花こそ、大地そのものの花です。」
 マサトにじっと見つめられて、そう言われた母親の目から涙がこぼれ落ちた。
「ミルクさんが野辺の花のように愛らしい理由がわかった気がします。」
「・・・原田さん・・・」
 母親はなぜか感動して、顔を覆って噎び泣いてしまった。
 最先端で活躍していた女性に、夫を奪われた悲しみを、隠して堪え忍んでいた心に、マサトの優しい言葉が染み込んだのかも知れない。
「どうか、私を信用して下さい。そして、これからはどんなことでも話して下さい。・・・私の両親はすでになく、天涯孤独の身です。家族のように頼って頂ければ、私としても嬉しい限りです。」
「・・・ありがと・・う・・ございます。・・・本当に・・・もう・・・感謝の言葉がみつかりませんわ。」
「ハハッ。家族で感謝などいちいちするのは面倒ですよ。お母様もマサトと呼んでください。」
「・・・マサトさん・・・」
「はい。」
 マサトは微笑んで答えると、残っていた紅茶を飲み干した。

 母親は紅茶を新しく入れるから、と席を立とうとしたが、マサトは仕事に戻るからと辞退した。
 そして、車を呼ぶと、もう一度ミルクの様子を見てから、ミルクの家を後にした。
 母親はすっかりマサトのファンになってしまったようで、ミルクの部屋でマサトを誉めまくっていた。
 ミルクは訳がわからず、
「・・ふーん・・・そうなんだぁ・・・」
と、相槌をうつしか出来なかった。
 ミルクの年齢に合わせて会話するマサトしかミルクにはわからなかったが、一代で成長株の会社を持つだけの才能を持った28歳の男が秘める、力と裁量は計り知れないものがあって当然だった。
 普通の28歳なら若輩で通る年齢で、若輩に甘んじていたら会社など持ち得ようがなかった。
 そこには持って生まれた並はずれた才能だけでなく、13歳からの15年間における血の滲む努力あってこそだった。
 そして、会社を運営する立場として、良識も見識も持ち合わせているのは当然と言えた。
 それでもなぜ、闇の世界に君臨しようとするのか。
 まだ、未知のなぞを抱えているマサトだった。

<20>
「対立」
§20§「対立」

 ミルクが寝込んでいた三日間、マサトは、いい機会、とばかりに毎日お見舞いに訪れた。
 すっかりマサトを気に入り、信頼しきってしまった母親は、マサトがミルクを見舞っている時間以上に、あれこれと相談事も含め話し込んでいた。
 ずっと一人で悩みや悲しみを抱えてきた母親にとって、マサトは頼り甲斐のある最も近しい男性となりつつあった。
 マサトもそうした信頼に応えるように、親身になって受け答えをし、必要なことがあればすぐ解決出来るよう手配した。
 花壇の棚が壊れかけていて鉢植えを飾れない、と聞けば、急遽日曜大工の真似事をして棚の補強をしてやったりした。
 ミツルは家に帰ってきては、そうしたことを母親から聞かされ、面白くなさを募らせていたが、自分が学校へ行っている間のことで、マサトを気に入らなくても追い出しようがなかった。

 土曜日。
 ミルクが起きられるようになったこともあり、快気祝いとマサトへのお礼の意味も込めて、夕食に招待することになった。
 それならばとマサトは、花壇周りや棚の板、芝生との境の仕切りになっている組木枠のペンキが痛んでいるからと、塗り替えを買って出た。
 もちろん喜ぶ母親に断る理由はなく、午前中に仕事を切り上げたマサトは、ペンキや道具を持って有栖川家を訪れた。
 作業着に着替え腕まくりをしたマサトの腕に、巻き付くような蛇のタトゥーを見た時は、さすがに驚きを隠せなかった母親だったが、元々そうした物に拘らない性格だったので、すぐにいつもの笑顔をマサトに向けた。

 だが、剣道の練習試合から帰ってきたミツルがそのタトゥーを目の当たりにして、思い切り不信感を募らせた。
 いっそ手にした竹刀で叩きのめしてやろうか、と思ったものの、母親の手前、乱暴だけは働くまいと我慢した。
 それでも、容認は出来ない。
 ミツルは仕上げも間近いマサトに近付いていった。
「マサトさん。・・あなたのお噂は常々母から聞かされてます。」
「・・そうですか。」
「母の話では、若いのにたいそう立派な方だとか・・・」
「いえ。たいしたことはありませんよ。」
「立派な方というわりに・・・随分、気味の悪い入れ墨をしているものですね。」
「・・蛇は嫌いですか?」
「ええ。苦手ではありませんが、嫌いです。陰湿で狡賢い。」
「・・クスッ。・・ミルクさんは嫌いじゃないが、苦手だそうです。」
「妹の好みはどうでもいい。・・妹はまだ正しい物の見方も知らず、判断力にも欠けていますから。」
「・・随分な言いようだ。」
 マサトは溜息を吐いて首を振った。
「貶しているわけではありません。それだけまだ幼いと言ってるのです。だから、自分が妹の未熟な部分を補ってやっています。」
 マサトはペンキを塗る手を止め、屈んでる姿勢でミツルを見上げた。
「・・ミルクは貶されていると感じているようですよ。・・君の補うという気負いが、彼女の自己嫌悪を引き起こしていることに気づけないのかな?」
 ミツルはカッと目を見開いた。
 目の縁が怒りで赤く染まっている。
 よく似た顔でここまで違う表情が出来ることに、マサトは内心、感心しながら見ていた。
 それから、フッ、と笑みを洩らすと、ペンキ塗りの作業に戻った。
「何故、そんな入れ墨をしたのか、理由をまだ聞いてない。」
「・・いつ理由を聞いたんだ?」
 マサトはペンキを塗っている部分へ視線を向けたまま言った。
「ムッ。・・・では、今聞く。何故です?」
「・・クックッ。蛇が好きだから。・・それだけです。」
「そんな理由があるか?だったら、犬や猫が好きならそうした入れ墨をするのか?」
「・・あぁ・・そういえば、してる人もいますねぇ。」
「普通はしないだろう?」
「・・する、しない、は個人の自由でしょう。」
「常識的にはしない、と言ってるんだ。」
「常識ねぇ・・・常識を破ってこそ、進化進歩があるのですよ。・・私は10代で二倍三倍も歳の離れた大人達を使い、率いてきました。どんな常識に照らせばいいでしょうね?・・・君は君を負かすことをミルクへの告白の条件にしたそうですね?」
「は?・・だからどうした?・・恋だ、愛だ、と現を抜かすばかりで、自分を鍛えようともしない男に価値はない。」
「クックッ。その発想は私も賛成ですよ。・・・私も私のタトゥーに文句を付けるなら、私を仕事で負かすことが出来てからにしろ、と言ってきましたから。」
 マサトは最後の部分を塗り終えて、立ち上がった。
 ミツルは自分より身長も体格もいいマサトに、一瞬たじろいだ。
 家の中から様子を見ていた母親には、二人の会話は聞こえていなかった。
 ただ、塗り終えた様子にガラス戸を開けて、
「終わりましたの?・・上がって休んでくださいね。」
と、マサトに笑顔で声を掛けた。
「ありがとうございます。・・着替えたいので、出来ればシャワーをお借り出来ますでしょうか?」
「ええ。お風呂の用意が出来てますから、ご利用くださいませね。」
「はい。お言葉に甘えさせて頂きます。」
 マサトも母親に笑顔で答えた。
 それから、ミツルに向かって、
「君の若さで丸くなれ、とは言わないが、人に向けた刃が折れて、自分自身に刺さらないように気を付けた方がいいよ。」
と、軽く肩を叩いた。
「・・強迫する気か?」
「クスッ。何を言ってるのか・・・ただの助言ですよ。」
 マサトは苦笑しながら、家の中へと入っていった。

 夕食会となり、ミルクと母親とマサト、それに”家族の義務としてこの場にいるだけ”と顔に書いたミツルが、テーブルを囲んだ。
 夕食の料理は、かなり元気になったミルクも手伝って作ったらしく、嬉しそうに料理の説明をしながらマサトに勧めた。
 マサトは笑みを浮かべて頷きながら聞いてやり、肝心な部分のポイントは母親の方に聞くといった気配りをしながら、料理を堪能していた。
 けれどミツルは終始無言で、マサトが軽いジョークを言って場を和ませるようにしても、ニコリともしなかった。
 母親は困った顔で、
「ミツルさん。お客様をお持てなしする態度ではないでしょう?失礼ですよ。」
と、注意した。
 ミルクは思いついたように、
「あー・・お兄ちゃん、まだ勝負してないから認めない、って思ってるのぉ?・・・それって絶対、マサトが勝つよ。」
と、笑顔で断言した。
 ミツルが眇めた目をミルクに向ける。
「あら・・・何のお話?」
「え・・・えっとぉ・・・お兄ちゃん、強そうな人がいると勝負したがるみたい〜。えへへッ。」
 ミルクは誤魔化し笑いをしながら、耳の後ろを掻いた。
 母親は首を傾げながらも、
「それは無茶だわ。・・強さにも色々あるでしょうし、どんなに強くても得手不得手はあるものですもの。」
と言った。
「えー・・・そうなんだぁ。・・・じゃぁ、剣道だったら、マサト負けちゃう?」
「さぁ・・・どうかな?」
 マサトはそう言って小さく笑うと、唐突にイスから立ち上がった。
 そして、数歩後ろに下がると、
「大日本大和柳生会 柳生新陰流兵法 免許皆伝の腕前をとくとご覧じあれ。」
と、時代劇がかった声色で、箸を刀に見立てて、
「エイッ!・・ヤァッ!・・トウッ!」
と、型を披露した。
「わぁ・・・スッゴォーイ!」
「あらぁ・・・」
 ミルクと母親は笑いながら拍手した。
 二人とも、マサトが時代劇のタテのマネをしたと思っていたのだ。
 ただ、ミツルだけは目を見張り、緊張に青ざめた顔をしていた。
「ま・・・こんな真似事なら。」
 マサトは席に戻って、猫笑いをした。
「マサト、超カッコ良かったよぉ。フフッ。」
「ホントだわぁ。剣道をしてらしたの?」
「いいえ。真似事だけです。少し行儀が悪かったですね。済みません。」
 マサトは恐縮したように頭を下げた。
 
 けれど、真似事ではないことを、ミツルだけは感じ取っていた。
 マサトは冗談で覆い隠しながら、実はその型だけで、ミツルには到底及ばないのだということを知らしめたのだ。
 勝負にならない。
 すでにミツルは負けていた。
 ミツルは屈辱に青ざめ、うつむいていた。
 だが、あまりにも刀相が禍々し過ぎる。
 ミツルには箸を包むように刀の刃が先まで見えていた。
 冷気を帯び、露を含んで妖しく光る、異様な刀相。
「・・・殺人剣だ・・・」
 ミツルは思わず、口に出して呟いていた。
 マサトの眉がピクッと微動する。
 ミツルは顔を上げ、マサトを睨んだ。
「貴様の剣は殺人剣だ。一体、何人の人を殺してきた?」
「おやおや。・・ミツル君も時代劇を始めたかな?」
 マサトは苦笑し、大袈裟に肩をすくめてみせた。
「お兄ちゃん・・・喧嘩を売るのはやめてよねぇ。」
「ミツルさん。失礼はしないで、って言ってるでしょう?」
「いえいえ。構いませんよ。・・兄の立場からすれば、私が気にくわないのは当然のことです。」
 マサトは笑みを浮かべて聞き流そうとした。
 だが、ミツルはやめなかった。
「俺にはわかる。俺にははっきりと貴様の刀が見えていた。」
「・・これが・・・刀と?」
 マサトは箸をちょっと上げてから苦笑する。
「違うッ!・・刀の・・魂のようなものだ。」
「ほぅ・・・では、剣豪だった守護霊が乗り移ったかな?」
「冗談で誤魔化すなッ!それは貴様自身がよく承知してることだろう?」
「私にわかっているのは、君のその態度が、君の大切な妹であるミルクや、掛け替えのない母君を悲しませている、ということぐらいだ。・・・私は構わない。だが、私としてもミルクや母君が悲しまれるのは辛い。その辺の所を、君に注意を促したいね。」
「二人は騙せても、俺は騙されないぞッ!」
「お兄ちゃんッ!」
 ミルクは席を立ってミツルの肩をつかむと、泣きながら揺すった。
「・・ミルク・・・」
 ミツルは眉を寄せて、苦悶の表情になる。
「せっかく楽しく食事をしようという時に、妹を泣かせるのが君の礼儀なのか?・・礼儀を弁えられない未熟な子供に、どんな立派な主義主張が言えると思っている?・・世の中、それほど甘くはないぞ。・・・どんなに反りが合わなくても、例え親の敵でも、公的な席で弁えを知らない者はつまみ出されるだけだ、ということを、よく覚えておきなさい。」
「・・マサトぉ・・・」
 ミルクがうるうるとマサトを見つめる。
 マサトは席を立ってミルクを手招きし、オズオズと近付いたミルクをそっと抱き締めた。
「心配ないよ。怒っちゃいないさ。・・ただ、世の中ってものを少し教えてやっただけのこと。ミルクは何も心配しなくていい。何も怖くない。・・だろ?」
「・・うん。」
「よしよし。」
 マサトは優しくミルクの髪を撫で、それからそっとミルクから離れた。
「今夜はこれで失礼しましょう。」
「マサト?」
「あ・・あら・・・申し訳ありません。何てお詫びしていいか・・・」
「いえ。本当に気になさらずに。・・料理、大変美味しく頂きました。こうした家庭料理というものを、初めて知ることが出来ました。心から感謝しています。・・ご馳走様でした。」
 マサトは微笑んだまま頭を下げて、玄関へと向かった。

 見送るというミルクと母親に、少し歩きながら車を待つから、とマサトはミルクの家を後にした。
 マサトが携帯で近くにいる車を呼んでから、ゆっくり歩いていると、駆けてくる足音がした。
 マサトは立ち止まり、煙草を取り出して火をつけた。
 細い煙を吐き出した時、ミツルがマサトの前に立った。
「待ってたぜ。お坊ちゃん。」
 ガラリと変わったマサトの言葉に、ミツルはギクリとした。
「き・・貴様・・・やっぱり・・・」
「だからどうした?お前に俺が倒せるのか?え?・・だいたい何が不満なんだ?・・俺はミルクを真剣に愛している。ミルクが笑顔でいられる為なら、その家族も大切にしようと思っている。その行為のどこに、お前から非難される云われがあるってんだ?」
「・・ミルクは貴様と付き合ったら幸せにはなれない。」
「自分も見えてねぇお前に、俺達の未来が見えてたまるかよッ!」
「貴様の本性を暴いてミルクに見せてやるッ!」
「人を告発する時はなぁ、それなりの根拠や証拠が必要なんだぜ?・・法律を学ぼうってんなら、それくらいわかるんじゃねぇのか?・・・それに、ミルクは俺のことはみんな承知してるんだぜ?・・もっとも・・それを人に言うような子じゃねぇけどな。」
「な・・・」
「お前がミルクを不幸にしているんじゃねぇのか?」
「俺は兄として・・心配してるだけだ。」
「・・どうだかな。・・・ま、いいさ。とにかく、お前には俺を敵に出来る実力はねぇよ。そこんとこ、よく弁えてろッ!」
 ミツルは握り拳を固く握り、震わせている。
 そこに、静かに車が近付いてきた。
 マサトが煙草をミツルに向かって、弾き飛ばした。
 ミツルは避けながら、
「いつか必ずお前の裏の顔を暴いてやる。法の権力の元に。」
と言った。
 マサトは車に乗りかけた姿勢で、
「ほぅ・・・自分の実力では敵わないと悟って、警察権力を盾に多勢無勢で俺を負かせようってのか?・・・クックックッ。いいだろう。好きにしろ。」
と言い、
「所詮、その程度の男か。フンッ。・・・卑怯者。」
と、笑いながら車に乗り込んだ。
 ドアが閉まり、車が遠離っていく。
 ミツルは唇を血が出るほど強く噛んで、屈辱感に打ちのめされていた。