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| <1> 「残された命」 |
<1>「残された命」 「なぁ、唯(ゆい)。ドライブに行かないかぁ?」 コーヒーを飲みながら雑誌をパラパラと捲っていた大河が、不意に顔を上げて言った。 「俺はいいから、大河(たいが)は行ってくればいいよ。」 窓際のカウチソファーでくつろぎながら本を読んでいる唯は、本に視線を落としたまま返事をした。 「一人じゃつまんねぇだろ?・・付き合えよ。」 唯の視線を引き付けようと、大河は雑誌をテーブルに音を立てて放り投げた。 「なら、サークルの女の子を誘って行ってくればいいだろ?」 唯は相変わらず本を読み続けている。 「今一、気の合う子がいねぇんだなぁ・・・」 大河は溜息をついて、頭の後ろで手を組んだ。 「クスッ。・・・コンパではあんなに盛り上がってたくせに。」 唯は微笑んで首を振り、本のページを捲った。 午前の陽射しが部屋の奥まで差し込み、広めのリビングを明るく照らしている。 唯の白い頬にも光が当たり、白い肌を一層白く輝かせている。 大河は見慣れていながらも、つい見取れてしまう唯の柔らかく整った横顔から意識を戻して、 「デートとかだと色々期待されて面倒臭いだろぉ。今日はそんな気分じゃねぇんだよ。何も考えずにタァーッと走りたいんだ。」 と、更に粘って言った。 「だから、行ってこいよ。」 唯は変わらない調子で、またページを捲る。 「で、お前は日がな一日、日溜まりで読書か?爺臭せぇなぁ。」 大河は唯がほとんど無視の状態なのに手を焼いて、怒らせようと構うように言った。 「少年老いやすく、学成り難し。・・・歳を取ってからの人生の余暇としての読書もいいだろうけど、人生の指針にするなら早い時期に多くの書物に触れた方がいい。って、ヘンゼル先生も仰ってただろ。・・・俺ももう少年期を過ぎて、読書が栄養になる時期は残り少ないしね。」 唯は大河の皮肉っぽい言い方を気にすることなく、更にページを捲った。 大河と話をしながらも、一方では着実に本を読み進めている。 (器用な奴。) 大河はそんな唯を見ると、いつも感心してしまう。 唯は数種のことを同時進行させてしまえる才能があった。 例えば、ドイツ人学者の講義テープを聴きながら、アメリカ研究グループの研究成果発表ビデオを見て、ロシア語で書かれた医学書を読みながら、日本語で手紙をタイプする、といった信じられないことをしていても、全て小さな言葉も洩らすことなく頭に入れてしまうのである。 唯は、「その時は、たまたま忙しかっただけだよ。」と言うが、どんなに忙しくても、さすがの大河もそれだけはマネが出来なかった。 大河21歳。―18歳の唯とは11年以上の付き合いになる。 唯が7歳で留学する時に、唯を守る学友として選ばれ、同じ教室で共に学んできた関係で、今では互いの親の立場を越えた親友になっていた。 特殊な英才教育を受け、幼い頃から天才ぶりを発揮してきた唯と、席を並べられるだけの頭脳を要求されて選ばれただけに、大河自身も天才と言えた。 イギリス留学が8年とドイツ留学3年の間に、唯は理学博士と医学博士の称号を取得し、大河も必死に食い付いて医学博士の称号を得た。 もっとも、博士号を取った唯との共同研究は、そのほとんどが唯の努力と才能によって成果をあげたものだった。 帰国後、医学関係の大学から研究室への招待が殺到したが、唯は、「まだ、学ぶべき時期なので。」と、全てを断って、これまで学んだものとは専門外である文学部の一学生に納まったのだった。 唯は6歳まで海外で暮らしていたし、両親の死後一時帰国していたものの、イギリス留学の為7歳で日本を離れたので、日本自体をあまりよく知らなかった。 それで、一つの区切りがついた機会に、日本の文化や文学といったものを知りたいと思っていたのだ。 日本語は唯と大河の保護者的立場で留学に同行し生活を共にした拓磨(たくま)から学んだので、帰国しても困ることはなかった。 拓磨も大河同様、唯を養子として引き取った養父が総統を務める組織に、所属する親を持つ子弟で、大学を卒業したばかりの頃、二人の生活全般の面倒を任されたのだった。 だが、7年後その拓磨が父親の急死によって帰国せざるを得ず、代わりに唯の養父から派遣されたのが冬馬(とーま)で、大河の乱暴な言葉遣いはその冬馬の影響だった。 唯も大河ほどではなかったが、影響を受けていたので、帰国した二人を迎えた拓磨は、「私がずっとお側にいるべきでした。申し訳ありません。」と、悲しげな顔で言った後、二人のいない所で思いきり冬馬を叱ったらしい。 それで、現在は唯の養父の秘書をしている拓磨から電話があると、唯はなるべく丁寧な言葉を使うように気を付けているようだった。 二人で都内のマンションで暮らすようになって2ヶ月。 帰国してからしばらくは、お互いに各々の実家で生活していたが、大学が始まる前に都会での生活に慣れておくようにと、買って貰ったマンションでの生活を早めにスタートさせ、その間に二人共自動車免許を取得していた。 唯を溺愛している養父は、最も人気の高いイタリア製の車をすぐにプレゼントしてくれた。 大河も4WDの国産車を贈られたが、普段は唯の車を運転することが多かった。 同じ文学部に籍を置き、同じサークルに所属しているので、留学中の頃同様にほとんど一緒に行動していて、わざわざ二台で出掛ける必要がなかったことも理由の一つだったが、女の子受けのいい唯の車でデートに誘いたいという理由もあった。 唯と大河は、トイレと寝室以外離れることがなかった留学時代と違って、日本の大学に通うようになってからは、別行動をとる機会も増えていた。 18歳になった今でも学問にしか興味を持たない唯と違って、21歳の大河はサークルの女の子や、同じ学部の女の子達と遊びに出掛けるようになったのだ。 大学が本格的に始まって、まだ半月程度にもかかわらず、大河の付き合う彼女は数人いるらしい。 そもそもサークルにも、大河が唯を無理矢理引き込んだようなもので、「可愛い女の子が多い。」という理由で選んだ『テニス愛好会』は、週末にデートを兼ねたテニスを楽しむサークルのようだった。 連日繰り返されるコンパや練習する気も起こらなくなるような週末のお遊びテニスに、呆れた唯はサークルへの参加を拒否するようになって、遊び回る大河を放っておき、読書三昧の日々を送るようになったのだ。 「そんなに本ばっか読んでると、牛になるぜ。」 じれた大河が唯の目の前に立って、腰に手を当てて唯を見下ろした。 190cm近い身長の大河は、肩の筋肉も盛り上がった体育会系の鍛え上げた体つきをしていた。 「モォ〜・・・」 唯がカウチに足を上げ、座禅のように足を組んで、牛の鳴き真似をする。 「いや。日溜まりでゴロゴロしてるのは猫か?」 大河が腕組みをして、目を眇めた。 「ミャァ〜ゥ・・・」 唯は猫の鳴き真似をしながら、ページを捲った。 「おい!たまには付き合えよ!」 大河が声を大きくして、唯の本を取り上げた。 ・・・と、その時、唯の携帯が鳴った。 「ぅぉおおっ・・・ビックリしたぜ・・・」 大河は思わず本を投げ出していた。 「誰だ?」 電話に出ようとしている唯に聞くと、 「拓磨さん。」 と、答えた唯が携帯を耳に当てた。 「・・・チッ・・・タイミングが良すぎるぜ。」 大河は舌打ちをしながら、唯の座っているカウチの肘掛け部分を跨ぐように、腰を下ろした。 「もしもし?――はい、唯です。――はい。元気ですよ。――もちろん、大河も僕以上に元気です。クックックッ。――ええ。ここにいます。」 嬉しそうな笑顔で話す唯を、大河は面白くなさそうに斜め上から眺め降ろし、赤みの強い唯の唇の動きに魅入っていた。 詩でも口ずさむように、甘く優しい声で、決して荒げることなく穏やかに話す唯に、どれほどの人間が虜となってきただろう。 いや、動物さえも、唯の醸し出す甘い雰囲気に誘われるかのように寄ってくる。 動物に人と同じ感覚の美意識があるとは思えないのに、人に慣れない野性の動物さえ、警戒を解いて側に近寄ってくるのだ。 もっとも、唯は元々がサバンナで生まれ育ち、両親を亡くして父親の友人だった今の父親の養子になるまで、野性の豹と一緒に寝ていたという変わり者なので、動物が寄ってくるのは別の才能なのかも知れなかったが・・・。 だが、人間は唯を美しいと認識する。 唯に関わってきた多くの人々が、恋するような熱い視線を唯に注いだ。 教師も学者も年長の学友も、幼い天才の頭脳以上に、その容貌の虜となってしまった。 顔の造作が柔らかなこともあるが、唯の夢見がちに見える眼差しや慈愛溢れる表情に、魂が癒されるのかも知れない、と大河は思っている。 ただ、大河には唯自身の心が長い間見えてこなかった。 唯に初めて紹介された時、向けられた笑顔のあまりの優しさに、10歳の大河は舞い上がってしまった。 (この子なら仲良くやっていけそうだ。) そう思った大河は積極的に色々なことを話しかけた。 けれど、育った生活環境があまりにも違う為、共通の話題が見つからず、大河が話す内容に返事は返すものの興味を示すことはなく、唯から話すことといえば勉学に関してのみだった。 秀才ばかりが集まる学校でも一際才能を発揮していた大河だったが、普通に喜怒哀楽の感情を持った少年だった彼にとって、唯は理解出来ない存在になっていった。 (サイボーグだろうか?) 本気でそう疑った時期さえある。 綺麗な顔は人間離れしていたし、優しげな表情は、インプットさえすれば回路が故障しない限り、半永久的に維持出来るだろう。 感情があってこそ人間であり、悩みを持ってこそ人なのだ。 なのに、ひたむきに勉学に励む唯からは、そうしたものが感じ取れなかった。 唯に魅了され虜となった者達は皆、常に行動を共にする大河を羨ましがったが、代われるものなら代わって欲しいと本気で思い、半ばノイローゼに陥ってしまった時期もあった。 親代わりの拓磨にストレスをぶつけ、文句を羅列することもあったが、拓磨はいつも、「もう少し大人の視点に立って見てごらん。彼の苦悩が見えてくるはずだよ。」と、謎めいた答えを返すばかりだった。 正直、大河がその意味を理解出来るようになったのは、拓磨が日本に帰国し、イギリスからドイツに渡ってからのことだった。 拓磨の代わりに来た冬馬は、好戦的で友好的、陽気で強気、尊大で人懐こい、といった複雑な性格をしていたが、大河には拓磨よりも馴染みやすく、すぐに友人のように親しくなった。 冷静沈着で決して騒がず全てを見透かしているような拓磨と違って、冬馬は体当たりしてぶつかってもがっちりと受け止めてくれるように思えたし、冬馬も大河の気持ちを進んで和ませてくれた。 唯は冬馬に対しても、拓磨の時と同じ信頼をおいて接しているようだったが、相変わらず勉学一筋の唯にとっては、拓磨でも冬馬でも、そして大河でも誰でもいいようにみえた。 大河にはそう見えていたのだ。 ドイツに来て初めての冬、冬馬が大河をスキー旅行に誘った。 雪国育ちだった大河は、「目が離せない研究があるから―」と残った唯を”勉強オタク”と内心軽蔑しながら、嬉々として出掛けていった。 約1週間、留学以来というほどに心底開放された気分を満喫して戻った大河は、義理で買ったような土産物を自慢しながら唯に渡した。 唯はいつもの優しい微笑みを浮かべて、「ありがとう。」と嬉しそうに受け取ったのだった。 それが、大河には腹立たしかった。 (本当は羨ましいんじゃねぇのか?仲間はずれにされて悔しくねぇのかよ!綺麗な顔で綺麗事ばかり演じるな!) 大河のそうした思いが、「勉強に囓りつくしか脳がないのも哀れだね。」と思わず言ってしまっていた。 すると、それまで子供同士の会話には立ち入らなかった冬馬が、鬼のような形相になって、大河の襟首を掴むと、外に連れ出したのだった。 それまで兄のように慕っていた冬馬が、「いい加減、大人になれ!」と大河を叱咤した。 戸惑う大河に冬馬は全てを打ち明けた。 冬馬が拓磨に代わって二人の世話をするように選ばれたのも、唯が帰国する拓磨に、「大河が友達になれるような人を選んであげてね。」と頼んだからであり、冬馬が大河を弟のように可愛がっていたのも、「大河の親友になって相談に乗ってあげてね。」と自分に構うより大河の為にいて欲しい、と望まれたからだ、と言うのだ。 しかも、冬馬がスキーに連れ出してくれたこと自体、「大河はスキーが得意なんだよ。少しゆっくり遊んでこれるようにしてあげて。」と言ったからだと言う。 確かに、初めて唯に会った時の自己紹介で「スキーが大好き。」と言ったように思う。 (それを覚えていて、俺の為に息抜きの時間を作ってくれたのか?!・・・でも、何故?!) 訳がわからないまま、唯に言い過ぎたことを大河が謝罪すると、唯は、「本当に大河の言う通りだよ。勉強しか出来なくてごめんね。」と、天使の微笑みで言った。 大河は訳もわからず、涙が溢れ出してしまった。 寂しさで泣いたこともあるし、悔しさや怒りで流した涙もあるが、こんな訳のわからない涙は初めてだった。 イスに座って項垂れ、涙を流し続ける大河を、唯は傍らに佇み、大河の頭を胸に抱き包むようにして、「ごめんね・・・ごめん・・・」、と囁きながら髪を優しく撫で続けていた。 後になって冬馬が大河にそっと教えてくれたことがあった。 冬馬が二人の元へ渡航する前に拓磨から言われたことだという。 唯は両親を目の前で亡くしている。 小型機の事故で海に墜落し、体の弱い母親は墜落の衝撃に耐えられず絶命していた。 父親は救命ボートを用意し、気絶していた仲間や怪我をした仲間を助け出した後、唯を仲間に託して、自らはすでに息のない母親を胸に抱いて夕日の沈む水平線に泳いでいってしまったそうだ。 死を覚悟しての行為であることは仲間の全てが承知していた。 幼い唯にもわかっていた。 もし、その時、唯が涙を流して引き留めていたら、父親は親としての責任を放棄出来なかっただろう。 だから、唯は、「お前はお前の人生を生きろ。」、と言う父親に、「うん。パパはママを守ってあげるんだね。」と、微笑みを浮かべて見送ったのだ。 母親を失い、今また父親まで失おうとしている幼い子供にとって、どれほど辛い別れだったか知れない。 それでも、自分が涙を流してしまうことで、父親の生き様であり、死に様を妨げまいと、必死で感情を殺し、精一杯の微笑みで応えたのだろう。 唯は唇を噛みしめたまま、日の沈みかけた果てしない水平線に小さくなっていく両親の姿を、海に浮かぶ頭が点となり消えていってもなお、見送り続けていたという。 それ以来、唯は微笑む以外の感情の現し方がわからなくなっているらしいのだ。 寂しくても、悲しくても、辛くても、それを表現出来ない。 その虚無感を埋めるように、貪欲な学習欲だけに支配されてしまっていると言うのだ。 それでも、唯は母親譲りの慈しむような優しさを失っていなかった。 親の意向に添って、自分と行動を共にしなければならない責務を負ってしまった大河に対して、常に申し訳ない、と思っていたらしい。 しかも、自分には大河を楽しませる才能がなく、友人としても不充分だという自覚もあって、大河がストレスで悩んでいる時には拓磨に、「優しくしてあげてね。」、と心配していたと言う。 (哀れなバカは俺だ。) 大河は、自分の取ってきた態度が唯を傷つけ苦しめていたにもかかわらず、自分だけが苦しんでいると思っていたことに気付いた。 唯は自らの苦しみを勉学に励むことでしか埋められないのに、大河の為にと常に気遣っていたのだ。 拓磨の穏やかさも、冬馬の大らかさも、唯が願ってこそのものだったのだ。 拓磨は唯を崇めるように接していた。 冬馬は唯の僕のように頭を下げる。 それを単に唯の養父の権力の強大さゆえと思っていた間違いに、大河はようやく気付いたのだった。 (それなら俺はどう唯に接すればいいんだ?) そう思い悩んだ大河が出した答えが、 (今度こそ、本当の友達になろう。) と、いうものだった。 以来、大河は自分をありのままにぶつけることにした。 (自分が感情を露わにぶつければ、いつか唯自身も感情を表現出来るようになるかも知れない。) 勉学においては、これまで唯の吸収していく早さに負けまいと陰で努力してきたものを、「わからないから教えろ。」、と素直に言うようになった。 こだわりを捨てて聞いてみると、唯は嬉しそうに何でも教えてくれた。 体力作りで続けているトレーニングも、「生温いぞ。」、と言ってやると、意外なほどの強さで応えてくれた。 (くそぉー・・・優しい顔と華奢に見える体格に騙されたぜ。唯はサバンナの野生児だ。) 大河が感心して、そう思ったことを言うと、また嬉しそうに笑って、「もっとやろうよ。」と逆に挑発さえしてくるのだ。 少しずつ唯を理解してきた大河は、言いたいことがあった時にも、胸にしまい込まずにぶつけるようにした。 (出来れば怒らせてみたい。) そうした思いもあってのことだったが、それだけはなかなか成功しなかった。 それでも、そう思うことが大河の唯を見る視点を、外見的なことから内面へと向けられるようになり、唯が出せない感情を感じることが出来るようになっていた。 だから、日本へ帰国した時点で、唯の学友としての務めは終了してもいい、と言われていたが、「俺以外に唯の友人になれる奴はいないぜ。」と、大河自身にも来ていた研究室や病院からの誘いを断って、唯と同じ大学へ入学したのだった。 「――大学はやっと落ち着いた授業が出来るようになった所です。――はい。順調ですよ。」 唯がふわっと笑う。 大河は唯から取り上げた本を、興味なさそうに眺めながら、早く電話が終わらないかと膝を小刻みに揺らせた。 唯は、ん?、と大河を見上げた後、そっと大河が揺すっている膝に手を乗せた。 大河は、ドキッ、として動きを止めると、唯の顔の前で指を回して、早く電話を切るようにという意思表示を示した。 唯は拓磨との会話をしながら、うんうん、と頷いてみせたが、電話はすぐに終わりそうもなかった。 「――えっと、連休は・・・」 唯がそう言った時、大河は慌てて両腕で×を作った。 「ちょっと予定が入ってます。」 大河は、そうそう、と頷いた。 「――いえ、大学の講義は休みになりますが・・・――え?――あ、はい。」 唯の会話が途切れた時、大河の携帯が鳴った。 大河は、ギクリとしてカウチの肘掛けから腰を上げると、奥のテーブルに置いてあった自分の携帯に出た。 「はい?」 ―「このドアホ!」 いきなり冬馬の怒鳴り声がした。 「ちょっ・・・何すか?」 ―「坊ちゃまの行動を指図してんじゃねぇ!」 「お・・俺は別に・・・」 ―「拓磨さんにはお見通しだぜ。」 大河は返事の代わりに、小さく舌打ちした。 ―「そっちにも都合はあるだろうさ。けど、たまには総統に坊ちゃまの顔を見せてやれよ。」 「・・・うっす。」 ―「こっちに来たら、いい所へ遊びに連れていってやっからよ。」 「いい所?」 ―「ま、それは来てからだ。拓磨さんが坊ちゃまの返事を待ってらっしゃるぞ。」 「はいはい。」 大河は携帯を切って、視線を向けている唯に肩をすくめて見せた。 唯はまた電話での話を始めたが、大河の様子を気にしているようだった。 「連休には帰るって言ってやれってさ。」 「冬馬さん?・・・で、大河はそれでいいの?」 唯が携帯を手で押さえて大河に聞いた。 「ああ。サークルの方で計画があったけど、いいや。どっか連れてってくれるらしいし・・・」 「そっか。わかった。」 唯は微かに笑みを浮かべ、 「わかりました。それでは連休にはそちらに伺うことにします。」 と、携帯に向かって言った。 (伺う・・・か・・・) 大河はその言葉に思わず胸が痛くなった。 唯を溺愛している、と誰もが言う養父だったが、実際に親子として暮らした期間は短く、唯にはまだ、養父のいる家が故郷にはなっていないことを、改めて感じた。 (俺が勝手だったな。) 大河はまた一つ反省した。 同じ日本にいるのだから、休みが続く時くらい親子の時間を持たせてやれ、という、拓磨や冬馬の言い分の方が正しかったのだ。 とはいえ、唯の養父の豪邸の雰囲気が苦手だった。 広い庭のある豪奢な洋館で、落ち着いた雰囲気はあったが、常に組織の人間が待機しており、人の出入りも多かった。 大河が雑誌を読んでいたソファーでぼんやりしていると、唯が電話を終えて側に歩み寄ってきた。 「済まん。・・・やっぱ、たまには親父さんに顔見せてやらなきゃな。」 大河が大きく息を吐いて言うと、唯が、 「そうだな。・・でも、大河はどっちでもいいよ。大河の実家に帰ってもいいし、ここに残ってサークルに出てもいいし・・・」 と、済まなそうに言った。 「俺も行くぜ。冬馬さんと久々に遊べそうだしな。」 「クスッ。そっか。」 大河の言葉に唯がほっとしたように微笑んだ。 大河はその優しい微笑みに少し見取れて眺めていたが、 「よし。じゃぁ、出掛けようぜ。」 と、ソファーから立ち上がった。 「え?」 「ドライブだよ。今日はお前が付き合えよな。」 「・・・了解。」 唯は微笑んだまま、大河のマネをするように肩をすくめて見せた。 |
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<2> 「デート」 |
<2>「デート」 当然のように唯の車の運転席に納まった大河は、 「取り敢えず、昼飯にシーフードな。」 と、雑誌の美味しい店の紹介ページに載っていた電話番号をカーナビに入力した。 大河は、そのページを開いたまま、助手席に座った唯に渡し、 「そこの『かもめ』って店、景色が良さそうだろ?」 と言った。 「そうだな。・・・って、ここ、横浜?」 唯はページに大きく出ている店内の写真の下に、小さく出ていた地図を見て、呆れたように大河の顔を見た。 「何も昼飯くらいで、こんな遠出しなくてもいいのに。」 「時間のある休日くらい遠出してでも、美味い物を喰いたいだろ。」 大河はにっこり笑って、駐車場から車を発進させた。 「電車で行った方が早かったかも・・・」 唯はしばらく雑誌を見ていたが、渋滞の車で埋まった道路に視線を投げて溜息をついた。 「街へ行くなら電車。田舎を目指すなら車。これが日本の常識だぜ。まして俺達は土地勘もないんだし、カーナビなかったら身動き取れないだろ?」 「まぁな。・・けど、横浜は田舎じゃないよ。」 「昼飯の後は海岸線を夕日が沈むまでドライブしようぜ。・・で、どこかで夕飯を喰って戻ってくる。」 夕日の沈む海岸線。―太陽が沈んでいく海―その光景が頭に浮かんだ唯は、ある情景と重なって言葉をなくした。 大河は唯の表情が暗くなったことに気付いていたが、敢えて気付かないフリをしていた。 「ダッシュボードのCDカセット取ってくれ。」 「あ・・・うん。」 唯がダッシュボードを開けてみると、いつの間にか知らない物が色々入っている。 「・・・どれ?」 「ポルグラにしよう。」 「・・・って言われても・・・」 唯がどれかわからないでいるので、大河が車が止まった時、手を伸ばして取りだした。 プレイヤーにセットすると、軽快なリズムが流れ出す。 「いい曲だろ?」 「・・・まあね。」 唯はシートに体を沈めるようにして腕組みをし、足を組んで、視線を車から高いビルへと移した。 「・・・本でも持ってくれば良かったな。」 溜息まじりに言う唯の横顔をチラッと見た大河は、 「それじゃドライブの意味がないぜ。」 と、動き出した流れの中で、車を加速させた。 レストラン『かもめ』は青い空と白い船影の広がるヨットハーバーのすぐ前にあった。 ヨットハーバーは横に伸びた桟橋が並び、各々の桟橋の両側にヨットやクルーザーが繋がれている。 仕事で使うというより、趣味目的の船がほとんどのようで、これだけ沢山の船が並んでいるのを見ると、不景気と言いながらも日本は裕福なものだと感心してしまう。 天気が良かったので、唯と大河は陽光の降り注ぐテラスに席を取った。 穏やかな風が海の香りを運んでくる。 「景色や雰囲気も味の内だよな。」 シーフードパスタを満足そうに食べる大河が、どうだ?とばかりに眉を動かす。 「そうだね。」 唯も同じ物を頼んだものの、あまり食が進まない様子でいたが、大河には笑みを浮かべて同意した。 それでも、半分ほどで、 「ご馳走様。」 と言って、コーヒーを注文した。 大河が唯の残した分を食べだすのを、ゆっくりとコーヒーを飲みながら、 「その食欲に雰囲気が負けそうだよ。」 と、クスクス笑ってから、退屈そうに周囲を眺めた。 「・・・やっぱり、本を持ってきたかったなぁ。・・・途中でどこか書店に寄っていかないか?」 唯の台詞に大河はパスタを頬張った顔を思いきりしかめた。 「・・あのな・・・せっかくデートを楽しんでる相手に対して、その言い草は失礼だぞ。」 「は?・・・デート?」 「・・あ・・だからだな・・・唯がデートする時に、仮にそんなことを言い出したら、・・ってことだよ。」 「デートかぁ・・・」 唯はチラッチラッと周囲のアベックを見て肩をすくめた。 「俺がデートするのは当分ないだろうな。」 「何でだ?」 大河は唯の皿も空にすると、唯と一緒に頼んであったコーヒーを勢い良く飲み干した。 「目的がわからない。」 唯も残っていたコーヒーを飲み干した。 「・・・はいはいはいはい。・・・お子様相談室は今日はお休みです。・・ったく、こんな所でデートの目的なんて語ってられっかよ。行くぞ。」 大河が席を立ったので、唯はレシートを持って後を追った。 唯は3種類のプラチナカードを持っているので、二人の会計は唯が払うことが多かった。 たまに現金だけしか通用しない所では大河が支払ったが、そのお金も生活費プラス小遣いとして唯用の銀行口座に振り込まれているもので、唯以上に現金を使うことが多い大河が管理していた。 食休みがてら桟橋に繋げられている船を見ていこう、ということになり、ヨットハーバーを管理している事務所に頼んで見学をさせて貰った。 見知らぬ人がヨットに悪戯しないように、普通の船着き場よりも管理が厳しくなっているようだった。 大河は大きくて型のいい船を見つけては、側にいって観察していた。 医者になるよりメカニックエンジニアになった方が向いていたかも知れない、と思うほど、大河は機械いじりが好きだった。 「大学の講義は唯に任せて、俺は船舶免許でも取るかな。」 「それでもいいよ。」 振り返って言う大河に、唯は微笑んで頷いた。 「免許が取れたら、お前を一番に乗せてやるからな。」 大河は唯の姿を眩しそうに目を細めて見つめた。 「彼女の次の次くらいでもいいけど。」 唯は笑みを強めてから、カモメの鳴き声に空を仰いだ。 風が唯の軽い髪をなびかせ、金色の光を煌めかせる。 白磁のような肌は滑らかでくすみもなく、しなやかな曲線のラインを一層優しく際立たせている。 唯は光の中で見ると、神々しいばかりの美しさだった。 いつまでも見つめていたい気持ちを振り払い、 「特定の彼女はいねぇよ。」 と、言った大河は、 「そろそろ行くか。」 と、さっさと駐車場へ向かって歩き出した。 動き出した車の中で、大河は唯が文学部に入ってから読んだ本を聞いてきた。 唯は20冊くらい本の題名をあげた。 大河はその中から選んで、唯に内容を話すように言った。 大河がかなり詳しく名前や話の展開を聞くので、5冊目を終える頃には、話す唯の声がかすれてしまっていた。 「ちょっと休憩していい?」 唯が喉を手で押さえて言うと、 「お・・そっか、飲み物がないと喉に負担がかかるな。自動販売機があったら何か買おう。」 と、道路沿いを探すように視線を動かし始めた。 唯は、 「クスッ。・・・そんなに聞きたいの?」 と、不思議そうに微笑んでから、 「どうして急に本に興味を持ったんだ?」 と、大河に顔を向けて小首を傾げた。 「いや、興味というより、聞いておいたら得かと思ってさ。小説の類は俺向きじゃないしな。唯から聞いて、登場人物とあらすじさえわかっていれば、授業で聞かれても困らないだろ?」 と、道路に顔を向けたまま笑った。 「・・・ふーん・・・いいけど。・・・でも、本を読んで感じるものまでは伝えきれないと思うよ。受取り方は人によって違うだろうし。」 「つまり、明確な答えのない部分は教師でも評価が出来ない訳で、そんなのは適当に主張しとけばいいんだ。試験に出そうなポイントさえ掴んでおけばな。」 「なるほどね。」 唯は納得して微かに笑いながら頷いた。 そんな唯の様子を横目で見ていた大河は、 「せっかく日本の文化に馴染もうって、また一から大学生をしてるっていうのに、唯は本ばかり読んでいる。それで何がわかるっていうんだ?」 と、真面目な顔になって言った。 「本には色んな文化が詰まってるじゃないか。」 「今現在の文化は?」 「・・・まだ、そこまでは・・・」 「百聞は一見にしかず、だ。体験しないで本の知識ばかりを頭に入れたって、何が出来るっていうんだ?生きることにどう役に立つんだ?」 大河の畳みかける調子に唯は戸惑って、 「・・・何か怒ってる?」 と、瞬きをした。 「怒ってるんじゃない。」 大河は眉を寄せて言った。 前を見たままの大河の目に悲しげな影が差している。 「読書が役に立たないとは言わないさ。だがな、唯。・・・お前はずっと知識を詰め込んできた。もちろん医学的な技術も含めてな。・・・だが、実際の生活力は皆無だろうが。一人で電車に乗り、街へ行って買い物をしたり出来るか?映画を観たり、美味い店を探したり、気に入ったファッションを見つけたり出来るのか?」 「・・・特に必要ないし・・・」 「誰かがしてくれるからか?だったらお前は誰も守れないぞ。それでいいのか?・・・自分がこうしたい、と思うことを、誰かがしてくれるのを待っているだけの人生を送るつもりなのか?・・・自分で動いて自分で見つけることが出来ないで、何で生きてるって言えるんだ?」 「・・・必要になればちゃんとやるさ。」 「それじゃ遅いんだよ。お前が一人で街をふらついてたら、すーぐ騙されちまうぞ。訳のわからない物を買わされたり、責任負えないような契約をさせられたり、ヘタすりゃ誘拐されてるのも気付かないままに利用されて、挙げ句に命も奪われかねないだろうが。」 「・・・それって・・・飛躍しすぎ。」 唯は苦笑しながら首を振った。 「人生なんて何があるかわかんないだろ?・・・無駄だと思うことが役に立つ場合だってある。ようはどれだけ自分を生かせるか、じゃないのか?・・・専門知識にだけ特出している学者として生きるのがお前の生き方なのか?・・・まぁ、そうしたいならそれでもいいさ。俺から見たら、ちっとも楽しそうには見えないがな。」 そこまで言った大河が、車を端に寄せて停めた。 自動販売機があったようで、車を降りてスポーツドリンクを2本買ってきて、一つを唯に渡した。 再び発進した車の中で、唯は大河が買ってくれた飲み物で喉を湿らせたが、黙り込んでいた。 大河もそれ以上は何も言わなかった。 伊豆半島の西の海岸線は海に沈む夕日が美しかった。 大河は砂浜に降りよう、と唯を誘って、波打ち際まで行って座り込んだ。 唯も大河に並んで座った。 「・・・この景色を見るのは辛いか?」 しばらく黙って海を見ていた大河が静かに言った。 「え?」 唯は驚いた顔で大河を見つめた。 「冬馬さんが唯のご両親のことを少しだけ教えてくれたんだ。だから、唯にとっては辛い光景だってわかってた。・・・でも、それを承知で連れてきた。」 「・・・そう・・・」 唯は膝を抱え込み、うつむいた。 「ちゃんと見てくれ。・・・そして・・・受けとめて欲しい。」 大河の声は切なく苦しそうだった。 その声から、大河が意地悪でしていることではないことはわかったが、唯にはどう答えていいか、わからなかった。 「・・・受け止めるって?」 「唯のお父さんが残した言葉をだ。”お前はお前の人生を生きろ”って言ったんだろ?」 唯はビクッとして、膝を抱く腕の力を強めた。 「唯は立派だったと思うよ。ちゃんと父親の生き方を認めてやれたんだからな。・・・だったら、今度はお前がお前自身の生き方を見つけるべきじゃないか?」 「・・・ちゃんと勉強してるだろ・・・」 「目的があるならいいさ。難病の子を救いたい、とか、地球から病原菌を壊滅させたい、とか、学んだ知識を広めたい、とかな。・・・唯、お前は何の為に勉強してるんだ?」 「・・・さぁ・・・何だろうな・・・」 「だろ?・・・だから、何でもかんでも詰め込もうとだけしてしまう。目的があれば、それに合った知識を選べるし、学んだことも生かされるだろうが、知る為だけの知識なんて何の役にも立たないぜ。」 「そんなことを言っても、まだ将来のことはわからないよ。だから、研究室の誘いを断って大学に入ったんじゃないか。」 「そうさ。だから大学に入ったのに、お前がしていることは何だよ?結局はまた詰め込むだけの毎日じゃないか。」 「・・・文化を学んでるだろ。」 「実体も知らずにか?・・・そんなのは観測もせずに宇宙を語ったり、人との心の交流もせずに哲学を語るようなものだ。・・・自分ひとりの頭の中だけで納得していて、何が楽しいんだ?」 「・・・いつかは・・・役に立つさ。」 「役には立っても、目的がなければ役立っていることさえ気付かないかも知れないし、役立っているとわかっていたとしても何も嬉しくもなければ感動もないだろうが。」 「じゃぁ、どうしろって言うんだ?大河のように遊べばいいのか?」 「俺はちゃんと目的があってしてることだ。」 「女の子と付き合う目的だろ?」 「そんなんじゃない。・・・俺が女の子と付き合うのも、女の方が色々な情報に詳しいからだ。流行のファッション、人気のスポット、美味い店・・・色々ある。それだけじゃなく、大学内の事情にも詳しい。教授達の性格や癖、危なげなグループ、便利な施設、これも色々だな。・・・そうやって周囲の状況を把握しておけば、何かあっても焦らず対処出来るだろう?」 「・・・そうなんだ・・・ふーん・・・」 「・・・俺の目的はお前を守ることだ。その為なら何だってするさ。・・・たいして興味もない女とだって付き合うし、無駄な会話に笑顔で応えたりもする。そうやって俺は行動範囲を広げていって、お前を喜ばせてやりたいんだ。・・・わかるか?・・・俺はお前と一緒に楽しく生きたい。・・・俺だけじゃ楽しくなれないんだよ。」 「・・・大河・・・」 「何も遊ぶことだけを言ってるんじゃないぜ。・・・お前がこうゆう生き方をしたい、って言うなら、とことん付き合ってやるさ。どんなに難しい研究だって、誰が非難しようが、俺はお前を支えてやる。・・・問題はそれがお前が本当に望んでいることかどうかだ。・・・”お前はお前の人生を生きろ”・・・って言葉には、人生を楽しめ、って意味が含まれているんじゃないのか?」 「・・・人生を楽しむ・・・か・・・」 「そうでなきゃ、海で眠ってる唯の御両親も悲しいんじゃないかな。」 唯は黙って水平線を見つめた。 すっかり日が沈み、辺りが闇に包まれるまで、唯はじっと海を見つめ続けていた。 かなり風が強まり冷たく感じられるようになってきていたが、大河は唯の言葉を待ち続けた。 やがて、 「・・・そうだな。・・・人生を楽しもう。」 と、唯が答えると、大河はほっとした笑顔になった。 「よし。それじゃ、まずは温泉にでも寄ることにしよう。昼間が暑すぎたな。薄着で来たから、すっかり体が冷えちまったぜ。」 そう言った大河が立ち上がって唯に手を差し出した。 唯は微笑みを返して手をつかみ、立ち上がった。 大河は唯の服に付いた砂を払ってやりながら、 「どこか、料理の美味い温泉旅館が空いてるといいな。」 と言い、思い出したように携帯を取り出すと操作を始めた。 「知ってる旅館があるの?」 「いや。これから探すとこ。」 「携帯で?」 「ああ。今は何でも情報が手に入るらしいぜ。・・・これだって女に教えられたんだ。な?無駄じゃなかっただろ?」 「・・・確かに・・・」 「お、あったあった。・・・ここに電話、っと・・・―あ、もしもし――・・・」 大河は近くの温泉旅館に部屋と食事を頼んで、車に戻るとカーナビで場所を確認した。 唯は、留学中ずっと唯と同じ勉学一筋だったはずの大河が、いつの間にかすっかり日本での生活に馴染んで生き生きと活動していることに、感心してしまった。 そして、一人では何も出来ない自分を反省した。 「・・・俺も女の子とデートするかなぁ・・・」 そう呟いた唯に、今度は大河が目を丸くした。 「え・・・けど、目的がわからないんだろ?・・・急に無理することはないさ。」 「だって、色々お得なんだろ?」 「いや・・・だからそれは・・・俺がすればいいことだし・・・」 「大河に頼ってばかりじゃ、男として情けないよ。」 「俺だって勉強ではお前を頼ってるし、分担でいいじゃないか。な?」 唯が訝しそうに眉を寄せた。 「・・・何か・・・さっきと違うことを言ってないか?」 「デートしろとは言ってないぞ。」 大河は少し怒った口調で言うと、 「カーナビに集中しないとわからなくなるから。」 と、話を打ち切った。 温泉旅館までは30分かからないらしい。 唯はシートに深く体を沈めて目を閉じた。 |
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<3> 「デートの目的」 |
<3>「デートの目的」 途中見かけたコンビニで簡単な宿泊に必要な物を買ってから、旅館へ行った。 玄関に車を横付けすると、迎えに出てきた男性が鍵を預かって、屋根つきの奥の駐車場に車を運んでくれた。 普通の国産車が停めてある駐車場とは別の所らしい。 急な予約だったが、女将は上機嫌で特別室に案内してくれた。 「まあ、最近の若い方は随分軽装でらっしゃいますこと。」 女将は何も荷物のない二人の様子を見て、楽しそうな笑顔で言った。 「ちょっと海を眺めに来たんですが、体が冷えてしまって、急に温泉に入りたくなったものですから。」 大河も相手によっては丁寧な話し方をする。 「そうですか。ホホッ。日が沈むと急に気温が下がりますものね。・・・でしたら、先にお風呂がよろしいでしょう?」 「そうしたいですね。」 大河が笑みを向けると、女将は、 「ウチは源泉から直接ひいているお湯なので、効用はこの辺でも最高なんですよ。」 と、自慢げに説明した。 「それは楽しみだな。・・料理も最高の物をお願いしますよ。急なことで申し訳ないですが・・」 「かしこまりました。では、当旅館の板長が腕を振るった料理をご用意させて戴きます。」 女将が深々と頭を下げて部屋を出ていった後、すぐに仲居が来て部屋の細かい説明や温泉の効用等を説明してくれた。 大河は心付けとしてかなりの金額を渡したようで、仲居は喜んで、 「ご用意が出来ましたら、お風呂場までご案内致しますので、エレベーターの所でお待ちしております。」 と、言って部屋を出ていった。 唯は大河に任せきりにしていたが、二人だけになると感心した溜息を吐いた。 「大河・・・お前って世渡り上手・・・」 「だてにお前より3年長く生きちゃいねぇよ。」 「・・・何か、やけに差のある3年だなぁ。」 「旅館は小さい頃とか来てるからな。ずっと海外で生活していたお前にはわかりにくくても仕方ないさ。・・・それよりマジ寒い。早く風呂に行こうぜ。」 「・・・行けるけど?」 「浴衣に着替えて行くんだよ。」 「・・・へぇ・・・」 「温泉入ったことないのか?」 「いや。温泉のある別荘に行ったことはあるよ。」 「お坊ちゃまだなぁ。・・・ま、いいから早く着替えろよ。」 「うん。」 唯は大河を見様見真似でぎこちなく浴衣に着替えた。 仲居に案内されて行った風呂場は内風呂から露天風呂へと行けるようになっていた。 簡単に体を洗った後、露天風呂に出てみることにした。 「うわぁ・・・星空が綺麗だなぁ・・・」 唯は仰向けに寝そべるように体を伸ばして空を見上げた。 「・・ああ・・・そうだな。」 大河は何度も湯で顔を洗うようにしながら、なるべく唯の方を見ないようにしていた。 この時間は食事時なのか、他に入ってる人がいないことが、大河には救いだった。 「・・・温まるなぁ・・・」 唯が体を浮かせるようにして目を閉じた。 控え目な照明でも唯のしなやかな体が浮き立って見える。 滑らかな純白の肌がほんのり桜色に染まっている。 「なぁ・・・」 大河は目のやり場に困りながら、 「貸し切りじゃないんだから・・・別荘みたいに堂々とチンチン出してんじゃねぇよ。プカプカとチンチンが顔出してんのはみっともねぇだろ。」 と、顔を赤くして言った。 「え?・・・あ・・ごめん。」 唯は、そうゆうものなのか、と小首を傾げながらも、浮かせていた体を沈めた。 それから、腕を伸ばして、湯を擦り込むように手でゆっくり撫で始めた。 唯の繊細で華奢にさえ見える指先が肌を滑る様子に、大河は目が釘付けになってしまい、ふと我に返って視線を逸らした。 (俺は唯に惚れてる。・・・だが、唯にとって俺は友人なんだ。・・・俺の気持ちは、友として信頼してくれている唯の友情を、裏切ることになるのだろうか。) 大河は自分の中の複雑な思いを拭うように、また湯で顔を洗った。 のぼせそうなほど温まって部屋に戻ると、待ちかねたように料理が次々と運び込まれてきた。 大きな舟盛りでは、鯛のエラや伊勢エビの足がまだ動いていた。 他にも海の幸、山の幸、川の幸まで盛り沢山で、 「こいつはいい。」 と、嬉しそうに言った大河は、熱燗を多目に注文した。 「そんなに飲むのか?」 唯にとって、今日の大河はずっと一緒に生活しているのに、驚かされることばかりだった。 「和食にはやっぱり日本酒が合うぜ。唯も付き合えよ。」 そう言って、銚子を向けた大河に、 「俺はまだ未成年だよ。」 と、唯が肩をすくめると、 「チッ・・・つまんねぇ奴。」 と、もう酔ったような口調で、大河は溜息を吐きながら自分に酌をした。 「・・・じゃぁ・・・少しだけ・・・」 大河の面白くなさげな表情に、唯は杯を手にして言った。 「お?・・そうかそうか。・・そうこなくちゃな。」 大河が笑顔になって唯に酌をしてやり、杯を慣れない様子で口へ運ぶ唯を、観察するように見ていた。 唯は一度舐めるように口をつけてから、一気に飲み干した。 「・・・どうだ?」 「ん・・・ツンと鼻を抜ける感覚はやっぱりアルコールだな。」 「いや・・・そうじゃなく・・・」 「味は微かに米糠の香りがするようだ。」 「・・・アホか。・・・何、分析してんだよ。・・飲んだ感じはどうだって聞いてるんだ。体が芯からジワァーッと温まらないか?」 唯は当惑顔で空になった杯を眺めた。 「もう一杯飲んでみろよ。」 大河がまた酒を注いでやった。 唯は簡単に飲み干したが、やはり表情は変わらなかった。 「喉がヒリつくとか、胃が熱く感じるとか、ないのか?」 「・・・別に・・・何も変わらないみたい・・・」 唯が困ったように大河を見て言った。 「お前・・・意外と酒豪なのか?」 大河が呆れて言うと、唯は、 「さぁ・・・けど、俺の親もアルコールは飲まなかったから、体質的に合わないのかもな。」 と、済まなそうに言った。 「酔わない体質かぁ。・・・欧米人並みの分解酵母があるのかな?・・・それにしても全然反応がないのも珍しいな。一度、調べてみるか?」 「自分がサンプリングされるのは嬉しくないなぁ。」 「唯の健康管理も俺の務めだ。調べさせろ。」 「・・・やだ。」 「あ?」 大河が片眉を寄せて、脅しをかけるような表情を作ったので、唯は吹き出して笑いだした。 「あはははははっ。・・・一度言ってみたかったんだ。」 「やだ、ってか?」 「うん。短くて済むだろ?」 「言われた方は気分良くないぞ。」 「だろうね。」 唯はまだクスクス笑いを零しながら、料理に箸をつけ始めた。 「それより、こんなに料理あるんだから食べようよ。・・・って言っても、食べきれないだろうけどさ。」 「酒も料理もドーンと来いだぜ。俺がみんな喰ってやる。」 大河は酔った唯を見てみたかったが、諦めることにした。 (酔わせて寝入った所を襲う訳にはいかないってことか。・・・それにしても、酔って艶めく唯を見たかったなぁ。) 頬を染めて潤んだ眼差しを向ける唯を期待していた大河は、代わりにさっきの露天風呂で見た唯の体を思い出して、酒の肴にすることにした。 唯の体は全体にスリムだったが、日々のトレーニングは無駄ではなく、しっかりとした筋肉をつけて引き締まっていた。 ただ、骨が細いせいか、筋肉の割に華奢に見えてしまうので、服を着ている時は特に、一見ひ弱そうな印象がなくもなかった。 大河のように全身筋肉が盛り上がった体型ではなく、すんなりと伸びた四肢は中世的な優しさがあった。 それでも、唯の股間にあったモノは、大河が焦って自分のモノと比べてしまったほどに立派だった。 (俺の方が勝ってるぜ。) そう思うことで何とかプライドを保つ大河だったが、身長差や体格差を計算すると負けたような気がしてしまう。 (しっかし、顔や体も作り物じゃないかと思うほど綺麗だが、唯の男根も作り物みたいだったなぁ。) 湯で温められた桜色の肌がそのまま色味を濃くしたような綺麗な竿。 その先端は赤みの強い亀頭が艶やかに顔を出していた。 (ん?・・・何で未使用のはずのモノが、あれだけくっきり亀頭を出してるんだ?!) 「なぁ、唯。・・・お前、もしかして割礼とかしてるのか?」 「え・・・うん。大河はしてないのか?」 「日本にはそんな習慣はないぜ。・・・ってことは、お前はイスラム教徒なのか?」 「違うだろ?・・・仏教徒だと思うけどなぁ。両親の墓地はお寺だし・・・」 「じゃぁ、何で割礼なんかしたんだ?」 「サバンナの方ではしてないと信用されないみたいだよ。もう少し成長してから儀式をするらしいけど、俺の父親があまり大きくなってからだとトラウマになるからって、5歳の時七五三のお祝い代わりに手術してくれたんだ。」 「へぇ・・・知らなかったなぁ。・・・痛かっただろ?」 「儀式はそうらしいけど、俺の場合は麻酔して完璧に手術を施したようなものだし、術後もたいしたことなかったな。」 「そういえば、お前のお父さんはかなり医術に通じてたらしいな。」 「・・・ん、まぁ・・・資格とかはなかったけど・・・」 「そっか・・・あ、それでお前は医学の資格を取りたかったのか?」 「・・・そうかなぁ・・・そうかもなぁ・・・よくわからないけど・・・」 「なんだ・・・曖昧な奴。」 大河は酔いが回ってきた目を眇めて舌打ちをした。 「絡むなら残りのお酒、全部窓から捨てるからな。」 唯は冗談のように言って笑い、料理を食べ続けた。 刺身を運ぶ唯の赤い唇を見ていた大河は、無性に唯の男根を調べてみたい衝動に駆られた。 「・・・後でちょっと見せてくれよ。」 「何を?」 「お前の・・・割礼した痕。」 「ほとんど傷痕とか残ってないと思うけどなぁ。」 「それでも自然に剥けたモノとは違うだろう?」 「ヘタな人が乱暴に皮を切りすぎると悲惨らしいけど、俺のは特に変わらない程度だから参考にはならないよ。」 「特に変わらないって、何でそんなことがわかるんだ?・・誰のと比べたんだよ?」 大河はムッとして問いただした。 「医学書で見ただけだけど・・・」 唯はムキになっている大河がわからず、訝しげに答えた。 「俺のも見せてやるから、お前も見せろよ。」 大河は更に強要するように言った。 「だったら、さっき風呂で言えば良かったのに。・・・面倒だなぁ。」 「風呂場なんて、いつ知らない奴が来るかわかんないだろうが。唯のモノを見ていいのは俺だけだぞ。」 「・・・お前でも・・・遠慮したいよ。」 「遠慮するなって。俺のだったら、握っても舐めても好きにしていいからな。」 「何で舐めるんだぁ?」 唯は完璧に冗談だと思って、可笑しげに笑い出した。 大河もつられたように笑い出したが、食後の楽しみが出来た嬉しさで、顔がにやけてくるのを誤魔化すように、更に冗談を重ねた。 隣りの部屋に用意された寝床へ向かう時、大河は酔って足がふらつくフリをして、唯の肩を借りた。 身長差は15cmある上、肩幅や体重差はもっとある大河を、それでも唯はしっかりと支えて歩いていた。 見た目よりずっと力があることは知っていたが、大河は唯を困らせたくて、わざと全身を唯にもたれかけさせた。 「・・・っもぉ・・・飲み過ぎだよ。」 唯はほとんど背負うようにして大河を運んだ。 唯が慎重に布団に寝かせてくれるのを待っていたとばかりに、大河は唯の腕を強く引いて胸に抱き寄せた。 それから素早く体を反転させ、唯を組み敷くように押さえ込んだ。 「おい。・・・重いだろ。」 「・・・体重はかけてねぇよ。」 大河は唯の耳から首筋辺りに顔を擦るようにして囁いた。 耳たぶをしゃぶり、顎のラインにキスをするように唇を滑らせながら、大河は唯の浴衣の裾を割って手を侵入させた。 「大河・・・酔ったからって、女と間違えるなよ。」 唯は特に抵抗するでもなく、ただ困惑気味に大河の胸を押し上げようとしていた。 「そんな酔ってねぇし、女とも間違っちゃいねぇぜ。」 大河は顎の先端まで滑らせた唇を、唯の唇に重ねて舌を強引に差し込むと、絡ませながら強く吸った。 唯はビックリして目を丸くし、今度ばかりは身を捩って抵抗しようとしたが、さすがにガッチリと押さえ込まれると身動きが取れなかった。 キスをしながら大河の一方の手は、唯の股間をまさぐり、下着の中に滑り込んでいた。 「ん、、んー、、、」 多分、よせ、と言ったのだろうが、舌を絡め取られていて言葉にならなかった。 大河は唯の男根を握って擦り始めた。 唯は目眩を感じて目を閉じた。 次第に大河の手の中で反応していくモノに、意識を取られ始めたようで、眉を寄せて時々切なそうな息遣いになった。 大河は唯の抵抗が弱まったのを感じ取り、ここぞとばかりに下着を剥ぎ取ると、自分も下着を脱いで、固く勃起した自分の男根を唯に握らせた。 唯が大河のモノをちゃんと擦り上げるようになるまで、何度も手を添えて促し、唯が素直に擦り始めるのを待って、再び唯のモノを握った。 キスをしたままの状態で、大河の荒い鼻息が切なく乱れ始めた。 「・・あぁぁ・・・たまらないぜ・・・」 とうとう唇を離した大河が喘ぐように言った。 「・・・冗談・・キツ過ぎるよ・・・」 唯も乱れる息遣いで文句を言ったが、声が切なげに甘くかすれていることに、自分で戸惑っているようだった。 「見せ合うって約束しただろ。」 大河が宥めるように、唯の顔中にキスをし、唯の勃起してきた男根を擦る手を早めた。 「・・・ぁぅ、、、・・・そんな約束・・・してない、、、ん、、ん、、、」 苦悶の表情で体を捻らせ、鼻を鳴らす。 「なら・・・舐めるか?」 「バカ。怒るぞ。」 「怒ればいいだろ。」 大河が強がる唯の耳をしゃぶって舌を耳穴に差し込むと、唯の体が大きく仰け反り、甘い息が切なげな喘ぎ声となって洩れる。 「ぁぁ、、、あぁ、、、ん、、、」 唯の手の動きが止まりそうになり、 「ちゃんと続けろよ。・・・ほら、・・・もっと強く・・・」 と、大河が唯の手に自分の手を重ねて動かし方を教える。 「・・・そう・・・優しく、、、強く、、、早めて、、、・・・そうだ・・・」 耳元で熱い息で囁き、唯がコツをつかむまで、何度も繰り返し手を添えて教え込んだ。 その間、唯のモノは勃起したまま放っておかれるので、唯の表情がじれったそうになっていった。 唯自身は気付いてないだろう表情に、大河は愛しさを募らせ、再び熱いキスを始めた。 無意識に唯も舌を絡めてくる。 唾液を絡ませ吸い合う熱いキスをしながら、お互いのモノを擦り合う時間が、狂おしいほどに長く続いた。 大河は唯が我慢出来なくなって、大河の男根を自分から強く握って、激しく擦るのを待っていた。 思惑通り、唯は大河を促すように手の動きを早め、絡める舌を切なく強く吸ってきた。 大河は、充分な高まりを待って、唯のモノを擦る手を早めてやった。 互いの腰がお互いの腹を突くように動かされる。 キスが続けられないほどに息が荒れるが、それでも貪るように互いの口を吸い合った。 「ん、、、んー、、、んんんー、、、」 「うううぅぅ、、、んん、、ううぅぅっ、、、」 同時に呻いて、お互いの腹に熱い精液をかけ合った。 放心したように目を閉じて、荒い息を整える唯を、肩を枕にしてやるように抱き寄せた大河は、髪を撫でてやりながら、一方の手で自分の腹にかかった唯のミルクを指ですくって舐めていた。 「・・・どうゆうつもりなんだ?」 やっと唯が薄目を開けて言った。 「そうだなぁ・・・」 大河はまた唯のミルクをすくって舐めてから、 「デートの目的を・・・実践してみた。」 と、答え、喉で笑った。 「・・・俺で実践するな。」 唯は体の向きを変え、背中を向けた。 大河は背中から唯を抱き包むようにして、 「けど・・・気持ち良かっただろ?」 と、唯の首筋にキスをした。 唯が黙っていると、大河は、 「もう一度するか?」 と、また股間に手を伸ばした。 「あ、、、ぁぁ、、・・・やめろよぉ・・・」 「だったら、素直に気持ち良かったって言えよ。」 大河に再び男根を握られてしまった唯は、膝を曲げながら、 「わかった・・・気持ち良かったよ。・・で、いいだろ?」 と言った。 「素直な言い方じゃないなぁ。」 大河は背中から回したもう一方の手で唯の胸を撫で、乳首を指先で擦り始めた。 「ぁぁっ、、、・・・大河ぁ・・・」 唯が怒ったように体を捻る。 困り切った顔をして体を縮こませる唯の目に、うっすらと涙が滲んでいることに気付いた大河は、唯の股間から手を引いた。 (これ以上無理は出来ないな。) 大河はいっそひと思いに、唯を抱いてしまいたい欲望を押さえ込み、そっと腕の中に抱き包んだ。 それから、布団を肩までかけてやり、 「冷えてきたな。・・・一緒に寝ようぜ。」 と、優しく労るように言って、目を閉じ、大きく息を吐いた。 翌朝、大河が目を覚ますと、唯はすでに温泉につかってきたようで、 「じき朝食を運んでくるって言ってたよ。」 と、いつもの様子で声をかけてきた。 大河は乱れた浴衣を直しながら起き出し、 「じゃぁ、ちょっと温泉に入ってくるわ。」 と、やはりいつも通りに答えた。 風呂から戻ると、服を着た唯が朝食の並んだテーブルで、大河を待っていた。 大河が浴衣のままテーブルにつくと、唯がおひつからご飯を茶碗によそって、大河の前に置いた。 大河は普段と変わらない態度の唯を、変わらないだけに怪訝に思いながらも、食事を続けた。 けれど、食事が済むと、唯はじっと大河を見つめた。 そして、唯が注いだ食後のお茶を啜る大河に、 「お前・・・めっちゃ酒癖悪いな。」 と、言った。 大河はお茶に咽せそうになりながら、 「・・ッケホッ・・・酒癖って・・・」 と、眉をひそめた。 「・・・昨夜、何したか・・・覚えてないのか?」 唯は一瞬怒ったように目を眇めたが、 「記憶にないことを言っても仕方ない。・・・けど、もう当分酒は禁止だからな。」 と溜息を吐いて、 「早めに支度しろよ。」 と、席を立った。 (おいおい。・・・あれを俺の酒癖と解釈したのか?) 大河は、唯が昨夜のことを許してくれたことには感謝したが、長い間の想いを溢れさせた切ない気持ちを、酒癖にされたことは寂しくもあった。 (本気だと言ったら・・・絶交されるか・・・?) 大河は、今はそれでも仕方ない、と諦め、 「帰りは土産物を見てこうな。」 と、明るく言って、立ち上がった。 |
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<4> 「大学」 |
<4>「大学」 大学に入ってすぐの所に、大学からの連絡事項が張り出される掲示板がある。 連休が近くなると、休講になる講義もチラホラと出てくるので、学生達はいつも以上にチェックに余念がなかった。 「チッ・・・フランス語は連休明けまで休みだってよ。」 人だかりの後ろから、掲示板を覗き込んだ大河が、振り返って唯に肩をすくめて見せた。 唯も大河もすでにフランス語は習得していたが、文学部の必須科目だった為、講義を取っていた。 大学の授業は、1講義が90分で、1日5時限が組み込まれている。 この曜日は1時限目が空いていたので、2時限目のフランス語がなければ、午前中は暇になる。 つまり、大河の舌打ちは、わかっていれば午後から出たのに、と言う自分サイドの苛立ちのせいだった。 「仕方ないよ。図書館で連休明けに提出するレポートでもまとめてよう。」 唯は穏やかな笑みを向けて言った。 「どうせパソコンはいっぱいで使えないぜ。他で時間潰した方がマシさ。」 大河は腕時計を見て、 「午後の講義まで3時間近くあるし、スポーツセンターで泳いでこようぜ。」 と、ウィンクした。 スポーツセンターは大学から歩いて10分程度の所にあり、エアロビやダンス等様々な教室が入っている他、ストレッチ設備や温水プールのある施設で、唯と大河は体を鍛える為に会員になっていた。 「クスッ。ま、それでもいいけどね。」 「よし、決まりだ。」 時間があれば体を動かし鍛える、というのは、留学した時から心掛けてきたことだった。 唯の養父が文武両道派だった為、初めの頃は強制的な部分もあったが、今では習慣になって、体を動かせないとストレスが溜まるように感じていた。 「唯くーん、待ってぇ!」 二人が大学の門を出かけた時、すぐ後ろから声を掛けられた。 唯が立ち止まって振り返ると、息を切らせて追いついてきた女性が、唯の腕にしがみついた。 大河はムッと眉をひそめた。 「もぉ・・・足が速いなぁ。走らないと追いつけないじゃん。」 「あ・・・ごめん。何か用だった?」 相手の一方的な言い分でも謝って、唯は優しく微笑みかけた。 「特に用ってことじゃないんだけどぉ・・・」 唯に腕を絡めて呼吸を整えていた女性は、長い髪を指で後ろに梳いて顔を上げると、頬を赤らめて笑った。 玲奈という名前の彼女は、同じ文学部の一回生で、唯達と取る講義がほとんど同じだったので、親しくなっていた女性だった。 「俺達は用事があるんだ。用がないなら呼ぶなよ。」 大河が煩そうに言う。 が、初めに玲奈と親しくなったのは大河だったのだ。 「・・・何?・・・喧嘩したのか?」 「別に。」 そう言いながら、大河は玲奈を無視するようにそっぽを向いた。 玲奈の表情に悲しげな影が過ぎる。 「大河には声掛けてないじゃん。」 玲奈はすぐに気を取り直して、 「ねぇ、講義が休みじゃん?一緒に時間潰さない?」 と、唯に甘えるような眼差しを向けた。 「だから、俺達は・・」 と、大河が言いかけたが、唯が大河の言葉を遮るように、 「いいよ。」 と、答えた。 玲奈の顔がパッと明るくなり、 「ホント?・・やったぁー!」 と言ってから、 「友達も一緒なの。今呼んでくるね。」 と、掲示板の方へ戻っていった。 その後ろ姿に舌打ちしながら、 「何でだよ?せっかくのトレーニングタイムだったのに。」 と、面白くなさそうな大河が小声で抗議した。 唯も小声で、 「お前が冷たい態度を取るから、彼女辛そうだったよ。付き合ってるんじゃないのか?・・・あんまり無責任なことはするなよ。」 と、溜息まじりに言った。 「だから、俺は特定の彼女は作らないって言ってるだろ。玲奈だって承知してるはずなんだ。」 玲奈と大河、お互いを普通に名前で呼び合う関係は、唯の知らない繋がりを感じさせる。 「・・・干渉する気はないけどね。」 唯は諦めたように微笑んだ。 玲奈が連れてきた友人は二人いた。 二人とも玲奈と同じクラブで、学部は経済学部と外語学部と各々違っていたが、気が合うので最近親しくなったのだと、玲奈が説明した。 文学部の玲奈(れいな)は、お嬢様タイプで、サラサラの長い髪を自慢げに後ろへ梳くのが癖のようになっている、目鼻立ちのはっきりした美人だった。 経済学部の明美(あけみ)は、ボーイッシュなショートヘアで、広い額を出している顔が利発そうな少しきつめの美人だった。 外語学部の彩香(あやか)は、控え目な優等生タイプで、服装も髪型も普通の目立たない大学生といった感じだったが、可愛い顔立ちはしていた。 玲奈が紹介する間、三者三様の女性を観察するように眺めていた大河は、視線を唯に戻すと、 (どんな女も俺の唯の美貌には敵わねぇな。) と、眩しそうに目を細めた。 唯は玲奈の紹介に微笑みを絶やさずに頷いて聞いた後、それぞれに握手して、 「よろしく。」 と、挨拶をした。 「ねぇ?近くで見るともっと綺麗でしょう?」 玲奈が唯の腕をつかんで、二人の友達に言ってから、 「二人とも入学式の時からずっと唯君に憧れてたんですって。」 と、また甘えるように唯を見上げた。 160cm前後の彼女達から見れば、177cmの唯は男として充分な身長があるといえた。 ただ、玲奈は192cmの大河の逞しさにぞっこんなことは、これまで同じ教室で席を並べてきた様子でわかっている唯だった。 どんな経緯かは知らないが、玲奈が唯に甘えることで、大河に当てつけているのか、気を引こうとしているのか、いずれにしても唯自身に玲奈の興味がないことを承知していたので、利用しているとわかっていて協力するように務めていた。 「いつまでも立ち話してるのも格好悪いぜ。」 大河は唯の気が変わらない様子に諦めたようだった。 「まだ昼飯って時間じゃねぇが、どっか喫茶店で話そうぜ。それから、昼のことを決めればいいだろ?」 「そうだね。」 唯も同意して頷いた。 「じゃぁ、行こうぜ。」 大河は唯の前を歩き始め、ちょっと振り返って玲奈に、 「いつまでそこにいるんだ?」 と声をかけた。 玲奈は、あっ、と嬉しそうに顔をあげると、大河に並んで歩き出した。 唯は、やっぱり、というように笑みを洩らし、残った二人に、 「それじゃ、行こうか?」 と、声をかけてから大河の後を追うように続いた。 明美と彩香は顔を見合わせると、唯を挟むように並んだ。 大河は唯と歩く時よりもゆっくりと歩き、玲奈が走らなくても着いて来れるように気を使っているようだった。 玲奈は30cmも差のある大河を思いきり見上げながら、頬を紅潮させて嬉しそうだった。 唯は同じような食事を摂り、同じようにトレーニングをしているのに、差が開くばかりの大河の男らしさを羨ましく感じながらも、二人の女性に話しかけて、前の二人にあてられないようにと気を使っていた。 三件目に覗いた店でようやく座れる席を見つけ、歩いてきた時と同じような並びで向き合って席に座った。 「両手に花か。急にモテだした気分はどうだ?」 大河が明美と彩香に挟まれて座っている唯をからかって言った。 「光栄だね。」 唯は大河の冷やかすような言い方を気にするでもなく、穏やかに微笑んで答えた。 「あら。唯君がモテるのは急じゃないわよねぇ。」 玲奈が二人の女友達を交互に見ながら言った。 「そうですよね。今、大学で人気No.1じゃないですか?」 明美が頷きながら利発そうな目を輝かせて言った。 「へぇ。そいつは初耳だな。」 大河は腕組みをして片頬で笑った。 (唯が人気があることくらいわかってるさ。ただ、唯が近寄りがたいほど綺麗で高貴な雰囲気だから、みんな遠慮して遠巻きに眺めてるんだってな。) 「どこの学部も唯君の噂で持ち切りなんだからぁ。ねぇ、彩香?」 玲奈に話題を振られて、恥ずかしそうに赤面した彩香は、 「・・ええ。」 と、小さく答えてうつむいた。 「噂って?」 大河が興味を持ったようで玲奈に聞いた。 「そんなたいしたことじゃないけどぉ、今日はどんな服装だったとか、どんな本を読んでいたとか、学食で何を食べていたとか・・・」 「アッハハハッ。つまんねぇ噂だぜ。」 大河が声を出して笑ったので、周囲の視線が集まってしまった。 店の客のほとんどが、大学の学生達のようだったので、 「なら、今日のことも噂になるんだろな。」 と、大河が苦笑した。 「うん。なるかも。・・どっちが唯君の彼女だろう、とか。フフッ。」 「その前に、玲奈。お前が唯に馴れ馴れし過ぎるって顰蹙を買うだろうな。クックックッ。」 「えーっ・・・」 玲奈は大河に拗ねたような上目遣いを向けて、大河のワイシャツの袖を指先でつまんだ。 その仕草がいかにも恋人に甘えたい女の子そのもの、といった様子なので、 「玲奈は大河さん一途だもの。大丈夫よね。」 と、明美がフォローするように言った。 「あ・・シィーッ・・・」 玲奈が指を唇に当てて明美を軽く睨んだ。 「え?内緒だった?・・・そう見えないんだけど・・・」 明美は目を瞬かせてから笑みを零した。 「だって・・・大河が・・・」 「あ?俺が何だって?」 大河が不機嫌そうな声を出したので、玲奈がビクッと肩をすぼめた。 「大河。・・・痴話喧嘩は二人だけの時にしろよ。」 会話にはあまり参加しない唯だったが、友人として大河の言動に心配して声をかけた。 大河は、誰のせいでここに付き合ってると思うんだ、と言いたそうに唯を睨んだが、溜息を吐くとコーヒーを飲んだ。 唯に釘を刺された大河は、それからはなるべく友好的に話すようにしているようだった。 唯自身はどんな話をすればいいか、わからずに、聞かれたことに答える程度で、会話を見守る態度を取っていた。 会話のほとんどは、玲奈と明美が進める感じで、彩香も唯と同じ聞き役に徹していた。 けれど、しばらく会話が続く中で、彩香が苦しそうに肩を上下させ、体を震わせ始めてしまった。 「ん?・・・彩香さん?」 唯が気付いて顔を覗き込み脈を測るのと同時に、大河も席を立って瞳孔や舌の状態を診た。 「意識ははっきりしてますね?彩香さん?」 唯が聞くと微かに頷いた。 「発作のある持病とかありますか?」 彩香は苦しそうに眉を寄せ、首を少しだけ横に動かした。 彩香の体がますます激しく震えるので、玲奈と明美も顔を青ざめて、 「彩香?」 と呼びかけた。 「心配ないから、静かに。」 大河が厳しい口調で二人を制してから、 「過酸素呼吸だろ?」 と言った。 「そうだな。ビニール袋を借りてきてくれ。」 唯が言い終わる前に大河が店の奥へと駆けて行った。 借りてきたビニール袋を彩香の頭から被せ、 「少し苦しいだろうけど、しばらくこうしてれば落ち着くからね。」 と、唯が肩を抱くようにして言った。 「唯。お前がそこにいると治り辛いんじゃないか?」 大河は紳士的な真面目な口調で意見した。 「・・あ・・・そうか・・・」 唯が彩香の体を後ろにそっと持たれかけさせて席を立ったので、玲奈が代わって彩香を支えるように座った。 10分ほどで彩香が落ち着いてきたので、ビニール袋を外してやった。 「・・・ごめんなさい・・・」 彩香がうつむいた顔を赤らめて、涙ぐみながら小さな声で言った。 「大丈夫だよ。珍しい症状でもないし、誰でもなりうることだから。」 唯が慰めるように言うと、 「そうそう。少し緊張し過ぎちゃっただけだよな。」 と、大河も優しい口調でニコッと笑いかけた。 「そうだったんだぁ・・・ふぅ・・・ビックリしたぁ。」 玲奈はほっとした笑顔になって、 「でも、大河と唯君があんまり素早く適切な処置をするから、それも驚きだったなぁ。」 と、感心したように、向かい側に並んで座っている唯と大河を見比べた。 「たいした事じゃないさ。もうこの話題はやめようぜ。」 大河が眉を曇らせて話を打ち切るように言った。 「どうしてですか?すっごく素敵でしたよ?」 明美は興奮が冷めない様子で目を輝かせていた。 「ホント、二人がお医者様に見えちゃった。フフフッ。」 「玲奈、あんまり煽てるなよ。」 大河が大袈裟に肩をすくめて見せた。 二人が医学博士の称号があることは、大学でも一部の教授しか知らされてない事実だった。 二人自身、賞を取るような研究成果を上げたのならともかく、一般的に10数年かかる勉学を短い期間に終了させただけで、特別なこととは感じていなかったので、飛び級のない日本の教育システムの中で特別視されることは煩わしかったのだ。 特に欧米では10代の教授も珍しいことではなかった。 ただ、その多くが、専門的知識に傑出していても、友人関係が少なかったり、私生活が満たされてないケースもあった為、大河は唯に同じ寂しさを感じさせたくないと思っていた。 そうした経歴を隠していても、唯と大河の容貌は大学でも常に注目を集めていた。 初めて目にして、その神秘的な美しさに視線が釘付けにならない者はいないほど、優美な唯はもちろん、到底文学青年には見えない、外国のアクションスター並みの体型をした大河も、一部に熱狂的ファンが生まれるほど人気があった。 その二人が同じ店内にいれば、それだけで周囲の注目を浴びてしまうのは当然だったが、彩香のことで更に好奇の的になってしまっていた。 それで、こうした状況では普通に会話も出来ないだろう、と店を出ることにした。 店の会計は大河が現金で支払うことにした。 こんなに注目されている場所で、唯がプラチナカードを使ったら、超お坊ちゃま、という評判までついてしまって、あまり唯を目立たせたくない大河にとっては都合が悪かった。 他の4人が、会計を大河に任せて店を出ようとした時、突然店内の一部で爆笑が起こった。 唯が何気なく振り返ってその席を見ると、一人の男がビニール袋を被った彩香の苦しげなマネをしていた。 それを彩香自身も目にしてしまい、今にも泣きそうに真っ赤な顔になったが、玲奈と明美に保護されるように店を出ていった。 唯は入り口から踵を返すと、大河の制止が間に合わないほど素早くその席に行き、マネをしていた男の前に立って、思いきり頬を張り飛ばしてしまった。 バシッッ! と、鮮明な音が響いた。 店内に息を飲む音が起こり、会話が途切れて静まりかえった。 そしてしばらく、控え目に流れるBGMだけが聞こえていた。 「・・っんだよ・・・テメェ!」 頬を真っ赤にした男が叫んだ。 「ちょっとくらい人気があるからって、いい気になんじゃねぇ!」 そう言って、唯を睨みつけた男は、ギクッ、として息を飲んだ。 唯の目に紫の光が灯り、妖しく揺れていたのだ。 美しい顔立ちは純白に輝き、妖しい紫の光を放つ目と怒りを顕わにした柳眉に、異様な存在を感じて言葉をなくしてしまった。 (しまった。あのバカ、唯を怒らせやがって。) 大河は側に駆けつけたが、声をかけられないほどに唯の全身がピリピリとしていた。 「・・人の苦しみを嘲笑うことが、どれほど最低の行為かわからないのか?」 唯の言葉は静かだったが、不思議な響きがあった。 鼓膜を振動させるのではなく、心の襞を震わせるような響きだった。 「・・・そ・・・そんなつもりは・・・」 男の声はすっかり懺悔でもするような情けないものになっていた。 「ほんの一欠片も悪意はなかったと断言出来るのか?」 唯はじっと男を見据えて言った。 男は唯の視線に耐えられなくなり、項垂れて、 「・・・済みません。」 と、弱々しく答えた。 唯は溜息を吐き、 「とは言っても、俺も公衆の面前で非難して、君を傷つけてしまったな。」 と、言って一度目を伏せ、もう一度男を見た時には、紫の光は消えて穏やかな表情になっていた。 「生意気なことを言って、済みませんでした。」 唯は男に頭を下げ、出口の方へ振り返った。 そして、すぐ側にいた大河に気付き、 『ごめん。また、やっちゃったな。』 と、ドイツ語で言った。 『仕方ない。あいつが酷いことをしたんだ。気にするな。』 と、大河が答え、唯の肩に手をかけて、庇うように店を出ていった。 ガラス越しに外から中の様子を見ていた女性3人は驚いた様子で唯を迎えた。 特に彩香は泣きながら、何度もお礼を言って頭を下げていた。 唯は彩香に泣かれて困ったように微笑みかけていたが、 「こーゆー時はこーするもんだぜ。」 と、大河が彩香を胸に抱き寄せた。 玲奈が声にならない声をあげて頬を膨らませたが、大河が彩香の背中を子供をあやすように、ポンポンポン、と軽く叩く様子に、うつむいて唇を尖らせた。 「や・・やめて下さい・・・」 彩香は湯気が立ちそうなほど赤くなって、大河の腕を振り解くと、数歩後ろに飛び退いた。 「お、なかなか反射神経はいいようだな。」 大河が冗談めいて言い、 「さて、次は昼飯の場所でも探そうぜ。」 と、唯に笑いかけた。 唯も微笑み、 「うん。そうしよう。」 と、頷いた。 |
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<5> 「恋心」 |
<5>「恋心」 唯が本気で怒りを露わにしたことは、大河の知る限りでは、まだ数回しかない。 イギリス留学時代に1回と、後はドイツ留学中のことだった。 イギリスでのことは、大河が唯をサイボーグのように感じていた時だったので、紫の光を揺らめかせて怒りの感情を爆発させた唯に、心底ゾッとしたのを覚えている。 渡英当初、一応幼学年から入学した唯だったが、1年に3〜4クラスを飛び級し続けて、4年目には大学に進学していた。 同じレベルでついていかなければならない大河は、日本でかなり優秀だと自負していたプライドをズタズタにされながら、必死に机にかじりつき勉学のみに励む日々だった。 1日気を緩めれば、遅れを取り戻すのに3日かかった。 少年らしい楽しみを持つ暇も許されず、トレーニングの時間だけが蓄積されたストレスを発散させる場所になっていた。 それでも、唯が大学院に進み、他の教授達と専門的な会話をする時、ついていけない悔しさを何度味わったか知れない。 そんな時はこっそりと体育館に逃げ込み、マットレスをサンドバッグ代わりにして、唯の姿を重ねて叩き続けたこともあった。 生態生理学・薬理学・生体化学・分子生物学といった超微細で超膨大なデータを詰め込むだけでも至難の業だったのに、それを更に分析したり配合したりと組み替えて研究していくことに、価値を見出すことが大河には出来なかったのだ。 だが、出来ないと言って放棄してしまうことは最後のプライドが許さなかった。 大河がそうした苦しい努力を続けていた一方で、唯は教授達とは別の視点で研究していた、遺伝子と細胞型特異的遺伝子のクローニングと構造を解析した研究論文で、理学博士の学位を授与され、教授や学生達の賞賛の的となった。 努力だけでは追いつけない存在があることを、思い知らされた大河が、苦渋の思いで出席していた唯の祝賀パーティーで、一人の教授のスピーチが唯を激怒させた。 どんな時でも優雅なほどに美しい微笑みを絶やすことがなかった唯を、”天使”と呼ぶ者達も少なくなかったが、その教授は、 「天使の遺伝子を抽出させて頂きたいものだ。クローニングで量産出来れば、地上は美しい楽園になるだろう。」 と、いったようなジョークで唯を誉めたのだ。 貴族の家系で以前から選民意識の強い教授だったが、皆がジョークだからと笑顔で賛同している時に、唯は紫の光を目に灯しながら、その教授にゆっくりと近付き、 「人が人を選別する世界に楽園などありようもない。最先端の科学が差別化を生み、苦しみや悲しみを生み出すなら、学ぶ価値はない。」 と、静かに言い放ち、その場を退席してしまったのだった。 その一件で唯はイギリスを去り、ドイツに渡った。 イギリスでも引き留める教授達や好意を寄せる仲間がいない訳ではなかったが、分析や研究だけに没頭するには、唯は幼すぎたのかも知れない。 ドイツでは実践的医学知識と医療技術を習得し、医師資格を取得する為の勉学に励んだ。 そして、2年目にはEU域内の医師資格を取得し、3年目に米国医師国家試験もパスして医師免許を取得した。 この頃は大河も唯の気持ちを理解出来るようになっていたし、一緒にやっていきたい、という強い願望も抱くようになっていたので、共に資格を取得出来るように頑張った。 そして、二人で研究した免疫と有効な予防療法に関する論文が認められ、共に医学博士の学位を授与されることになったのだった。 だが、表面的には輝かしい実績だったものの、医学の研究は唯にとって苦行の連続だったのだ。 研究の為とはいえ、幼い遺体にメスを入れなければならない時には、眠れず食べれない日が続いたりした。 試験的に実施した治療法がなかなか成果を上げない内に患者を失い、自分自身に憤り、苦悶にのたうち回ることもあった。 人だけでなく、実験動物へも深い愛情を抱く唯が、道具のようにしか思わない研究生と対立することも度々あった。 そして医療にさえ差別やランク付けがある実体に、ぶつけようのない怒りで追いつめられ、紫の光を瞳の奥に宿したまま泣き続けていたこともあった。 勉学においては常に唯が一歩前を歩いていたし、教えられることも多かったが、精神的には大河の方がタフになっていったこともあって、”守りたい”、という気持ちを強めていった。 いくら学んでも満たされない唯を見ていると、大河の心も痛くてたまらなくなった。 だから、少しでも唯の気持ちが楽になるように、励ましたり、慰めたり、時には意見したりと、大河なりの気持ちをぶつけ、また、周囲の無神経な輩は近付けないようにした。 もちろん、尊敬する教授や親切すぎる教授、親身にアドバイスをしてくれる優しい先輩もいて、唯の良き相談相手になってくれていたが、大河には”自分が一番唯の気持ちをわかってやれるのだ”という思いがあった。 唯も友人であり共同研究者でもある大河に対して、兄を慕うように甘えるようになっていった。 だから、日本の医学界から才能を嘱望されて迷っていた唯に、 「18歳っていったら、日本じゃ高卒だぜ。大学生をやり直したって、バチはあたらねぇよなぁ。」 と、言ってやったのだ。 唯がどんなに天才だとしても、決して楽な道を歩いてきた訳ではないのだ。 常に張り詰め、悩み苦しみ、走り続けてきた心を、少し休ませなければ、いつか壊れてしまうのではないか、と大河は不安だった。 魂のあるがままの姿に戻って、喜怒哀楽という感情と仲良くする時間も、これから先の人生の為には必要に思えた。 唯も、父親の影を追うように進んできた医学の研究という道に、精神的な行き詰まりを感じていたこともあって、大河の提案に乗って、また大学生として日本を学ぶことにしたのだった。 ただ、唯はこれ以上、大河の自由を拘束してしまいたくなかった。 大河が本来青春を謳歌する時期を、自分の為に犠牲にしてきたことを、充分感じていたのだ。 が、そうした心配をする唯に、大河は、 「俺は俺の自由意志でお前と一緒に生きる道を選んでるんだぜ。」 と、笑った。 それは恋心とは別の、戦友や同志に感じる友情のような想いであり、密かに崇拝する唯への信仰に近い想いでもあった。 それが最近は、大河の信念も恋心に浸食され気味だった。 何しろ、唯が苦しみを重ねるように学んでいた留学中とは違って、その頃でさえ美しかった穏やかな微笑みは、くつろぎの空間の中で一層優しさを増していたし、完成されつつある肉体は熟した果実のように甘く香り、ほのかに艶めく色気さえ感じるようになっているのだ。 この誘惑に耐えることが、大河の新たな試練になりつつあった。 (俺なりに勇気を振り絞って思いの丈をぶつけたのに、酒癖の悪さ、と思われただけだったしなぁ。) 崇拝する想いがあるだけに、女性を口説くような訳にはいかなかった。 それに口説かなくても女性は寄ってくる。 日本に戻って、大河は初めて自分がモテる男なのだと気付いた。 特に大学という空間は恋したい乙女で溢れているのだ。 言葉を初めて交わしたその日の内に、体を許してしまう女性が多いことに、さすがの大河も驚かされた。 少なくとも、イギリスやドイツではあり得ないことで、口説き落とすまでの手順を踏む暇のない毎日には、恋愛など遠い現実だった。 それが今は、ドーナツをチョイスするように手軽に好みの相手を選べ、テイクアウトして食べ放題なのだから、困ったものだった。 モテるのが困るのも不思議な話だったが、実は大学の入学説明会の時に玲奈と知り合い、同じ文学部なら親しくなっておいた方が得だと思ったのが、その日の午後には関係を持ってしまっていたのだ。 だが、サークルで親しくなった子が一人暮らしだったので、遊びに行った時つい関係を持ったら、玲奈の高校からの親友だった、ということがあって、玲奈とその子との友情を壊してしまったのだった。 その子は玲奈から咎められ、入って間もないサークルを抜けてしまい、違う学部なので顔を合わせることもなくなったが、玲奈との友情は修復出来ていないようだった。 そうした中、唯がサークルに参加したがらなくなっていて、大河も辞めようかと迷っていた時、今年サークルの副部長になった文学部三回生で年齢は大河と同じ21歳の梨香(りか)が誘ってきて関係を持つようになってしまった。 梨香も一人暮らしで、玲奈のようにデートの度にホテルを探す手間がいらなかった便利さで、梨香と会う方が多くなっていた。 それでも、大河に夢中の玲奈は、大河が自分を見てくれるようにと努力しているようだった。 外見は派手なお嬢様風で、実際かなりの資産家の令嬢だったが、大河の知る限りでは一番尽くすタイプだった。 ベッドで大河の男根に夢中でしゃぶりつくひたむきさは、大河も可愛いと感じていたが、唯への秘めた想いがある為に、 「俺は女を特定して付き合う気はないぜ。」 と、突き放すように言ってきた。 けれど、玲奈は、 「それでもいいから大河に抱かれたいの。」 と、娼婦のような大胆さで絡み、腰を振った。 「人前でベタベタされるのも好きじゃねぇしな。」 大河の言う人前は主に唯のことだったが、 「ちゃんと気を付けるから・・・側にいさせて。」 と、玲奈は切なそうに大河にしがみついてくるのだ。 そこまで言われて別れる理由も見つからない大河は、梨香の機嫌を取りつつ、玲奈とも付き合いを続けているという訳だった。 喫茶店を出て、少し早めだったが、玲奈達女性が多いということもあって、女の子に人気のイタリア料理のレストランに行くことにした。 その店も大学から歩いていける程度の距離にあって、利用する学生が多かった。 今度は玲奈と明美と彩香が先に並んで歩き、大河と唯がその後ろに続いて進んだ。 それで、店に入っても同じように向き合った。 女の子達はラザニアを注文したが、いつもなら相手に合わせる唯も熱い物と辛い物が苦手だったこともあって、普通にミートソースのスパゲティを頼んだ。 イカスミを選んだ大河にも合わせたくなかったのだ。 大河がイカスミのソースをわざと唇や歯につけて、 「イーーッ。」 と、して見せるので、玲奈達は声をあげて笑った。 唯が目を眇め、 「行儀が悪いよ。」 と、大河を窘めた。 「喰うことは元々サバイバルなんだぜ。」 大河は紙ナプキンで口元を拭って、唯にウィンクした。 唯はクスッと微笑みながら頷き、 「なら、好きにしろ。」 と、フォークに少し絡めたパスタを口に運んだ。 唯はフォークに少しだけパスタを絡め、ゆっくり口元へ運ぶ。 フォークも口元も汚さず、静かに食事する様子は、サバイバルからはほど遠かった。 どちらがサバンナ育ちかというクイズがあったら、素直な回答者なら迷わず大河を選ぶだろう。 食事の後、思い思いの飲み物で食休みをしていた時、 「あの・・・質問していいですか?」 と、明美が唯と大河を見比べるようにしながら言った。 「却下。」 大河がすかさず答えた。 「えーっ・・・」 明美がクスクス笑う玲奈に、助けを求めるように顔を向けた。 玲奈は、え?、と笑いを収めると、ダメダメ、と言うように首を振った。 代わりに唯が、 「何?」 と、明美に微笑みかけた。 明美は嬉しそうに目を輝かせ、 「いいですか?・・けっこうウチの学部でも不思議がってる人って多いんですよ。」 と言った。 「どうせロクなことじゃねぇだろ?そんなもんは却下だ。却下。」 大河が不機嫌に言う。 「憶測が飛び交うより、話せることは話した方がいいだろ?・・で、何?」 唯は大河を制してから、明美に視線を向けた。 「あ、はい。・・・色々あるんですけど・・・初めにお二人の関係ってどうゆう繋がりなんですか?」 「友達だよ。」 唯は迷わず即答した。 明美は頷いて、 「それはわかるんですけど・・・でも年齢が違いますよね?」 と、首を傾げた。 「三浪したと思っとけ。」 大河が言い放った。 唯が苦笑して、 「嘘が一人歩きするのも苦しいだろ?」 と、今度は宥めるように言った。 それから、 「俺と大河は去年まで留学していたんだ。お互いに飛び級をして、大学は卒業したんだけどね、留学期間が長くて日本のことが全然わからなくなってしまったから、改めて大学生になったって訳。」 と、説明した。 3人の女性は息を飲んで目を丸くした。 「チッ。そこまで言うかよ。・・・アホ。」 大河が呆れたように舌打ちした。 「だけど、大学生活は4年もあるんだよ?いずれは知れることだろう?」 「知れるなら知れるで、それまでは黙ってればいいだろ?」 「それまで誤解されてたら、大河に悪いじゃないか。」 「俺はどう思われたっていいんだぜ。もう、それ以上しゃべるな。いいな?」 「・・・俺はお前が誤解されてるのは嫌だよ。」 「嫌、も却下。黙ってろ。これは命令だぞ。」 唯を守りたい大河の気持ちは、唯にもわかっていた。 それが留学の時選ばれて一緒に渡英した理由でもあるのだから。 だが、日本に戻ってその役目は終わったはずなのだ。 それを今でも守ろうとする大河の友情が、唯には有り難いだけに申し訳なかった。 「そっかぁ・・・それで仲がいいんですねぇ。」 明美が感心しながら頷き、 「その大学の学部って・・・もしかして医学部とか?」 と、ニヤッとして言った。 「えっ・・・」 唯が固まってしまい、大河は額に手をあてて、大袈裟に溜息を吐いた。 「あっ、やっぱりそうなんだぁ。」 明美が得意げに笑った。 「まだ肯定も否定もしてないぞ。勝手に決めつけるなよ。」 大河は腕組みをして明美を睨みつけた。 「どうして隠す必要があるんですか?」 明美は大河の冷たい視線に怯むことなく見返した。 「お前、キツイ女だな。・・ったく、可愛くねぇよ。」 「大河。」 唯が眉をひそめて大河の腕をつかんだ。 大河は顔をしかめ、 『見ろ。どんなに高い堤防を築いたって、小さな穴から決壊しちまうんだ。特に自分の推理力をひけらかしたいたような女は要注意だぜ。』 と、ドイツ語で唯に向かって言ってから、体を前屈みにして顔を明美に近付けると、 「余計な詮索はやめろ。」 と、声を潜めて言った。 それから、レシートをつかんで立ち上がると、黙ったままレジに向かってしまった。 唯は泣きそうな顔の玲奈に、 「ごめん。俺が大河を怒らせてしまったんだ。よく話し合っておけば良かったのに・・・迷惑をかけてしまって、本当にごめんね。大河が怒ってるのは俺だから、君達には何も責任ないし、今日のことは気にしないようにね。」 と言ってから、席を立って大河の後を追った。 唯は大河の大股歩きに早足でついていき、大学に戻った。 戻ったものの、まだ午後の授業が始まるまでは時間があったので、不機嫌の直らない大河を屋上へ誘った。 「照り返しで暑いったらねぇぜ。」 『だから、人が来なくていいだろ?』 文句を言う大河に唯がドイツ語で言った。 唯の表情には困惑と悲しみの色が浮かんでいた。 『・・・何の話だ?』 大河は金網に寄りかかって腕組みをした。 『俺が迂闊だったのは謝るよ。ちゃんと相談してから話すべきだったと思ってる。』 『話す必要はない、って言ってるだろうが。』 『そうもいかないだろう?・・・やっぱり隠しておくのは大河に不利だと思うんだ。21歳で一回生というのは不自然だよ。』 『俺にはこの大学での評判なんてどうでもいい。』 『無責任な憶測や噂で不当に評価されたら、面白くないじゃないか。・・・人生を楽しもう、って言ったのは大河だろ?嘘を重ねてガードしてたら、ちっとも楽しくないと思わないか?』 『お前を守れればそれで充分楽しいんだ。それでいいだろ?』 『俺が自分を隠そうとしなければ、お前があそこで喧嘩しなくても済んだんだ。お前を怒らせてしまってる事実が、すでに楽しむという趣旨から逸れてるだろう?』 『お前は何も気にするな。・・ったく、誰にだって隠してることの一つや二つはあるもんだぜ。何でも正直に話せば、仲良くなれるってものでもないだろう。・・・むしろ、お前が医学博士だと知ったら、みんな敬遠するぞ。・・ま、玉の輿に乗りたい女は別だろうがな。』 『・・・理解して貰えない相手なら、友達になれなくていいよ。』 唯は座り込んで空を見上げた。 降り注ぐ光に目を閉じると、本物の天使のような顔になる。 大河はじっと見下ろして抱き締めたい衝動に耐えていた。 (お前を守る為なら、俺は悪魔にもなるさ。) そう思う大河だったが、唯が大河の荒ぶる姿を自分のせいだと、悲しんでいることもわかっていたので、どうしたものかと思い悩んでしまう。 『とにかく・・・連休に向こうへ帰ることだし、拓磨さんに相談しようぜ。・・・唯の経歴を隠すように指示してるのも拓磨さんなんだし、勝手なことをしたら俺が大目玉をくらっちまう。』 唯はハッとして目を開けた。 『あ・・・そうだったの?・・・知らなかった。ごめん。』 見上げる唯に大河は肩をすくめて見せた。 『・・・そっか。・・・拓磨さんかぁ・・・』 唯は膝を抱えるようにしながら頷いた。 唯にとっては母のように優しく、父のように暖かい存在だったが、拓磨が大河に厳しかったことを思うと、大河が苦手がるのも無理ないと思えた。 『じゃぁ、拓磨さんに許可を貰ってからにしよう。』 唯が労るように大河に微笑んだ。 大河は片頬で笑って、仕方なさそうに頷いた。 |
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