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<6> 「唯の実家」 |
<6>「唯の実家」 大阪某所にある唯の養父の邸宅は、広い敷地に三階プラス展望室のある洋館が建てられている。 洋館の東側はヨーロッパ風の庭園造りになっていて、噴水を回って玄関までのスロープが美しかった。 北側は林で囲まれた内側が駐車場スペースになっていて、ヘリコプターが常駐しているスペースもある。 西側は北から続く林が膨らんだ小さな森になっていて、鳥や虫達の住処になっている。 南側の半分は、プールとテニスコートがあって、建物のトレーニングルームから直接出入りできるようになっている。 このトレーニングルームにはカウンターのあるショットバーの設備もあるので、常に数人の男達が思い思いの余暇を楽しんでいた。 南側の残り半分は広い芝生のスペースがあって、放し飼いにされている数匹の犬とフリスビーで遊ぶことも出来た。 高い塀と植木で囲まれたこの一角は、外からは展望室のある塔しか見ることが出来ず、一旦中に入ると、別世界の雰囲気があった。 クラシックな雰囲気を持ちつつ、超近代的な構造になっている洋館は、一見すると中世的であったが、内部はハイテク技術が駆使されている建物だった。 車が横付け出来る玄関は屋根があって、重厚なドアは玄関脇の管理室で控えている男がドアを叩く前に開けてくれる。 広い玄関ホールは三階までの吹き抜けになっていて、ステンドグラス越しの光が射し込み、各階の廊下を明るい雰囲気にしている。 一階手前部分は接客用の部屋や養父が仕事に使っている部屋が並び、建物の中央ホールを挟んだ奥が、食堂や厨房、そしてトレーニングルーム等になっていた。 玄関ホールから続く階段で上がった二階と三階部分に来客用の寝室があり、奥へ続く仕切りのドアがあって、プライベートな空間は守られるようになっている。 特に鍵が掛けられている訳でも、警護の者がいる訳ではなかったが、全て管理室のモニターでチェックされているのだ。 この管理室の並びにエレベーターが設置されていて、各階に行ける他、その上の展望室まで通じている。 奥のプライベートルームがあるスペースには、この玄関ホールからも、建物の中央ホールからも行けるようになっている。 中央ホールも吹き抜けになっていて屋根部分にかなり大きな明かり取りの窓がある為、大きな建物であったが、いつも自然の明るさに満ちていた。 中央ホールの二階東側が養父の寝室や書斎があり、二階西側が唯の為のスペースになっていた。 唯の為のスペースはとても広く、東側の養父のスペースの倍以上あって、今は拓磨がその幾つもある部屋の一つを使っていた。 他の住み込みでいる使用人や部下は三階に部屋があった。 個人の邸宅とは思えない規模のお屋敷だったが、R財団のビルやRカンパニーのビルが世界中にあることを思えば、当然と言えた。 唯の養父はR財団の総裁であり、Rカンパニーの会長をしていたが、それとは別に秘密結社の総統でもあった。 R財団は慈善事業を主として活動し、Rカンパニーからもたらされる莫大な利益を福祉やボランティアや寄付といった形で還元していた。 Rカンパニーは本体が総合商社であったが、他に学校や専門学校といった教育機関も運営し、病院や研究所等も抱えていた。 そうやって社会への多大な貢献を果たす一方で、裏社会を統括する闇の秘密結社としても暗躍していた。 この闇の秘密結社は、かつて反目する関係だったアジア世界の二つの大組織が統合されることによって、中東、EU、アメリカに、各々存在する闇の組織と肩を並べるだけの大組織となっていた。 唯の父親も、大河や拓磨の父親も、表向きはRカンパニーの社員だったが、この秘密結社の一員でもあった。 冬馬は高校時代に予備軍の一員となり、高校卒業後、海外にある秘密の養成学校でスペシャリストとしての教育を受けて、22歳の時に総統直轄の仕事に配属された、組織の中では生え抜きの出世頭といえた。 拓磨は父親がRカンパニーの重役も務める幹部だった為、物心がつく頃には組織の一員としての自覚を持ち、英才教育を施された超エリートだった。 このずば抜けた頭脳の持ち主として期待され、将来の幹部としても確実である拓磨が、唯の後見人に選ばれたことから、養父が唯を自分の跡継ぎと考えていることは明らかだった。 少なくとも組織の人間は全てそう考えていた。 ただ、今は勉学に専念させる為、組織から離しておきたいという意向があって、なるべく組織が関わらないようにしているだけなのだ。 そう考える組織の人間にとっては、唯は単なるお坊ちゃまでは済まなかった。 唯は、”R財団とRカンパニーを抱える闇の秘密結社”という、ひとつの”帝国”の皇太子と言っても間違いなかった。 しかも、組織に所属する人間の総統への忠誠は、宗教的陶酔にも近い熱狂的なもので、普通の王国や組織の忠誠心等とは比べようもなく強いものだった。 だから、拓磨や冬馬が唯を大事にしているのも当然のことだったが、逆に個人的にどんなに可愛いと思っていても、私的感情では接することが出来ないほどに大切な存在だったのだ。 そうした状況を知らないのは、組織に関わる人間の中では、唯と大河くらいだった。 空港まで連休の人混みにまみれて普通に到着した唯と大河は、道路が渋滞しているからと、迎えに来たヘリコプターに乗り込み、屋敷に向かった。 屋敷の北側に降りたヘリコプターから唯達が降りてくると、森の方から三匹の犬が耳をなびかせて走ってきた。 「ライラ、リガロ、ルル、元気だったかい?」 唯が腰を屈めて頭を撫でてやると、嬉しそうに顔を舐める。 「レイドとロイがいないけど・・・?」 犬達の歓迎を受けながら、唯は冬馬を振り返って見上げた。 「今訓練に行ってますが、夕方には戻ります。」 「そっか。良かったぁ。」 唯が無邪気な笑みを浮かべたので、冬馬も口元を綻ばせ、 「はい。」 と言った。 後見人として一緒に暮らしていたのは、ほんの3ヶ月前のことだが、その頃に増して冬馬の唯への態度は遜ったものになっていた。 その為、久しぶりに会った大河が懐かしく話そうにも、声をかけられる雰囲気がなかった。 「唯様、お車に・・・」 「えー・・・冗談でしょう?・・玄関までくらい歩けるよ。」 そう言った唯は、立ち上がると、大河に向かって、 「大河は車使ってもいいよ。ついでに俺の荷物も運んでおいて。」 と、言ってから、 「ライラ、リガロ、ルル、来い!」 と、走り出してしまった。 「おい!唯!」 大河が呼び止めようとしたが、唯は手をあげただけで振り返らずに走って行ってしまった。 「チッ。・・唯の奴ぅ・・・」 大河が舌打ちをして呟くと、 「元気そうだな。」 と、冬馬がにこやかに笑って大河の肩に手を置いた。 その笑顔は以前のままだったので、大河はようやく緊張を解いて、溜息を吐いた。 「おう。元気に荷物運びやらされてるぜ。」 「アホ。唯様は、お前が俺と話せるように、先に行ったのがわからんのか?・・まあ、後でも荷物を解いて時間が出来れば、ゆっくり話す時間もあるだろうが・・・」 そこまで言った冬馬は車の運転手に二人の荷物を運ぶように指示をして、大河の肩に手を置いたまま玄関へと歩き始めた。 広い駐車場から東側へ廻り玄関まではけっこう歩きでがある。 ヘリコプターを降りて玄関まで車で移動するのも、不思議なことではなかった。 「いい子ぶれ、とは言わないが、屋敷は色々な人間が出入りするから、言葉遣いとかは注意してくれよ。特に人前での唯様への言葉はな。」 「面倒臭ぇなぁ。だから、ここは苦手なんだ。」 「それが大人社会ってものだぞ。俺も組織に復帰して、以前とは立場も違うしな、屋敷で使う言葉も違うし、お前だけに気を回してやることが出来ないこともわかってくれ。・・・なるべく時間を割いて外に連れ出してやるから、少しは辛抱しろよ?」 「チェッ・・・わかったよ。」 大河はうつむきがちに、また溜息を吐いた。 が、すぐに顔を上げ、 「そう言えば、いい所に連れて行ってくれるんだよな?」 と、顔をにやつかせて聞いた。 「おう。どこだって連れてってやるぜ。まずは遊園地か?」 冬馬もニヤッとして答えた。 「勘弁してくれよ。そんな場所なら唯と行った方がましだぜ。」 「アッハハハハ。・・だろうな。・・・ま、任しとけって。」 冬馬は楽しそうに大河の肩をポンポンと叩いた。 大河と冬馬が玄関に着くと、唯は玄関ホールで、出迎えに集まっていた屋敷の使用人や組織の者達一人一人に挨拶をしている所だった。 唯のすぐ隣りに拓磨がいて、唯とは初面識の者がいると簡単な紹介をしていた。 拓磨は大河と冬馬を横目で一瞥しただけで、すぐに視線を唯に戻した。 三匹の犬はゆっくり歩く唯の足元で激しくシッポを振っていた。 出迎えの人々への挨拶が終わったところで、拓磨が、 「唯様、お疲れとはおもいますが、総統もお待ちになってらっしゃいますので・・」 と、唯に言った後、 「大河。君もご挨拶をするように。」 と、大河へ顔を向けた。 大河は、眉を上げて、 「もちろん。」 と、答えて、ワザとらしく拓磨に頭を下げた。 「では、唯様の後についてきなさい。」 拓磨は表情を変えないまま背中を向け、唯を案内するように歩き始めた。 総統の部屋から先に退席した大河が、メイドに案内されて滞在中に使う部屋へ来ると、冬馬が部屋のソファーに座って待っていた。 メイドが下がって、大河は運ばれてあった荷物を紐解きながら、 「何か暇そうじゃん。」 と、冬馬に言った。 冬馬は苦笑し、 「今日はお前の相手をするのが俺の仕事だ。唯様は総統とお過ごしになられるだろうからな。お前が退屈そうだと唯様が気にされるし、そんな唯様を総統も気にされる。」 と、顎を撫でながら考え込むように言った。 「ようは、俺がお邪魔虫って訳だろ。フン。」 「そう拗ねるなよ。お前がいなければ唯様もここには居辛いだろう。わかってやれ。」 「わかってるから付き合って来てやってるんだろ。拓磨さんの小言覚悟でな。」 「参謀が俺の今日の仕事として時間を空けてくれてるんだぞ。頭を撫でて貰えないからって反発してんじゃねぇ。」 「参謀ね。・・・自分が唯を独占したいだけなんじゃないか?」 「そんな私的感情を持たれるような方じゃない。」 「つまんねぇ奴。・・・この屋敷の連中はみんな、忠誠心っていうエネルギーで動くロボットみたいだぜ。」 大河は弾みをつけてベッドに寝転がり、頭の後ろで腕を組んだ。 冬馬はしばらく返す言葉に困っているようだったが、 「・・・お前はまだ何も知らないから、表面的なものしか見えてないんだ。」 と、眉を曇らせた。 「知りたくもねぇ。俺は組織に関わる気はねぇぜ。」 「そうもいかんだろうが。唯様はいずれ総統の後を継がれる方なんだからな。」 「唯だってそんなもんは望んじゃいねぇ。・・つーか、組織そのものを知らねぇじゃねぇか。跡継ぎになんかなれるかよ。」 「だから参謀がついてらっしゃるんだろ。総統の後を継げるお方は唯様以外にはいらっしゃらないんだ。皆そう思っているし、願っている。・・・唯様は存在してくださるだけでいい。」 「・・っんだよ。それじゃ唯は人形みてぇじゃねぇか。」 大河は体を起こして怒った口調で言った。 冬馬は、フッ、と笑って、 「だから、お前を野放しにしてるのさ。そうした感情を持てる友達の存在も必要だからな。」 と、言って、肩をすくめた。 「チェッ・・・俺も用意された駒って訳か。・・・何から何まで管理されてて、面白くねぇったらねぇぜ。」 「それだけ総統の愛情が深いということだ。」 「・・・愛情ね。・・・けど、何で唯なんだ?・・・組織の為に親を亡くした遺児は唯だけじゃねぇだろ?一番親しい友人だったとしても、面倒見るだけでいいじゃねぇか。・・・しかも、ほとんど一緒に暮らさねぇし・・・どっか変じゃねぇか?」 「詳しい事情は俺にもわからん。・・・参謀ならご存知かも知れないがな。それほど気になるなら直接参謀に聞いてくれ。・・・俺は遠慮しておくぜ。」 冬馬は、恐ろしい、とばかりに顔をしかめた。 大河はベッドの上であぐらをかいて腕組みをした。 冬馬でさえ恐れる拓磨に太刀打ち出来るとは思えなかったが、納得のいかないものを胸に抱え込んで曖昧にするのも気分が悪かった。 「いいさ。直談判してやるぜ。」 大河は自分自身に言い聞かせるように呟いた。 「好きにしろ。」 冬馬は笑ってソファーから立ち上がり、 「だが、今日は参謀も唯様に付ききりだろうし、夜にならないと話す時間は持てないだろう。それまで街でも案内するぜ。」 と、大河の頭を撫でた。 「ガキ扱いするなよ。」 ふてくされたように言いながらも、大河の表情が和らいだ。 「ほう。もうガキじゃねぇのか?」 「付き合ってる女だっているんだぜ。」 「クックックッ。それがどうした?ただのマセガキなんじゃねぇのか?」 「フン。大人の矛盾に付き合わされるくらいなら、ガキでいいさ。」 「ほら見ろ。やっぱりガキじゃねぇか。」 冬馬はまた大河の頭を撫でた。 「出掛けたくねぇなら、下のトレーニングルームで鍛えてやるぞ。どうする?」 「出掛ける、出掛ける。」 大河は慌ててベッドから飛び降りた。 「冬馬さんにレスリングのワザをかけられたら、三日は首が回らなくなっちまうぜ。」 「ボクシングでもいいぜ?」 「モテる俺の美貌が青アザだらけになっちまうだろうがよ。」 「ほうほう・・・そんなにモテるのか・・・」 冬馬はフットワークしながら、大河の脇腹に軽くジャブを入れた。 「・・ってぇなぁ・・・妬むなよ。大人げねぇだろ。」 「フン。なら、案内のコースから色系統は削除な。」 「あ・・・行く。・・・マジ、そこが一番行きてぇ。」 「モテるなら必要ねぇだろ?」 「夜の街の遊び方くらい知っとかなきゃダセェよ。プロ相手に男を磨くのもたしなみってもんだぜ。」 「クックックッ。なかなか言うようになったな。」 「フフン。・・だろ?」 大河は自慢げに眉をヒクヒクと動かした。 「和洋中、エスニックでも好きなメニューがあるぞ。テイクアウトでも立ち食いでも、釜揚げでも鍋物でも、懐石コースでもいいな。」 「・・・喰い物の話かよ。・・・チッ。」 「ハッハハ。さぁ、それはどうかな?・・・喰うは喰うでも・・・」 「うぉぉっ・・・やりぃ!・・やっぱ、そうこなくっちゃな。」 「取り敢えず出掛けよう。服もそれなりに整えないと相手にされないぞ。」 「了解!」 大河は機嫌良く、冬馬と並んで部屋を出た。 帰ったら拓磨と話をしようと思っていた大河だったが、すっかり夜の遊びに夢中になって、朝帰りをするはめになってしまった。 政財界のお偉方しか相手にしないという芸者を侍らせ、あちこち遊びまわった後、中でも人気があるという二人と一夜を明かしたのだ。 二人とも綺麗で清楚な印象のあった若い女性だったが、プロ意識とそのテクニックは並々ならぬものがあって、さすがの大河も翻弄され精気を吸い尽くされたようだった。 誰を選ぶか聞いた冬馬に、 「俺の相手は一人じゃ足りねぇぜ。」 と、言ったことを後悔したのも後の祭りで、朝、迎えにきた冬馬が含み笑いをするほど、憔悴しきった顔をしていたらしい。 それでも、 「今夜は控え目にするか?・・・それともおとなしく外出は辞めて寝るか?」 と、言う冬馬に、 「まだまだ。俺はバリバリだぜ。」 と、次のターゲットを狙うハンターのように、また精気を漲らせる大河だった。 「アッハッハッハ。頼もしいな。・・それじゃ、今夜はもっと過激な場所に連れていってやるか。」 「いいね。楽しみだぜ。」 「・・・ただし唯様には言うなよ?・・・まだ無垢な魂には刺激が強すぎる。」 「わかってるさ。・・・唯には恋心さえ理解出来ねぇんだ。」 「・・・ん?」 「いや、なんでもねぇ。・・つーか、唯は本物のガキってことだよ。」 「まだ未成年でらっしゃるんだ。それでいいだろう?」 「まあな。心配しなくても、唯に俺の遊びを話したりはしないさ。」 「そうしてくれ。」 冬馬は笑みを浮かべて頷くと、腕組みをして目を閉じた。 冬馬も冬馬で充分楽しい夜を過ごしたようだった。 大河は屋敷に戻る車から、初夏のような眩しい太陽に目を細めながら、景色を眺めた。 |
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<7> 「拓磨」 |
<7>「拓磨」 大河と冬馬が屋敷に戻ると、唯は拓磨とテニスをしているという。 それで、庭を抜けて顔出しに行くことにした。 芝生を歩いていくと、ラリーの続く音が庭の中仕切りの垣根越しに聞こえてくる。 芝生の景観を壊さないように、プールとテニスコートとは薔薇の生け垣で仕切られているのだ。 蔓薔薇が小さな花をつけているアーチ型の通路を抜けると、並々と澄んだ水を湛えるプールから反射する眩しい光が目に飛び込んでくる。 大河は軽い目眩を感じて顔をしかめながら、テニスコートに目をやった。 拓磨がジャンプショットを打ち込んで、唯が打ち返したボールがネットにひっかかってしまった所だった。 すかさずネットの端で行儀良く座っていた犬が、ボールをくわえて拾い、反対側のボールの入っているカゴに入れた。 そこでまた行儀良く座り、ネットにボールがかかるのを待っている。 唯側と拓磨側とちゃんと分担分けしているようだった。 しかも、拓磨が合図をすると、また別の犬がボールをくわえて持っていく。 (良く訓練されてるもんだぜ。) 大河は金網越しに眺めながら感心して溜息を漏らした。 この犬達は唯が屋敷にいる時は、常に側についていて共に行動していた。 もちろん寝る時も一緒で、前に泊まった時、話があって唯の寝室へ入ろうとして、五匹から一斉に鋭い歯を剥いて威嚇の呻り声を上げられてしまった。 絶対に噛まないように訓練してあるから大丈夫だとは聞いていたが、それでも五匹のドーベルマンに呻られたら、即座に退散したくなる。 絶対とはいえ、唯に危害を加える相手と判断したら、きっと喉元に噛みつくように教え込まれているに違いないのだ。 唯と話ながら犬の頭を撫でてやる大河を、迷惑そうに横目で睨み付ける瞳の奥が、警戒を解いていないことを告げている。 屋敷の中で、これほど確かなボディガードはいないかも知れない。 従順に従いながら、鋭い牙はいつでも唯の敵に向けられる。 仮に相手の命を奪ってしまったとしても、犬の暴走と言ってしまえば済むのだ。 しかも、人の何十倍も敏感な犬が、同じベッドに一晩中張り付いているのだから、寝込みを襲える者は皆無だろう。 唯が犬達をマンションで飼うと言い出さないでいてくれて、ホッとした大河だった。 大河がそうしたことを考えながら眺めている間に、ゲームに区切りがついたらしい。 「唯様、この辺で切り上げましょう。」 と、拓磨がラケットで大河達を指して言った。 唯は大河と冬馬にラケットを振り、 「お帰りー!・・一緒にするかー?」 と、笑顔で声をかけた。 「今日は遠慮しておくよ。」 大河は、勘弁してくれ、と思いつつ苦笑した。 「わかった。じゃぁ、シャワーしたらホールへ行くから。」 「おう。」 大河は手をあげて応えた。 唯の言うホールは中央ホールのことで、ちょっとしたくつろぎの空間になっていたので、時間が空いてる時にはチェスをしたり、本を読んだりするのに利用していた。 唯がコート脇のベンチに座ると、五匹の犬が集まってくる。 唯は一匹ずつ頭を撫でてやり、 「お手伝いご苦労様。」 と労っていた。 それから、ボールを一つ持って立ち上がると、 「よし、ライラ。キャッチだ。」 と、空高く投げ上げた。 名前を指定された犬がボールの落下地点まで走っていき、飛びついてキャッチする。 ライラはボールをくわえた顔がどこか自慢げで、嬉しそうにシッポを振って持ってくる。 「よしよし。いい子だな。」 唯はクッキーを褒美にやって耳をクシャクシャと掻いてやる。 「よし、次はリガロ、お前だ。それ行け。」 唯がまたボールを高く投げ、呼ばれた犬が同じようにキャッチして、嬉しそうに戻ってくる。 そして、同じようにクッキーをやり、耳を掻いて誉めてやる。 ボール拾いを手伝ってくれた礼として、遊びの時間を持ってやってるのだと、大河にも理解出来た。 (ああして無邪気にボールを持ってくる顔は可愛いのになぁ。) 大河は一度屋敷に向かいかけたが、立ち止まって唯と犬の様子に見取れてしまっていた。 四匹に同じことを繰り返し、 「よし、最後はロイだよ。それ。」 と、ボールを投げた。 ロイは勇んで走っていったが、途中でボールを見失ってしまったようで、ワンバウンドしたボールをキャッチした。 唯の元へ戻ってくる様子がどこか項垂れて見える。 「ちょっとボールが逸れちゃったかな。もう一度挑戦してみるかい?」 ボールを受け取った唯が言うと、「ワン!」と吠える。 「よし、もう一度だ。それ。」 唯はさっきよりも高く投げてやった。 高い方が難しいだろうが、その難しいボールに挑戦させることで、失敗を取り戻させてやろうというつもりなのだろう。 ボールを見つめるロイの目に闘志が燃え上がった。 ・・・いや、大河にはそう見えたのだ。 高くジャンプしたロイが見事にキャッチして、今度は嬉しそうに戻ってきた。 「よーしよし。最高のジャンプだったよ。」 唯がクッキーをやって誉めると自慢そうに鼻を上に向けた。 唯は頷きながら、鼻から額へと撫でてやった。 大河はその様子に、 「・・・何て健全な光景なんだ。」 と、思わず呟いていた。 「まったく・・・唯様は素晴らしい。」 近くで冬馬も賛同するように言った。 大河は唯に見取れていたので、冬馬も立ち止まって眺めていたことに気付かなかった。 振り返った大河と目が合った冬馬は、 「俺達も唯様に恥ずかしくないように着替えてこよう。」 と、ウィンクをした。 「・・・そうだな。」 大河は大きく深呼吸して、屋敷に向かって歩き出した。 中央ホールはちょっとしたパーティーにも使えそうな広さがあった。 ゆったりとしたソファーが並べられたコーナーと、テーブルとイスのセットが幾つか置かれているコーナーがあって、大河はソファーでクッションを枕に寝そべり、冬馬はテーブルでコーヒーを飲みながら新聞に目を通して、唯達を待っていた。 そこへ二階から唯と拓磨が談笑しながら下りてきた。 拓磨の唯へ向ける眼差しはいつも慈愛に満ちている。 そして拓磨へ向ける唯の微笑みは普段より幼く見えた。 唯にとって拓磨は、7歳から14歳まで親代わりだったのだから無理はないと言えたが、大河には馴染めないものがあった。 拓磨が大河に対して極端に厳しかったということはないし、むしろなるべく公平に接してくれていたと思うが、素直な唯とは対照的に反発心の強い大河は叱られることが多かった。 振り返れば自分が悪かったのだと大河にもわかるが、ただ、それだけでなく、拓磨の隙のない完璧さが苦手だったのだ。 拓磨がチラッと寝そべっている大河を一瞥した。 それだけで、大河は無意識に体を素早く起こして、条件反射のように居住まいを正してしまう。 それは冬馬も同じらしい。 新聞を畳んで、イスから立ち上がり、直立不動に待っている。 大河はそんな冬馬が好きだった。 唯が冬馬のいるテーブルの方へ行ったので、大河も移動して同じテーブルを囲んで座った。 もちろん、五匹の犬達も唯を取り囲むように座って待機する。 犬達は普段、影のように付き従い、唯の行動を妨げることはなかった。 メイドが飲み物を用意するかを聞きに来たが、じきに昼食になるからと、断った唯は、 「午後は拓磨さんが研究所に案内してくれるって。」 と、大河に言った。 「研究所?」 「うん。漢方薬の他に、ハーブや香草等の薬用効果とかも研究している、自然科学研究所だって。昨夜、資料を読ませて貰ったけど、けっこう面白そうだったよ。」 「へぇ・・・」 大河は気乗りしない様子で相槌をうった。 「近くには牧場もあって、取れ立ての牛乳や出来たてのチーズが食べられるっていうし、行ってみないか?」 「・・・牧場だけなら付き合ってもいいけどな。」 「研究所が一番の目的じゃないか。」 「俺は薬理学は苦手だったからな・・・」 大河は肩をすくめてから、チラリと拓磨を見た。 拓磨は視線に応えるように、 「研究所の方で一度唯様にお出で頂きたいと言われていたのです。それで、簡単な資料を用意させておいたのですが・・・大河、君も読みますか?」 と、言った。 「・・・簡単なら・・・」 「レポート1000枚程度です。」 「ブッ・・・今回は遠慮しておきます。」 大河はこめかみを指で押さえて首を振った。 「資料の内容は俺が説明すれば済むんだし、無理して読むことはないよ。それより直接どんな研究かを見てみる方が大事だろ?・・だから行ってみようよ。医者だって薬の知識は常に最先端のものを把握しておくべきだと思うんだ。」 大河は言い返したいこともあったが、拓磨の前では言い出しにくく、溜息まじりに頷いた。 「はいはい。おつき合いしますよ。・・連休も研究熱心で敬服するぜ。」 拓磨が大河の皮肉まじりの言い方に眉をひそめた。 唯が、あ、と瞬きをして、 「そっか・・・ごめん。つい前と同じつもりでいて休み中って気付かなかった。・・・研究所は俺一人で行くことにするから、大河はゆっくりしていてくれ。」 と、微笑みながら言った。 「・・・済まん。俺の言い方が悪かった。俺も行くから・・」 「いや。俺が一方的すぎたよ。休みにそこまで付き合わせちゃ悪いよね。」 唯は本心から申し訳なさそうに言うのだが、拓磨から漂う空気が冷えていくのを、大河は感じ取っていた。 拓磨に叱られる、などという気楽なレベルの話ではなくなる。 唯の友人として相応しくない、と判断されたら、切り捨てられるかも知れない、という不安が大河の脳裏をよぎった。 「行くって言ってるだろ。」 大河が少し声を荒げて話を打ち切るように言った。 冬馬がすかさず大河の頭を小突いた。 「どうしてお前はそうゆう言い方をするんだ。」 冬馬の子供を窘めるような暖かさを含んだ声が、気まずい空気を払拭してくれる。 「じゃぁ、ヘリコプターの中で資料の説明をするね。」 唯が嬉しそうに笑った。 拓磨は前髪を振り上げるように横を向いて立ち上がり、 「唯様、そろそろ食堂へまいりましょう。」 と、静かに言った。 「あ・・・そうですね。」 唯はすぐに席を立って、拓磨についていく。 大河はフゥッと息を忍ばせながら吐き出した。 「ほら。俺達も行くぞ。」 冬馬が立ち上がって大河の肩を叩いた。 大河はゆっくり立ち上がり、 「・・・俺って拓磨さんに嫌われてるよな?」 と、冬馬の耳元で囁いた。 冬馬は眉を曇らせ、 「お前がそう思いたくなる気持ちはわかるが・・・」 と言ってから、少し考え込み、 「けどなぁ・・・そうした好きか嫌いかで考えるような甘い性格だったら、みんながここまで恐れることはないと思うぞ。」 と、やはり囁くように言った。 「やっぱ、唯にとって必要か必要じゃないか・・か?」 「唯様に限らず、組織にとって何が最善かを常に判断基準に心掛けてる所はあるだろうな。」 「人情の差し挟む余地はないってことか・・・」 「・・・まあ・・・な。」 「チッ。・・・やっぱ人間じゃねぇ。」 「こらこら。参謀にも感情はあるだろうさ。ただ、立場上、表に出せないだけだと思うぞ。・・・唯様への愛情は隠そうとしていたって伝わってくるしな。参謀も唯様には弱いらしい。・・・唯様のことは組織を二の次にしても、自分の命を捨てても守られるだろう。」 「俺だって、唯は命がけで守ってやるぜ。」 大河がムッとして言うと、冬馬は笑みを浮かべて頷いた。 「お前がそう思う限り、参謀はお前を嫌ったりはしないさ。」 「・・・俺が唯を悲しませたら・・?」 「唯様が一番悲しむのは何だと思う?・・お前を失うことだろうが。・・・喧嘩や意見の食い違いはよくあることだ。そんなことで悲しまれる唯様じゃないだろ?」 「・・・そうだけど・・・」 「そして、唯様が悲しまれるようなことは参謀も望んでない、ということだ。わかったか?」 「んー・・・」 大河は腕組みをした手を顎に当てて唸った。 「けど、やっぱり苦手なんだよなぁ。」 「ハッハッハッ。だから、お前もまだまだガキだっていうんだ。」 冬馬は大河の肩を叩きながら笑うと、 「苦手なら少しは気を使え。いつまでも待たせてたら、また睨まれるぞ。」 と、食堂へ行くように促した。 「あぅ・・・そうだった。」 大河はまた溜息を吐いて、食堂へと向かった。 午後、研究所へ向かうヘリコプターの中で、唯が昨夜読んだという資料を見せて貰った大河は、改めて唯の頭脳とそれにも負けない努力に感心してしまった。 100枚綴りで10部に渡る資料には、重要と思われる箇所にアンダーラインが引かれ、所々に疑問に感じたことや意見めいたものが書き込まれてあった。 大河だったら読むだけで徹夜がかりになりそうだった。 「すげぇなぁ。お前、寝てねぇんじゃねぇか?」 資料をパラパラと捲り、ラインのある箇所と書き込まれた部分だけに目を通しながら、大河が言うと、 「そんなこともないけど・・・せっかくの機会だから、勉強させて貰おうと思ってね。特にこの・・・五冊目にある・・・遺伝子組み替えによる作用の変化って部分は興味深いと思わないか?」 と、資料を開いて提示してくる。 こうした専門的な話になると、唯は余計な会話を差し挟まなくなる。 必然的に大河も真剣に応答することになり、二人の会話に誰も参入出来なくなるのだった。 すでに心得ている拓磨と冬馬は、各々本を読んだり、新聞を読んで自分の時間を持つようにしていた。 だが、大学で休憩時間などに、科学雑誌を読んでいた唯が大河相手にこれを始めると、周囲は脅威の目を向けることになる。 しかも二人がこうした時に使う言葉はドイツ語が主であり専門的な言葉を使う為、理解できる者は皆無といってよかった。 明美でなくても、二人にただならぬものを感じて想像を膨らませたとしても、無理からぬことだった。 山の中腹にある『自然科学研究所』は広大な森林に囲まれた中に設けられている。 その並びには牧場が続いているのが上空からだとよくわかる。 この辺一帯がRカンパニーの所有地なのだろう。 高い塔が何カ所かに設置され、レーダーを張り巡らせていた。 ヘリコプターが着くと所長や研究員達が笑顔で出迎えた。 天才としての唯を歓迎しているのか、Rカンパニー会長の御曹司を歓迎しているのかは定かではなかったが、美辞麗句の言葉が浮ついて聞こえる。 それでも唯は笑顔で応え、用意されていた白衣に着替えると、さっそく研究所内の見学を始めた。 所長はこの研究所の意義や設備の素晴らしさを売り込みたかったようだったが、唯が単刀直入に資料に基づく質問を始めたので、しどろもどろになっていた。 代わりに研究主任の理学博士が説明を進め、今現在の研究成果と難題点をあげて、唯へ助言を求めてきた。 唯は、自分でわかることなら、と研究所員の一員のように、培養状況の確認や顕微鏡を使った分析を始めてしまった。 大河も助手のように唯に協力をし、質問したりされたりと忙しく頭を働かせた。 研究所の研究員は皆、唯が博士の学位を授与された研究論文を読んでいて、興味があったようで、あれこれとイギリスでの状況を聞いてくるので、勉強させて貰うと言っていた唯だったが、逆に講義することもあった。 そうしたこともあって、すっかり日が暮れるまで研究所で時間を費やしてしまい、牧場に寄っていく時間がなくなってしまった。 別れを惜しまれつつ、ヘリコプターに乗り込んだ唯と大河は、それぞれの思いの籠もった息を吐いた。 唯は頬を上気させて、充実した時間に満足していたようだった。 大河もそんな唯を見るのは嬉しかったが、「是非、一緒に研究したいものです。」と言った主任の言葉が気になっていた。 大河自身は将来的には唯と医者としての仕事がしたかったのだ。 特に外科部門に於いては唯より得意だったこともあり、唯が内科を担当し、自分が外科を担当する病院が持てたらいいな、という願望があった。 唯だけが独走する研究に、唯を取られたくないと思ってしまう大河は、ヘリコプターの窓から外を眺めたまま、深い溜息を吐いていた。 「・・・ごめん、大河。牧場に寄れなくなっちゃったな。」 唯が大河の肩に手を置いて言った。 大河は、あ?、と顔を窓から唯に向けると、 「別にいいさ。」 と答えた。 「だけど、あんなに楽しみにしていたのに・・・」 (いや。・・研究所よりはマシだと言っただけだぞ。) 大河は苦笑して、 「唯が楽しみにしてたんだろ?」 と言ってやった。 「ん、まあ・・・チーズは食べたかったなぁ。」 そう唯が残念そうに答えると、 「ご心配なく。」 と拓磨が声をかけた。 拓磨は脇に置いてあったクーラーバックを開いて見せ、 「唯様がお忙しそうなので、届けておいて貰いました。」 と笑みを向けて言った。 「うわぁぉ!・・・いっぱいあるなぁ。ありがとう、拓磨さん。」 唯が目を輝かせて中を覗く様子を、拓磨は優しく見守りながら頷いていた。 「このヨーグルト、今食べていい?」 「もちろん、構いませんよ。」 「これだけあったら、今夜はチーズフォンデュが出来るね?」 「ええ。帰ったらすぐに用意させましょう。」 「フランスパンはある?」 「もう、今頃は焼きたての物が届いてるはずです。」 「わぁ・・・楽しみだなぁ。」 昔に帰ったような会話が続き、唯は拓磨に甘えるように寄りかかった。 「・・あまり寝てらっしゃらないのでしょう?・・寝ていかれますか?」 拓磨はそっと唯の髪を撫でた。 大河の中に激しい嫉妬が燃え上がった。 (がるるるぅぅぅ・・・結局そうなんだ。俺が拓磨さんが苦手なのは、こうして唯を取られちまうからなんだ。・・・っくしょおおおおっっ・・・) 大河は拓磨に甘える唯を見たくなくて、また窓の外を眺め始めた。 「でもヨーグルトも食べたいしなぁ・・・」 唯が眠そうな瞬きをしながら言うと、 「ヨーグルトは逃げたりしませんよ。」 と、更に優しく髪を撫でる。 小さな頃、眠れない唯をそうやって寝かしつけてやったように、軽く優しく撫で続ける。 拓磨に撫でられることが一種の暗示のようになっているようで、唯はすっかり目を開けていられなくなり、目を閉じて、 「・・うん。・・そうだね。」 と、囁くように言うと、穏やかな顔で眠ってしまった。 大河は真っ暗な闇の広がる窓の外を眺めながら、密かに歯を食いしばっていた。 大河の頬が微妙に動くのを、拓磨の目は捕らえていたが、表情を変えぬまま、唯の髪を愛しそうに撫で続けていた。 |
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<8> 「犬の主人」 |
<8>「犬の主人」 夕食の後、部屋に引き篭もっている大河を冬馬が呼びにきた。 「どうした?・・・出掛けないのか?」 大河はソファーであぐらをかいて、膝に乗せた手の親指の爪を噛んでいた。 「頭を使う仕事っつーのはストレスが溜まるよな。そーゆー時こそパァーッと気晴らしをするもんだぜ。・・・今朝の勢いはどうした?・・ん?」 冬馬はベッドの端に腰を下ろして、明るく笑って見せる。 「・・・今夜は行かねぇ。」 大河が低い声で答えた。 「もう行く予定で予約入れちまったぞ。」 冬馬が軽い調子で言うが、大河は暗い表情のまま、 「悪いがキャンセルするか、冬馬さんだけで行ってくれ。」 と、更に低い声で言った。 「俺だけで行っても意味ないしなぁ・・・」 冬馬が困ったように顎を撫でる。 その様子を上目遣いに見ていた大河が、 「なぁ・・・俺がこの屋敷にいちゃ、マズイことでもあんのか?」 と、探るように聞いた。 冬馬は顎を撫でるのをやめ、呆れたように大河を見た。 「何を勘ぐってるんだ?」 「フン。・・・どうせあいつに俺を連れ出せって言われてんだろ?」 「大河。それが参謀を指して言ってる言葉なら怒るぞ。」 冬馬の表情が厳しくなり、大河はフンとばかりに視線を逸らした。 「滞在中のお前の面倒を見るように、とは言われてるがな。二十歳も過ぎてるのに、唯様と行動を共にしてたら、なかなか遊ぶことも出来ないだろうと思って、夜の街に誘ってるのは俺の親心だぞ。変に勘ぐるな。・・・行きたくないならそれでもいいさ。・・・だが、ここにいるならいるで、そんな不機嫌面してんじゃねぇ。唯様が心配されるだろうが。」 「唯はあいつに甘えられりゃ、それでいいのさ。」 「大河。あいつという言い方はよせ。大抵のことには目をつぶってやるが、最低限の礼儀は忘れるなよ。・・・お前だって組織の一員のはずだぞ。学友に選ばれた時、組織の一員としての誓約書だって書いてるだろ?」 「・・・親に言われるままにな。」 「だとしてもだ、判断出来ねぇほどバカな奴が、学友に選ばれたとは思わねぇけどな。・・・とんでもねぇ特別待遇じゃねぇか。俺なんか正式な一員になれるまで、どれだけ努力したと思ってるんだ?・・・それだって、帰ってきた時点で組織を抜けて、医者としての生き方を選ぶならそれでもいい、って言われたんだろ?」 「・・・唯の友達は俺しかいねぇじゃねぇか。放っとけるかよ。」 「組織に関わる理由は問題じゃない。とにかくお前は、組織を何の制約もなく抜けられる機会を、自分の意志で蹴ったんだ。一員である以上、節度は守るべきだぞ。」 大河はソファーから立ち上がり、 「組織、組織、組織。・・・それが何だ?」 と苛立って言った。 「唯がそれをいつ望んだんだ?・・・俺は唯の友人として側にいるだけだ。唯だって俺をそう見ている。組織なんか関係ねぇよ。」 「・・・参謀も・・・俺自身も・・・そう言えれば、どんなに気が楽だろうさ。・・・だが、現実問題として唯様は総統のご子息なんだぞ。関わらずには守ることすら出来ないんだ。」 冬馬が苦しそうに言った。 「・・・冬馬さん・・・」 「いいか、大河。唯様と寝食を共にしてきたのはお前だけじゃないんだぞ。4年とはいえ、俺だって気持ち的には唯様の親・・とまでは言う資格はないかも知れないが・・兄貴と思ってる。・・・まして参謀はずっと親代わりをされてきたんだ。大事に思う気持ちがお前に劣るはずがないだろう?」 大河はまたソファーに座って爪を噛み始めた。 「組織の命令で唯様から離れなければならなかった時、どんなに辛かったと思う?・・お前みたいに”一緒にいてぇんだよ”とは言えないだろう?」 「チッ・・・」 大河は舌打ちをして横を向いた。 「だから参謀は、唯様が戻られる時に少しでも発言力を持てるようにと、心血を注いで組織に貢献してきたんだ。・・元々幹部だった父親の後を継いだってことはあるだろうが、それでも努力なしに今の地位はない。・・・そうやって陰で支えてらっしゃる参謀に対して、不遜な態度は取るべきじゃないだろう?」 大河は大きく息を吐き出した。 「フゥゥッ・・・わかったよ。・・・俺が悪かった。拓磨さんは立派だ。・・・これで、いいだろ?」 「何が気に入らない?・・・お前が唯様に大学を勧めた時も、一部には反対意見だってあったんだ。お前が唯様と親しくなりすぎることを懸念する声もある。だが、参謀が唯様に友達は必要だと主張して、そうした声を押さえ込んだんだ。今、自由にしてられるのも、総統の信任が厚い参謀が、総統に願い出て許可を取ってるからなんだぞ。」 「だから、わかったって言ってるだろ?」 大河は項垂れて言った。 「まあ・・・わかってくれたら、それでいい。」 冬馬は溜息を吐いて、立ち上がった。 「出掛けないなら、顔を出せ。部屋に籠もってるのは不自然だぞ。」 「・・・ああ。・・・唯は何してる?」 「総統に囲碁を教えて頂いていたようだが・・・じき総統の休まれる時間になるから、・・・ホールにでも行ってようか?」 「・・・了解。」 大河は立ち上がると、肩が凝ったように首を回した。 冬馬の言ったように、大河達がホールへ行ってほどなく、唯と拓磨が総統の部屋を下がってきた。 ホールに大河の姿を見つけた唯が、声をかけながら近付いてきた。 「あれ?・・・大河、出掛けなかったのか?」 「ちょっと今夜は気分が乗らなくてな。・・・それに、あのことも拓磨さんに聞いてみようと思ってさ。」 「あのこと?・・・ああ、あれか・・・そうだな。」 唯が笑顔で頷いた。 「どのようなことでしょうか?」 拓磨が首を傾げて唯を見る。 「大学でのことなんだけど・・・」 「そうですか。では、どちらで話しましょう?長くなるようでしたら、落ち着ける席を設けますが?」 「どうかなぁ・・・?」 唯は大河に問うように微笑みかけた。 「時間を貰えるならゆっくり話した方がいいんじゃないか?」 大河の言葉に唯は頷いて、拓磨に顔を向けた。 「わかりました。それでしたら、薔薇の間ではいかがですか?」 「いいですね。」 唯が笑顔で答えたので、さっそく拓磨は薔薇の間に、飲み物と果物を用意させた。 薔薇の間は唯の部屋の一つで、家具調度品が薔薇をテーマにまとめられている部屋だった。 チェス台やカード用のテーブルもあり、ダーツがさりげなく壁に掛かっていたりするくつろぎの間で、唯が寝る前の時間を拓磨と過ごすこともある部屋だった。 五匹の犬達が体を横たえる専用マットも、各々お気に入りの場所にあって、犬達にとってもくつろげる場所となっていた。 拓磨は一人掛けのソファーに足を組んで座り、 「では、伺いましょう。」 と、言って、ワイングラスをゆっくり傾け、一口含むように飲んだ。 冬馬は壁際のチェス台の前に座って、同じワインを嗜みながら、駒を一人で動かしている。 会話には参加しない態度をとっているようだった。 唯は大河と座ろうと長椅子に座ったが、大河が座る前にライラがイスにあがって唯の膝に頭を乗せるように場所を取ってしまった。 大河はちょっと肩をすくめ、別のイスに座った。 大河もワインを欲しそうにしたが、唯が首を振ったので、りんごを丸ごと囓りだした。 「大河。君もワインがいいならそうしなさい。遠慮することはないですよ。」 と、拓磨が言うと、唯がまた首を振った。 「大河は酒癖が悪いから、話し合いの席ではマズイよ。」 「ほう・・・?」 拓磨の視線に、大河はドキッとして、 「今夜はりんごでいいです。・・・唯、お前が話を進めろよ。」 と、追求を避けるように、唯を促した。 それで、唯は簡単に、大学で知り合った女性の友達の話と、彼女達との話の流れで留学していたことを話してしまったことを話し、大学で経歴を隠し続けることの無理を説明した。 「でも、大河は自分は誤解されてても構わないし、拓磨さんがそう指示してるから勝手なことは出来ないって言うんです。だけど、教授の中には知ってる方もいるわけだし、特別隠す必要もないと思うんですけど・・・」 「・・・なるほど。」 拓磨はじっと唯を見つめていたが、静かに頷いた。 「唯様が、それでいい、と仰られるなら話すことは構いません。」 「ホント?・・あはっ、良かったぁ。」 唯が大河にウィンクをしてみせる。 大河はりんごの芯を皿に放り投げ、半信半疑の笑みを浮かべた。 「ただ、それで唯様がお辛くなるようでしたら、大学は辞めてお戻りください。」 拓磨の言葉に、大河は、ほらな、と手を広げた。 「大丈夫。別に宣伝するつもりはないし、知って敬遠する相手なら、初めから親しくならない方がいいことですから。」 「逆におもねる者や近付こうとまとわりつく者も出てくるでしょう?」 「・・・そう?」 「はい。」 「・・・なら・・・友達がたくさん出来るかな?」 唯が優美な微笑みを浮かべた。 「唯様のお心を踏みにじるような者もでてくるでしょう。・・・私にはそれが心配です。」 「俺も以前ほどは神経質じゃないですよ。」 唯があまりにも自信たっぷりに言うので、 「どうかな?・・・紫の目で殴った奴がいるだろ?」 と、大河は思わず、言ってしまった。 拓磨が一瞬固まって顔色を変えたので、大河は、しまった、と心の中で舌打ちした。 「・・・唯様・・・」 「あ・・・あれは・・・ちょっとだけ・・・腹が立って・・・」 唯は動揺して顔を赤らめた。 一粒ずつ口元へ運んでいたブルーベリーが、指先からこぼれ落ちた。 「ちょっとのことで、それほど激怒されたのですか?」 拓磨はそう言いながら、ワイングラスをテーブルに置くと、小さく人差し指を動かした。 ライラがピクッと反応して、唯の膝から頭をあげてイスを降りた。 代わりにブルーベリーを拾った拓磨が、唯の顔を真っ直ぐ見るように座った。 「・・・人の苦しみを笑いの種にする行為が・・・悲しかった・・・」 唯は目を伏せて、呟くように言った。 拓磨は唯の頬にそっと手を添えて顔を上げさせてから、優しくその頬を撫でた。 「唯様のそうした優しいお心を、私共はお慕いしております。ですが、人とは得てしてそういった無責任なものです。人との関わりが多くなれば、お心を痛まれることも必然的に増えるでしょう。・・・そして、間違いを指摘された者は自分の非を認めるより、相手を自分が受けた屈辱以上に攻撃することで、自尊心を守ろうとするものです。・・・心貧しき者が逆恨みでどんな行動に出るかは予測出来ません。・・・大河がお側にいれば、ある程度危険は回避出来るでしょうが、それでも絶対とは言えないでしょう。・・・無理はなさらないで下さい。」 「・・・うん。わかってる。」 唯は拓磨の目を見ながら静かに微笑んだ。 拓磨も微かに笑みを返した後、吐息を洩らすと、拾ったブルーベリーを口に入れた。 「あ・・・俺には拾った物を喰うなって言うくせに・・・」 唯は言ってから言葉が乱れたことに気付いて口に手を当てた。 拓磨は苦笑し、 「私がお腹を壊せば、唯様に治して頂けますから。」 と、冗談ぽく言った。 話の本題は済んだこともあって、それから少しの間大学での様子を、大河も参加して話した後、それぞれの部屋に引き上げていった。 再度、冬馬に誘われたが断った大河は、風呂からあがりパジャマを着て、メイドの持ってきたビールを飲んでいた。 昨夜の寝不足はあったが、ひとつのことが気になって、すんなりと眠る気にならなかったのだ。 拓磨が自分を認めてくれていることはわかった。 と言うより、初めから拓磨が大河を疎んじてなどいないことは、わかっていたように思う。 ただ、大河自身の気持ちに蟠りがあったのだ。 唯が好きでたまらない。 だが、唯にとっては今でも拓磨が一番の存在なのだ。 そして拓磨は、唯が慕うだけのことはある、大きな存在だった。 実の両親を亡くしている唯にとって、掛け替えのない親のような存在なのだと理解していても、総統の意向で組織から選ばれたという立場は同じなのだ。 大河が唯を愛するように、拓磨が唯を愛していたら、自分は不利だと思ってしまう。 (拓磨さんが指先で犬を動かせるとはなぁ・・・) 考えてみれば、唯が屋敷にいることはほとんどないのだから、犬達が主人と思う存在が別にいたとしても不思議ではない。 動物に好かれる唯が犬達にも好かれているのは当然だった。 犬達も心から唯を守りたいと思っているのかも知れない。 そうした犬達の素振りに惑わされて、本当の主人が誰なのかを見逃していたのだ。 (拓磨さんなら、唯の寝込みを襲えるじゃないか。) ・・・恋は盲目、判断力は鈍り、邪念を呼び込んでしまうらしい。 唯に恋する大河は、そのことがずっと気になっていて、寝るに寝れなかったのだった。 (クソッ!) ビールを一気にあおった大河は、ガウンを羽織って部屋を出た。 唯の寝室をそっとノックする。 「はい?」 すぐに唯の返事が返ってきた。 大河はドアを顔半分だけ開けて、中を覗き込んだ。 ベッドの中、枕を背中にクッション代わりに重ねて、読書をしていたらしい唯が笑顔を向ける。 だが、唯の両脇と足元、スリッパのすぐ脇と窓際に陣取っている犬達が顔だけ向け、牙を光らせながら呻っている。 大河はムカッとして、 「お前等、生意気なんだよ!俺の方が唯と仲良しなんだぞ!」 と、怒鳴りつけた。 犬達は起きあがり、飛びかかれる態勢で更に激しく呻り出す。 「何、犬と喧嘩してんだ?」 唯はクスクス笑いながら、ベッドから起き出そうとしていた。 「あ、起きなくていい。もう寝たかと様子を見にきただけだから。・・読書してたのか?」 「うん。・・・話があるならそっちの部屋へ行くよ?どうもこの子達は俺の寝室を占拠していたいらしいから。」 「・・・ますます生意気な奴等だぜ。」 「普段ガードしてくれているんだから、それぐらいの我が侭は聞いてやらなきゃね。」 唯は、仕方ないよ、というような表情で、大河に笑いかけた。 それから唯が、ベッドから足を降ろしてスリッパを履いたので、 「いや、マジに特別な用はないから。」 と、大河が慌てて止めた。 「それより、読書はほどほどにして早く寝ろよ?」 「ああ。もうすぐ寝るつもりだから。」 「なら、いい。・・じゃぁ、お休み。」 「お休み、大河。」 大河は微笑む唯に手をあげて、ドアを閉めた。 拓磨が唯の寝室にいなかったことで、少しだけ気持ちが収まった大河は、自分の邪推が卑屈に思えて、自虐的な苦笑いを漏らした。 |
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<9> 「大人と子供」 |
<9>「大人と子供」 唯の部屋を後にした大河は、その足で拓磨の部屋を訪ねた。 拓磨の部屋は寝室が別にある二間続きで、拓磨はPCに向かって仕事をしていた所だった。 「仕事中、済みません。」 「構わないですよ。大河も必要があって、私の所へ来たのでしょうから。・・君の話を聞きましょう。」 拓磨は大河に部屋の中央にあるテーブルの席に座るよう指し示して、自分も向かい側に座った。 テーブルに肘を着いて頬杖をした拓磨に、 「それで?」 と、尋ねられ、大河は緊張に肩を強ばらせた。 いざ話すとなると、何をどう話せばいいのか、わからなかったが、こんな遅い時間にまでしていた仕事を中断させてしまっているのだから、そう時間を取る訳にはいかない、と大河は話を切りだした。 「・・・唯のことだけど・・・」 「・・・はい?」 「何で総統の養子になったんですか?」 「唯様の父上が総統の親しい友人だったからです。」 拓磨は大河がすでに知っている理由をそのまま話した。 だが、大河はそうした型にはまった話はしたくなかったのだ。 大河は、そうじゃない、と言いたげに頭を振り、 「だからって跡継ぎにすることはないだろ?」 と、苦渋の顔で言った。 拓磨は大河の言いたいことがわかって、なるほど、と頷いた。 「・・・総統の決められたことに、私達が意見など出来ないことは承知の上で、納得出来る理由が知りたいだけなのだ、という前提で話しましょう。」 拓磨はイスに背中をもたれて足を組み、腕組みをした。 組織批判にならないように、という拓磨の配慮だということはわかる。 「・・・それでもいい。」 大河は低く呻るように言って、親指の爪を噛んだ。 「総統は唯様の父上を愛されていたのです。」 「・・・え?」 「ですから、総統には跡継ぎを御自分で作られる意志がなかったのでしょう。唯様が誕生された時から跡継ぎにすると、宣言されておられたそうです。」 「・・・・・・」 「不慮の事故でその時期が早まっただけ、という訳です。」 「・・・けど・・・」 「私が幹部だった父の息子として生まれたように、大河が組織の一員の親を持つように、唯様が跡継ぎになられたのは宿命というより他ありません。」 大河はテーブルに両肘をついて頭を抱えた。 「・・・ですが、それほど深刻に受け止めることはないでしょう。天より与えられた宿命は宿命としても、どのように生きるかは本人次第なのですから。・・・ただ、本人を取り囲む環境を無視しては生きられない、というのは、唯様に限らず、誰にでも言えることだと思いますよ。・・・アラスカで生活する子供が毎日サーフィンをしたいと願っても無理というものでしょう?」 「あ?」 大河は眉をひそめて拓磨に目を向けた。 拓磨はクスッと笑みを零した。 「ですが、アラスカの子供達は厳しい環境の中を生き抜きながら、楽しく遊ぶ方法もちゃんと知っているものです。・・・そうそう都合のいい環境に生まれるということはないでしょうし、後からこうだったらと思うことは、大抵が今現在の自分にないものを願うものです。・・・しかも、”無い物ねだり”は恵まれている者ほど持つようです。」 大河は目を眇めて拓磨を睨んだ。 拓磨が大河も子供扱いしていることに気付いたのだ。 「納得出来ましたか?」 「・・・理由はな。」 「”無い物ねだり”をするより、与えられた環境や立場の中で、どう生きるかが大切なのだということも、理解して欲しいですね。」 「・・・わかってるさ。」 「でしたら、結構。」 拓磨は目を細めて頷いた。 「・・・そんな例え話・・・唯だけにするのかと思ってたぜ。」 「唯様には必要ないでしょう。」 拓磨の目の奥に憂いの陰が差す。 「私よりずっとわかっておられる方です。」 「俺の方がガキだって?・・・唯も相当なガキだけどな。」 「何をもって、大人か子供かを判断していますか?」 大河は即答出来ずに、肩をすくめた。 「子供の夢は無限です。希望も願いも欲望も両手では抱えきれないほどあるものでしょう?」 「・・・普通はな。」 「それが大人になり、限界を知り、分別がつき、諦めることを覚えるものです。」 「・・・そんなものかな・・・」 「ですが、唯様は、小さい頃に諦めることから学んでしまわれたのです。希望も願いも断ち切ってしまった。もっとも願っていた夢さえ失ってしまった。」 「・・・唯の夢?」 「父上と協力して母上を健康にして差し上げることです。」 大河は目を見張って言葉を失った。 「唯様の夢は父上の夢でもありました。ですから、父上も唯様に英才教育をされてらしたのです。けれど、その夢が断たれた時、父上は・・・」 拓磨は溜息を吐きながら首を振った。 「希望を失って生きるのは辛いものです。何の願いも持てなかったら、生きる張り合いはないでしょう。・・・望みが絶たれると書いて絶望と読むのです。」 大河は項垂れたまま頷いた。 「絶望から這い上がり、人を愛そうと努力し、人の為に尽くせる何かをしよう、と願うようになるまでの道のりがどれほど苦しいものだったか・・・その何処にも向けられない内在する怒りが、体の中に発光体を作り上げてしまったのです。」 「・・・あ・・・紫の・・・」 「そうです。そこまで追い詰められても誰かに当たるということもされずに、周りに心配をかけまいと微笑んでいらした唯様のことを・・・私にはガキと呼ぶことは出来ません。」 大河は唇を噛んだ。 「・・・確かに唯様も幼い部分はあります。・・・私や冬馬のように、気遣ってばかりいる者より、大河のように”ガキ”と言ってくれる存在は貴重なのかも知れませんね。・・・人と人との心の摩擦によって、熱が生じ、新たな成長をもたらしてくれることを、私は願っています。」 拓磨がそう言って笑みを浮かべた時、大河の目から涙が溢れていた。 大河は自分が拓磨に抱いていた蟠りが、どんなに浅ましい思いだったかを思い知らされていた。 「ですが・・・」 拓磨の目が厳しく光った。 「・・・酒癖が悪いのは困りますね。」 パジャマの袖口で涙を拭っていた大河はギクリとした。 「冬馬に聞いた所、大河が酒癖が悪いようには見えないと言ってました。かなり飲んでも、荒れることもなく、自分を見失う状態にはならなかったと。」 「・・・いや・・・たまたま一緒に飲んだ時・・・そんなこともあったと・・・」 「唯様はお酒を飲まれないはずですが?」 「試しに飲んでみたんだ。」 「そして、大河は酒癖が悪い、と判断するような何かがあった・・・?」 大河はうつむいて体を固くした。 「話せないようなことですか?」 拓磨はしばらく大河の返事を待っていたが、大河が口を開くことはなかった。 「・・・困りましたね。」 拓磨は溜息を吐きながら、テーブルを指先で、トントントン、と叩いていた。 「では、こうしましょう。唯様があちらへ戻られる時に、ルルとレイドを一緒に行かせることにします。」 「え・・・」 「大河にも唯様とは別の時間が必要でしょう。唯様が一人でおられる時のガードと、寝室への侵入者がないように、警護させることにします。」 「・・・それは・・・」 「君が悪酔いしてもいいように。」 拓磨は片頬に笑みを浮かべ、 「では、話はここまでにしましょう。」 と、言った。 「あ・・・」 「朝晩の散歩は欠かさないでやって下さい。ストレスが溜まると、どんなに訓練されている犬でも、狂暴になりかねませんから。」 「・・・・・」 拓磨は取り付く島もなく、イスから立ち上がった。 大河が唯にした行為を見透かされてしまっていたのだ。 大河はガックリと肩を落として、イスから立ち上がると、大きく溜息を吐いた。 唯に手をだすな、と言われないだけマシなのか? だが、無言のうちに言われてるようなものだ、と大河はひどく落ち込んでいた。 もっとも、唯への恋心を拓磨に打ち明けたとしても、認めて貰えるはずもないことは百も承知していたことだ。 組織にとって唯がどれほど大切な存在か、今回来てみて改めて思い知らされた。 拓磨が、組織を引き合いに出して反対したのではないだけ、マシなのかも知れない。 拓磨自身にも、組織の名の元に唯を束縛したくない思いがあるのだろう。 そう思ってもやりきれない想いに心が掻き乱される。 大河は3階の冬馬の部屋のドアを激しく叩いた。 「おー?・・・何だぁ?」 すでに眠っていた冬馬があくびをしながら顔を出した。 「出掛ける。」 「・・・おいおい・・・」 「10分後に玄関で待ってる。」 「しょーがない奴だなぁ。」 冬馬は頭を掻きながらも承知してくれた。 不夜城は眠らない。 夜中の1時を回ってからでも、いくらでも盛り上がれるものだ。 大河は若いホステスを誘ってクラブで踊りまくり、そのままの勢いでホテルに部屋をとって、ベッドでも暴れまくった。 大河の逞しい肉棒に突きまくられ、 「あぁぁ、、、ん、、、あぁん、、、壊れちゃうぅぅ、、、」 と、ホステスが泣いてよがり声をあげ、気絶するまで責めまくった。 朝、ホテルのロビーまで、大河にピッタリ張り付くようにホステスが付いてきたので、 「よっぽど良かったらしいな。」 と、冬馬がからかった。 ホステスは、 「今夜も・・・お願い。」 と甘えてねだったが、 「気が向いたらな。」 と、大河は冬馬とさっさと車に乗り込んだ。 「なぁ・・・冬馬さんは恋とかしたことある?」 屋敷へ戻る車の中で、ずっと黙っていた大河が突然聞いた。 「ハッハッ。恋かぁ?・・・そうだなぁ・・・小学校の頃、綺麗な先生にほのかな恋心を感じたかも知れんな。」 「チッ。初恋のことなんか聞いちゃいねぇよ。もっとまともな燃え上がるような恋はねぇのか?」 冬馬は片方の眉だけ寄せて、 「難しい注文だなぁ。」 と、顎を撫でた。 「なきゃいい。」 大河はプイッと窓の方へ顔を向けた。 「何だ?・・大河は恋をしてるのか?」 冬馬は乱暴にグリグリと大河の頭を撫でた。 「うっせぇ。」 「そう言やぁ、昨日の話だと、大学生の彼女がいるらしいが・・・可愛い子か?」 「・・・まぁな。」 「ふーん・・・それじゃぁ、こんな朝帰りのことは話せないよなぁ。」 冬馬は勘違いしたのかニヤニヤとしている。 大河は横目で睨んで舌打ちをした。 「関係ねぇ。俺は特定の彼女は作らねぇって決めてんだ。」 「それだったら、恋もなんもあったもんじゃねぇだろうが。」 「恋も知らない冬馬さんに言われたくねぇな。」 冬馬は、やれやれ、とばかりに溜息を吐いた。 「俺は中学時代、散々暴れて少年院に行ったんだ。そこでこの組織の噂を聞いた。まともに生きたって先は見えてる。もっと面白く生きたいと思って、何とか組織に入りたいと調べ回ってた。そしたら、組織の方から声をかけられて、予備軍に入れて貰った。だが、それもやっと入り口に辿り着いただけで、まだまだ色々あるんだぜ?・・・女に熱を上げてる暇なんかなかったぜ。」 「・・・ごめん。」 大河は二代目、三代目の組員と違って、何の後ろ盾もなく這い上がってきた冬馬の苦労を忘れていたことを反省した。 「・・・けど、・・・今なら恋だって出来るだろう?」 「アハハッ。理屈はそうだが・・・女に恋をするより、もっと夢中になってる存在があるからな。」 「・・え?」 「総統は素晴らしい方だ。崇拝している。」 「あぁ・・・そーゆーことか。」 大河がつまらなそうに頷いたので、冬馬が小突いた。 「そうシラけて言うなよ。恋する以上に心を燃やす存在だってあるんだぞ。・・・参謀だってそうだろ?」 「・・・拓磨さん?・・・唯のこと?」 「そうだ。参謀の唯様への想いは恋なんて半端なもんじゃねぇぞ。」 大河は昨夜のことを思い出して眉を曇らせた。 「・・・そうだな。」 「俺はそんな参謀を尊敬しているし、唯様のことも敬愛している。女を好きになっても、これほどの思いは持てねぇだろうな。・・・だから、適当に遊んでいる方が気楽でいい。」 大河は大きく溜息を吐いた。 「・・・何も恋する相手が女とは限らないだろうが・・・」 冬馬は大河の呟きに二呼吸ほど考え込み、 「ま・・・まさか、お前っ・・・」 と、目を剥いて言葉を詰まらせた。 「・・・唯に惚れてる。」 「ば・・・馬鹿野郎ー!・・・何考えてんだ?!とんでもねぇぞ!」 冬馬は思わず周囲に目を走らせ、運転席との通話がOFFになっているのを確認して、額に滲んだ汗を拭った。 それから、顔を近付け、 「こんなことが参謀に知れたらどうするんだ?」 と、声を潜めて言った。 大河は肩をすくめて、 「もう、バレちまってるぜ。」 と苦笑いを浮かべた。 冬馬は目を瞬かせ、 「・・・バレてる?」 と、唾を飲んで聞き返した。 「そ・・・それで?・・・あ・・・それで逃亡を図ったのか?」 「何で逃亡図った奴がこうして戻ってんだよ?・・ったく・・・ちょっとは落ち着いてくれ。」 「落ち着けるか!お前、殺られるぞ!」 「ああ。殺られちまった。」 「・・・・・なら・・・お前は今、幽霊なのか?」 冬馬があまり真面目な調子で言ったので、大河は笑い出してしまった。 冬馬は思いきり顔をしかめていたが、自分でも動揺しすぎて思考回路が飛んでしまっていることに気付いて、笑いにならない笑いを浮かべた。 笑いが納まった大河が言った。 「犬を二匹、向こうのマンションで一緒に生活させるってさ。」 冬馬は腕組みをし、考え込んでいる。 「俺が唯の寝込みを襲わないように、ってことだろ?・・・いや。普段でも触ろうとするだけで威嚇されそうだよなぁ。くっそぉー・・・」 冬馬はゆっくりと頷いた。 「まあ、相当なガードにはなるだろうな。・・・二匹の名前は?」 「ん・・・ルルとレイドって言ってたな。」 「ははぁん・・・なるほど・・・」 「・・・何がなるほどなんだ?」 「ルルは、霊感があるんじゃないかと思うほど、敏感で人の心がわかる犬なんだ。」 「へぇ・・・」 「レイドは、五匹の中じゃ、一番狂暴だ。」 「ゲッ・・・狂暴って・・・噛まないんじゃないのか?」 「・・・ここだけの話だが・・・つい最近ひとり殺ったばかりだ。」 大河の背中に冷や汗が流れた。 「それで、調教のし直しをしてた所だったのさ。」 「マジかよ・・・ったまんねぇなぁ・・・」 「それに、去年の夏に全裸でプールサイドを歩いてた奴が、チンチンを噛み切られた、って話だ。」 「・・・嘘だろぉ?」 「いや、事実だ。しかも、噛み砕いて喰っちまったから、救急車で運ばれても繋げようもなく、止血しただけだったとか。」 「・・・喰うなぁぁぁ・・・」 「旨そうなソーセージだとでも思ったのかなぁ?・・・お前も風呂上がりとか、気を付けた方がいいぞ。タオルを腰に巻いてたって、犬の視線は低いからな。見えたら、一発だぞ。」 「勘弁してくれぇぇぇ・・・」 「・・・だから参謀は怖いって言っただろ?」 「くそぉぉぉ・・・陰険な奴だぁぁぁ・・・」 「そう言うな。お前がちゃんとしてれば犬もおとなしくしてるだろうし、少しは行儀が良くなるんじゃないか?・・・ま、頑張って仲良くすることだな。」 「なれるかよ、そんな化け犬。」 「唯様は可愛がってらっしゃるぞ。」 「・・・唯だって・・・危険なんじゃないのか?」 「それだけは徹底してるようだな。噛むなんてことは絶対ないだろう。」 「唯のチンチンの方が旨そうだぞ?」 「・・・見たのか?」 「え・・・いや・・・温泉で見えたくらいだけど・・・」 「唯様に危険が及ぶようなら、参謀が一緒に行かせるはずがないからなぁ。一度うっかり歯がかすって唯様の肌が赤くなったことがあったが、その時の犬は処分されたしな。」 「ふーん・・・なら、いいが・・・つーか、良くねぇよ!俺の危険は変わらねぇぜ!」 「これも修行と思え。グッドラックだ。」 「・・・冬馬さん・・・」 大河はすっかり興ざめして、寒気を覚えながら頭を抱えた。 昨夜、感動して流した涙を返してくれ、と言いたい心境だった。 柔和な表情で話す拓磨の、底知れぬ怖さの本質を、少しだけ知った大河だった。 |
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<10> 「御曹司」 |
<10>「御曹司」 昨日よりも早く屋敷に戻った大河達だったが、唯も拓磨もすでに外出していた。 拓磨は総統に従って、Rカンパニー主催のイベントに赴いたということで、今日は夜まで戻れないらしい。 唯は、昨日の研究所でまだ知りたいことがあるからと、またヘリコプターで出掛けたそうだ。 「何だよ。・・・ちょっとくらい待っててくれりゃいいのに。」 大河が不機嫌に言うと、執事が、 「お坊ちゃまがお出掛けになられたのは早朝・・今より2時間ほど前でございますので、お待ちするには無理があるかと・・・」 と、申し訳なさそうに頭を下げた。 それから、 「ですが、昼くらいまでには切り上げて、牧場の方へ行かれるそうですので、大河様にはそちらで御一緒に昼食を、とのことでございました。」 と、付け加えた。 「それを早く言ってくれ。」 大河は唯や冬馬にツッコミをいれる調子で言ったのだが、執事は恐縮して頭を下げ、 「申し訳ございません。」 と丁寧に言った。 大河は調子が狂って頭を掻きながら、 「こんなことなら、もっとゆっくりしてくりゃ良かったな。」 と、冬馬に肩をすくめて見せた。 「いや、そうでもないぞ。車だと3時間くらいかかるからなぁ。」 「え・・・そんなに山奥だったのか?」 「ノンストップでスムーズに行ければ、2時間強ってとこだが、連休中で道も混んでるしな。」 「そうか・・・」 「それに早めに着いたら、乗馬でもしてればいい。少しは落ち込んだ気分も晴れるだろう。」 冬馬はそう言って笑った。 「チェッ・・・」 大河は舌打ちしたものの、乗馬はイギリス留学中何度か経験があったので、興味が引かれた。 それで、カジュアルな服に着替えると、さっそく出掛けることにした。 R財団が慈善事業の一つとして運営している牧場は、ここの乳製品や果実のジャムといった物を、施設や病院に配っていた。 隣りの研究所の仕事も手伝っているらしいが、それは一般には知られていない。 そうした理由からか、衛生管理を厳重にする為か、牧場は一般には開放されておらず、広大な敷地は高い柵で囲まれていて、入り口には警備小屋が設けられていた。 それでも、組織の者及び家族は希望すれば利用可能で、休みには子供を遊びに連れてくる家族もけっこういるらしい。 大河達が到着した時にも、数組の親子が遊びに来ていた。 大河は初め、馬場の柵内で馬をならしていたが、かなり慣れてきた所で、森のサイクリングロードになっている道をグルリと回って、かなり早く走らせた。 車でも通れるように幅広く整備された道で、初夏の趣がある深緑の中を風を切って走ると、嫌なことも忘れられるようだった。 冬馬は若武者のように軽々と馬を乗りこなし、大河の前になり後ろになり、暴走しないようにと注意を払っていた。 大河と冬馬が牧場の来客用のカントリーハウスに戻ってくると、肉の焼ける香ばしい匂いがたちこめていた。 バーベキューの出来るテラスの前に特設の囲炉裏が作られ、大きな肉の塊が太い鉄で串刺しになって、グルグルと回転しながら炙り焼きにされていた。 テラスの炭火焼きの出来るテーブルには10組ほどの家族が、各々陣取ってソーセージや野菜を焼いていたが、メインのこの炙り焼きの肉が配られるのを待ち遠しそうにしていた。 カントリーハウスの責任者が、大河達を一番近いテーブルに案内してくれた。 「先ほど、御曹司からこちらへ向かわれると連絡を頂きましたので、もうすぐお見えになられると思います。」 そう言って、大河達のテーブルでハウス責任者が野菜や肉を焼き始めた所に、ヘリコプターの音が聞こえてきて、上空に姿を現した。 ヘリコプターはテラスとは反対側に着陸した。 大河が迎えに行こうかと腰を上げると、 「牧場主がお迎えにあがっていますので、ご心配なく。すぐ、こちらにご案内することと思いますよ。」 と、焼けた肉を皿に乗せ、大河と冬馬にビールを注いでくれたので、冬馬と顔を見合わせた大河は、取り敢えず一気にビールを飲み干した。 唯の姿が見えた時、テラスから感嘆の声が沸き上がった。 初めて唯を見た者は、神々しいほどの美貌に誰もがそうした声をあげた。 だが、見慣れた大河も目を見張った。 唯の後ろから五匹の犬が揃って付いてきたのだ。 冬馬は立ち上がって唯を迎えたが、大河はテーブルに頬杖をついて、顔をしかめていた。 唯は牧場主からハウス責任者の紹介をされ、にこやかに挨拶をした。 その様子と洩れてくる会話で、唯が御曹司だと知ったテラスにいた人々は、息を飲んでいきなり緊張し始めたようだった。 牧場主がテラスの客達に、 「我等、総統閣下に大恩ある者として、御曹司に拝謁が叶ったことは、非常に名誉なことです。みなさんも予期せぬ今日という日の幸運を噛みしめておいででしょう。」 と言うと、客達から歓声と拍手があがった。 牧場主は更に続け、 「この喜びを共に分かち合い、明日への糧としましょう。」 と、言ってから、炙り焼きの肉をみんなに配るように指示した。 そして、唯にも言葉を求めた。 唯は少し困った様子だったが、 「初めまして。唯です。父がいつも皆様にお世話になっております。父は、例えお会いする機会のまだない方々でも、その真摯な貢献を忘れず感謝するように、と申しております。ですから偶然の機会に皆様とお会い出来て、嬉しく思います。・・・ですが、皆様はせっかくの休日をご家族で過ごされる為にここへお出でになっておられることと思いますし、小さい御子様方には大切な思い出の日でもあります。ご家族の皆様にとっては我が子こそ御曹司。どうか、充分楽しい思い出が持てますように、私に気遣うことなく、これからの時間もお過ごし下さるようお願いします。」 と、挨拶をして、頭を下げた。 一瞬静まった客達から、熱狂的な歓声と拍手が沸き上がった。 唯は、あれ?っと戸惑って、牧場主に、 「これでいいですか?」 と、恥ずかしそうに言った。 牧場主は客同様に感激した面持ちで、大河が呆れ顔で待っているテーブルに案内した。 「ごめん、大河。ちょっと遅れたかな?」 唯は微笑みながら大河の斜向かいに座った。 「立派なご挨拶だ。」 大河はビールのグラスを乾杯するように上げて見せた。 「嫌味言うなよ。俺だっていきなりで緊張したんだぞ。」 「いいえ、唯様。総統の御意志のよく現れた、素晴らしいご挨拶でした。守り役として、こんなに誇らしいことはありません。」 「あはっ。冬馬さんまで・・・でも、ありがとう。」 唯は冬馬にも微笑んで、イスの後ろに並んだ犬達に、皿に乗せてあった肉をわけてやり始めた。 大河は目を眇め、 「あのな。自分が喰う前に、そうやって犬に先に喰い物をやると、犬にナメられるらしいぜ。」 と、注意した。 「え・・・そうなのか?・・・ま、いいや。」 「良くない!ちゃんと躾ろ!」 「躾は調教師の人とか拓磨さんがしてるから大丈夫だよ。」 「そうもいかなくなるぞ。向こうに連れていけって拓磨さんの命令だ。」 「えー・・・そうなんだぁ。」 「聞いてないのか?」 「うん。今朝は早くて忙しかったからな。・・・そっかぁ。・・・でも、いいのかなぁ?拓磨さん、寂しくなるだろうに・・・」 「二匹だけだ。ルルとレイドだってさ。」 「えぇ?」 唯の表情がわずかに曇る。 大河は唯がレイドの狂暴さを知っているのかと、一瞬思ったが違っていたようだ。 唯は五匹の犬達をじっと眺めて、 「離れ離れになっちゃうんだ。・・・ライラ、ごめんね。ルルとレイド、しばらく貸して貰うね。ロイも寂しいと思うけど、ごめん。」 と言って、ライラの頭を撫で、ロイの耳をクシャクシャと掻いた。 「何でライラとロイに謝ってるんだ?」 「ん?・・ルルとレイドはライラの子供なんだ。で、ロイはルルの子供だから。」 「知らね〜〜・・・」 大河はどうでもいい、とばかりに溜息を吐いた。 「とにかく、そーゆー訳だから、きちんと躾ないと、周囲の者が迷惑を被るんだ。これまでみたいな甘い顔ばかりはしてられないぞ。」 「そっか。そうだな。」 「もし、躾が出来ないようなら・・・拓磨さんに、連れていけない、って言う手もあるけどな?」 「ゴホッ・・・ゥオッホン!」 大河がそう言った時、冬馬が咳払いをした。 ヘタに唯に入れ知恵して、拓磨の意志を阻止したら、もっと悲惨な目に合わされるに違いない。 大河も冬馬の意図がわかって、 「いや。いいけどさ。・・・よろしくな、ルルとレイド。」 と、適当に一番側にいた犬の頭を撫でた。 「大河。その子はリガロだよ。」 「う・・・せめて首輪の色とかで、すぐに名前がわかるようにしてくれよ。呼び違いくらいで、恨まれたくねぇ。」 「わかった。こっちにはこっちのルールがあるだろうけど、向こうではそうしよう。可愛い首輪と散歩用の紐とか、餌入れとか・・色々買わなきゃね。」 唯は楽しそうに微笑んだ。 昼食の後、犬に興味を持った子供達に、唯はキャッチやジャンプや後ろ足歩行などをさせて見せてやったり、撫で方を教えてやったりした。 ただし、 「この犬達は盲導犬並みの訓練を受けてるからいいけど、普段、知らない犬を不用意に撫でようと近付くのはとても危険なんだよ。」 と、注意することも忘れなかった。 それから、記念写真をねだる親達にも快く応え、しばらくの時を過ごした。 帰りは、大河と冬馬は唯の乗ってきたヘリコプターで一緒に帰ることにした。 翌日は、せっかくだから近くのテーマパークへ行こう、と冬馬に案内されて唯も大河と一緒に出掛け、一日童心に帰って遊んできた。 そして、その翌日の午後、二匹の犬を連れて戻るということで、特別機で東京へと戻った。 必要な物は用意されていたが、大河と約束した首輪を買う為、ルルとレイドには留守番をさせて買い物に出掛けた。 唯が首輪の他に、犬用のボールやオモチャを買っている間、大河は別の売り場で色々な機材を買い求めていた。 何に使うのかと、唯が不思議がっていると、 「せめて浴室と脱衣場へは入れないように柵を作らせてくれ。」 と、大河が真剣な顔で言った。 「いいけど・・・何で?」 「こっちにその気がないのに、服を脱いだらいきなり大事なモノを、ソーセージと間違われて喰われたくねぇからな。」 「あはっ・・・まさかぁ・・・」 唯は冗談のようにケラケラと笑ったが、大河は真剣なまま、 「笑い事じゃねぇ。・・・お前も寝相悪くして尻なんか出してんじゃねぇぞ。桃と間違われて喰われたらどうする?」 と、更に言った。 「そんなに警戒するより、友達になった方が早いと思うけどなぁ。」 唯はあっさりと言ってのけた。 「犬が俺と友達になるのを拒否してるんだ。」 「そんなことないって。一緒に生活する内には、心も通じるから大丈夫だよ。」 「だといいがな。」 溜息をつきながら言う大河に、 「きっと友達になれるよ。」 と、唯は優しく微笑んで、肩を叩いた。 そうは言っても、心が通じる前に自前のソーセージを喰われるのは困る、と大河はマンションの脱衣所の前にアコーデオン式の柵を取り付けた。 「入り口のドアもちゃんとあるのになぁ・・・」 唯はぎこちなく柵の開け閉めをしながら言ったが、 「俺がいる時、知らずに唯が開けることだってあるだろ。」 と、大河は、取り敢えず安心したようで、 「なかなか良く出来ただろ?」 と満足そうに笑った。 |
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