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<11> 「博士」 |
<11>「博士」 連休が明け、やっと落ち着いた大学生活が動き出した、と言えた。 5月は、4月中の慌ただしさや緊張感が緩み、大学の授業ごとの教室移動や1時限の長さに戸惑っていた新入生も、すっかり慣れて我が物顔でキャンパスを歩くようになる時期でもあった。 友達や顔見知りも増え、すれ違う時に手を振り合ったりする光景も見られ、降り注ぐ光のように明るい笑顔に溢れていた。 唯と大河の学ぶKT大学は、広いキャンパスに幾つもの校舎が学部や用途に応じて立ち並ぶ、規模の大きな大学だった。 大学の教室は学部や授業内容によっても特定されるが、希望受講者の数によっても変わることもある。 希望者が多いクラスは講堂のように広い階段教室で、マイクで講義がおこなわれていた。 逆に少ないクラスは一般的な教室ほどの広さもなく、会議室程度のスペースで先生の顔を間近に見ながら講義を受けることもあった。 希望者が多いクラスは各学部で同一の必須科目になっている場合があり、学部の違う人とも並んで学ぶこともあった。 学生食堂は二箇所にあり、どちらでも利用可能だったが、各々の校舎が近い同士で、文系と理系に分かれる傾向にあった。 唯と大河も時々、この文系の学生の多い学食を利用していた。 「あ、いたいた。」 混み合った学食のテーブルを縫うように、唯達に近付いてくる数名の集団がいた。 側に来ると、懐かしい消毒液の臭いがして、医学部の学生だとわかる。 「ねぇ、君。文学部の唯って君のことだよね?」 言葉遣いや態度から新入生ではないことが伺える。 「はい。そうですが?」 唯はまだ食事中だったが、箸を置いて後ろを振り返った。 すると、背後に立っていた彼等は、じっと興味深そうに、唯の目を覗き込んだ。 「ふーん・・・普段は普通なんだ。」 ジロジロと実験動物でも見るような彼等の態度に、 「お前等、随分失礼な奴等だなぁ。」 と、大河が怒って睨み上げた。 アクションスターばりの体格をした大河に睨まれ、 「え・・あ、済まん、済まん。」 と、集団の一人が謝ったが、それでも彼等の好奇な目は唯を捕らえ続けていた。 「何かご用ですか?」 「いや、知り合いがさぁ、君の目が光るって言うから、どんなものかと思ってね。」 彼等の不躾な言い方に、大河は席を立ち上がった。 そして、大河は唯と彼等の間に割って入るようにして、彼等の好奇な視線から唯を隠した。 「ちょっと、君。邪魔しないでくれないか?」 「彼が用心棒の大河って男だろ?」 好き勝手なことを言う男達の前で、大河は腕組みをすると、 「お前等、医学部だよな?」 と、上から睨みつけた。 「そうだよ。」 医学部という響きに優越感でも持っているのか、男達は得意げな笑みを浮かべた。 「麻倉博士の授業は受けたことがないのか?」 大河は取りあわずに質問を続けた。 「あ?」 「麻倉博士は病理学と研究室の方でお世話になってるけど・・・」 「それがどうした?」 大河は、 「そうか。なら、調度いい。」 と、ポケットから携帯電話を取り出し、 「麻倉博士は医学は仁術であり、患者の意志を無視した治療はない、と『温故知新に学ぶ医療』って本で言われてるはずだがな。」 と言いながら、メモリーから名前を拾って、耳に携帯を当てた。 男達は訳がわからず、 「お前、読んだ?」 「まだ・・・でも読んだ方がいい、とは言われてるけどな。」 「俺は読んだけど・・・そんな細かいとこまで覚えてないよ。」 と、囁きあっていた。 「つまり、人の心を無視するような行為を恥と思えって言ってんだよ。」 大河はそう付け加えた。 男達はムッとして文句を切り出そうとしたが、 「あ、もしもし。ご無沙汰してます。大河です。」 と、大河が電話の相手と話を始めてしまったので、困惑気味に顔を見合わせた。 「――はい、まあまあ順調ですよ。――アハハ、いやぁ、文学は俺にはかったるいですが――唯は楽しんでるようです。―はい。―」 「お前なぁ、人と話してる時にいきなり電話をする方が失礼だろうが!」 苛立った男の一人が怒鳴ったが、大河は無視して電話の相手との話を続けた。 「――今のですか?・・麻倉博士の研究室の学生らしいですよ。――はい。唯の特異体質を見物に来て、ジロジロと――あ、いや。唯はこれくらいでは怒りませんが、あまりにも我を通して失礼な奴等なので、どうにかして頂きたいと・・――はい。――そうですね。―」 男達はやっと、大河が自分達のことで、誰かに苦情を言ってるのだと気が付いた。 「おい!誰と話してるんだ?」 「勝手なことをするなよ?」 「―ええ、お聞きの通りです。――あ・・いいですけど・・――わかりました。ちょっと待ってください。」 大河は唯を振り返って見てから、 「麻倉博士がお前と話したいってさ。」 と、携帯を通話の状態で渡した。 「麻倉博士だって?!」 「・・・まさか・・・何でこいつが知ってるんだ?」 「どうせ、はったりだよ。」 唯は小さく苦笑をもらして、携帯を耳に当てた。 「替わりました。唯です。――お久しぶりです。――はい。麻倉博士もお変わりなく?――そうですか。いえいえ、お元気でなによりです。――あ・・いいえ。こちらこそ、お誘いを受けながら、顔も出さずに、申し訳ありません。―」 男達は半信半疑ではあったが、電話の内容が気になって、つい耳を傾けていた。 混み合った食堂は、席待ちの学生がトレーを持ったまま席を探していたが、座って唯と彼等の様子を見ている者達は、どんな展開になるのかと、食事が済んでも席を立てずにいた。 「―はい。もちろん、読ませて頂きました。――」 唯は当たり障りのない挨拶をした後で、麻倉博士が最近出した著書について話し始めた。 それを聞いていた男達は次第に不安な面持ちになり、 「おい。麻倉博士っていうのは本当なのか?」 と、大河に声を低めて聞いた。が、 「すぐにわかるさ。」 と、大河は腕組みをしたまま、彼等の前に立ったままでいた。 唯は時々くすぐったくなるような優しい笑い声を洩らしながら、歌うような甘さで電話の相手と会話していた。 話の内容はかなり専門的で理解しにくかったが、その話し方と笑い声に、周囲で様子を見守っている者達は魅了されていた。 大河が電話して10分と経っていないだろう。 食堂に白衣を着た男が二人、息をきらして駆け込んできた。 キョロキョロと中を見回していたが、大河が手を振ったので、 「あそこだ!」 と、言って、ゼーゼー息を吐きながら、テーブルに近付いてきた。 初めに来た男達が、 「倉本助教授?!」 と、驚いて目を見開いた。 「き・・君達!・・すぐに研究室に戻りなさい。まったく、なんて失礼なことをしでかすんだ。」 「え・・・でも、知り合いが、この唯って奴が・・・」 「こら!そんな失礼な言い方をするんじゃない。ウチの大学の恥になるだろうが。大河博士も唯博士も、麻倉博士のご友人なんだぞ。」 「しかも唯博士は、当大学の理事でもあり、後援団体でもあるR財団の御曹司です。」 もう一人の白衣の男が付け加えた。 医学部の彼等は目を見開いて絶句してしまった。 それから、二人の白衣の男達は、唯と大河に深々と頭を下げて謝罪すると、初めに来た男達を引き連れるようにして食堂を去っていった。 「―いえ、こちらこそお手数をお掛けして申し訳ありません。――はい。今、戻っていかれました。――クスクスッ・・構わないですよ。――そうですね。」 唯はまだ麻倉博士と電話していた。 テーブルに戻った大河は呆れて、 「おい。もう電話切れよ。」 と、小さな声で囁いた。 唯は、あぁ、と頷き、 「済みません。午後の用意がありますので・・――また、近い内にお伺いします。――はい。その時にでもゆっくりと。――あ、ちょっと待って下さい。大河に替わります。」 と、大河に携帯を戻した。 大河も簡単に挨拶をして、通話を切った。 「・・ったく。飯が干涸らびちまったぜ。」 「味噌汁かければ大丈夫だよ。」 「うわっ・・・行儀悪ぃ〜〜・・」 大河がいつも言われてるお返しとばかりにからかった。 味噌汁のお椀を傾けかけた唯の手が止まり、うっ、と眉を曇らせて固まってしまった。 「冗談だって。俺もそうしよう。」 大河は笑って、味噌汁をご飯にかけた。 それから、サラサラと流し込みながら、周囲が静かなことに気付いた。 食堂にいた学生達は、入学当時から注目を集めていた唯と大河が、まさか博士と呼ばれる人間だったことに呆然としていたのだ。 「・・おい。早く喰ってここを出ようぜ。」 大河はまだ味噌汁をかけるか迷っている唯をせかせた。 「ん?」 「俺達が珍獣に見えるらしい。」 唯は大河を見てから、周囲を見渡した。 そして、学食にいる全ての視線が自分達に注がれていることに気付いた。 唯は目を伏せて溜息を吐くと、味噌汁をかけて、黙々と食事を進めた。 「華々しいデビューになったもんだな。」 食堂を出て午後の授業の教室に向かいながら、大河が言った。 「数日もすれば、知らない者がいないくらいに噂が広まるだろうな。」 「・・・そうかも・・・」 「唯が経歴を隠したくないって言うからあの方法を取ったが、俺としちゃ、彼奴等を校舎の陰にでも連れ込んでボコボコにしてやりたかったぜ。」 大河は握り拳をかまえて、シャドーボクシングをして見せる。 唯はクスクス笑って、 「そうならなくて良かったよ。」 と、言うと、木立の深緑に顔を向け、木漏れ日に目を細めた。 吹き抜ける風が爽やかで、唯の髪を軽くなびかせ、白いうなじを露わにする。 大河は思わず唾を飲み込み、ずっと見つめていたい唯の横顔から視線を剥がして、眩しい陽射しに顔をしかめた。 「人の噂も・・・あれ?何日だったかな?」 「・・・え?・・・んー・・・」 大河の質問に唯も小首を傾げた。 「ま、いい。芸能界だと1ヶ月前の話題は昔らしいぜ。」 「あはは。早い昔だなぁ。」 「それくらい、人は人のことを気にしちゃいねぇってことさ。」 「うん。そうだね。」 「しばらく騒がしいのは我慢してくれな?」 大河が済まなそうに言うので、 「大河のせいじゃないのに・・・俺は平気だって。」 と、唯はふわっと微笑んだ。 まだ時間はあったが、教室で席に座っていると、 「こんにちは。」 と、明るい声で玲奈が声をかけてきた。 玲奈は大河の隣りに座り、体を乗り出すと、 「昨日クラブで、唯君から預かってたお土産、彩香と明美に渡したの。二人共、ありがとう、ってお礼を言っておいてくれって。特に明美は、怒らせたと思ってたから感激してたみたい。」 と、唯に言って、ふふっ、と笑った。 「そうなんだ。俺から言い出したことなのに、気を使わせちゃって悪かったな。別に隠すようなことでもなかったんだ。また、一緒に食事しよう、って伝えて貰えるかな?」 唯も笑みを向けて言った。 「もちろん。ますます感激しちゃうよ、きっと。」 「だと、いいけど。」 唯は微妙に微笑んで、読んでいた本にまた視線を落とした。 玲奈は連休が明けてから、大河と何度かデートしていたようで、 「ワンちゃんとは仲良くなれた?」 と、大河と二人だけの会話を始めた。 「ルルはいい子だぜ。」 大河も声のトーンを落として、玲奈と話をする。 「あ・・ふふっ・・メスだからでしょう?」 「そんなんじゃねぇ。ルルは性格が優しいんだ。レイドとは大違いだぜ。」 「ふーん・・・今度、会ってみたいなぁ。」 「なら、散歩に付き合うか?片道3km、河原の広場で遊んでやって、また3km。」 「そんなには走れなぁーい。」 「これを朝晩やってるんだから、スポーツセンターに行く暇がねぇよ。」 「早朝マラソンて健康的でいいじゃん。・・・玲奈も、時間がわかれば、その河原で待ってようかなぁ。」 「まあ、もう少し俺が犬に慣れてからにしろ。いきなり飛びかかっても、今の俺には押さえきれねぇだろうからな。きっちり、俺がボスだとわからせてからがいい。」 「クスクスッ。強気ねぇ。」 「ボス争いは熾烈なもんだぜ。猿でも犬でもな。」 「あら、タイガーは犬?虎かと思った。ふふっ。」 「違ぇよ。バァ〜カ。」 大河は玲奈の額を指先で小突いた。 恋人同士の会話の邪魔をしないように、本に集中して読んでいる唯にも、内容は聞こえてしまう。 あの一件の後、気まずいまま連休に入ったので気になっていたが、心配するほどのことでもなかったようだ。 唯は玲奈の明るい声に安心して、本を読みながら笑みを浮かべた。 そして、大河が自然に犬の話が出来るようになったことも喜んでいた。 初めの内は犬と視線を合わせることさえ嫌がっていた大河も、元々は動物好きで、スポーツ好きなことから、朝夕の犬の散歩も楽しんでするようになっていた。 散歩の時のリードは、唯がレイドを担当し、大河はルル専門だったが、ルルとでも少しずつ気が合うようになってくれてることは、唯にとっても嬉しいことだった。 講師が来て授業が始まってから、教室のあちこちで携帯電話のメールをこっそり見ている学生達が現れた。 そして決まって、驚いたように息を飲むと、唯と大河の方に視線を投げた。 玲奈の携帯にもメールが入ったようで、机の陰になるよう膝の上でそっと覗いていた。 口と目が開かれ、口元に手を当てた玲奈が、大河と唯をマジマジと眺め始めた。 「・・何やってんだよ、バカ。」 大河が小声で囁くと、玲奈は泣きそうな顔で唇を尖らせ、玲奈に届いたメールを大河に見せた。 そこには、 ”学内通信速報!号外、号外!今や女子学生の人気を二分する文学部の唯君と大河君は、実は医学博士だった!しかも唯博士はRカンパニー&財団の御曹司なり!” とあった。 大河は眉尻を指で掻きながら、そのまま唯にも見せた。 誰かが発進したメールを次々と友達にチェーンメールのように回しているらしい。 唯は大河に、うんうん、と頷いてから、玲奈に微笑みかけ、また普通に黒板に視線を戻して講師の書き込みをノートに写し始めた。 大河は携帯の電源を切ってから玲奈に返し、 「後で説明してやるから、勉強に集中しろ。」 と、囁いた。 玲奈は携帯をバッグにしまって、潤んだ上目遣いに大河を見つめて頷いた。 次の授業も玲奈と同じだったので、大河は玲奈のバッグを自分のと一緒に持ってやり、次の教室に向かった。 今の時限にかなりのメールが飛び交っていたようで、各教室から一斉に出てきた学生達の驚きか賞賛か羨望か、それらが入り交じった視線が唯達に向けられた。 玲奈は、自分が側にいていいのか、戸惑っているようで、歩き方がぎこちなくなっていた。 大河は空いてる方の手で玲奈の手を握ってやると、 「無視してりゃいいんだよ。」 と、軽く笑った。 それから唯に、 「噂が広まるのに数日もいらなかったな。」 と、言って苦笑した。 「携帯メールの威力ってすごいね。」 唯は他人事のように感心して笑った。 「大河の携帯にも同じメールが届いてたりしてな。クックッ。」 「有り得るかも。」 大河は、玲奈と繋いでいた手を離し、ポケットから携帯を出して電源をONにした。 問い合わせると数件のメールが着信された。 玲奈は大河の腕につかまって覗き込んだ。 「・・ッハハハッ。梨香の奴、俺に送ってどうすんだよ。・・・っと、もう一通あるのか。何だ?」 大河が玲奈に見えないように、梨香からのメールを読んだ。 「・・・チェッ・・・怒ったってしょーがねぇのに・・・」 大河は溜息を吐くと、携帯をポケットにしまった。 それから、大河の腕につかまりながら、うつむきがちに歩いている玲奈に、 「玲奈はあまり驚かないんだな。・・つーか・・驚いた後のリアクションがねぇって感じか・・・」 と声をかけた。 玲奈は顔を上げると、 「玲奈だって驚いたもん。・・・でも、唯君に微笑まれたら、どうでもよくなっちゃったの。だって、唯君は唯君で変わる訳じゃないんだもん。大河だって・・・昨日の大河と今の大河が違う訳じゃないし・・・」 と、恥ずかしそうに答えた。 「そりゃそうだ。俺が医学博士ってわかっても、急にチンポがデカくなる訳じゃねぇしな。」 「・・・バカァ・・・」 玲奈が耳まで赤くなって、大河にしがみついた。 「でも・・・じゃぁ・・・噂じゃなく、本当なの?」 「肩書きはある。が・・・別に研究に携わってるってことでもないし、今は普通に大学生してるから、他の学生と変わりゃしねぇよ。」 「・・・うん。」 玲奈は嬉しそうに笑みを浮かべ、つかまっているのとは違う方の手を、大河の手と指を絡ませるようにした。 玲奈の胸が大河の肘に押しつけられ、半袖の腕と腕の肌が密着する。 「女なんて可愛いもんだぜ。・・・唯、お前も彼女を作ってみるか?」 いつもならそこまでの密着を許さない大河だったが、”医学博士”というレッテルをそこら中から体にベタベタと貼られているようで、多少気分が悪かった為、裸の自分を見てくれる玲奈が可愛く思えたのだ。 「・・・作る?」 唯はその言葉が納得出来なかったようだ。 「こんな状況じゃ、自然になんて出来っこないぜ。自然を装って近付く子はいるだろうけどな。」 大河は苦笑して言った。 「そう、今すぐ必要でもないから、いいよ。」 唯は微笑みながら首を振った。 大河は、自分で薦めたものの、唯ならそう答えてくれるだろうと思っていたので、密かにホッとしていた。 それから、ふと思いついて玲奈に聞いた。 「なぁ、玲奈。・・・女の子ってさ、唯の何を一番の魅力と感じると思う?」 「ん?・・・綺麗とか優しいとか全部じゃダメなの?」 「それはそれで置いといて、だ。医学博士と御曹司、どっちが魅力的だ?」 「・・・えー・・・どっちだろぉ・・・?」 玲奈は大河に密着したまま、上の方に視線を彷徨わせた。 「俺の場合は、白衣の俺より、ベッドの俺が良かったんだろ?」 大河がからかって言う。 「あ・・・人が真剣に考えてるのにぃ〜・・・」 「大河。会話が下ネタ過ぎるぞ。」 唯も苦言を呈した。 「ガキだなぁ。本当の事を言っただけだぞ。つまり、関係持ってるから、こうして前と同じ玲奈がいる訳で、それがなきゃやっぱり”医学博士”ってレッテルを貼ってるだろう、ってことだ。」 「それは違うと思うけどな。」 「どう違うんだ?」 「玲奈ちゃんは、初めから大河の全部が好きなんだよ。見えてない月の裏側もな。だから、裏側が見えたからって月が好きなことに変わりはないんじゃないか?・・・ね、玲奈ちゃん?」 唯がそう言って、優しく微笑むと、玲奈は、 「ええ。そうなのぉ。」 と、嬉しそうに頬を染めた。 「な?・・・月の表が好きか、裏が好きかって話じゃないのさ。」 「チッ。お前まで例え話かよ。」 大河は自分の方が子供扱いされた気分になって舌打ちをした。 唯は大河の背中をポンポンと軽く叩いて、 「俺の心配をしてくれるのは嬉しいよ。・・・でも、俺は俺という月が出会うテラ(地球)を待つことにするから。・・・な?」 と、優美に微笑んだ。 大河は肩をすくめ、溜息をついたが、心では、 (俺がテラじゃダメなのか?・・・お前のテラになりてぇぇぇ・・・) と、呟いていた。 |
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<12> 「果物屋」 |
<12>「果物屋」 今週は唯が食事当番で、大河が洗濯係だった。 唯が作る料理は和食と中華が多く、大河が当番の時は洋食と肉料理が多かった。 今夜のメニューは鳥でダシを取った中華スープと炒飯と春巻きらしい。 わざわざ上等な鶏肉を丸々一羽使ってダシを取るのは、ダシを取った後の肉を犬達にやりたいからのようだ。 「胸肉のササミくらいバンバンジーで喰わしてくれ。」 と、大河がリクエストしたので、胸肉を除いてから二つの器に鳥を分けて入れてやる。 レイドが嬉しそうにシッポを振って、唯の足元にまとわりついている。 「犬に食事をやるのは、俺達の食事が済んでからだぞ。」 大河は『犬の調教と躾』という本を読みながら、唯に釘を刺すように言う。 「・・・お腹空いてるみたいだけどなぁ・・・」 「俺だって空いてるぜ。そんなに手をかけなくていいから、早く喰わせてくれよ。」 「バンバンジー分だけ遅くなるのは我慢しろ。」 大河がムッと視線を投げると、唯はニコッと笑みを返す。 「チェッ。・・・とにかく、仲良くするのと甘やかすのは別なんだから、躾はキチッとしなきゃダメなんだ。いいな?」 「わかったよ。・・・レイド。まだ、お預けだよ。向こうでルルと一緒に大河の遊び相手をしてて。」 「俺は遊んでるんじゃなく、躾をしてるんだぞ。」 「はいはい。ほら、レイド。行きなさい。」 レイドは仕方ないと言いたげな様子で、大河のいるソファー近くに来ると、ペタリと足を伸ばして寝そべった。 「・・・くそぉぉぉ・・・俺をナメてやがる。・・・こーゆー時は・・・」 大河は本を読み返して、ふんふん、と頷いた。 「ルル、ちょっとおいで。」 大河に手招きされて、ルルは大河の座ってる前に行き、膝に前足をかけて顔を近付ける。 大河はルルの細い口元をつかみ、鼻先を自分の大きく開けた口にくわえて、目をじっと睨み付ける。 「大河?!・・・何やってんだ?」 唯が呆れて言うと、大河はくわえていた口を離し、 「犬同士でもこうやって優先順位を示すらしいぜ。だから、犬に自分の方が上だとわからせるにはこうしてやるといい、って書いてある。」 と、説明し、ルルの頭を、よしよし、と撫でてやった。 「へぇ・・・そうなんだ。・・・犬ともディープキスする趣味があるのかと思っちゃったよ。クックックッ。躾も楽じゃないね。」 「アホォ〜・・・それに、毎朝顔中舐められて起こされてて、今更キスなんて気取った関係じゃないぜ。なぁ、ルル?」 ルルは答えるように、大河の頬をペロンと舐めた。 夜遊びして帰った大河を、朝、起こす役目をルルに代わってもらうようになって、寝惚けた大河に抱きすくめられる心配がなくなった唯は、クスクスと笑いながら料理を続けている。 大河はルルで試してコツをつかんだので、レイドに実践しようと、ジワリジワリと寝そべるレイドに近付いていった。 レイドは薄目を開けて、這いながら近付く大河を一瞥したが、また無視して目を閉じた。 が、大河が手を伸ばした途端、目を開いて呻り声をあげる。 口は閉じていたが、頬が吊り上がり牙が見える。 すると、大河の後ろから付いてきたルルが、大河を庇うように前に出ると、レイドの鼻面を前足で押さえつけた。 不思議なことに、犬の兄弟関係はルルの方が上らしい。 レイドは仕方なく体を起こすと、背筋を伸ばして座った。 「よーしよし。レイド、そのまま動くなよ。」 大河は睨み付ける目を逸らさないように、レイドの口をつかみ、ルルにしたように鼻先を大きく開いた口にくわえた。 微かな呻り声が振動になって口の中に伝わってくるのは、あまり気持ちのいいものではなかった。 大河は更に厳しく睨みつけながらも、一応の目的が果たせたので、レイドを離してやった。 レイドは、フン、とばかりに部屋の隅の自分用のマットに行くと、背中を向けて丸くなった。 大河も緊張していたようで、大きく溜息を吐くと、ルルを抱き締めて体を撫でてやり、 「よしよし。ルルはいい子だなぁ。」 と、頬ずりをした。 唯はダイニングのテーブルに出来上がった料理を並べながら、やっぱり遊んで貰ってるみたいだ、と穏やかに微笑んだ。 夕食の後、唯はネットでUSAに繋ぎ、医学界の最先端の情報が載せられているサイトで、最新の医療の現状をチェックしていた。 USA医師会のメンバーにもなっているので、一般にはシークレットの情報もパスワードが送られてきて、見ることが出来た。 唯と大河の研究論文は欧米での評価が高く、意見を求めてくるメールもあって、大学生としての日常だけでなく、医学博士としても勉強はかかせなかった。 「何か目新しい情報あるか?」 スーツに着替えた大河が自分の部屋から出てきて、声をかけた。 「特にないけど、臨床報告の掲示板は参考になることが多いよ。やっぱり医療に方程式はないもんな。」 「あまり感情移入するなよ。自分の責任でもないことで胸を痛めてたら、キリないぜ。」 「でも、この前悩んでいた医師に麻倉博士の著書を要約して送ったら、喜んでくれたよ。是非、全文を読んでみたい、って。でも、あれって英訳のってなかったんだよなぁ。」 「ああ。例の『温故知新・・』か。・・・ったく、アメリカの医師さえ読みたがるのに、あれだけ身近にいて読まない学生にも困ったもんだぜ。」 「近い内に研究室に伺うって約束したから、その時にでも、英訳で出すことを薦めてみよう。」 「そうだな。」 大河は頷きながら腕時計を見た。 「じゃぁ、出掛けるわ。今夜は梨香だから、朝帰りになるかもな。散歩の時間までには戻るから、待ってろよ。」 「・・・わかった。・・・いってらっしゃい。」 唯が溜息まじりに言う。 「何だ?・・寂しいのか?」 「・・・いや。・・・明日、玲奈ちゃんの顔を見るのが辛いな、って・・・ちょっと思ってね。」 「蒸し返すなよ。玲奈も承知してるって言っただろ。」 「してる、じゃなく、させてるんだろ?・・・たまにお前が理解出来なくなるよ。」 唯の言葉が大河の胸に刺さった。 「だったら、別れた方がいいのか?」 「・・・そうは言ってない。」 「なら、梨香と別れればいいのか?」 「・・・いや・・・」 「同時に二人と付き合うのが気に入らないって言うなら、どっちかしかないだろ?俺には選べねぇ。お前が決めてくれるなら、それに従ったっていいぜ。」 「・・・そんなこと出来るかよ。」 「そしたら口出しするな。・・・世界には一夫多妻でもうまくやっている民族だっているだろ。唯がいたサバンナだってそうじゃないのか?」 「・・・パパは違うけどね。」 「俺は俺だ。・・・わからないなら、いいさ。」 大河はキッと唇を引き結び、踵を返して玄関に向かった。 乱暴に玄関のドアが閉められる音が、項垂れる唯の耳に響いた。 ルルとレイドが唯の前に行儀良く並んで座っている。 気遣うような二匹の頭を交互に撫でてやり、 「大丈夫だよ。・・・俺が無神経だったようだ。大河はいい奴なんだ。」 と、静かに微笑み、 「外の空気を吸ってこよう。」 と、イスから立ち上がった。 大河のいない時、ちょっとした買い物などで外に出るような場合にも、唯は二匹の犬を連れていくことにしていた。 拓磨にそうするように言われていたこともあったが、一人でいるよりも楽しかったからだ。 穏やかな唯と好戦的な大河、と見られがちだったが、実は大河の方が人付き合いは得意だった。 遠慮なく人の心に踏み込み、あぐらをかいて座り込んで、お茶まで要求するような所のある大河は、人によっては激しく嫌う人もいるが、大抵はその遠慮のない大胆さを歓迎し、心をうち解けてくれるのである。 逆に唯に対しては、誰もが好意を寄せる一方で、不用意に近付くことを遠慮してしまう雰囲気があるらしく、唯の涼やかで優しい声にうっとりと聞き入るものの、自分は話すことを躊躇う人が多かった。 そうした気遣いも、大河と一緒の時は気にならなかったが、一人の時には、人が自分を避けているようで、人付き合いの苦手さを浮き彫りにされてしまうようだった。 犬を連れていると、犬嫌いの人が怖がって避けるのは仕方ないが、逆に犬好きで近付いてくる人は堂々とした二匹の犬の立派さを誉めてくれた。 そうして何度か顔を合わせると、犬好きの人は、 「お、今日もお供かい?偉いね。」 などと、犬に向かって声をかけてくれる。 それで、唯も気軽に挨拶が出来たりするので、助かっていた。 朝夕の散歩の時とは違うリードをつけて出掛けた。 散歩の時は一緒に走る為、多少強度のあるリードを使っていたが、唯一人の時はゆっくり歩くだけなので、細くて軽い紐にしていた。 中には犬の大きさに比べて細すぎる紐に、眉をしかめて怖がる人もいたが、二匹の犬達は紐がピンと張るほど離れることはなかったので、何も問題はなかった。 マンションを出た唯は特に目的もなく、散歩とは違う道を歩き始めた。 少し歩けば、賑やかな通りに出る。 この通りの果物屋は、珍しい外国の果物も豊富に取り揃えてあったことを、思い出した唯は覗いてみることにした。 照明に彩りの鮮やかな果物が艶々と輝いている。 近付けば甘い香りが漂ってくる。 唯が店先でどれにしようかと選んでいると、奥から、 「毎度ありぃ〜。」 という声がして、軽く会釈をして出てくる女性と目が合った。 「あれ?」 「あ・・・」 同時に声が出て、同時に笑みが零れた。 「こんばんは。・・彩香ちゃんってこっちの方だったの?」 「あ・・・もう少し向こうなんですけど・・・」 赤くなった彩香が緊張してうつむく。 すると、唯のすぐ横に座っている犬達に気付いて驚いた顔をした。 「怖くないから大丈夫・・」 唯が慌てて言うが、言い終わらない前に、 「可愛いー!」 と、彩香がしゃがみ込んでしまった。 「こんばんは、お利口さん達。」 彩香は唯に向かっている時よりリラックスして見える。 「んー・・・こっちが、ルル?・・・で、君がレイドかな?」 彩香がそれぞれを指さして言ったので、 「え?・・・どうしてわかるの?」 と、唯が驚いて聞いた。 彩香は屈んだまま唯を見上げて、恥ずかしそうに笑い、 「玲奈からちょっとだけ聞いていたから・・そうかなぁ、って。当たってる?」 と小首を傾げた。 「ピッタリだよ。」 唯が微笑んで頷いた。 「撫でてもいい?」 「どうぞ。」 「ありがと。」 彩香は嬉しそうに言って、ルルに手を近付け臭いを嗅ぐのを待ってから、そっと顎を撫でた。 それから徐々に頬から頭へと手を移動していく。 初めての犬にいきなり手を翳す行為が警戒をさせるのだと知っているようだった。 レイドにも同じようにして撫でてやった彩香は、立ち上がって唯にお辞儀した。 「どうもありがとう。」 犬達へのフレンドリーな態度から、また緊張して体を固くしている。 「犬が好きなんだね。」 唯が緊張を解すように優しく微笑みかけると、 「去年までウチにもいたから・・・」 と、彩香は耳まで赤くして答えた。 「そうなんだ。去年って・・・あ、ちょっと待って。家まで送ってくから・・・」 「え・・・でも・・・」 「送りがてら話もしたいしさ。」 唯はニコッとして言った後、選んだ果物を買ってきた。 彩香の家は果物屋からは20分ほど歩いた所だと言う。 帰りは30分か、と一瞬思ったが、特に予定はなかったので、荷物を持ってやって送ることにした。 それにしても、往復40分の距離を夜に買い物するのは大変じゃないかと思った唯が聞くと、あの通りの近くにカルチャーセンターがあって料理教室と華道教室に通っているのだということだった。 言われてみればそんな看板を見た覚えがあった。 そして、彩香はあの果物屋で買い物をして帰るのが習慣になっているらしかった。 「唯さんもあの通りでお買い物するんですか?」 やっと会話することに慣れてきた彩香が聞いてきた。 「いや。普段は大学の帰りに大型スーパーでまとめ買いしてるんだ。でも、気分転換に散歩してて、あの店をみつけてからは時々寄ってるかな。」 そう、と彩香が頷いた。 唯が自分の住んでいるマンションを教えると、 「あの?・・・やっぱりすごいですね。」 と、彩香が笑った。 「知ってるの?」 「この付近にいたら誰でも知ってます。憧れのオクションだもの。」 「オク・・ション?」 そうした造語には、唯はまだ詳しくなかった。 それで、そのことを言うと、彩香が説明してくれた。 「あはは。変わった言葉だね。ふーん・・・オクションねぇ。・・・でも、自分で決めた訳でもないし、あまり住む場所は気にしてなかったけど・・・」 「ウチみたいに古い家だと、すきま風がけっこうあるんですよぉ。ジョンがいた時はいつも一緒に寝てたけど、・・・去年老衰して・・・冬がこんなに寒いって初めて実感したみたい。」 「・・・そっかぁ。・・・老衰でも別れは辛いよね。」 「うん。・・・だから、弟が新しい犬を飼いたいって言ったけど、反対してまだ飼ってないの。・・・意地悪かな?」 「いや、わかるよ。・・・失った悲しみはそう簡単には切り替え出来ないさ。ただ、いつまでも抱え込むのも良くないけどね。」 「・・・うん。」 「ジョンはどんな犬種だったの?」 「ゴールデンレトリバー。」 「あはっ。確かに暖かいね。・・それで大型犬に慣れてたのか。」 「ふふっ。小型犬でも好きだけど。・・・人と話すのって上手く出来なくて・・・犬って言葉に出来ない気持ちをわかってくれるでしょう?」 「そうだね。」 「だから、好き。」 「・・・俺もそうかな。・・・人付き合いが苦手なんて言っちゃいけない立場なんだけど、時々疲れて嫌になることもあって、犬が側にいてくれると励まされたり慰められたりするんだ。」 「・・・唯さんも?」 彩香が驚いて唯を見つめる。 あまり唯に気を取られていたので、つまづいて転びそうになり、唯が支えてやると、 「ごめんなさぁい・・・」 と、泣きそうな声で頭を下げた。 「私ってホントにドジで・・・この前も・・・あんなみっともないことになっちゃうし・・・唯さんに助けられてばかりで・・・」 「全然たいしたことじゃないさ。気にしちゃダメだよ。」 「・・・でも・・・」 「完璧な人間なんていない。完璧を装う者は脆い。自分の弱さを知っている人間の方が好きだ。・・・って、俺も大河によく言われる。」 そう言って唯がウィンクすると、 「大河さんが?・・・唯さんに・・・そうなんだぁ・・・」 と、目を瞬かせながら感心したように頷いた。 「とは言っても、よく喧嘩もするけどね。」 唯は肩をすくめて笑みをこぼした。 「クスッ。いいお友達なんですね。」 「ああ。俺の足りない部分を全て補って包み込んでくれる、最高の親友だな。時々、甘えすぎてる自分が情けなくなるよ。」 彩香は再び感心して頷いた。 自分と同じ歳なのに医学博士になれる天才で、誰からも羨望される御曹司で、しかも有無を言わせぬ絶世の美貌。 しなやかで美しい身のこなしに甘い声、優美な微笑み、穏やかな性格。 どれをとっても賞賛の声が絶えない存在の唯が、自分の為に、こんなに素直に心を吐露してくれて、完全ではないのだ、と教えてくれる。 悩みもあり、自己嫌悪もあり、尚かつ、友を賞賛して惜しまない。 彩香は、本当に素敵な人なのだ、と感動していた。 20分の距離が気にならないほど、楽しく会話が続いた。 彩香も本を読むのが好きで、将来は児童文学の翻訳が出来たら、と夢も語った。 まだ、話し足りない気分だったが、彩香の家に到着したので、遅い時間でもあることから、唯はずっと持っていた荷物を渡して、 「君と話せて楽しかったよ。今度また話そうね。」 と、手を差し出した。 彩香は唯の手をそっと握り、 「はい。・・送って頂いてありがとうございました。」 と言うと、恥ずかしそうに手を離し、腰を屈めて、 「ルル。・・レイド。・・二人ともありがとう。」 と、言ってから、唯に手を振って家の中に入っていった。 玄関を閉めながら、 「お休みなさい。」 と、彩香が躊躇いがちに言ったので、唯も笑顔で、 「お休み。」 と応えて手を振った。 「さて、帰ろうか。」 唯はルルとレイドにそう言うと、果物屋で買った果物の袋を短めに持って、来た道を走りだした。 ルルとレイドも嬉しそうにシッポを振り、唯の早さに合わせて走るのだった。 |
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<13> 「それぞれの想い」 |
<13>「それぞれの想い」 朝、唯が起き出した時には、すでに大河が散歩に出られる支度をして待っていた。 「お帰り。早いね。」 「今日は1時限目がないから、久しぶりにセンターに行こうと思ってな。早めに散歩して、早めに家を出ようぜ。」 「あ・・うん。じゃぁ、すぐに支度するね。」 昨夜は言い争って出掛けてしまった大河だったが、朝にはいつもと変わらない様子に戻っていた。 唯は昨日のことを謝ろうかと思ったが、また同じ話を繰り返すのも、かえって気まずさを再現しそうだったので、触れないことにした。 唯も大河も、犬の散歩にはスェットの上下の上に、シェイプアップウェアを着用していた。 長袖着用は河原の広場で犬と遊ぶ時、飛びついてくることもあったので、肌を露わにしていると、犬に悪気はなくても足の爪で傷つく場合があるからだった。 更にシェイプアップウェアを着用するのは、スポーツセンターに行けなくなった分、散歩を利用して汗をかき、体を引き締める為だった。 河原ではフリスビーやボールで遊ぶ他、大河は犬笛の訓練もさせてるようだった。 何としても自分で犬達をコントロール出来るようになりたいらしい。 向こうで調教をしていた調教師にも時々連絡をし、色々教えて貰ってるらしい。 すっかり汗をかいてマンションに戻ると、まず犬の足を洗って、体をタオルで拭いてやる。 それから、汗だくになった着ていた物を洗濯機に入れて、シャワーを浴びる。 食事当番が先に浴びることになっているが、大河が先に使う時は唯は待っているものの、唯が先に使う時には大河が、「待ってられねぇ。」と一緒に浴びることもよくあった。 特に河原で長めに遊んで時間がなくなったりした時には、一緒に浴びた方が効率が良かった。 大河にはそれが、犬が来てから変化した日常で、一番嬉しいことだった。 浴室には犬が入ってくる心配もなかったので、狭いスペースで唯の白く滑らかな肌を堪能出来る特権を充分味わっていた。 背中を洗ってやるから、と泡立てたスポンジで擦りながら、丸みのある愛しい尻にも手を伸ばした。 唯は大河がふざけてじゃれついてきてると思っているようで、大河の背中だけ擦ってやると、さっさと自分の体を洗い流して、先に浴室を出てしまうのが常だった。 だが、大河にもその方が都合が良かった。 一晩中彼女を抱いた朝でも、唯の肌に触れると、股間の男根がこれ以上ないほどに固く天を突くのだ。 女性との行為の為に勃起するのとは違う感覚だった。 卑猥さを一切感じない、神聖で誇らしい儀式のように、自分の男根を擦り上げながら、大河は唯を思うだけで感じる自分を愛おしく思い、唯に捧げるようにしている行為に酔った。 そして、自分の命を奉じるように、思い切り射精した。 唯と一つになれたような錯覚の陶酔にしばし浸り、最後の一滴まで絞り出して満足してから、シャワーで流して浴室を出るのである。 キッチンでは服を着た唯が、大河の想いも行為も知らず、忙しく朝食の用意をしている。 そんな唯を、大河は虚脱する股間を意識しながら、”俺の唯”と愛しさを込めて眺めるのだった。 服を着てきた大河が朝食のテーブルについた。 「中華粥か・・・昼までもつかな。」 「大河の方にはお餅を入れてあるから、腹持ちは悪くないと思うけど?」 「餅・・いいねぇ。」 餅は大河には好きな食材だった。 笑みを浮かべ、レンゲで食べ始めた大河は、ふとサラダの横に添えられている果物を見て、眉をひそめた。 ここ数日の買い物で、買ってないはずの果物がそこにあったからだ。 「唯。また、夜に出掛けたのか?」 「ああ、ちょっとね。」 「夜、出掛けるのは俺がいる時だけにしろ、って言ってるだろ?」 「ルルとレイドが一緒だから大丈夫だよ。」 「昼間ならそれでもいい。人通りも多いし、酒に酔って絡んでくるような奴もいないだろうからな。」 「夜だってそんなには変わらないよ。」 「昼と夜じゃ、同じ通りでも危険さが全然違うぞ。」 大河の言い方に唯は苦笑する。 「大河まで過保護なこと言うなよ。自分で行動出来る人間になれ、って言ったのは大河じゃないか。」 「お前は日の当たる所だけ歩いてればいいんだ。」 「神秘的な夜の闇も好きだけどなぁ。」 唯はサバンナで見ていた満天の星空を思い出しながら言った。 唯の遠くを見るようなキラキラ輝く目を見ると大河は切なくなる。 「夜の散歩がしたいなら、そう言ってくれよ。他のことは全部後回しにしたって、付き合ってやるから。」 「そうは言っても、大河が出掛けてから不意に思いつく時だってあるしさ。」 大河は、昨夜の自分の態度が、唯にそうさせてしまったのだと思いついた。 「・・・昨夜は悪かった。怒って出掛けるようなマネをして・・・」 「あ、いや。出がけに水を差すようなことを言った俺が、無神経だったと思って反省したんだ。」 唯は済まなそうに微笑んだ。 だが、大河にも唯の言いたいことはわかっていたのだ。 人の心を大切にする唯だけに、”二股”の状態がどちらの女性も悲しませているのではないかと心配してしまう。 それでも、大河にしてみれば、一人だけと付き合う方が相手を傷つけそうで怖かった。 一人に限定してしまうと、当然相手は期待する。 将来的なことはわからないにしても、大河の心を独占してると誤解して、多くのことを要求してくる可能性が高い。 大河にはそれだけの時間と想いをかけて付き合うことは出来なかったのだ。 プレイボーイを気取って週単位で女を変えていくのも面倒だったし、長く付き合っても相手が期待しない関係でいたかった。 実際、唯の抱えてる状況如何では、いつ海外へ出なければならなくなるか、わからなかった。 その時になって彼女に泣かれたり、最悪な事態にならないように、距離を置いた付き合いがしたかったのだ。 「あ・・・でも、昨夜は出掛けて良かったよ。」 唯が黙り込んでいる大河に言った。 「この果物を買ったあの店で、偶然、彩香ちゃんに会ってさ。この前はあまり話が出来なかったけど、昨日はルルとレイドも一緒だったから、けっこう彼女もリラックスして話してくれたんだ。彩香ちゃんも犬好きなんだって。」 暗いムードを変えようと唯は明るく話した。 「彩香?・・・あの外語学部の子か?」 「そう。」 「偶然だって?」 「そうだよ。カルチャースクールに通ってるんだって。家まで送る間に色々話が出来て楽しかったな。」 「家まで送ったぁ?」 「反対方向だったけど、果物屋からは20分くらいだったから、そう遠くなかったしね。」 「アホォ!知らない場所に一人で行くな!・・・ったく、誘拐でもされたらどうするんだ?」 「一人じゃないだろ?」 「よく知らない他人は数に入らないぜ。」 「・・・同じ大学なのに・・・」 「同じ大学だって、お前をモルモットにしようって奴等だっていただろうが。誰も彼も簡単に信用するなよ。」 「それはそうだけど・・・あ、でもルルがシッポを振ってたから大丈夫だよ。相手に敵意があれば、ルルは絶対シッポを振らないから。」 「ふーん・・・それでお前もシッポを振って、何処かもわからない相手の家に送っていった訳だ。」 「俺にはシッポはないよ。」 明るい話題になると思って話したことが、余計大河の機嫌を損ねてしまったようで、唯は溜息をついて席を立つと、食後のコーヒーを入れ始めた。 朝の会話以降ずっと不機嫌な大河は、スポーツセンターでムキになって泳ぎ続け、唯も負けまいとついていくので、プールから上がった時には二人共肩で息をするほど疲労していた。 「つまらん講義だと、寝ちまいそうだな。」 大河は大学の門を抜けながら、やっと笑みを浮かべて言った。 「あはっ。寝てもいいけど、いびきだけはかかないでくれよな。」 無口だった大河から、いつもの調子の言葉が出て、唯はほっとして軽く笑った。 「お前は平気なのか?・・・ほんっと、見た目裏切ってタフな奴だよなぁ。」 「タフな友達を持ったお陰かな。ふふっ。」 「黒豹のラーガか・・・一度会ってみたかったな。」 「大河だってタフだろ?・・・夜遊びが過ぎなければ。」 「チッ。ほどほどにするようにするさ。お前の夜歩きがなくなるようにな。」 軽い嫌味の応酬だったが、お互い気にするほどのこともない会話だった。 「おはようございまぁーす。」 門を入ってすぐに明美が挨拶をしながら駆け寄ってきた。 「おはよう。」 唯は笑顔で挨拶を返したが、大河は黙っていた。 明美はチラッと大河の様子を気にしながらも、唯に並ぶと、 「お土産、ありがとうございました。」 と、元気に言った。 「たいした物じゃないけど・・・今、あのテーマパークが人気あるらしいから。喜んで貰えたなら良かった。」 「私も一度は行ってみたいんですよねぇ。でも、けっこう遠いから費用もかかっちゃうし、なかなか行く機会がなくって。今度、唯さんが帰る時に連れて行って欲しいなぁ。ふふっ。」 明美は唯の腕に自分の腕を通して絡めると、甘えるように言った。 大河がピクッと眉を動かし、目を眇めた。 唯は特に気にすることもなく会話を続けていた。 「でも、今度帰るとしても夏休みだよ?」 「それでもいいです。唯さんの実家も見てみたいなぁ。さぞかし立派なお屋敷なんでしょう?」 大河が見かねて、唯と明美の間に割って入った。 「お前、益々図々しさに磨きがかかったな。何でお前を家に泊めて、案内しなきゃならないんだ?そんな義理はねぇぜ。」 「あ、ひっどぉーい。ダメかも知れないけど、お願いしてみただけじゃないですかぁ。」 明美はまた反対側に回って、唯の腕にしがみついた。 そして、唯の顔を覗き込むようにして、 「ね?いいでしょう?」 と、言う。 「んー・・・実家といってもなぁ・・・俺の一存では決められないから・・・」 「あら。・・自分の家なのに?」 「お前なぁ!」 大河は完璧に怒りが頂点に達していた。 唯は大河の肩に手を置いて、まあまあ、と言うように軽く叩いた。 「けっこう仕事関係の人達が出入りしているから、気軽に友達は呼べないんだ。ごめん。」 「えー、嘘ぉー。・・・残念だなぁ。」 唯がやんわり断った後も、明美は唯の腕を放さずに歩いていた。 大河は明美のように詮索好きで、思ったことをすぐ口に出す女と、関わるのは危険だと感じていた。 それで、玲奈にも明美と友達でいると唯に迷惑をかける、と言っておいたのだ。 この場に玲奈がいないのは、玲奈も大河の言葉に従っているからかも知れない。 となると、この明美の図々しさは、玲奈を通してが無理になったので、直接唯を口説こうとしているのかも知れない。 「遊ぶ資金がないなら夏休み中、めいっぱいバイトすりゃいいだろ。そうすりゃ、夏の終わり頃には何処だって好きな場所へ勝手に行けるさ。」 大河は言い方は乱暴だったが、正論を言ってやった。 すると、 「・・・大河さんって意地悪なんですね。」 と、明美が唯に告げ口するように言った。 だが、唯は、 「え?どこが?」 と、不思議そうな顔をした。 元々唯には学校が休みの期間に遊ぶという感覚がなかった。 集中的に進めたい研究や、読みたいと思っていても時間が取れなかった資料を読んだり、と普段出来ない部分を埋めるように忙しく勉学に励んでいたのだ。 『そう言えば、夏休みに研究チームに参加して欲しい、って依頼が何件かきてただろ?』 大河は言ってもわからない明美を相手にするのが馬鹿らしくなったので、ドイツ語で唯に話しかけた。 『そうなんだけど、海外の夏休みは日本より長いから、要請に応えられないと思うんだ。』 唯も大河に合わせて話し始めた。 『確かにな。・・・バイトで思いついたんだが、USAで休暇をとる医師の代わりに臨時雇用の募集とかあるだろ?あれに参加してみないか?実践的な経験が積めるだろう?』 『ああ、それって面白そうだな。大河は特に外科のスペシャリストだから、実践を積みたい気持ちはわかるよ。』 『それに研究と違って労働時間が決まってるし、休日もちゃんと確保されてるから、休みには遊びに行けるしな。』 『うん。そうだね。長期のとこは無理でも、休暇の代理要員なら相手にも迷惑かけないし・・・それって検討の価値ある案だな。』 『だろ?』 大河は明美を無視したくて咄嗟に思いついたことだったが、唯が気に入ってくれたことが嬉しくて、機嫌良く笑った。 「わからない言葉で悪口いうのって最低ー。」 明美が頬を膨らませて言った。 「誰がお前の話なんかするかよ。自意識過剰すぎるぜ。」 せっかく直った気分を台無しにされて、大河はまた毒づいた。 唯も今度ばかりは明美の態度を負担に感じてきたようで、 「明美ちゃん。悪いけど、大河と話があるから遠慮して貰えないかな。」 と気遣いながらも、一緒の行動を断るように言った。 明美は、えっ?と驚いた顔で唯を見た。 唯なら何でも許して認めてくれると思っていたのだ。 意外な唯の言葉に涙を浮かべると、唯の腕から手を離して、口元を押さえながら走っていってしまった。 「・・・悪いことしちゃったかな・・・」 唯が済まなそうに呟いたので、 「放っておくほどつけ上がるような相手には、あれくらいはっきり言わなきゃわからないだろ?気にするなよ。」 と、肩をすくめて、笑った。 「・・・そうだね。」 唯も頷いて静かに微笑んだ。 責任のある立場になればなるだけ、優しいだけではいけないのだ、という自覚は唯にもあったのだ。 自分の優柔不断さが、周囲に迷惑をかけてしまう場合もある。 その辺のバランス感覚はちゃんと持っている唯だった。 2時限目の授業がある教室がある校舎へ行くと、入り口で玲奈と彩香が立っていた。 彩香も学部は違ったが同じ授業を取っていた。 玲奈と親しくなる前は、彩香は同じ教室でも、唯達とはずっと離れた席にいたので、気付かなかったのだ。 「待ってたのか?」 「うん。だって、同じ席に座りたいもん。」 玲奈が上目遣いに笑みを浮かべる。 大河は、よしよし、と玲奈の髪を撫でた。 時間がなかったので、4人はすぐに教室に入ることにして、特に会話らしい会話はないまま授業を受けた。 授業が終わって、昼休みになったので、一緒に食事しよう、ということになった。 この時間が混み合うのはいつものことで、取り敢えず入れる店にしようと、歩き始めた。 4人が横一列になる訳にもいかず、大河は唯と並び、玲奈と彩香を先に歩かせた。 どこも昼時は混んでいたが、焼き肉屋に席があったのでそこに決めた。 「よーし。スタミナをつけるぞ。」 大河はここぞとばかりに、あれこれ注文した。 「唯が料理当番だと野菜の方が多くてな。」 「大河が当番の時が、肉が多すぎなんだよ。」 「今日はめいっぱい泳いだから、余計肉に飢えてるぜ。」 「なら、好きなだけ食べればいいだろ。」 「おう。じゃんじゃん喰うぜ。」 大河は強火でドンドン焼いていく。 その旺盛な食欲に玲奈も彩香も目を見張った。 唯はクスクス笑って、 「玲奈ちゃんも彩香ちゃんも、負けずに食べないと、大河のパワーに圧倒されちゃうよ。」 と、言って、焼けた肉を銘々皿に取ってやった。 「唯君って本当に優しいねぇ。」 「ん?・・・そんなことないさ。大河だって優しいだろ?」 「どうかなぁ。優しいとこは優しいけどぉ・・・冷たいとこは冷たいかも・・・」 玲奈は大河に視線を向けてちょっと唇を尖らせた。 「それは俺も同じだよ。」 唯は静かに微笑んだ。 「えぇ・・・唯君が冷たいのぉ?」 玲奈は彩香と顔を見合わせた。 彩香も信じられないとばかりに首を振る。 「今朝なんて、明美ちゃんにちょっと厳しくしすぎちゃったしね。」 唯が目を伏せて溜息を吐くので、大河が、 「まだ、気にしてたのか?あれは向こうが悪いんだぞ。」 と、頬張りながら言った。 「でも、このメンバーで食事してるのに、明美ちゃんが入れなかったら傷つくかなぁってさ・・・玲奈ちゃんだってクラブで気まずくなるだろ?」 「ううん。玲奈ならわかってるからいいの。明美ってちょっと強引だから、唯君に迷惑かけちゃうもん。・・・てゆーか、今朝何かあったの?」 「あいつ、唯にしがみついてきて、実家に招待しろ、とかテーマパークに連れていけ、とか勝手なことばかり言うから、無視してやったら、今度は自分の悪口を言ってる、とか邪推しやがって・・・うざいったらないぜ。」 「そこまで酷くもないけど・・・あまりにも一方的だと疲れることは確かだよね。」 「・・・そうなんだぁ・・・ごめんなさい。玲奈が紹介しちゃったばっかりに。」 「そんな気にしなくていいよ。友達が増えるのはいいと思うしね。でも、友達以上に踏み込まれても対処出来ないから、結局冷たくするしかないのが辛いとこだけど。」 「・・・明美の夢って・・・玉の輿だから・・・」 「え?」 「やっぱなぁ・・・チッ。」 大河はそうだろう、と大きく頷いた。 「唯君が御曹司ってわかって舞い上がっちゃったのかも。大河に注意されて、明美とは離れるようにしてたから・・・」 「大河に・・・?」 「そりゃ俺にだって責任あるだろうが。俺と付き合う以上、変な奴は近付けないように注意して貰うのは同然だろ。」 「でも、それじゃ玲奈ちゃんが友達出来なくなって可哀想じゃないか。」 「あ、玲奈のことならいいの。今更だから。」 「今更?」 「だって、大河と付き合うだけでも、かなり反感買っちゃってるもん。」 「・・・へぇ・・・女の子同士でも、色々大変なんだね。」 「うん。・・・でも、玲奈は大河が一番だから・・・大河といれたら他は何もいらない。」 唯は玲奈の健気さに、思わず頬を染めて微笑んだ。 光が弾けるような微笑に、玲奈も顔を赤くして恥ずかしそうに笑った。 「・・・玲奈ちゃんは強いね。・・あ、いや。強いって言っても意味が違うんだけど・・・思う一途さの強さって感じかな。とても素敵だと思うよ。」 「いやぁ〜ん・・・恥ずかしいですぅ。」 「何二人で盛り上がってんだよ。ほら、玲奈。ブリッ子してねぇで、ちゃんと喰えよ。・・・唯もなぁ、そーゆー台詞は思っても言わないもんだぜ。」 「え・・・そうなのか?」 「お前が微笑むだけで、充分通じてるさ。」 「・・・そんなもんか?」 唯は首を傾げ、女性を相手に話すのは難しいものだと、小さく息を吐いた。 そして、ふと思いついて、彩香に向かって優雅に微笑んで見せた。 彩香は目を瞬かせ、顔を真っ赤にしていく。 「・・・唯さん・・・わからないです・・・」 彩香はやっと小さな声を出して言った。 「だよなぁ?・・・ほらぁ、わからないじゃないか。」 「アホ。お前、何か考えてテレパシーでも送ったのか?」 「あ・・・いや・・・何も考えてなかった。」 大河は呆れて目を眇め、玲奈と彩香は吹き出して笑いを洩らした。 「つーか・・・テレパシー飛ばしたって、ルルじゃなきゃわからないだろうぜ。俺が言ってるのはその場のニュアンスのことで、超能力があるなんて言っちゃいねぇよ。」 「・・・わかってるよ。」 唯は拗ねたようにご飯を頬張った。 玲奈はまだ、クスクスと笑っていたが、大河の話に興味を持ったようで、 「ルルってテレパシーでわかるの?」 と、目を輝かせて聞いた。 「俺はあると思うぜ。何しろ、よく気が付く子だからなぁ。」 「なぁんだ。確証はないのかぁ。・・・でも、益々会ってみたくなっちゃうなぁ。ね、彩香?」 「・・・ええ。そうね。」 玲奈に話題を振られて、彩香は遠慮がちに頷いた。 その様子から、昨夜、唯と会ったことを話してないことがわかった。 「彩香ってねぇ、すっごく犬好きなの。去年亡くなった犬・・ジョン君だっけ?・・の写真をいつもお財布に入れて持ってるんだもん。泣けちゃうよねぇ。」 「・・・そうなんだ。」 唯は労るように優しく微笑んだ。 「あ・・やっぱり、わかるかも。ふふっ。」 玲奈が嬉しそうに大河に笑いかけた。 大河はそっけなく頷くと、 「玲奈、ちょっと厨房行って、上カルビの追加注文してきてくれ。」 と言った。 「え?ボタン押せばいいでしょう?」 「待ってたら遅くなるだろ?いい子だから、頼むよ。」 「・・・はぁーい。」 玲奈は仕方ないなぁ、と溜息を吐きながら、席を立っていった。 大河は玲奈の後ろ姿が離れるのを確認すると、 「時間ないから要点だけ聞くけど、彩香さんは玲奈に昨夜唯に会った話をしてないんだね?」 と、切り出した。 「あ・・はい。」 「それはまだ話す時間がないから?それとも秘密にしたいから?」 「おい。・・大河・・・」 「ちょっと時間ないから、唯は黙ってろ。・・・で、どうかな?」 彩香は緊張して息を飲んだが、 「あの・・・家が近いってわかると・・・もしかしてご迷惑になるかと思って、話せませんでした。私が唯さんと大河さんの住んでる場所を知ったのは、たまたまで・・・もし、隠す必要がある場合にうっかり話すことは・・・いけないかと・・・」 と、懸命に説明した。 大河は大きく息を吐いて、笑顔で頷いた。 「そっか。わかって貰えていて安心したよ。まだ、玲奈にも住んでる場所は言ってないし、唯との共同生活だから、俺個人の付き合いは切り離しておきたかったんだ。」 「・・・はい。」 「別にいいのに・・・」 「自分の立場を考えろよ。それに、勉強の邪魔になったら、お前だって嫌だろ?」 「・・・その時になってみないとわからないよ。部屋に呼ぶくらいなら構わない気もするけどな。」 「玲奈・・なら、だろ?・・・梨香でもいいのか?」 「・・・大河の好きにすればいいさ。」 「じゃぁ・・・彩香さんとも付き合ってみるかなぁ。」 「大河、悪い冗談はよせよ。せっかくの友達同士を・・・」 大河は肩をすくめた。 それから、玲奈の姿が見えたので、目配せして話はそこまでにした。 大河は彩香が思慮深い分別のある子だとわかって安心する一方で、唯にあまり関わって欲しくない、と思う気持ちが沸々と込み上げてくるのだった。 |
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<14> 「森の木霊」 |
<14>「森の木霊」 午後の授業は年輩の教授がボソボソと話す古典文学だった。 昼食に食べ過ぎた大河は机に肘をつき、考えるように額に指先をあてていたが、実は今にもくっつきそうな瞼を掌で隠していた。 特に黒板に書き込むこともなく、順番に学生に教科書を読ませ、読んだ所を現代語に訳させることを延々と続ける、何の熱意も感じさせない授業だった。 必須科目でなかったら、初めの聴講でこのクラスは取らないと決めただろう。 意味を解釈するだけなら、わざわざダラダラと授業を受ける必要もないように思えたが、こうした教授にかぎって毎回の出席にうるさく、レポートの提出がやたらと多かったりする。 唯は半分の意識で授業を聞き、もう半分の意識で本を読んでいた。 大河はすっかり瞼を閉じて惰眠を貪っているようだったが、今日は読む順番が回って来そうもなかったので、そのまま起こさないことにした。 ふと、視線を大河の横に向けると、玲奈も大河の腕に寄りかかってうたた寝をしている。 その顔のあどけなさにフッと微笑んでしまう。 梨香のことも同じサークルに入っていたこともあり、いくらかの面識はあったが、大河の言うように、唯的には梨香よりも玲奈が可愛いと思ってしまう。 自分の彼女を選ぶ訳ではないのだから、公平に見るべきだとは思うが、いかにも遊び慣れた雰囲気の梨香よりも、一途な玲奈が悲しむ方が辛く感じる。 自分も所詮は勝手な人間なのだと、自覚するよりなかった。 それにしても、大河が彩香まで照準を合わせようとしたのには、唯も困ってしまった。 冗談でも、彩香が本気にしたら、それはそれで問題である。 彩香が唯と会ったことを秘密にしておくのは仕方ないが、玲奈だけそのことを知らないでいるのが可哀想に思えた。 せめて、何度も会いたいといっている犬達を紹介してやれないか、と本を読みながら考えていた。 授業が終わって、腕を伸ばして背筋の伸びをする大河に、唯は授業中に思いついた案を話した。 「今度の日曜に、4人でハイキングにでも行かないか?」 「ハイキング?・・・4人?」 唯が出掛けることを言い出すのは滅多になかったので、大河は寝惚けているのかと、目を擦った。 「俺と大河と玲奈ちゃんと彩香ちゃんでさ、ルルとレイドも連れてハイキングに行ったらどうかと思ったんだ。」 「わぁ・・・ホント?」 玲奈が嬉しそうな声をあげた。 「・・・いいけど・・・何でまた急にそんなことを思いついたんだ?」 「だって、ほら。玲奈ちゃんもルルとレイドに会いたいって言ってるし、天気も良さそうだから、たまにはルルとレイドを違う環境に連れて行ってやりたいだろ?そうすれば彩香ちゃんもゆっくり犬達と遊べるし、名案じゃない?」 「・・・ふーん・・・」 大河はあくびをして頭を掻くと、 「みんなの都合がつくなら、それでもいいぜ。」 と、言った。 玲奈はさっそく携帯を取り出すと、彩香にメールで唯の提案を伝えた。 彩香からの返事はすぐに届き、 「彩香もOKだって。」 と、玲奈が弾む声で言った。 唯はそんな玲奈を微笑みながら優しく見ていた。 大河は少し怪訝な顔をしたが、 「じゃぁ、決定だな。目的地、集合場所、時間は帰ってから検索して決めよう。決まったら玲奈には俺がメールしてやるから、玲奈は彩香に連絡するように。」 と、すでにリーダーシップを発揮して指示を出した。 「うん。わかった。ふふっ。楽しみぃ〜。」 玲奈は無邪気に手を叩いて喜んでいた。 夜、唯が夕食の支度をする間に、大河はPCでハイキングに適当な場所を探していた。 散歩の後、風呂に入ってバスローブ姿のままだったが、下にはしっかりトランクスと短いスェットを履いていた。 「あまり観光地化されてない高原がいいよな?」 「そうだね。犬が嫌いな人がいると悪いし、自由に駆け回れる場所がいいなぁ。」 唯がキッチンで振り返って答える。 「じゃぁ、ここだな。・・・所要時間は・・・2時間か。」 「へぇ、割と近いね。」 「こーゆーのは渋滞する時間までは入ってねぇだろ。あの牧場までだって、きっと表示されるなら2時間とかって出ると思うぜ。・・けど、実際は3時間近くかかったんだ。」 「ヘリなら30分程度なのになぁ。お疲れ様でした。」 唯はクスクス笑いをこぼしながら、料理を続ける。 「彩香は近いから出掛けに拾えるし、玲奈の家の近くに迎えに行ってやればいいか。・・・で、後はカーナビにここの住所をインプットさせれば大丈夫だろう。」 大河は行き先の所在をメモに写して、よしよし、と頷いた。 それから、携帯をとってメールを打ち始める。 しばらくメールのやり取りが続いていた。 唯は食事の用意が出来て、テーブルに座って待っていた。 「よくメールなんて面倒なことが出来るね。電話で話せば早いのに。」 やっと携帯を置いた大河がテーブルについたので、唯が不思議そうに言った。 大河はチッチッチッと指を振り、 「女の子と付き合うなら、携帯のメールは必須だぞ。」 と、うんちくを語るような口調で言った。 「なにしろ、電話だと親に会話を聞かれて、詮索されたり文句言われたりする場合もあるからな。」 「・・・あまり親に隠し事させるのはなぁ・・・」 唯は納得出来ない顔で、ポトフのジャガイモを頬張った。 熱がって口をハフハフさせてる唯を、抱き締めたいほど愛しく思いつつ、大河は苦笑した。 「親だけじゃなく、兄弟がいたって干渉されたくないだろ?男と付き合うってゆーのは、女の子にしてみると微妙〜なんだぜ。」 「・・・微妙?」 「親や兄弟に、自分が素っ裸になって股開いてる姿なんて、想像されたくないだろ?」 唯は思わずジャガイモを吹き出しそうになり、慌てて飲み込んだ為、咽せて咳き込んでしまった。 大河は席を立って、水をグラスに注いで飲ませてやりながら、唯の背中をさすってやった。 唯が落ち着いたので、席に戻った大河は、 「・・・ったく、ガキだなぁ。」 と、愛を込めて笑った。 「・・ケホッ・・・食事中にその手の話題はやめてくれ。」 「お前がわからないから、説明してやったんだろ。」 「・・・そうだけどさ・・・」 唯は頬を赤らめる。 「現にお前、何にも気付いてないだろう?」 大河が眉をヒクヒクと動かしてみせる。 「何もって・・・?」 「彩香のメールアドレスを教えて貰ったんだ。迎えに行くのに住所を聞きたいからって玲奈に言ってさ。で、玲奈が彩香に確認をとって、彩香に俺のアドレスを教えて、メールするようにして貰ったって訳。・・ずっとメールしてたのは彩香だったんだぜ。玲奈にバレないように打ち合わせする必要があったからな。」 唯は大河の周到さに感心して目を瞬かせた。 「メアドも手に入れたことだし、ジワジワと彩香を口説いてみるか。」 大河が唯に探りを入れるような視線を投げながら、冗談っぽく言った。 「おいおい・・・」 唯は冗談でも聞きたくないとばかりに首を振り、 「お前が玲奈ちゃんを泣かせるようなマネをしたら、本気で怒るぞ。」 と、真剣な目を大河に向けた。 大河は、ん?と束の間考え込み、 「唯・・・お前、玲奈が好きなのか?」 と、低い声で聞いた。 「健気でいじらしくて可愛いと思うよ。でも、それって普通だろ?」 唯は特に変わったことでもないと言いたげに肩をすくめた。 「・・・まあ、ほとんど毎日会ってるし、情が湧くのもわかるが・・・どの程度好きかってゆーのが問題だよな。」 大河は自問自答するように呟いた。 それから、頬杖をつくと、指先でテーブルを叩いた。 「お前的には、玲奈と彩香、どっちが好みのタイプだ?」 「二人ともいい子だと思うよ。」 「いや、そうじゃなく・・さ。」 大河はじれったそうに首の後ろを掻いた。 「彼女にしたいなぁ、って思うのはどっちだ?」 唯は溜息を吐いた。 「どっちも友達で充分だよ。それ以上の感情はないさ。玲奈ちゃんを可愛いと思うが、お前から奪いたいとか思うわけないし、彩香ちゃんとも犬を通じた友達って意識しかないよ。」 「・・・ふーん・・・でもなぁ、それならあまり優しくしてると相手が勘違いしかねないぞ。」 「そんな優しくないだろ?」 「ハイキングなんて普段考えもしないことを思いつくくらい優しいぜ。」 「それは・・・玲奈ちゃんの心の痛さが伝わってくるから、何とかしたかったんだ。」 「・・・そうかぁ・・・なるほどな。」 大河はようやく納得出来たようで、大きく息を吐いた。 「お前って、根っからの医者なんだな。・・・人の痛みが見過ごせないのか・・・」 大河は無性に悲しくなって、滲みそうになる涙を首を振って誤魔化した。 それからお互いに黙って食事を進めた。 食後に唯がノンカフェインのロイヤルミルクティーを入れた。 大河が今夜は出掛けないと言ったので、多少のアルコールをサービスしたのだ。 大河は香りを楽しみながらゆっくり飲み、唯を眺めながら思いを巡らせていた。 (人のことばかり気にして、お前自身の痛みや苦しみはどうやって癒すんだ?見返りを求めず尽くすだけじゃ、満たされないだろう?) 「なぁ・・・俺の痛みは見えるか?」 大河は片頬だけに笑みを浮かべて聞いた。 と、唯の表情が悲しみに崩れていく。 紫の淡い光に涙が浮かびあがる。 「あ・・・あ・・・ちょっ・・・済まん。俺が悪かった。」 大河が慌てて立ち上がった。 「・・・どう償えばいい?・・・どうすればお前を自由にしてやれる?」 唯が震える息で囁くように言う。 「いや、違う。そうじゃないんだ。」 (迂闊だった。唯は自分のことでは泣かなくても、人の痛みでは涙を流す奴だった。まして、ずっと俺に負い目を感じているのに。・・・唯ほど俺を愛してくれてる奴はいないのに。) 「泣かないでくれ。頼む。ほんの軽い気持ちで言っただけなんだ。」 「・・・でも・・・」 「頼む。お前に泣かれると辛いよ。・・・まるで天使を泣かせたみたいに、罪悪感に苛まれちまうぜ。・・・な?」 辛い、と言われて、唯は手の甲で涙を拭った。 それでも、自分が支配してしまった大河の人生を思うと、その重さを感じるほどに愛しさと切なさが込み上げて、押さえ込もうとすればするほど苦しさに胸が締め付けられた。 紫の光は瞳の奥に留まったまま揺らめいている。 「頼むから・・・そんなに自分を責めないでくれ。俺はお前と一緒にいれることが、最高に幸せなんだ。」 そう言う大河の言葉も、填め込まれてしまった歯車の軋みのように聞こえてしまう。 唯自身も組み込まれるべくして収められたパーツであり、大河も今となってははずれることが出来ないパーツ。 抜け出せない宿命の中で、唯は大河だけは守ってやりたいと思っていた。 (わかってる。・・・わかっているんだ、唯。・・・だからこそ、お前を愛さずにはいられない。) 「・・・そんな深い意味はなかった。ただ、お前が心を痛めると、俺の心も痛いんだぞ、ってことを言いたかっただけなんだ。」 (・・・そうだろうか?もっと俺を見て欲しかっただけじゃないのか?) と思いつつも、とにかくこの場は唯を納得させて、気分を変えさせたかった。 「ちょっと、食後の散歩でもするか?」 「・・・ん?」 「また果物でも買って、囓りながら帰ってこよう。」 「あ・・・うん。」 大好きな果物と聞いて、唯の顔に明るさが戻る。 「よし。それじゃ俺は着替えてくるから、お前は顔洗ってこいよ。泣き顔のお前を連れて歩いてたら、俺はどう見ても悪者だぜ。」 大河は大袈裟に手を広げて見せた。 「まさか。大河が悪者に見えることなんてないさ。」 唯はふんわりと微笑んだ。 絶対の信頼と絶対の友情。 唯の眼差しにはいつも愛が込められていることはわかっていた。 ただ、それが恋愛感情ではないことが、大河には寂しかったのだ。 日曜日。 大河のジープで出掛ける。 6人掛けにもなる大きめのジープは、犬を飼うようになってから、利用回数が増えた。 唯のスポーツカーでは大型犬を二匹乗せるにも狭かったし、高級革張りのシートがボロボロにされてしまうからだ。 後ろのシートを畳んで、毛布を敷いてやったスペースに、ルルとレイドを乗せる。 唯がその前の座席に座って、時々顔を出す二匹を撫でてやったりしていた。 先に家が近い彩香を拾って、唯の隣りに座って貰った。 「こんにちは。ルル、・・レイド。今日一日、よろしくね。」 彩香が振り返って声を掛けると、レイドが背もたれ部分に足をかけて顔を出し、彩香の顔をペロッと舐めた。 「あ・・・レイドの奴ぅ・・・女好きだったか・・・」 運転席でバックミラー越しに見ていた大河が舌打ちをする。 「クックッ。似た者同士って喧嘩しやすいのかな?」 唯が冗談っぽく彩香に言うと、彩香は、さぁ?と首を傾げてから、控え目に笑いを洩らした。 「レイド。向こうに着いたら遊ばしてやるから、おとなしくしてろよ。」 大河がそう言うと、二匹の犬を撫でていた彩香が、 「あ・・済みません。」 と、前を向き、膝に手を乗せて頭を下げた。 「え?いや、彩香のことじゃないよ。レイドが調子に乗って悪さしないようにと思ってね。」 大河は笑顔で振り返り、彩香にウィンクして見せた。 彩香は恥ずかしそうに頬を染めて笑みを返した。 二人はお互いのメールアドレスがわかってから、頻繁にメール交換をしているようだった。 唯は、お前の方が誤解させそうだよ、と思いながら、 「余所見せず、しっかり前向いて運転しろ。」 と、釘を刺すように言った。 「心配性だなぁ。俺に任せとけ。」 大河は前を向いたまま笑って、親指を突き立てて見せた。 玲奈は家の近くの通りで待っていた。 キョロキョロと左右を見ていた玲奈は、大河の運転するジープを見つけると、嬉しそうに手を振って車が停まるのを待っていた。 そして、助手席に乗り込んで、後ろを振り返った玲奈は、 「うわぁ・・・大きいねぇ。思ってたより迫力あるなぁ。」 と感心して言った。 「玲奈ちゃんは大型犬は苦手?」 唯が気遣って聞くと、 「ううん。動物は何でも好き。ちょっと初めてで驚いただけ。」 と、可愛らしい笑顔で答えた。 「ほら。助手席はシートベルト締めろよ。」 「はぁーい。」 大河に促されシートベルトをした玲奈は、バッグからCDを取りだし、 「かけていい?」 と、上目遣いに瞬きして聞く。 大河が頷いたので、早速CDをかけると、車内に軽快な音楽が流れ出す。 大河も同じようなCDを持ってたな、と思った唯は、素っ気ない素振りをしていても、案外玲奈の影響を受けている大河を微笑ましく思うのだった。 高原に着く前に、腹ごしらえをしようと、ルルとレイドを車に待たせて、人気がありそうな蕎麦屋に寄った。 人気があるか、ないかは、駐車場に停めてある車の数ですぐわかる。 ルルとレイドには気の毒だったが、これだけ混み合ってる駐車場では降ろす訳にはいかなかった。 蕎麦の美味しさの感覚は唯にはわからなかったが、雪国出身の大河が「美味い。」と言うのなら美味しいのだろう、と思うことにした。 再び車に乗り込んだ4人は、昼近くになって目的の高原に到着した。 なるべく設備のない場所を選んだつもりだったが、メインの通り沿いにはドライブインが並び、公園のような施設があった。 それで、脇道からもう少し険しい道を登っていった先の草原まで行くことにした。 ようやく辿り着いて、酔いがちの玲奈はフラフラと車を降りた。 ルルとレイドも多少疲れた様子で車から降りてきた。 唯は器にたっぷりと水を入れてやり、飲ませてやることにした。 「お疲れぇ。偉かったわねぇ。」 彩香は水を飲んでいるルルとレイドの側に屈むと、撫でてやりながら労いの言葉をかけた。 二匹とも嬉しそうにシッポを振っている。 玲奈は、草の上にシートを敷いて、あぐらをかいて座った大河に、抱っこされるようにして、首の後ろを絞ったタオルで冷やして貰っていた。 「大丈夫?」 「たいしたことないさ。今、薬飲ませたからすぐ良くなる。」 「うん。そうだね。」 唯は、赤ん坊のように大河の胸に目を閉じて抱かれている、玲奈の愛らしさに微笑んだ。 「お前等は気にせず、遊んでていいぞ。ルルもレイドもずっと我慢してて大変だったしな。」 「そっか。じゃぁ、任せるよ。」 「ああ。」 大河は玲奈の背中を優しくさすりながら頷いた。 唯が犬達に持ってきたフリスビーをキャッチさせると、彩香は、 「わぁ、すごい、すごい。」 と嬉しそうな歓声をあげた。 草原の開放感か、犬好きな性格が前面に出ているのか、普段とは見違えるほど明るく元気な声を出している。 彩香の犬についての知識もかなりなもので、唯が教えられることもあった。 唯が彩香にもフリスビーを投げるように勧めると、 「いいんですか?」 と目を輝かせた。 「ルル。・・レイド。・・・お願い、キャッチしてね。」 そう言って彩香が投げたフリスビーは綺麗な飛行を見せた。 考えてみれば、ずっとゴールデンレトリバーを飼っていたのだから、フリスビーで遊んだ経験もあって当然だった。 二匹は競うようにキャッチし、シッポを振って得意げに戻ってきた。 特にレイドがキャッチした時の鼻高々といった様子に、 「思い切り正直な子だなぁ。これが大河だと、持ってきてやった、って顔をするんだよ。」 と教えると、 「そうなのぉ?」 と彩香が目を丸くした。 唯と彩香は、もう一度レイドを見てから顔を見合わせて、お互いに声を出して笑った。 「おーい。二人だけで盛り上がるなよ。」 と、声がしたので振り返ると、大河と玲奈が笑顔で立っていた。 「あ、玲奈ちゃん。もう良くなった?」 唯が駆け寄って微笑むと、玲奈は恥ずかしそうに頷いた。 彩香も少し遅れて、息をきらせながら走ってきた。 「良かった。これで、玲奈も一緒に遊べるね。」 彩香も笑顔でそう言うと、二匹の犬を振り返った。 いつもなら先を争って走ってくる犬が、不思議なことにゆっくり歩いてくる。 「ん?・・・どうしたんだ?・・・ルル、早くおいで。レイドもモタモタするなよ。」 大河が呼ぶと、二匹は早足になって側にきた。 唯の表情が一瞬戸惑って、ぎこちない笑みを浮かべた。 大河も驚いた顔をしたが、気を取り直して、 「俺の彼女を紹介してやるぜ。有り難く思えよ。」 と、わざと明るい調子で言った。 玲奈は、 「こんにちはぁ。車ではずっと一緒だったけどぉ、改めてよろしくね。」 と、腰を屈めて笑顔を向けた。 だが、ルルはシッポをピタッと動かすのをやめ、そっぽを向いていたのだ。 レイドは、ルルの様子に異変を感じているようで、近付いた玲奈に呻り声をあげた。 そうなのだ。 唯も大河も二匹の様子に驚いてしまったのだ。 ルルがここまで玲奈を警戒する理由がわからなかった。 ルルは普段とても穏やかな犬で、初対面の相手でも、取り敢えずは愛想笑いをするほど気配りをする子だった。 大河は、 「何だぁ?・・・おいおい、ルル。嫉妬するなよなぁ。」 と明るく言ってみせ、玲奈にも、 「彼女って紹介したのがマズかったみたいだな。」 と、苦笑してみせた。 玲奈はあどけなく、 「えー・・・犬にまで嫉妬されちゃったのぉ?」 と、頬を膨らませ、拗ねた目を大河に向けた。 「せっかく仲良くしようと、楽しみにしてたのになぁ。」 玲奈はいかにも残念そうに言ってから、 「あ・・・でも、ウチって猫を飼ってるから・・・その臭いがついてるのかも・・・」 と、小首を傾げて言った。 「ああ、それもあるかもね。犬って嗅覚が鋭いから。」 唯もフォローするように言って、慰めるように微笑んだ。 「玲奈もまだ足元がフラついてるし、その辺でも散策してくるわ。」 大河はそう言って、玲奈と手を繋いでやり、こんもりと繁った森の方へと歩いていった。 しばらく木立の間を歩いていたが、 「大河・・・?」 と、玲奈が不安そうな声で呼びかけた。 「ちょっと二人だけの時間が欲しくなってな。」 立ち止まった大河は玲奈を胸に抱き寄せた。 それから、唇を重ねて、ゆっくりと舌を絡めた。 玲奈はすぐに素直に応えて、舌を吸ってくる。 スカートをたくし上げ、ショーツに手を滑り込ませても、しがみついて夢中で大河の口を吸う。 「ぁぁ、、、ぁぁん、、、あふっ、、、」 キスをしながら、感じてる玲奈の声が洩れる。 大河は玲奈にショーツを脱がせると太そうな木立の所まで誘い、ズボンの前をはだけた。 「・・・あ・・・大河・・・」 「今、無性にお前が欲しい。」 再び大河に熱いキスをされて、 「あ、、、ぁん、、、玲奈も、、、欲しい、、、」 と答えていた。 大河は木立に玲奈の背中を押しつけるようにして、腰を抱え上げると、固く勃起した肉棒を突き立てた。 「あぁぁぁ、、、ぁぁ、、、大河ぁ、、、ぁぁん、、、」 玲奈は足を大河の腰の絡ませる。 大河は抉るように、深く、深く、突き上げた。 木立がユサユサと揺れ、周囲に潜んでいた鳥が羽音を響かせ、飛び立っていく。 「はぁ、、ぁぁぁ、、、大河ぁ、、、大好きぃ、、、ぁぁぁん、、、」 大河は息遣いだけ荒く、黙ったまま、激しく腰を動かしている。 「あぁぁ、、、あぁん、、、ああぁぁぁ、、、」 玲奈のよがり声が切なく森に響く。 お互いの息遣いと、グチュグチュと蜜を飛ばすように突き上げられる音が、静寂の中に続く。 「あぁ、、あぁ、、気持ちいいぃぃ、、、イク、、イクゥ、、イクゥゥゥーーー、、、」 玲奈が仰け反って体を痙攣させる。 大河は玲奈の興奮が落ち着くのを待ってやった。 それから玲奈に、まだ放出していない勃起したままの男根をくわさせ、フェラチオで玲奈の口の中に射精した。 お互いの乱れた服装を整えてから、大河はしばらく玲奈を胸に抱き締めてやっていた。 髪を撫で、頬を愛撫し、キスをして見つめる。 そんないつも以上に優しい大河に、玲奈は戸惑いながらも、疼く秘部の熱さにうっとりと浸っていた。 まだ、乳首が痛いほどに固く突起していた。 大河は玲奈のブラウスのボタンを二つ外して、手を滑り込ませると、乳首を摘んで揉んでやった。 「ぁ、、、ん、、、ん、、、」 玲奈がまた切なそうな声を漏らす。 大河はキスをしてやりながら、左右両方の乳首の愛撫を続けた。 玲奈は体を悶えさせて、大河の股間に体を擦りつける。 「・・・もっと俺が欲しいのか?」 大河が耳元に囁くと、 「・・うん、、、欲しいのぉ、、、」 と、甘えて身悶えた。 「今度はもっと激しくするぞ?」 「うん、、、激しくしてぇ、、、」 玲奈はもう我慢出来ないとばかりに跪き、自分で大河のズボンの前をはだけて、男根を掴み出すと、しゃぶりついた。 大河は玲奈の髪を撫でながら好きにさせていたが、 「抱いてやるから・・・おいで。」 と立ち上がらせた。 そして、木に掴まってお尻を突き出させると、 「しっかりしがみついてろよ。」 と言って、後ろから肉棒を捻り込ませた。 大河も片腕を木立に伸ばし、片手を玲奈の腰に添えて、激しく突き上げた。 「あぁぁぁ、、ぁぁ、、、いいぃぃぃ、、、感じちゃうぅぅぅ、、、ああぁぁん、、、」 玲奈はさっきよりも大胆によがり声をあげ続ける。 剥き出しになった下半身が、じっとりと汗ばみ、ひんやりとした風に晒されるのが心地よく、擦られる膣の熱さを際立たせている。 蜜が溢れ太腿をつたい、大河の肌とぶつかってピチャピチャと音を立てる。 溢れる蜜を思い切り飛ばしながら、激しいピストン運動が続く。 「あぁぁ、、ああぁぁ、、、んん、、、あああぁぁ、、、」 玲奈の甘い声が響き渡る。 感じて体の感覚が一点に集中しすぎて玲奈がバランスを崩す。 大河がそれを支えてやって、木に抱きつく玲奈を背中から抱いてやる。 玲奈は時々仰け反っては大河に体重をかけてくる。 玲奈自身も堪らない様子で腰を振っている。 「あぁん、、、ああぁん、、、どうにかなっちゃうぅぅ、、、」 大河は黙ったまま、玲奈の首筋にきつく吸い付き赤い痣をつけた。 「あぁぁぁ、、、いってぇぇ、、、大河もぉぉ、、、あぁぁぁー、、、」 大河は腰を振動させるようにして、深く突き刺さった男根を奥深く震わせた。 「あぁぁぁぁぁぁぁ、、、、ああぁぁぁぁぁぁ、、、あああーーー!!」 玲奈は髪を振り乱し、体中を痙攣させて、大河の腕の中で失神した。 意識を戻した玲奈は切り株に座った大河の膝の上で抱っこされていた。 「大河ぁ・・・愛してるぅ・・・」 玲奈は大河の胸に顔を埋めて、幸せに満たされた涙を流した。 大河は何も答えず、そっと抱き締め、頬ずりをしてやった。 「・・・大河・・・?」 こんなに無口な大河は初めてのような気がした玲奈が、顔をあげて首を傾げた。 「落ち着いたら、戻ろう。かなり時間が経ってしまったから、心配しているかも知れないからね。」 大河は優しく言うと、涙を吸うように頬にキスをした。 玲奈はこんなに優しい大河も初めての気がした。 だが、何故か怖くて、その理由が聞けなかった。 大河が玲奈の肩を抱いて車に戻ると、唯と彩香がシートに座って水筒のコーヒーを飲みながら談笑していた。 そしてルルは唯の膝に、レイドは彩香の膝に頭を乗せて、気持ちよさそうに寝そべっていた。 「お帰りー。」 唯が笑顔で迎え、 「風が冷えてきただろ?寒くなかった?」 と、言って、熱いコーヒーを渡してくれた。 大河は零さないようにと注意して玲奈に持たせてやり、自分も受け取って息を吹きながら啜った。 「そろそろ帰らないとな。」 「そうだね。」 唯は普通に答えて穏やかに微笑んでいたが、彩香は顔を伏せて目を合わせないようにしている。 その様子からすると、二人の耳にも玲奈のよがり声が届いていたようだ。 と、いうより、陶酔から醒めきらず逆上せた顔の玲奈を見れば、一目瞭然だった。 帰りの道中はみんなあまり会話もなく、途中寄ったドライブインでも、唯と大河が買い物をしてくる間、玲奈と彩香の間に言葉が交わされることはなかった。 都内に入って、夕食を誘ったが、彩香が遅くなるからと辞退したので、玲奈も帰ると言い、二人を送った後、そのままマンションに戻った。 マンションに戻った大河は、覚悟を決めて拓磨に電話した。 ルルが玲奈を警戒していたことを報告する為だ。 ルルが嫉妬などで反応するはずがない。 まして猫の臭いなど関係なかった。 理由はわからない。 わからないが、警戒するだけの理由があるはずだった。 そのことを報告すると、 「わかりました。調査してみましょう。結果がわかるまで、充分注意してください。」 と、拓磨も警戒して言ってきた。 ルルのことを一番理解している拓磨がそう言う以上、何かがあるのだ。 大河は電話の後、ソファーに座って項垂れていた。 唯が大河の隣りに座って、そっと背中をさすった。 「・・・済まん。」 大河が呻くように言うと、 「何謝ってるんだよ。大河は何も悪くないって。・・・それより、何でもないことを期待しよう。」 と、唯自身も辛そうに言った。 「・・・ああ・・・そう祈りたいよ。」 大河は顔を覆い、深い溜息を吐きだした。 |
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<15> 「来客」 |
<15>「来客」 月曜日。 唯と大河は大学には行かなかった。 拓磨の調査結果を聞くまでは、玲奈にどんな態度を取ればいいのか、わからなかったからだ。 いつもより長めに散歩をして帰っても、食事時間が少し遅くなる程度で、何も変わらない。 重苦しい空気に会話も途切れ途切れになってしまう。 「スポーツセンターでも行くか?」 大河が気晴らしに、と言ってみるが、唯が答える前に、 「って、大学に近すぎるよな。・・・学生の利用も多いし・・・あそこまで行って、大学を休んでたら変に思われちまうぜ。」 と、自分で結論を出す。 唯が、 「国立図書館でも行ってみる?あそこならかなり有意義に過ごせるよ?」 と、誘うが、大河はうろんな眼差しを向けるだけだった。 (何でこんな時まで本に囓りついてなきゃなんねぇんだ。) そう思っても、唯自身が学ぶことに全力投球することで、苦しみ悶える心を滅却してきたことを思うと、文句を言えなくなる。 苛ついているのが自分でわかるだけに、大河は自分が何か言葉を発せば、唯を傷つけそうで余計何も言えなくなっていた。 考えてみると、唯が何かに没頭しなければいられなかった理由もそこにあるのかも知れない。 ・・・相手を思うほどに距離を置いてしまう。 (もしかして・・・総統もそうだったのか?・・・そして、拓磨さんも?・・・冬馬さんも?・・・いずれは俺もそうなるのか?) 大河は舌打ちをすると、自分の部屋に引き篭もってしまった。 ドアを閉める時、一瞬、唯の悲しげな微笑みが目に映った。 (俺が苛立つほど、唯は自分を責めてしまうだろう。こうした態度も唯を辛くさせるだけだ。) そうわかっていても、勝手に飛び出す言葉で唯の心を切り裂いてしまうよりはマシに思えた。 (くっそぉー!何もしてないと、悩み惑い藻掻く心が闇に囚われそうになるぜ。) (ああ・・・そうなんだ。神経を研ぎ澄ましていないと、混沌とした闇に取り込まれちまう。だから唯は・・・) (だが、俺には唯みたいなマネは出来ねぇよ。心頭滅却する前に、理性がぶっ飛んじまうぜ。) (・・・そうなったら・・・また唯を泣かせちまう。) 大河は午前中いっぱい部屋から出て来なかった。 唯が昼食を用意して待っていると、やっと部屋から出てきたが、すでに出掛ける支度をしていて、唯が食事を勧めても、 「悪ぃけど、いらねぇわ。」 と言って、出掛けてしまった。 彼女が裏切り者かも知れない、という思いは、どんなに辛いだろう。 そう思うと慰めの言葉一つも浮かばない。 言葉くらいで苦しみを埋められるはずがないのだ。 唯は食べる気力も起こらず、ぼんやりとテーブルを眺めていた。 と、唯の携帯が鳴る。 唯の携帯の番号を知っている人間は片手で足りるほど限定されていた。 大河かと思って相手の表示を見ると、拓磨だった。 「もしもし。唯です。」 ―「唯様。・・・今、どちらですか?」 「自宅です。今日は大学には行かなかったから・・・」 ―「そうですか。まだ、調査中でご報告出来る段階ではないので、もし結果がわかるまで大学へ行き辛いようでしたら、一時こちらへお戻りになりますか?」 「そんなにかかるの?・・・一体何が問題なの?」 ―「唯様に故意に近付く存在があるのは危険です。その目的と関わっている者達の範囲を把握しておかなければなりません。」 「・・・だけど・・・御曹司だってわかったら、故意に近付く人だって現れて当然じゃない。」 ―「詳しくはまだ調査中で、申し上げられませんが・・・大河が玲奈という女性と出会った時期をお考えください。」 「確か・・大学説明会の時だって・・・俺は出なかったけど・・・」 ―「そうです。その時点で唯様のご入学を知っていた者は極わずかなのです。・・・おわかりですね?どれほど用意周到に仕組まれているか。・・・どこから情報が漏れたのかも調べる必要があります。」 「だけど・・・玲奈ちゃんが大河に故意に近付いたとしても、彼女に何が出来るっていうの?・・・そんな悪い子じゃないよ。」 ―「これ以上は電話では説明出来ません。・・・大河はどこですか?」 「あ・・・今、ちょっと出掛けてるけど・・・」 ―「・・・困った奴だ。」 「大河を責めないでよ。今、一番辛いのは大河なんだから。」 ―「・・・唯様・・・」 拓磨の困ったような溜息が聞こえる。 「ごめんなさい。・・・でも・・・大河を責めないで。・・・お願い。」 ―「結果如何では何とも申し上げられません。唯様、私からもお願い致します。あまり大河を甘やかさないでください。」 「甘えてるのは俺の方だよ。」 ―「唯様・・・今、目の前にいらしたら、抱き締めて差し上げられるのに・・・どうか、一度お戻りください。」 「・・・大河が帰ったら、相談してみます。」 ―「仕方ありませんね。では、また夜にかけ直しましょう。それまで、どうか唯様は外出なさらないようにしてください。」 「・・・はい。」 唯は通話を切ると、冷え切った料理を食べ始めた。 ルルとレイドは部屋の隅で、呼ばれるまで待っているようだった。 唯は半分ほどで食事を切り上げると、午後の時間を使って、丹念にルルとレイドのお手入れをしてやった。 磨き上げた二匹の黒い体は絹のような光沢を放っていた。 唯は優しく微笑みながら、 「みんなの所に戻りたいかい?・・・ごめんね。今戻ったら、大河をもっと傷つけてしまうようで、ここを動けないんだ。」 と、済まなそうに二匹を撫でた。 ルルとレイドは体を擦り寄せて、唯の頬を舐めた。 唯には二匹の温もりが嬉しかった。 その日、大河はかなり遅くなってからマンションに戻ってきた。 それで拓磨が二度目に電話をかけてきた時にも、大河の留守を咎められてしまった。 「今日、拓磨さんから電話があったんだよ。」 玄関から上がるとそのまま自分の部屋へ行こうとしていた大河を呼び止めて、唯が言った。 「ああ。俺にもあったぜ。・・つーか、さっきまで電源切ってたのに気付かなくてさ、車止めてから気付いて電源入れたら、いきなり大目玉さ。ずっとかけ続けてたのかね?・・まいったぜ。」 「俺も何度か、かけたけど・・・心配したんだよ。」 「そっか。・・悪かったな。俺は大丈夫さ。気にするな。」 どこか素っ気ない大河の言い方だった。 余程きつい小言を言われて落ち込んでいるのだろうか。 「外出しないようにって言われてたから、夕方の散歩してやれなかったんだ。」 玲奈の話題は避けて言うと、 「へぇ・・・やっぱり拓磨さんの言うことはちゃんと聞くんだなぁ。俺がいくら言っても聞かないのにさ。」 と、突き放すように言って、 「疲れてるから、もう休むわ。・・お休み。」 と、自分の部屋に入ってしまった。 一体どうしたというのか、自分が何か悪かったのか、わからないまま、唯は唯で自分の部屋へと引き上げた。 翌朝の散歩には大河も付き合ったが、河原で犬達と遊ぶことはなかった。 玲奈との関係が壊れかけている原因になった二匹が許せないのだろうか。 ほとんど会話をしない大河は、散歩から戻ってシャワーを浴びると、食事当番も放棄して着替えを済ませ、また何処かへ出掛けてしまった。 唯は昨日作った残り物で食事を済ませると、アメリカから取り寄せた本を読み始めた。 取り寄せた数十冊の本が唯の部屋にはズラリと並んでいる。 1週間くらいなら、まだ読む分はあるだろう。 それ以上この状態が続くようだと、読み切ってしまい、何をしていいかわからなくなりそうだ。 唯にとって本は、荒れ狂う海で漂いながらしがみついている小舟のようなものだった。 来客を告げるチャイムが鳴った。 マンションの入り口ではなく、直接部屋の玄関のチャイムが鳴ったのだ。 誰だろう? 唯が玄関へ向かうとルルとレイドもついてくるが、二匹ともシッポを振っている。 「坊ちゃま。」 玄関を開けると、冬馬が恭しく頭を下げた。 「冬馬さん?・・・どうしたの?」 「どうもこうも、ちょっと大河の奴を締め上げてやろうと思いましてね。」 「えー・・・だったら、入れてやらない。」 唯は玄関のドアを閉めようとする。 「あ・・あ・・冗談ですって・・・」 冬馬が慌てた顔をしたので、唯はニッコリ笑みを浮かべ、 「俺も冗談だよ。」 と、クスクス笑いながら冬馬を部屋に招き入れた。 「冬馬さんが来てくれて良かったかも。俺じゃ大河の心のフォローがしてやれなくって。」 「一応、悩みくらいは聞いてやりますが・・・俺をここへ来るように指示したのは拓磨さんですよ。そのことをお忘れなく。」 「わかってる。だから、余計ホッとしたんだ。冬馬さんを寄越すってことは、拓磨さんもまだ大河を見離してる訳じゃないんだなぁって。」 「坊ちゃまが悲しまれることを一番心配されてます。それに、私が伺った理由は大河のことだけでなく、坊ちゃまの生活に支障がないようにする為です。」 「もう子供じゃないんだから・・・一人でも大丈夫なのになぁ。」 「ほう。・・・坊ちゃまがもう大人だと仰られるなら、いつでも後を継がれることが出来て頼もしい限りですな。」 冬馬が片眉を少しあげて、唯を斜に見ながら頷いた。 その表情にはからかいの色があった。 「・・・う・・・まだ、子供でいいよ。」 「ハハハッ。何だ、そうなんですか?残念だなぁ。」 冬馬が明るい声で笑った。 その温かさに唯の張り詰めていた気持ちが和んでいく。 大河もきっと喜ぶだろう。 「ライラ、リガロ、ロイは元気にしてる?」 「毎日元気に森を駆け回ってますよ。特にロイはルルの分まで頑張ろうと張り切っているようです。」 「へぇ?そうなんだぁ。ふふっ、可愛いなぁ。」 唯にとっても冬馬は頼もしい兄貴だった。 唯の明るい声にルルとレイドも嬉しそうで、めいっぱいシッポを振って冬馬にすり寄った。 「よしよし。ルルもレイドも元気そうだな。」 「今朝も大河はちゃんと散歩してやってたんだよ。」 「仲良くなれましたか?」 「もう、ルルとは親子のように。クックッ。」 「アハハッ。ルルが息子のように庇ってるんですね?」 「・・・かな?」 唯も声を出して笑った。 この後、冬馬は唯の入れたコーヒーでくつろいでいたが、トイレに立って爆笑した。 聞こえてくる笑い声に、唯が、 「え?どうしたの?」 と、覗くと、 「いや・・・クククッ・・・ちょっと脅しが効きすぎたかと・・・」 と、笑いが納まらない冬馬が苦しそうに腹を抱えていた。 どうやら大河の取り付けた脱衣場前の柵が、冬馬の笑いのツボにはまってしまったらしい。 唯は訳がわからずキョトンとしていたが、この冬馬がいてくれれば大河も大丈夫だ、と確信して嬉しくなり、つられるように笑みをこぼした。 |
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