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エッセイ

■天動説 TOPへ

昔の私。苛めのこと。

 この手の文章は巷にあふれていて、私はそれの一部を読むのが苦手だ。
 正直に書いてくれているのは伝わるし、その気持ちに感謝する。だけど各々の辛さや気持ちが正直に書かれてあればあるほど、読んでいて辛くなる。
「あなたも辛かっただろうけど、あなたの至らなかった部分は、もっと沢山の人を傷つけただろうよ」
 と思うのだ。
 実際、私に関しても、きっと私が「辛かった」と言う以上に、私が居ることで壊れてしまった”場”や不愉快だった人、私が迷惑をかけた人、私が傷つけた人が沢山居るのだろう。
  そんな人への「ごめんなさい」を前提に、私の話をしたいと思う。
 
 どの時代でも、苛めや虐待、幼少期のトラウマの自己申告を集めると、掃いて捨てるほどあるのだろう。 このテの「元被害者」というのは、本当に辛い時に一時的に座る席のようなもので、自助努力をした上で、出来るだけ早く立ち去るに越したことがない場所だと思う。今現在それが本当に必要な人は、もっと沢山居るのだろうから、その人が座れるように・・・・・・。それは私が、なかなか守れずにいるポリシーでもあるのだけど、だから"被害者です。トラウマ持ってるんです"という書き方は、したくない。私は、もうとうの昔に大丈夫だから。
 その代わり、終わった事として、情けなさも、当時の奢りも、正直に書いていこう。そこには鼻持ちならない私も、劣った私も加害者になった私も居る。だけど本当の事を。些細な苛めと、「こういう道を辿った人も居るのだ」という証に。

 私は子供の頃、苛めに遭い、小学校から高校まで「触れてもらえない人」だった。高校時代で苛めとは縁が切れたが、その呪縛から解き放たれ、本当の意味で自由になるには10年近くかかった。
 苛められっ子は性格が悪くなるとか拗ねるとか、色んな事が言われていた。苛められている当時の私は、苛め側に対しての「私ならそんな事しない」という想いのせいで、とても優しくて真面目な良い子だったと思う。そして「私は苛められても歪んでいない」というのを誇りにしていた。だけど、その性格の良さというのは、自分を傷つけた人間を支えにしたツッパリでしかなく、本当に苛めの環境から抜けて、その記憶が薄れて自由になった時、私には優しさや性格以前に絶対的な対人経験の不足だけが残り、それはどうやって他人と付き合って良いのかさえ分からない自分だった。何故なら多くの人が子供時代の人格形成期に経験する多くの事を、私は経験していなかったからだ。みんなと一緒に遊ぶ事、他人と対等に付き合う事、自分の意見を分かってもらう手法。相手を責めたり、拗ねたりせず、楽しみを共有する方法。

 苛められっ子時代が終わっても、対人経験の少ない私は、ある意味個性的で目立った。最初は自分を被害者側の辛さが理解出来る優しい偉い人間だと思い、普通に育って来た人を無神経な奴よと見下した。"被"差別にせよ、ずっと"特別"が私のポジションであり、差別こそが刷り込まれた他人との関係の持ち方だった。
 それでも、時間が経つにつれて、その中から少しづつ、好きな物や人が見つかった。好きな物達のいくつかは、淋しかった私が無理矢理理想を押しつけて、自分の人生に添える華にしようとしていただけで、それは何人かの相手を傷つけてしまった。
 "否定"とは食わず嫌いに似た、閉ざされた壁だ。少しずつ増えていった「好きな物」は私の中に積もり積もった壁を少しづつ取り去ってくれた。
 そして慣れたフリをしてコワゴワと、周りに合わせて人の輪に入る。そうして、自分と他人が似た材料で出来ている事、決して軽く扱ってはならない"他人"というものを知る。苛められっ子の呪縛から自由になるまでに私が要した時間、10年近くというのは、この辺までの時間だ。

 10年という時間には、私の要領の悪さも含まれるのだが、モノを考えるベースの自我さえ出来ていなかった幼い自分は、とても長い回り道をした。歪みまくった気持ちの中で、無理矢理悪者を作り上げて自己肯定をしたり、手近な救いを求めて他人に偶像を押しつけたり、回り道ばかりした。・・・・・・苛められた時間が長すぎたので、気が付いたらいつも被害者になるという思考回路の悪循環が出来ている。良い形で付き合えるであろう相手でも、悪い所を探しだし、それに備えて防御し、それは結果的に悪意のない人間を仮想敵に仕立てあげる事になった。被害妄想という奴だ。
 子供時代の私に向けられた「嫌い」という感情は、どこへ行っても何故か逃れられない理不尽なものだったので、私が武装するには幼い正論しかなかった。正論でごり押しをし、無茶を言い続けた時代もある。対人関係を生身の人間相手に学習する機会が少なかったから私の頭にあるのは理想ばかりで、現実というものとの付き合い方、地に足をつけたやり方が分からず、人と丸くやっていけないのを色んなもののせいにして、そこでまた堂々巡りが始まる。そしていつも自分だけが間違っている気がした。 
 

小学生。

 具体的に私がどんな子供時代を送ったかというと、小学校中学校の私は両親との折り合いも悪く、内面的にはいつも脅えて混乱している子だった。高校の私はハッキリと差別され、精神的に大人だったクラスメイトからも、やんわりと無視されていた子だった。自分の未来について想像したり備えたり出来ようもなく、「私が話しかけても嫌がらない」「挨拶をしたら返事してくれる」「苛めないで欲しい」などの普通の生活だけを、一日24時間、ずっとずっと夢見続けている子供だった。 

 その頃私が学校で受けた苛めというと、言葉の暴力や、仲間はずれ、私物を隠される事、隣りの席に座って貰えない事、普通に喋って貰えない事、クラスメイトを好きになっても苛められているから言い出せない事・・・・・・今の苛めから考えると随分ノドカな話だ。
 振り返ってみると私は"何かをされた"という事よりも、"疎外された"、"みんなの歩みに、ついてゆけなかった"という事に振り回されていたようだ。そして当時私が一番恐かったのは親に自分が苛められているとバレる事で、運動会や授業参観などの校内行事が怖かった。本気で嫌だったのに、私の神経は丈夫だったらしく、発熱や腹痛は起こってくれなかった。

 自分が苛められていた本当の原因は、子供だった当時でさえ朧気に分かっていた。
 「私が劣った子だから」。今になって思う理由は「私が遅咲きだったから」「幼稚園からのお受験組で、早咲きな子に囲まれていたから」。

 小学校低学年の頃の自分を思い返すと、私は恐ろしい劣等生だったと思う。蓄膿症で鼻は悪かったし、そのせいか注意力散漫な子供だった。前日に何度も持ち物をチェックをしても、学校へ着くと何かしら忘れ物があった。よく物をなくす子で、ほぼ毎日、プリントやら教科書やら何かをなくして何時間も泣きながら探していた。今さっき置いた筈のものが、もうなくなっている・・・・・・子供の頃の自分は、「自分の隣りには意地の悪い何かが居て、ずっと私に意地悪をしているのだ」という空想のイキモノを飼っていた。
 風邪なんかひかなくても、冬の日は完全に「ん」が発音出来なくなるので、喋るのも鬱陶しかった。
 子供の頃は、背が低かったので、それをネタに苛められた。しかし私より小柄な子も居たので、小柄だったから苛められたわけではないと思う。私は生まれつき目立つ程のチャパツでホウキ頭だった。別の学年の知らない子からも「不良」と目をつけられ、髪を引っ張られたりしたが、それは私が苛められるような性格になったキッカケではあっても、苛る側にしたら苛める口実に過ぎなかったと思う。

 高学年になってからも暗記が苦手な子だったので、社会科の成績はビリに近かった。物の形を覚えるのが苦手なようで、地図も覚えられなかったし、図画の授業では、随分大きくなるまで平気で「他の4本と同じ位置から親指が生えている手」や、「猫と同じ大きさの小鳥」を描いていて、親呼び出しも食らっていた。その分、得意教科はとても得意だったので、辛うじて「頭の悪い子」というレッテルは貼られずに済んでいた。

 小学校時代の成績表は、本人の物ではなく親の教育の成績表だと言うが、それ以外の要素も多分にあると思う。子供の頃からクラスで一番を取れる子というのは、やはりそれなりの才能やカンがある子が多い。仮に少し早咲きだっただけだとしても、それらの子は自信や「出来る」という評価の後についてくるものを手に入れている。早熟故に身を持ち崩すというのもよくある話だが、早熟さも、あるに越した事はない立派な”ポイント”・・・お金のようなものだ。
 小さい学校だったのに、絵や習字の大きいコンクールで入賞する子や、音楽の作曲の授業で先生すら弾けないような曲を作ってしまう子がザラに居た。周囲の子供がプラス点数を競う中、私は大抵の事がマイナスだった。

 そんな風に、私の小学生時代は、とても情けないものだった。私の親も私以上に辛かったと思うし、とても悲観的になっていた。せめてある程度の年齢になって、自分の行動を冷静に考える事が出来るようになってからの事なら、反省出来る事は山ほどある。けれど、私は、まるで意図して身内を困らせるべく生まれてきたかのように、物心がつく前から、身内の頭を悩ませてきた。

 子供時代に劣っているということは、本人にも身内にも悲しい事だと思う。今の社会で遅咲きの子供は、最も無力で無防備な人格形成期の大事な時間・・・・・一日一日が大人の何倍にも感じるような長い時間を、辛い想いで過ごさなくてはならない。私はお人好しで、性格の良い子だったと思うのだが、遊び友達の母親の幾人からは苛められた。苛めない人でも私を区別した。誰だってバカは嫌いだろうし、出来れば自分の子供とは付き合ってほしくなかったのだろう。 子供時代は、まだ本人の気性や努力で差をつけるだけの時間を経ていないので、生まれ持ったものの差がつきやすい。若い頃に重宝されるのは、早熟さを含めた先天的な能力なのだと思う。

 小さい町なので、あの時私を苛めてた子が今どうしてるか、時々耳に入る。「あの子の家はねぇ」と、公然の秘密になっていた彼らの子供時代の環境も聞く。苛めの中心に立っていた子の殆どは、家庭環境のギスギスした子で、今も同じような家庭を築いている。しかし私と同じように親との相性が悪かった子供でも、苛めに回る側と、苛められっ子になってしまう側に分かれるというのは、生まれ持った資質の差というものを否めない。
 今でもよく想像する。各々の人間にも動物のような"イキモノ"として強さ弱さがあり、人間特有の社会構造で、「人間は平等だ。人間は努力だ。人間は金だ」等々の価値観に目眩ましされているが、このイキモノとしての力も決して無視出来ないのだ・・・・・・と。苛められっ子だった私は、きっと野生動物だったなら真っ先に淘汰されている"弱いイキモノ"なのであろう。人間も動物で、苛めとは、そういう単純な事なんだ。今、私が生きて、考えられるということは、人間だからなんだ。人間で、よかった・・・・・・と。

中学生。

 中学受験をした。運良く合格し、紛れ込んだ学校のクラスメイトには、当時有名だったアイドルの名前を知らない子供も居た。今で言えば受験勉強でテレビを見せて貰えず、スマップやモー娘。を知らない中学一年生みたいなモノだ。
 今になると分かる。 自分が小学生の身空で死ぬ程勉強して入った学校に、どういうワケかアメリカとイギリスが陸続きだと思ってるようなバカが紛れ込んでいたら、努力した子ほど許せないし苛めるだろう。

 中学に上がった頃は、受験後だったのと、親の干渉が薄くなった嬉しさから、やたらチャラチャラした子になってしまっていた。授業中に髪をいらいたおす。小学校の頃の私は、茶色いバサバサの髪質がだらしなく見えないように、男の子のような超ショートか、頭にキッチリ編み込む形にされいてて、それは自分が見ても滑稽で、苛めの材料だったからだ。一頻り遊ぶと憑き物が落ちたように普通に戻ったが、私が今までの人生の中、一番髪型や見てくれに念入りだったのは、この頃だった。 そして、「苛められっ子故の歪み」が出て来たのも、この辺りからだった。
 友達が少なかったせいか他人の気持ちというものが分かりにくく、その場の雰囲気に合わない事を沢山言った。そして自分が居ても良いスペースを無理矢理作り出す為に、歪んだ物の考え方をするようになっていた。処世術に於いては、全くの無知だった。

 入学して3ヶ月ほど経った頃、世界地理のおじいさん先生に資料室の掃除を頼まれて昼を奢ってもらった時「やっと言葉が柔らかくなったね。この学校の新入生は、入学したての頃、とても攻撃的で荒れてるいる。疲れていたんだね」と言われ、大泣きしてしまった。疲れていた自覚はなく先生の言う事は見当違いだと思ったが、親とも上手くいかず学校でも苛めに遭って、殆ど味方が居なかった自分が優しくしてもらえた・・・それだけで、滅茶苦茶に泣けてきた。当時好きだった先生や、クラスメイトを想い出す。それらは殆どが、自分に甘くしてくれた人、自分を責めなかった人。自分に優しくしてくれる人なら、誰でも好きになってしまう程、私の周囲には人が居なかった。

 中でも一番折り合いの悪かった中学生時代の担任が、三者面談の時の長い長い説教の最後に「だけどこの子は、何を言われても図太く生きていきますよ」と吐き捨てたのを覚えている。大人になって色んな人と仕事や共同作業をするようになると、確かに「何を言われても自分を逃がす事が出来る人種」というのは存在して、苛立ちと共に他人にその言葉をぶつけそうになる時、「自分もあの先生にとっては、そうだったのだな」と思う。そのテの図太さには何種類もあるが、自信やズルさではなく経験の欠落故のものもある。私のズルさに見えたものの内訳は、物心ついた時から叱られる事についてパンチドランカーになっている私に、何を言っても無駄で、その事を自覚するだけの経験も、まだ積んでいなかった・・・・・・加えてずっと「駄目だ駄目だ」と言われてきた私には、自分を量る秤と世間一般の秤に接点がなさすぎたという事だと思う。
 その担任の先生には、一挙一動"悪い"と言われ、どこがどう悪いのかあまりにも掴み所がなく、本気で悩んだ。友達も少なく、親にも相談出来なかったので、図書館へ行った。"生きていて悪い人間は居ない"だとか"好かれる人"だとか、そんなタイトルの本を読み漁ったが、対象年齢もシチュエーションも大幅に違うらしく、自分と結びつけようとする程、妙な方向に逸れていった。「全てが悪い自分」に、自分の修正など出来る筈がない。自分の中の何を拠点にするか、自分の中のどの考えを頼りにしていいかすら分からなかった。学校近くのお寺の住職さんに相談しに行った記憶もあるが、あまり取り合って貰えなかった。本人が10数年も悩み抜いて解決しなければならなかったような大きな相談に、一度悩みを持ちかけられたくらいで安易に応えなかった住職さんの反応というのは至極マトモだと思う。暗雲が晴れるような一言なんて、そんなの奇跡でしかない。今考えると穴を掘って入りたい。

 甘え臭く聞こえるかも知れないが、あの頃の自分や、自分に似た幼い図太さを持つ人間を、「成長する機会を与えられなかった可哀想な子供」だと思う。生まれて初めての対人経験の辺りから、人格形成期である学生時代に普通に扱って貰えなかった、対等な関係を経験出来なかった"苛められっ子"が、普通に成長するというのは大変な事だ。足りない部分を想像で補い、努力は、する。だけど、どうしても努力だけでは身に付かない部分というのが、ある。 私が「ああ、ここが足りなくて、今まで上手くいかなかったんだ」と諸々に気付けたのは、普通の生活を送れるようになって随分してからだ。普通の人扱いしてもらって、みんなと笑顔で行動を共にする事が出来るようになって初めて学んだ事の多さは半端ではない。加えて不条理な子供時代を送ってしまうと、歪んだ人生観や処世術が身についてしまう。それを遡って修正するのはとても大変で時間のかかる事だ。

 同じ学年に、苛めが原因で髪の1/4くらいが抜け落ちてしまった女の子が居た。苛められているだけでも辛いのに、女の子が一見にして分かるほど脱毛するというのは耐えられない事だと思うが、それを更にからかう子も居た。彼女は高校くらいから苛められなくなり、最近結婚した。当時は目立たない子としか思わなかったのだけど、自分が昔の事に囚われていると感じる時、真っ先に想い出すのは彼女の事だった。彼女はどうやって、自由になったのだろう。本当に自由になれたのだろうか。今は苦しんでいないだろうか・・・。
 中学に入学した当初、私が苛めを受けているとまだ知らない男の子が、その子の悪口を言ってきた事があった。「僕があの子の足下に消しゴムを落とした時、拾ってくれなかった。性格が悪い」と。その時私は自分が苛められたくない一心で「そう」としか答えなかった。本当は100も200も意見はあった。性格が悪いから消しゴムを拾わなかったのではない。拾って手渡したら、そこからバイ菌ごっこが始まってしまうから、その消しゴムに触れられなかったのだ。触る事を許して貰っていなかったのだ。私だって、同じシチュエーションで相手の落とした物を拾ってあげて、普通に「ありがとう」と言ってもらう事に、どれだけ憧れたか。確かにそれは、拾わなかった方の性格が悪く見えるだろう。だけどそれは苛められた子にしか分からない事だった。

 普段自分が見ている”現実の世界”というのには、その時その時の気分に応じたフィルターがかかっていて、弛んだ気持ちでいると、そのフィルターは更に雲ってしまう。より深い”現実の世界”に触れる機会というのは、私のような半端者は滅多にない。あらゆる甘え・・・・・・欺瞞や希望的観測や悲観を捨てて、ひたすら素の状態で、全力で世界と向き合える・・・それは現実に対して錨を降ろすような行為で、絶えずフワフワしていた私は、その行為で初めて「歩ける」ようになった。それは「言葉で言い表せないほどの好き」という感情だった。
 自分ではよく分からない、全てが「ダメ」で、ひどく現実との接点が薄い時に、数少ない友人が漫画を貸してくれた。モノローグによって、心理状態が自分の事のようにクリアに分かる物語の中の主人公たちは、とても「生きていて楽しそう」だった。「こんな自分なら、愛する事も出来るんだろう」と思った。物語の主人公達に憧れる一方、フィクションという世界に憧れ、「こんなに綺麗でワクワクする世界を作り出せるようになりたい」「自分の想いを表現したい」と思った。
 何かを求める心は与える行為と比較され、それほど尊くないように受け止められがちだが、本当に欲するというのは人間にとってとてもプラスになる気持ちだと思う。その為なら大抵の事は我慢出来るし、学ぶ姿勢の貪欲さは比べ物にならない。その貪欲さを以て、私の足は、少しだけ”地面”に近づいた。面白い小説を探したりデッサンの練習をしたり、それまでの私の全世界・・・・・・相性の悪かった両親と、自分の通う小さな学校の40人足らずのクラスメイトという、ひどく不自然な世界から逃れ、世界に対して色んな事を本気で知りたいと思い、少しづつ周囲の事が分かり初めるようになった。いつしか私の夢は「普通に扱って欲しい」ではなく、「漫画を描きたい」というものに変わっていた。そんな夢は普通の子供が、学校に上がる前に見る事の出来たものだったろう。

 もうひとつの転機は、高校時代の終わりだった。初めて学校と家以外の世界である予備校に行くようになったある日、予備校で男子学生4、5人のグループから告白をされたのを始め、教師、生徒から妙に大事に扱われ始めたのだ。最初は新手の苛めだと思い、それを好意だと理解してからも、私の中にある苛められっ子の要素に気付いたら、みんな私を苛めるようになると思ったが、その幸せは続いた。私は見た目が他人よりほんの少しだけ良かったようだった。そこに苛められっ子故の謙虚さ、芯の強さ、真面目さが加わって、面白いバランスだったのだろうと思う。幼いころから貼られていた「苛められっ子」のレッテルは続いてたものの、いつの間にか自分でも知らないうちに、私の本体は苛められっ子ではなくなっていたのだ。

 そこからの私は、今までの人生の中で一番笑止千万な時期を過ごす。
 苛められっ子の過去を、どこまで悟られないで、「小さい頃から大事にされて来たので、辛い思いした事ないです」という雰囲気を出せるか、今まで10年以上、心の中に抱き続けた憧れを全て実現させてみようとした。他人に親切にしたりする事さえ許されていなかった私である。それが出来るようになった今、自分の思う最良の方法でどんどん他人と付き合い、どんどん綺麗になり、今まで出来なかった事をどんどんやろうと実行した。要は、自分を磨くと共に、どれだけ沢山の人間から愛されるかということ。ルールは貢がせない事、肉体関係を持たない事。理屈と理想で凝り固まった私にそれらは酷くかっこわるく感じた。
 私のその頃の良い女ぶりの原動力は、今まで堰き止められていた「自己実現の力」。そしていつも、過去私に冷たくした人達を意識していた。その頃の私は、思いやりや暖かい気持ちではなく、野心と復讐心が勝った女性だった。
 私をブスと言った人よりずっと、今の私は綺麗だ。私が苛められていた時にお姫様扱いしてもらっていた子より、今の私はモテる。今、私を好きだと言ってくれる男の子達は、私を菌扱いした男の子達より良い男ばかりだ。今私の周りに居る人達・・・私がつい2,3年前までは他人に触れる事も許して貰えない子だっただなんて思わないでしょう? 記憶の中の苛めっ子の胸ぐらを掴み、「見てみろよ馬鹿野郎!馬鹿野郎!オマエたちはこの私を苛めたんだぞ? オマエたちにその価値があったのか? 見てみろよ!」と問いかける。苛めた側は、とっくにそんな事など忘れているに決まってるのに。・・・・・・それは苛められた時代の記憶に対する生け贄のようなものだった。

 人間の心は三欲に似て、乾いていた感情も、好きなだけ貪れば「もういいや。おなかいっぱい」と思う時が来る。逆に言うと、「心」という形のない物さえも飢えからは逃れようがなく、自由になるには貪るしかなかったのかと昇華出来なかった哀しさを感じる。多くの人から「好き」だと言われていなければ、「特別な一人」でいなければ、自分を磨く手を止めたら、気を抜いたら、即、昔の自分に戻ってしまうような気がしていた。ある程度自分に自信がつき、外界との接点を持てるようになり、社会の中の自分の位置を理解したあたりで、やっと他人からチヤホヤされなくても不安にならない精神状態になれた。もう他人の「好き」を貪らなくても良いか。素の自分でも、やっていけるだろう・・・と、不自然な自分を辞めたのは、22,3になった頃だった。
 今思えば元々不器用な私のする事、見る人が見れば私の幼いツッパリなんて過去を含めて一目瞭然だったのだろう。本人は必死でも私のやる事には、きっと一生、カッコ悪さが付きまとうのだろう。
 このころの自分は「イタい人」ではあるが、努力や向上心はピカイチだった。だけど向上心の余り、甘えだの弱音だの本音だの体力的限界だの、自分の中にある声を無視しすぎて、とても「綺麗事な私」になっていた。そしてそれはとても脆い、「厚みのない私」で、「回りが見えない危険な私」だった。

 そんな風に一見華やかで人懐っこそうな皮を被り、望み通り「今まで辛い想いをした事がない恵まれた人間」だと思われるようになっていた私は、実は同時進行で色んなトラブルを抱え込んでいた。
 18才普通の人デビューというと、男女関係の場数は他人とそう変わらなくとも、友達関係の場数では差がつきすぎていた。男友達と喋る時の数倍、女友達には気を使った。
 1対1、もしくは特別な1人対大勢という関係なら簡単だった。ところが同じフィールドで付き合わなくてはならない「女友達」という関係・・・・・・対等な5人の中の1人、大勢の中の1人という状況に於いてはどう振る舞っていいのか全く分からず、”大勢”に対する苦手意識はどんどん大きくなっていった。会話の流れにどのタイミングで、どの程度口を挟んでいいのか、人の話をどの程度受け止めれば良いのか、どのくらい真面目に、どのくらいいい加減に聞けば良いのかも分からず、まるで面接中かの如く1人でガチガチになってしまったり、みんなで喋って3,4時間、ついぞ一度も口を挟めず、体調の悪いフリをした事も何度か。それでも、自分で思うほど他人は自分の事なんか気にしていないという事実に助けられ、少しの演技で私の足りない部分は気まぐれ、高飛車という全く別の素材にすり替える事が出来た。
 なのに私の心は、安易な方向へ逃げさせてはくれなかった。目立たない程度だったが、首から肩にかけて北野たけしのようにチックが起こるようになり、不整脈に悩まされるようになった。ストレス性の体調不良なら、周囲への抗議の言葉を持たなかった子供時代、あれほど望んでいたのに、今更起こっても遅すぎる。良い大人が自分の精神状態を管理出来なくなるなんて見苦しいだけだ。そんな脆い自分が許せなかった。"大勢"への苦手意識はどんどん強くなり、それは妄想を生んだ。
 私は人混みが恐くなった。地下街の人混みでも、満員電車の中でも、店の賑わいの中でも、自分が嘲りの目で監視されているという妄想、何か自分が間違った事をすればみんなが振り向いて私を指さし笑うだろうという思いこみに発展し、周りからの圧力で押しつぶされそうになり、生活品を買いに店に入るのも恐くなっていた。大勢の中に居ても、講義を受ける、誰かと話す、遊ぶなど、目的の明確な事なら、まだ恐くない。だが大勢の中で何をしても良い時間というのは、自発的に何かをしなくてはいけないので恐かった。何もしなくて良い時は、どんな顔をしていれば良いのだろう、私の選んだ選択肢は禄な結果を生まないだろう、私は頓珍漢な事をやってしまうのだろう。だから電車の中では本を読む。歩いている時は音楽に夢中になる。バイトに勉強にデートに趣味に、精一杯何かに向かっている「フリ」をすることで、巧妙に”大勢”から目を逸らし、横顔で接する。
 そんな風に慣らすしか方法が見つからなかった。

 白い生活と黒い生活。両方が極端なのに、決して混じり合う事がなかった。  
 
 10代後半の女友達・・・・・・自分の事にしか目がいかなくて結構薄情だったりするくせに、誰もが簡単に親友になれ数分で生涯の友情を確立出来たと錯覚してしまう年頃に、私は自分というのを親しい人に伝える時、いつも少し困っていた。「苛めに遭ってた」というと、相手は自分の中にある偏った苛められっ子像と私を照らし合わせ、苛められっ子説を切り捨ててしまう。信じて貰えたとしても、時として「元苛められっ子」に対して微妙な優越感を抱かれたり、妙なイメージを押しつけられたりもする。私を明るい人間だと思ってくれている相手とは、付き合っているうちに私の中の苛められっ子の部分が窒息状態になる。
 かといって、やたら急ピッチな会話の中、長々しい説明やキャラに似合わない言動が歓迎されないのも分かるので、相手によって”元苛められっ子の自分”と、”辛い想いなんかした事のない恵まれた自分”を意図的に使い分ける傾向は強くなった。そして現実での乖離を補うように、私は自分の中の白と黒に名前をつけ、連名での創作活動を始めた。自分の本名に、1人には生きていこうとする自分の姿勢・・・"女"という字を与え、1人には消えてなくなる事を望む"墓"を示す字を与えた。そうやって分けてしまえば、暗い私は存分に暗くなれ、明るい私は存分に明るくなれ、尚かつ混じり合う事が出来た。
 「私の事は、見える通りに解釈してちょうだい」と開き直れるようになった今でも、私は他人を平べったく解釈しようとする人間が苦手だ。

 使い分けで付き合っていた女友達とは、環境が変わると自然に疎遠になった。それはその場を上手くやり過ごす為だけの無難な人格だったから、その場が終わってしまえば疎遠になるのは当然だった。他人を好きになる事が出来るようになってからも、長い間「他人が自分に害意を持っていない」という事を信じる事は出来なかった。信じられないから、過度に気を使う。そして他人と居るのが苦しくなる。きっとその苦しさは相手に伝わり、窮屈な思いをさせていたことだろう。
 それでも徐々に好きな女友達、尊敬出来る人が増えるに従い、「一緒に時間を過ごすからには好意を以て付き合いたい」と思うようになり、そんな相手に嘘をつく事に対して罪悪感と、自分を全て伝えていないという寂しさを感じるようになっていた。加えて本気で付き合うなら「他人」とは大抵、使い分けをした何分の一の薄っぺらい自分で対処出来るような生易しいものでもなかった。全てを伝えるなんて重苦しい事はしなくても、隠すのはやめよう・・・と、自分の使い分けの一部解除をした。自分の使い分けには保身や簡潔性などと数種類の意味があり、そのうちの一つには「ちゃんと理解してくれる人にでないと、私も自分を見せてあげないからね」という、他人に対する無意味な当て付けのような憎しみのようなものが含まれていたのだろう。それを外す事はより自然な人付き合いへの移行だったのだと思う。

 そうして自分の使い分けを辞めてからも、長期間の友人関係の成功率は極端に低かった。
 いつもひとつのパターンがあった。最初は相手に合わせようと無理をする。けれど長い時間付き合っていくと、その無理は相手に対する逆恨みへと逆転する。なまじ打たれ癖がついているので、しなくて良い所で我慢をしてしまう。しかも我慢の自覚がなく、気付く頃には手遅れだった。上手いタイミングで違和感を伝えておけば続いた関係でも、溜め込んでしまうと修復不能になってしまう。本当は、辛い事があっても無理してでも付き合いたいほど大好きだった筈なのに、一瞬を境に「大嫌い」になる。一度相手を嫌いになると、もう許す事が出来ずそれっきりになった・・・何度「許して」と言っても許して貰えなかった自分の何年間のように。
 許されなかった子供時代、私は相手を恨んだりしなかった。ただ素直に「許さない」という行為を「そういうものだ」と学び、自分に行動の自由が与えられた時、それを自然に他人へと向けたのだ。誰とどんな始まり方をしても、何を学んで、どんな楽しみを共有しようと、長い目で見れば、いつも「憎しみ」という形で終止符が打たれた。
 そしてある時気が付くと、一緒に居て一番楽で、何でも話せて、私の気持ちを踏みにじらない友達・・・・・・私が安心して帰る事の出来る場所は、昔からの苛められっ子仲間の中にしかなかった。
 大人になった彼女らが周囲の人間からどう見られているのかは知らない。だけど、少し被害者意識が強く禁句が多く、やたら連帯意識の強い私達の性格・・・苛めが性格にもたらした爪痕は、まだしっかりと残っているのだ。何とも言えない哀しみと同族嫌悪を感じながらも、”誰より幸せになって、自由になって、見返してやろうよ私達”と心の中で何度も誓った。

 それから暫くは、女友達との付き合いに填った。女友達ならではの遊びもとても楽しく、大勢の会話も慣れてくればそれも目新しくて楽しくなったのだが、子供の頃の私に向けられる感情の9割が"嫌い"だったのに似て、私は世の中の9割の人を嫌った。一挙一動"悪い"と言われ、自分の一挙一動が正しいのかどうか延々考え込んだ私は、他人の一挙一動にも考え込み、心の中で厳しい批判を溜めこんでいたようだった。その場では笑っていても、一人になると「死ね」「許さない」「大嫌い」などと攻撃的な独り言が口から出てくる。それらは自分が自覚していた嫌悪感よりもずっと激しいもので、自分で自分の台詞を恐ろしく感じた。
 誰に対して、どの事実に対して私は独り言を言っているのだろうと考える。もう逆境は終わったし、昔私を苛めた人々の事なんか思い出さなくなって久しいのに。
 それは未だによく分からないが、近い答えは大昔から今まで、苛めた相手は勿論の事、苛められるほど出来が悪かった自分、苛められる隙を与えてしまった自分のことが悔しくて「バカバカバカ!」と言っているのだろう。そして言葉が過激になるのは、私が今まで学習してきた語彙と、ずっとずっと溜め込んできたストレス、言い返したくて言えなかった言葉たちによるものだと理解した。理解する事で、今、目の前に居る友達を憎んでいるとか、嫌っているというわけではないのだと自分の気持ちを整理出来た。私の中には憎しみが溢れているけどそれは過去のもので、今現在、憎むべきものは、そんなに存在しないのだと。

 その頃の私には、特に苦手な女友達が居た。彼女は明るく社交的で、非常に要領が良く、私にはそれが「狡さ」に感じられて、許せなかった。彼女の狡さは周囲も感じているらしく、それは本人にも伝わっている筈なのに、そんな中でも態度を変えず屈託なく我意を通せる図太さが憎く、羨ましかった。
 ある時、自分の対極に居ると思っていた彼女から、「あなたには分からないかも知れないけど」と、人付き合いに関する不安感や迷いを打ち明けられた。
 驚いた。あんなに自信満々に見えるこの人だって、他人に対する不安感は持っている。冗談を言う時はウケなかったらどうしようかなんて一抹の不安を持ちながら、少しの事で一日ブルーになったりもする。あんなに羨み、憎んだ人でさえ私と一緒で、しかもこの人にとっては私の方こそ「悩みのない人」だったのだ。自分だけが持っていないと思っていた「自信」というもの、自分だけが持っていると思っていた「不安」というものは、実はみんな似た量しか持っていないのかも知れない・・・随分遅い発見だったが。
 そして彼女に対して「嫌いだ」と態度に出していなくて良かったと思った。きっと嫌いと決めつけて態度に出していれば、彼女は私にそんな悩みを打ち明けてくれなかっただろう。彼女を知るチャンスを与えて貰えなかっただろう。何より、彼女の言葉は、私が自分を救う大きなきっかけを与えてくれた。

 私を救ってくれた発見は
「私は特別なんかじゃないんだよ。誰も私の事なんか見てないんだよ。私は居ても居なくても良いんだよ」。

 だから、もし往来で転んだとしても、その時ちょっと恥ずかしいだけ。大きな間違いをしても、きっとみんな忘れてくれる。慎重に、慎重に、チックが出る程緊張しきって、自分のする事を選ばなくてはいけないという妄想は、「みんな同じ。似た材質で出来てるから」という言葉で、遠くへやってしまう事が出来た。大きな転機だった。
 そして自分が感じている痛みは他人も感じているのだという実感が初めて持てた。自分を計る天秤と、他人を計る天秤が一致したのだ。となると、今までの自分の、自分の痛みにしか目がいかなかった自己中心的な振るまいは、自覚する数より一桁多い人々を踏みにじってきたのだろうと思い逃げ出したくなったが、その発見は進歩だという確信が持てた。よく周囲の人間が、私を許してくれたものだった。
 大勢の中で沈黙が恐くても、その沈黙は自分一人のせいではない。挨拶が上手くいかなくても、握手が上手く出来なくても、言い始めの言葉がかち合っても、自分には人数分の1の責任しかないのだろう。誰だって過ちは冒すのだから、上手くいかせたいという気持ちさえちゃんと伝えれば、少しの過ちなら許して貰えるだろう。そう思えた。

 私が周囲に馴染む事が出来るようになれたのは、小学生時代の発達の遅い劣等生を脱して、周囲に迷惑をかけない程度に義務が果たせるようになれたから。または自分が住む世界を選べるようになったから。自分を知って、補う事が出来るようになったから。そして自分が変わっただけでなく、自分が成長するのと同じく付き合う友人も大人になり、苛めなんてつまらない事を辞めて、優しくなってくれた事にも救われたのだろう。

 それからも私は色んなトラブルを起こすが、それらはもう「普通のワカモノが世間ズレするまでのありふれた過程」であり、「苛め」とはあまり関係なく、この辺りできっと私は一応、自分の中にある歪みに決着がつけれたのだと思う。
 小さな波乱に対して
 「ああ、こんなトラブルばかりの星の元に生まれて、私は可哀想だ。私の回りには禄な人間が居ない」などと嘆きつつも、「あれ??」と思う。私の周りの人間は、ここまでトラブル続きではない。確率的に、これはおかしくないのか? 私は自分から、トラブルを作っているのではなかろうか・・・と。自分からややこしい方向にキャンキャンと噛みついて行って、傷ついた傷ついたと騒ぎ立て、正直な子供ぶっていただけ。
 あの頃の自分を想い出す時は、同時に私が青春を送った頃に流行った類の歌も想い出す。「世の中の汚い事から目を背ける狡い大人になんか、なりたくない」この類のもの。
 大人になってしまった私は、あの頃の私に想う。「確かに世の中には汚い事も沢山ある。だけど、お前は綺麗なものや善意、喜ばしいもの、与えて貰ったものの重さを理解していたか?」と。
 無責任に強い者に噛みつけたのは、それが強く見えていたから。壁のように堅固に見えていた「社会」や「大人」が、実はかなり危ういバランスと努力によって成り立っているという「しょうがなさ」を知らなかったから。ほら、この時の私は、あの世代の普通のワカモノだ。

   今になっても「何が悪くて、私は辛い子供時代を送らなければならなかったのだろう」と考える事がある。今更取り返しはつかないのに。  私は苛めで自殺を考えた事はなく、寧ろ悲しみだとか怒りのスイッチが入る前に、リセットがかかって何も考えられなくなり、無気力になってしまう性だった。
子供の頃の自分は人間が空を飛べないのと同じレベルで自分の努力が報われる事を信じていなかった。
何をしても無駄で、できれば死ぬまでに痛い思いをする回数は少ない方がいいなと思いつつ、縮こまって生きていた。
今でも基本的には無気力がベースの人間で、それだけに情熱への憧れは人一倍で、定期的に情熱ゴッコをするのだが、長続きしない。
自分の中に、「自分を信じていない自分」が根強く残っているらしく、努力が出来ない。
だけど、それは他の欠点と同様、自分のクセを自覚することによって、何とか補う事が出来ている。
大人になってからの私は自分の「努力出来る特性」を信じているし、当てにしている。
 同じように勉強が出来なくても、他人と違う外見的特徴があるにしても、弱い生き物でも、全てが苛められっ子になるわけでもなく、苛められっ子全てがその歪みを引きずるわけでもない。
また、私のように10年かかった人もいれば、20年かかる人も、5年で済む人も居るのだろう。
私が昇華出来なかったレベルまで昇華出来る人も居るのだろう。
 よく子供の頃は「からかう人は無視しなさい」「殴られたら殴り返しなさい」と言われたが、ただでさえ問題を抱えて弱い精神状態に在る子供に、それは余りにも無責任な助言だ。
それでも「殴り返す」のは、まだ私にとっては簡単だった。
喧嘩に勝つのはテクニックだし、「やられっぱなしじゃないぞ」という意思表示なら、不意打ちでも何でも多少痛い目に遭わせれば良いだけで勝つ必然性もない。
だけど他人から投げつけられた言葉や悪意を無視するというのは、大人になってからでも難しい事ではないだろうか。
仮に無視する事が出来たとしても、それは一歩間違えばとても頑なな心を作ってしまう。
 冷静に考えてみれば、誰も悪くない。
 私も大人になって、ストレスが溜まると他人に攻撃的になるプロセスも身を以て分かったので、彼らの気持ちも分かるようになった。
環境や親の影響が強い子供時代の事、彼らだって被害者だったとも言えるだろう。
 感情的には許せないけど、仕方ないとも思う事が殆どだ。
弱者が生きていきにくいのは動物社会なら当たり前、人間社会でも持って生まれた能力の差は、暗黙の了解だ。
例えば不美人に生まれた女の子が「人間って平等でしょ? 私はモデルになりたいのよ」と言ったところで、誰が相手にするだろう? 生まれて来る時に良いカードを引けなかった者は、手持ちのカードが通じる場所で妥協するなり、他人より努力して補うなりしなくてはいけない。
それは言うまでもない事。
 なら、当時通っていた学校のレベルが自分に合わなかったのが原因かとか、親と折り合いが悪かったのが原因か・・・と考える。
しかし、学力的にレベルが合わなかったというより、もっと基本的な事で私は落ち零れていた。
それにド田舎の有名校というのはマイナスな事ばかりでなく、寧ろ無意識にでもそれに助けられ、回避出来た苛めの方こそ数知れないだろう。
 せめて、親との関係がマシなものだったなら・・・と思う。
だけど、その時は最悪の状況と感じても、結果的には私が今、こうして満足して生きてゆけているということは、何だかんだ言ったところで私は必要な教育と暖かい家庭を与えて貰っていたのだと思う。
それに自分があの頃の私のように出来の悪い娘を持ったとしたら、両親ほど我慢強く対処出来る自信もない。
胸を張って「あなたは間違っていたよ」と言える相手は、当時の学校の先生の一部だけで。
 如何に子供の頃の時間が人間の一生を方向づけるとは謂え、やはり辛かった18年は18年、80年生きるとすれば、たったの1/4弱だ。
人生の1/4、辛い想いをするなんて、珍しくも何ともない事だろう。
もしも生まれてすぐの数年と死ぬ前の数年、どちらかを不幸に過さねばならないとすれば、前者を取る。
子供時代の辛さというのは、人生に於ける影響力こそ強いが、先があるだけに救いもある。
あれほど嫌だったホウキ頭だって、歳を取ってからの頭髪の悩みに比べたら、もしかしたら明るいものなのかも知れない。
 昔、子供だった頃、人格形成というのは子供の頃のみに成されるものだと思っていて、完成してしまった大人は「変わらないもの」だと思っていたが、振り返れば大人になってからも、ちゃんと変化出来る。
大人になってから学んだ事の多さに驚く。
少々忘れっぽく、新鮮味を失ってはいるが、会う人の量も、社会経験の量だってかなりのものだ。
人生は、これから。
トラウマだ何だというのは正しいかも知れないが、過ぎてしまった事は、取り戻せない。
だから、そう思って、受けた傷を出来るだけ良いものに変化させる事を夢みて前を向くしかない。
     友人の結婚式で、当時のクラスメイトに会った。
10年経った今でも、私に対する色眼鏡を感じたが、私をそんな風に見るのは、広がった私の世界の中でごく一握り、あなたたちだけだ。
遅咲きだった分、コンプレックスが強かった分、私は努力をして、大抵の事はあなた達よりスマートにこなせるようになった。
「浅ましい」なんて思いながらも、式場からの帰り、笑いが止まらなかった。
 そしてその笑いの衝動に任せて、ハイになった心の腕を振り上げて「だから忘れよう。
子供の頃の事は」と、強く強く「過去」という線を引いた。
それは、二年前の話。

 今回は、書いていて困りました。
想い出す事であの頃に戻ってしまい、書いている数ヶ月は、ちょっと性格が変わってしまったからです。
 昔の私が乗り移っていた今の私は、少しだけオドオドして、少しだけ相手の目を見ない人になっていました。
 私の今の人格の全てに繋がる事なので、今までHPに載せていた文章や、言いたかった事の殆どはこの話に繋がります。
 「やさしくなれない自分」というのも、テーマ的には同じかも知れません。
幼い頃に他人に傷つけられ過ぎると、その子は言葉を覚えるより先に、自分の手を見て自分の手だと認識するよりも先に、他人との関係を傷つけ合う事だと素直に覚えてしまいます。
それはその子にかかった呪いとなり、その子は自分で呪いを解くまで、他人に好意を持ち、やさしくありたいと思う程、相手に伝わらず、そのズレに苦しむことになるでしょう。
これらは誰しも一度は聞いた事のある話だと思います。
 そして大きくなってからも人間、そう強くなれるわけでもなく、傷つけられる程、他人の傷に無神経になってしまう人種もあり、私はそちらサイドのようです。

 対等でない関係に焦がれ、世界も実力もかけ離れた自分のアイドルを崇拝しようとするクセも、他人との距離の取り方が分からなかった故の事だと思います。
 憧れの人と付き合うのは自分の肥やしにもなる喜ばしい事。
だけどこの頃の私にとってアイドル達というのは崇めてしまう姿勢で、距離を置き、自分を守れるという格好の対象だったのでしょう。
彼らと付き合うことによって、自分のプライドも守れます。
(憧れの景色の象徴)(思春期だった頃・・・それでもその時の私には必要だったのです)。


 いつからか、アダルトチルドレンやトラウマや、一昔前ならあまり知られていなかった言葉が氾濫するようになり、その頃には自分に自信が持てるようになり、ノドモト過ぎていた私はいやーな気分になっていました。
何故ならその辺りから身近に「自称、トラウマ持ち」が急増し、それは思春期の女の子の”か弱さ”の如く、自身の特異性や繊細さをアピールする小道具もしくは、現代人にお約束の日常の「つまらなくてありふれて、逃れようもないストレス」からの逃避に見えたからです。
 類は友を呼ぶといいますか(「いつも似た彼氏」より)私の友達や、付き合う人はソレ系の人が多く、自殺完遂者も悲報を聞いても泣けなくなる程図太くなってしまった程度には居たりします(って元々冷たい性格なんですが)。
そして目の前で近しい人に死なれるなどの二次災害に遭った人のトラウマも聞かされたりします。
 最初は悲しくて、悔しくて、彼らの敵であった「世の中」というものを批判したり恨んだりしたのですが、いつしか私にも「世間」の意味が分かるようになったのか、「世間」の辛さや仕方なさが分かるようになったのか同化してしまったのか、私のなかで”五体満足に生まれて、上辺だけだとしても友達も居て、経済的にも安定して、普通の生活が営めるであろうのに、何かと自分の心の問題を取り沙汰し、いつまでも被害者で在り続ける人々”への偏見は高まり、憎まなくて良い人まで憎み、気が付くと、ごくごく一部の本当に苦しんでいる人の苦しみまで分かってあげようともしない自分になっていました。
今でも私のその辺への対処は手厳しく、7割方は間違っていないとは思うのですが、後の3割に対する罪悪感はいつも付きまとい、そんな自分の考えもあまり好きではないので、一時、真面目に勉強をしようと心のトラブルに関する本を買いあさりました。
しかし赤の他人が書いたものなのに冷静になれず、1行読むのも辛く、腹立たしく、結局2,3ページも読めませんでした。
「こんな気持ちで読んでは、失礼だ」と思ったのもありました。
 そのトラブルがハッキリと機能障害であったり、避けようもなく想像を絶するトラウマでだったりした場合、本人が辛いのは、よく分かるのです。
だけどそんな場合でさえも、それらの問題が如何に本人のせいではないと謂え、それらは本人が「**が出来ない」という不自由のみならず、他者を傷つけたり、振り回したりする傾向を孕む場合があり、彼らの言う「普通の人」とて不死身ではなく、努力なしで「普通の人」をしているわけでもなく、彼らと同じように傷つくのです。
引きずられてこちらの精神状態が危うくなる事だって、珍しくない。
 敢えて極端な話をすると、もしも人を殺し続けざるを得ないように生まれついた人間が居たとして、本人もその事に苦しんでいて、心底「自分を認めてくれ、自分でも生きていける道を作ってくれ」と社会活動を始めたとしたら、どうなるんだろう。
今の私の答は、悲しいかな「悪いけど、その本人の可能性だとか権利以前に、そう生まれついたのを不運だと諦めて、消えて欲しい」です。
こんな風に、すぐに限界に達して投げ出してしまう私に足りないのは「知識」なのでしょう。
 自分の立場を大事にしつつ、きちんと相手の立場にも立って、然るべき知識を以て冷静に考えれば一番良い道は分かるのでしょう。
そしてそれが理性を持つ人間が取るべき本来の行動なのでしょう。
もっと、強くなりたい。


 今、この文章を書いたのには理由があります。
感情の熱が冷めた頃合いと、当時のキモチを忘れてしまう頃合いの、丁度良い交差点だったから。
今より早かったなら感情的になっていた。
遅かったなら色んな事を忘れていただろうから

 神様は・・・居ると思います。
どの宗教にも汚されていない、ひとりひとりの神様が。

   ゴミだったのも私。
宝石姫だったのも私。

 他人に触れる事さえ許されなかったのも私。
 好かれたという事について幾つかの逸話を持っているのも私。
 眉間にシワを寄せて、チックに悩まされていたのも私。
 
 どこにでも居そうな、私。

つづく

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