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2002.3.26「ハリガネロックinマンザイマニア X DAY〜伝説の笑い。そして・・・〜」 出演:ハリガネロック、ますだおかだ、くりぃむしちゅー、中川家
※ライブの感想はほとんどありません^^;。「ライブが始まるまで」の出来事を記しているだけです。
1999年3月28日、2丁目劇場ではラストとなるハリガネロックのソロイベント(アフターライブ)「ハリガネロックの1.14.28」を欠席したことは、わたしの中でずいぶん長いあいだ、しこりとなって残っていました。たぶん、客席が自発的にアンコールをしたのはこのライブだけだったはず。そして、客席からクラッカーを鳴らす、2丁目への感謝も込めて・・・という「イベント」があったことをあとから聞いて、そんな素敵な瞬間をハリガネロックと共有できなかった悔しさがずっとありました。この企画をした友達のAちゃんが、この「マンザイマニア」最終回でも同じようなことを考えていると聞いて、1も2もなく「手伝わせて」と言っていたのは、そういう過去があったからでした。アンコールのあと、紙テープを投げて、一斉に呼びかけを行う、という企画。東京へ転勤するハリガネロックにしてあげられること。
といっても、わたしが担当したのは、紙テープを買い集める、と会場での作業部分のみ。事前の構成作家さんとの打ち合わせや段取り決めは、すべてAちゃんがあらかじめやっておいてくれたので、わたしはその計画に従うだけです。2002年3月26日は、ライブに遅刻しないために休みをとっていたのが功を奏しました。
正午に本町でAちゃんと待ち合わせて、彼女の提案で決めたのは、ぴのっきおのネタで清水さんがパーンと手から出すタイプの紙テープ(「柳」というらしい)。本当はクラッカーがよかったのですが、松口くんが大きな音がキライだから、という理由ではなく(笑)、NGKは2丁目と違って消防法を守るから、という理由で事前に却下されていたとのことです。まずはその「柳」の現物を見つけるために、船場センタービル内を歩き回りました。ようやく見つけた「柳」は、値段も使い勝手もなかなか良いものの、その店には数十人分しか置いておらず、とりあえずそれはすべて買い占めました。この時点でAちゃんは会社に戻らなくてはならず、このあとはわたしがひとりで行うことに。
バイクで長堀通まで移動し、東急ハンズでまた数十人分を見つけて買い占め。でも必要なのは1000人分以上。これは、大阪中のオモチャ屋さんを走り回らないといけないかな?と思い、今度はおもちゃ屋のメッカ・松屋町へ移動。そこで初めて入った問屋さんで、大量の「柳」を発見しました。店員さんに聞いたところ、いくらでも在庫はあるとのこと。しかも、一定量以上を買えばかなり安くなる。暗算のできないわたしは携帯電話に付いている電卓機能を駆使し、また、Aちゃんと連絡をとりつつ、ひとまず、人数の読めない当日券分を除いた、指定席+立ち見の分と思われる1000人分を購入しました。1袋4個入りなので、200個近く。梱包してもらったものの、やはりかなりの大きさになり、バイクで運べないことが判明・・・迷った挙げ句、半分を電車で、戻ってもう半分をバイクで運ぶことにしました。正直、かなりの力仕事でなかなか大変ではありました。とりあえず、買った柳をすべて千日前のコインロッカーに納め、次の目的地はNGK。劇場のまわりは「チケット売ってください」という紙を持った少女たちがいっぱいいました。本来なら感傷にひたるべき光景なのでしょうが、このときはそんな余裕はありませんでした。
NGKでの用事は、このライブの当日券を何枚発行したかを聞くこと。窓口のお姉さんも、「当日券の枚数だけ訊くって何?」と思われたことでしょう^^;。それでもちゃんと答えてもらい、50枚と判明。となると、やはり柳の数は足りない・・・Aちゃんとメールで相談し、再度、松屋町へ行くことになりました。先ほどの大量購入と同じ人間ですよ、ということを説明して、今回も割引してもらい、もういちど千日前に戻りました。この時点で夕方4時過ぎだったでしょうか。そういえばお昼も食べていなかった、ということで、インターネットカフェでご飯を食べつつ、自分のところの掲示板をチェックしたりして、いっとき休息。
一緒にライブに入る友達と待ち合わせなどしていたら、すぐに開場時間はやってきました。今度は、この柳を配らなくてはいけません。これがいちばん大変だったかも。一緒に手伝ったのは、ライブに入るハリガネファンの人たち。名前を知らない人も居るけれど、いつもライブで顔をみる、お馴染みの人たちばかりです。名前を知らなくてもハリガネのファンだというだけで安心できた頃の人たち。みんなで手分けして、入場した人に客席でどんどん、柳と、Aちゃんが用意してくれた柳の使い方、そして今回のこのアンコール企画の趣旨を書いた紙をひとつずつ、簡単に説明しながら手渡していきます。いろんな反応がありました。無表情で受け取る人、企画を読んですごく感動してくれる人、「お金とかどうしたんですか?」と心配げに訊いてくれる人(今回すべて有志のカンパで行いました。カンパが普通に行えるっていうのも、ハリガネファンに「大人」が多かったということをあらわしていたと思います)。ともかく、すごく慌ただしかったし、こういう接客的なことは苦手なので気持ちを前に出していかなくてはならず大変だったけれど、大きなトラブルもなく、ほぼ全員に配れたのはよかったなと思います。
息を整える間もなく客電が落ちて、わたしは慌てて自分の席に着きました。そこからは、ライブの世界へ。4時間近い、とてつもなく長いライブも、豪華なゲストと濃い漫才、そして何よりハリガネロックのモチベーションの高さで、ずっと引き込まれてゆきました。
ただ、アンコールが近づくにつれて、ドキドキが増してきました。柳を投げる「きっかけ」(笛を3回吹く)は別の子がするから、わたしの立場としてはもう一般の参加者と同じなのに、やっぱり成功するかどうかが気になる。手の中に用意した柳が汗で湿りそう・・・笛が鳴ったときは、夢中で投げていました。「いってらっしゃい!」と一斉に呼びかけながら。
これが、思っていた以上の、ハリガネロックのリアクションを引き出せたなと、のちのテレビのオンエアを観て嬉しく思いました。あんな表情のふたり・・・すごくビックリしてて、すごく嬉しそうで、ちょっと誇らしげな表情も垣間見られたような・・・そんなこと言ったら自画自賛?(笑)。でも、そうそう観られないカオのふたりが観られて、本当に嬉しかったのです。ちょっとでも関わった甲斐があったな、と幸せに思います、今でも。この日、関わらせてくれたAちゃんや周りの人たちには、本当に感謝しています。
・・・こんな裏話的なこと、備忘メモとはいえ書くべきじゃなかったのかもしれないけれど、こんな形で記念すべきイベントに参加できた嬉しさを忘れないでおきたいという気持ちから、日記のような形で残させてもらいました。ハリガネロックと関わった思い出は、どんな小さなものでもとても大切です。このライブの1年後、まさか渋谷公会堂のライブを成功させるとは思わなかったように、彼らにはいつもビックリさせられてばかりだけれど、こうやってほんのわずかでも関わっていきたいです、ずっと、彼らを観ていきたいです。 (2003.3.21記)
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