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イレブンヒストリー 2002.7.14更新

このページは、NSC11期生の歩みを簡単な年表にしたものです。主に、作者・ヨクが観てきた・感じてきたことがメインになっています。どちらかというと木曜イレブンの中身をここに凝縮したような、「簡易版木曜イレブン」という感じで観てくださると幸いです。データというよりも、トピックスのほうをメインにしているので、イベントやメディアの露出などは把握していてもすべては掲載してはいませんし、網羅しきれていないことについてはご了承ください。ただ、「このときこんなエピソードがあったよ」なんていう面白エピソードについての補足などは指摘していただけたら嬉しいです。

1992年4月

NSC11期生入学。入学と同時に、中川家・LaLaLa・リミテッド・あっぱれ団などはコンビ結成。

1992年8月

松口vs小林コンビ結成。

1993年10月

データハウスより「2丁目ワチャチャBOOK」発刊。

11期生でプロフィールなどが掲載されているのは、中川家、松口vs小林、LaLaLa、リミテッド、あっぱれ団、G☆MEN'S、トクトミトコナミ、原田専門家(芸人時代の)、たじる&エレジー(のちの美濃長岡→みのなが)、新庄かおり(のちのプリン姫)、一級河川大和川、等。当時の「2丁目ワチャチャライブ」などで活躍していたメンバーでした。

1995年3月

松口vs小林、あっぱれ団解散。

1995年3月

ラジオ大阪「上方漫才大賞」新人賞を中川家が受賞。

1995年4月

松口祐樹と大上邦博とでハリガネロック結成。すぐに2丁目のレギュラーとなる。

オーディションイベント「ワチャチャライブJr.」を5週勝ち抜くとレギュラーになるというルールでしたが、ハリガネロックは1週勝ち抜いたところで当時の比企支配人に「あとは出なくていい」と言われ、即レギュラーに上がったそうです。こういう融通の利くところ、当時はよかったなぁ、なんて思います。

1995年5月

小林友治が同期で当時は芸人を辞めていた同期の村越周司を誘い「モストデンジャラスコンビ」結成。

コンビ名の名付け親はG☆MEN'Sザコシショウ、由来は漫画「キン肉マン」に出てくる「ブロッケンJr.&ウルフマン」というタッグチームの名前より。

1995年5月

ルート33コンビ結成。

1995年9月

関西テレビ「爆笑!BOOING」第9回グランドチャンピオン大会で高僧・野々村が優勝。

実は11期生初の同番組グランドチャンピオン誕生。

1995年9月

リミテッド解散。西口圭は引退し、陣内智則はピン芸人となる。

1995年12月

ABCテレビ「すんげー!Best10」で、このWebサイトの名前の由来となった、NSC11期生ばかりが集まったユニット「木曜イレブン」のコント「若者たち」がオンエアされる。

ちなみに当時は知らなかったのですが、「木曜イレブン」という名前は、深夜番組「11PM」の中のコーナータイトルでもあったんだそうです。

1996年1月

ABCお笑い新人グランプリで、最優秀新人賞に中川家、優秀新人賞に美濃・長岡、審査員特別賞に高僧・野々村が選ばれる。

もう1組の優秀新人賞もプラスチックゴーゴーが受賞し、2丁目で独占となりました。最優秀受賞の瞬間、中川家剛は号泣(^^)。ちなみにLaLaLaは一般投票2点という屈辱を味わう(たむけんが何年か後にまでグチグチ言っていた・笑)。

1996年1月

NSC11期生イベント「あれれれれれ」開催。

筆者が初めてこのイベントの存在を知り、「行ってみたい」と痛烈に思った11期イベントでしたが、チケットがとれず、また大学の試験中のため行けず。

1996年3月

ラジオ大阪「上方漫才大賞」新人奨励賞を高僧・野々村が受賞。

1996年8月

第17回今宮こどもえびす新人漫才コンクールでG☆MEN'Sが奨励賞を受賞。

いわゆる「キ○ガイ枠」において松口vs小林に立ちはだかる壁であったG☆MEN'Sですが、まさか本当に賞をとるとは!と周りは大騒ぎだった(ような記憶が)。茶っぱくんもこの頃はイキっていて可愛かったです。

1996年9月

モストデンジャラスコンビ初のソロイベント「悪魔の架け橋」開催。

初の単独ライブながら「女性は18歳未満入場禁止(男性は年齢制限なし)」という暴挙に出て話題に(?)。筆者はこのイベントに行かなかったことを今でも悔やんでいます。

1997年1月

ABCお笑い新人グランプリで、ハリガネロックが最優秀新人賞を受賞。

1997年3月

関西テレビ「爆笑!BOOING」第10回グランドチャンピオン大会でハリガネロックが優勝しグランドチャンピオンに。

2番目に面白かったコンビ(←たぶん)に与えられる「キダ・タロー賞」は美濃長岡が獲得。

1997年2月

NHK上方漫才コンテストでハリガネロックが最優秀賞を受賞。

1997年4月

お芝居イベント「G.V.」をきっかけに、マンスリーイベント「VISUAL」開始。

出演はハリガネロック、シンドバット、次長課長。1年間続き、1年後にはテレビ番組となりました。

1997年5月

5月4日に恒例の11期イベント「あれれれれれ」開催。

ラストに恒例のザコシショウのおまけコーナーに、リミテッドで陣内くんの相方だった西口くんが登場し場内騒然。

1997年9月

2丁目劇場に「漫才禁止令」が施行され、閉館まで続く。それにともない、海原やすよともことともに中川家が2丁目劇場を卒業。

支配人交代に伴う改革でしたが、どうにも、「卒業させられた」という感が未だに拭えません…漫才禁止令に対しても未だに不満が残ります。

1998年1月

ABCお笑い新人グランプリで、陣内智則が優秀新人賞を受賞。

1998年3月

ラジオ大阪「上方漫才大賞」新人賞をハリガネロックが受賞。

1998年4月

「VISUAL」から発展した、ハリガネロックなどがメインで出演する深夜のコント番組「びじゅある」開始。この年の秋まで続く。

出演者は「VISUAL」と同じ3組に加えて遠山景織子をはじめとする女性タレントが3人。ギョンギョン(遠山さんのこの番組での愛称)とよっぴーは今でも活躍中ですが、山下かよちゃん、今何してるのかなぁ?

1998年8月

美濃・長岡が、LaLaLaとのマンスリージョイントイベント「ロクサイノタクラミ」の中の企画で、コンビ名を「みのなが」に変える。

最後まで争った(と思われるコンビ名は「バジル」だったらしいので、発表のときは本当にドキドキしましたが、意外に普通で安心しました^^;。

1998年8月

2丁目劇場で毎回行われる「リーグ戦」でモストデンジャラスコンビが3位となる。

このコンビとしては超異例の高順位。ちなみに最終戦に勝てば優勝でしたが、村越くんが台詞を飛ばし舞台上で泣いたため敗北(笑)。また、この年の暮れに行われた最後のリーグ戦では、モストは1ランク下の「ワチャB」にまで落ちてしまいました^^;。

1998年10月

10月10日、LaLaLa田村くんに長男・風太くんが誕生。

ただしこの時点ではファンには結婚していることも公表せず。水くさい(?)なぁ…。

1998年10月

GAORA収録イベント「漫才食」のカメラがまわっていないコーナーで、ハリガネロック松口、好きな人ができたことを満員のファンを前に堂々告白。

片想いの段階でこれほど赤裸々に語る芸人さんを初めて観ました…ある意味ロックだなと感心。ちなみにこの女性に振られたときのことは、翌年5月の名古屋ソロでまた赤裸々に告白。

1998年12月

年末恒例・MBSテレビの「オールザッツ漫才'98」のコーナーで、司会の東野幸治さんにLaLaLa田村が結婚して子供も居ることを暴露される。

11期生初の妻子持ち芸人登場。ネタの中でも大北くんにツッコまれ、開き直ったタムケンはコントの中で「風太〜〜〜!」と絶叫(笑)。

1999年1月

ABCお笑い新人グランプリで、ルート33が優秀新人賞を受賞。

1999年2月

田村憲司プロデュースイベント「BIRTH」開催。11期生からは、タムケンの他、11期生では大上くん、茶っぱくんが出演。

特にラストの芝居で、大きな感動を呼びました。泣かせる芝居で泣いたのは一般の観劇も含めてこれが最初で最後です。

1999年2月

高僧・野々村がイベント「彼と彼女。」を最後に引退。

この2年ほど前に、いったん解散すると発表があったのですが、その時点では思いとどまってくれ、なんとか頑張ってくれていただけに残念でした。野々村さんはのちに構成作家となり、現在さまざまなイベントやテレビなどで活躍中です。

1999年3月

3月4日、現在のところ最後の11期生イベント「あれれれれれれれ」開催。

村越くんの心情吐露により11期生大混乱のまま幕を閉じましたが(笑)、もしかしてこのあとこのイベントが行われないのはムラコのせいなのか???

1999年3月

メッセンジャーのイベント「メッセンジャーのラオガZ」のコーナー中にて、中川家礼二が結婚していることを告白。

おそらく舞台上で初めて公表したのがここなのではないでしょうか?違ったらスミマセン。

1999年3月

3月31日、心斎橋筋2丁目劇場が閉館。

1999年4月

NGKの興行「7PMシアタートークセッション」中、海原ともこさんに中川家礼二、離婚していることを公表される。

前月に結婚していることを聞いたばかりだったのでたった2週間くらいのあいだに何があったのか今でも気にかかります^^;。

1999年5〜7月

2丁目閉館で演る場所が減った影響か、名古屋・栄3丁目劇場で11期コンビのイベントラッシュ。

5月にみのながの「こんな季節がずっと続けばいいのに」、「ハリガネロックの大八木くんに全日本のチケットをもらいに」、5〜7月にG☆MEN'Sのマンスリーイベント「Zacpa」など。

1999年6月

この月に放映されたNHK「爆笑オンエアバトル」でハリガネロックが当時の最高得点を出した翌週、陣内智則がその最高得点を更新する。

見事な11期生の連係プレー(?)でした!痛快でした。

1999年7月

大阪・難波のライブハウス「難波ベアーズ」にてG☆MEN'S単独ライブ「Zacpa SP」開催。

1999年8月

なんばグランド花月でのbase・2丁目メンバーでのbaseよしもと開館直前の夏祭りイベントを最後に、LaLaLaが解散。

大北くんは引退、田村くんはピン芸人となる。

1999年9月

若手メインの劇場「baseよしもと」がオープン。

1999年9月

ハリガネロック、陣内智則が相次いでソロイベント開催。それぞれbaseよしもとでは初となる。

この頃はまだ、お客さんの数も今ほど多くなかったなぁ…ハリガネもチケット買って攻勢に必死だったなぁ…。この後はハリガネ、陣くんとも隔月または毎月のペースでイベント開催してゆきました。

1999年10月

G☆MEN’SがYES-fm「YES GO GO NIGHT」にて、吉本興業を辞め東京移住することを発表。

ちなみにこのとき一緒にパーソナリティを務めていたのはモストデンジャラスコンビ。

1999年10月

自身のプロデュースイベント「ハイブローライブ」の日より、田村憲司が芸名をひらがなの「たむらけんじ」と改める。

1999年10月

モストデンジャラスコンビが3年振りのソロイベント「モストのムチャ・リブレ」開催。

客席はガラガラ、時間もなんと1時間ちょっとの短いソロイベントでした!(でもお腹いっぱい。)

2000年3月

3月4日「モストのこびこびサタディ」のイベントを最後に、モストデンジャラスコンビ解散。

村越周司は芸人を引退、小林友治は芸名をケンドーコバヤシとかえてピンでの活動を開始。ピンとして初めてのライブ出演は同月の「2cho-kenのガオラGAオーラ」のコーナー、テレビ出演は日本テレビ「わらいのじかん」の若手芸人の名前を覚えるコーナーだったと記憶しています。「わらいのじかん」は解散イベント前に収録したものではないかと推測でき、ちょっと複雑。

2000年3月

NHK「爆笑オンエアバトル」第2回チャンピオン大会でルート33が優勝。

2000年4月

MBSテレビにて、陣内智則など若手芸人出演の番組「クワンガクッ」放映開始。

チュートリアル、ロザン、レイザーラモン(のちにサバンナに交代)と週代わりの企画に挑戦していくはずでしたが、この年の秋から始まった陣内くん出演の企画「レシートすごろく」が半年近く続き、関西を中心に話題を呼びました。この企画が彼の運命を少し変えたといっても過言ではないと思います。レシートすごろくの本も発売されました。ちなみに筆者はこの企画の頃に「万が一会うことがあれば渡そう」と思って(ゴール地点の難波高島屋の近くの)なんばシティのレシートを財布に常備していましたが、未だに捨てられずにいます^^;。

2000年4月

これまで週代わりだったYES-fm「YES GO GO NIGHT」のメインパーソナリティがケンドーコバヤシに。

毎週baseのコンビが一緒にパーソナリティを務める。ほぼ1年間、コバがメインパーソナリティを務めた。

2000年6月

6月10日「みのながに首ったけ」のイベントを最後に、みのながが解散。

ふたりとも引退した形となる。

2000年6月

ハリガネロック、陣内智則がジョイントイベント「ハリガネロックvs陣内智則」「陣内智則vsハリガネロック」を開催。

2000年7月

G☆MEN'Sがコンビ名を「G-men's」にマイナーチェンジし、ライブハウス・難波ロケッツでのバンドのイベント「翼をください」を最後に本格的に東京移住。東京ではワタナベエンターテイメントに所属。

2000年9月

2丁拳銃のbase卒業にともない、陣内智則が11期生初の「イチオシ組」に昇格。

イチオシ組というのは会社にプッシュしてもらえる人たちということらしいですが、実力と運があればそんなことを表に出さなくても大丈夫だと思うのは筆者だけでしょうか?このあからさまな名称は好きにはなれません。陣内くんならプッシュがなくても大丈夫だと思うのですが…。

2000年10〜11月

この年の学祭シーズン限定ユニット「たむ陣」の漫才がいくつかの大学でおこなわれる。

観に行けなかったことが今となっては悔しいです。まさかこの年限定だとは思いませんでした…。東京あたりで復活希望。

2000年11〜12月

陣内智則、たむらけんじ、ケンドーコバヤシの11期生ピン芸人3人が、相次いで草野球で負傷。base支配人に草野球禁止令を出されかける。

陣内くん→外野守備でストリーク山田くんと激突し首を捻挫。脳しんとうで一時的に記憶と意識が飛び、バッファロー吾郎竹若さんの名前が思い出せなかったそう。山田くんも膝を負傷。
コバ、たむけん→ファーストベース上のクロスプレーで、ファーストを守っていたコバと、バッターランナーのたむけんが激突したそう。コバは左肘を脱臼し全治に数ヶ月かかっていました。この時期から春先まで、彼が腕に包帯やサポータをしていたのはそのせい。たむけんも顎を負傷したとのこと。
まさに11期ピン芸人受難の月でしたが、それぞれのキャラクターからかさほど深刻に受け止められなかったのが面白いです。

2000年12月

読売テレビ「上方お笑い大賞」新人賞(銀賞部門)で陣内智則が最優秀新人賞を受賞。

意外にも、彼が若手の頂点に立ったのはこれが初めてのこと。いわゆる「千原軍団」の一員だった芸人さんが最優秀をとるのも珍しいなぁ、と当時思いました。

2000年12月

ハリガネロックのイベント「ハリガネロックの20世紀最後のイベント」にみのなが美濃くんが出演。

みのなが解散後、舞台で観るのはこれが初めてでした。営業職の仕事のあとに駆けつけたそうです。ちなみにこの営業職で彼はとんでもなくいい成績だそうです(この当時で全国9位)。

2001年1月

たむらけんじ、テレビ朝日系列「いきなり!黄金伝説」で、「1か月1万円で生活する夫婦」という企画に有香夫人とともに挑戦、見事達成。

ちなみにここでたむけんが芸人だと紹介される映像で使われるのが、2000年4月「ハイブローライブ〜5hoursノーカット版〜」の中のコントでたむけんが演じていた野球部の女子マネジャーがすごい勢いでバットを素振りしているところなのはいつ見ても笑えました。

2001年2月

baseよしもとでのメッセンジャーのオールナイトイベントにG-men'sが大トリで出演。

大阪時代には考えられなかったほどの^^;大歓声で迎えられました。

2001年3月

NHK「爆笑オンエアバトル」第3回チャンピオン大会でルート33が優勝。連覇となる。決勝大会にはハリガネロックも出場。

2001年3月

baseよしもとのバスケットボールチーム「base BOYS」のイベントに、このチームの初代キャプテンとしてみのなが美濃くんが出演。

ちなみにそんなときでも彼の服装はちょっぴりヤバかったです(笑)。

2001年4月

MBSテレビの深夜番組「見参!アルチュン」開始。ケンドーコバヤシなど出演。

役者の山内圭哉さん、女優の藤谷文子ちゃんという絶妙の組み合わせの3人とともに1年間面白いことを言いながら街を歩き続け、その筋の人間(?)に絶大な支持を受けた番組でした。復活熱烈希望。また、この時期よりケンドーコバヤシは陣内智則と組んでテレビなどに出る機会が増え始めました。

2001年4月

たむらけんじ、テレビ朝日系列「いきなり!黄金伝説」に、今度は「実演販売しながら節約新婚旅行をする夫婦」という企画で再度、夫婦で挑戦。見事、北海道から沖縄まで踏破。

この後、前回の「1か月1万円」で使ったレシピ本が出版されたということもあって、たむけんよりも有香さんのほうが売れるのではないかと冷や冷や(?)しました。いや、それも悪くないですけれど(^^)。

2001年7月

ハリガネロック、陣内智則が昨年に引き続き2DAYSのジョイントイベント「ハリガネロックと陣内智則」「陣内智則とハリガネロック」開催。

2001年9月

たむらけんじ、大阪城野外音楽堂でのbase夏祭りイベントを最後にbaseよしもとを卒業し東京移住。

イベントの雰囲気も相まって、最後は涙のステージとなりました(^^)。

2001年9月

ルート33がbaseよしもとを卒業し東京移住。

2001年12月

朝日放送系列の漫才イベント「M-1グランプリ2001」決勝大会に中川家とハリガネロックが出場。2組だけが残る最終決戦に見事、この2組が進み、中川家が優勝。

今まで応援させてもらってきたことが報われたような、とても大きな感動をもらいました。ちなみに中川家は賞金1000万円を獲得しましたが、準優勝のハリガネロックはダウンタウン松本さんからクリスマス用のお菓子を獲得(笑)。

2002年3月

たむらけんじに第2子となる長女・莉子(りこ)ちゃんが誕生。

2002年3月

ハリガネロック、なんばグランド花月での「ハリガネロックinマンザイマニア X day〜伝説の日、そして…〜」を最後にbaseよしもとを卒業し東京移住。またこの月にハリガネロックがNHK「爆笑オンエアバトル」第4代チャンピオンを獲得。決勝大会には陣内智則、ルート33も出場。

2002年4月

ラジオ大阪「上方漫才大賞」奨励賞に中川家がノミネートされるも会社の意向により辞退。

この件に関してろくに説明がなかったのでちょっと吉本不信に陥りそうです(今さらか)。

2002年7月

7月5日に「Koba Night」、13日に「Jin Night」と、ケンドーコバヤシと陣内智則が相次いで似たようなタイトルのソロイベントを開催。

雑誌「ぴあ」などによると、コバが陣くんをパクったそうです(とコバ自身が語る)。

※ニュースソースはすべて、ライブ・ラジオ・テレビ・雑誌・会報・公式サイトなどで本人や本人に準ずる人が語っていた内容に拠ります。 

 

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