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高校を出てから大学3回生までを、大学のある吹田で過ごしたわたしが、念願の京都に引っ越ししてきたのが、4回生になったとき。妹が、京都の大学に入学したので、一緒に住むことになったためでした。 その年、ふたりで暮らしていて、妹が見出した「すんげー」で、一緒に2丁目にハマりました。結局、どっぷりとハマったのはわたしの方で、後半の妹はミュージカルとかにすっかりハマってしまいましたが、それでも妹もずっと、2丁目のことは好きなままでした。 こう思い返してみると、我が家には、モストブームやコバブームよりずっと前に「村越ブーム」が訪れていたんだなぁって思います。あれは・・・95年秋〜96年初冬のうちどのあたりか忘れましたが、やっぱり「すんげー!BEST10」の中でのこと。覚えている方も多いと思いますが、当時、「すんげー」の前には「ふんげーBEST20」「ふんげーBEST15」という、「すんげー」に出るためのオーディションイベントがありました。もちろん、合格しないとオンエアはされないし、BEST10に入らないとランキングにも載れなかったのですが、とりあえずエントリーしていたら、オープニングで一瞬の映像とネタタイトル/コンビ・ユニット名が流されてました。毎週録画していた「すんげー」を、ふたりで繰り返し繰り返し見ていたあの頃、その数多いボツネタの中のある異様なネタに、わたしたちの目は釘付けになりました。ひとつは、「剛・村越」のユニットの「海対肉」。もうひとつは、村越くんのピンネタ「竹川悟(たけかわさとる)」。 これで一気に、よく知りもしない村越ブームが訪れました。どちらも何度見ても一瞬しか確認できないのですが、「海対肉」は、ゴーグルを付けた剛と村越がつかみ合ってるだけのもの。「竹川悟」は、背中におっぱいを付けた村越くんが舞台を這いずり回ってるネタ。ものすごく、異様でした。「なんかすごい人おる!」って感じ。ほんとに一瞬の映像です。これを読んでくれてる人で、覚えてる人っているかなぁ?それ以来の、村越ブーム。結局、ふたりのあいだのこのおかしなブームが終わることはありませんでした。 わたしがコバファンになるのは必然だったので放っておいても大丈夫。でもこうやって、偶然に妹と一緒にムラコファンライフ(ファン?)を楽しめたのは、今思うと、幸せなことだったなって思います。わたしの影響でインターネットを始めた妹が、わたしより先に、ふたりのあいだのブームをますます高めたさださんのところの村越サイトをチェックして「更新されてたよ」って教えてくれたりしてました。このサイトの「オフ会」ならぬ「オン会」をわたしより楽しみにしていたのも妹で、「オン会いつやるの?」って毎日のように訊いてきていました(結局、実施前に実家に戻ったため参加できなかったの)。友達のために作った「村越セレクション」のビデオを、友達に見せる前にふたりで夢中になって見たりしてました。新しく仕入れたムラコの最低エピソードを、妹に聞かせるのを楽しみにライブから帰ったりしていました。ムラコを見守るコバの優しい眼差しも、妹は大好きなようでした。 ふたりとも、2丁目の人みんなが好きだったけど、ふたりの共通のお気に入りが、中川家・モスト・スミスでした(後半サバンナも加わる)。これらのコンビのことを話し出したら、アホみたいにキャッキャ言ってる姉妹でした。結局、モストやスミスのイベントには一緒に行けなかったのが残念でしたが・・・11期イベントや中川家の「二人会」には一緒に行って、笑い転げてました。あの頃は、なんにも考えずに、裏も何も知らず、ふたりで楽しいことだけを追って、本当に楽しんでいたなって思います。
妹が実家に戻ってしまう数日前、「京都でまだ見てないところに行きたい」という妹と一緒に、大原の三千院と寂光院に行きました。それが、「モストの告別式」の翌日でした。行きや帰りのバス、大原に着いて歩いているとき、なんだかずっと「モストの告別式」の話をしていたような気がします。わたしも興奮していろいろしゃべって、妹もそれを聞いて笑い転げて「それで?それで?」っていくらでも質問してきて。結局、大原の思い出というより、モストの思い出になってしまった1日でした。 モストが解散した日、うちの掲示板のわたしの書き込みを見て、いちばん最初にメールをくれたのが妹でした。噂は敢えて教えてなくて、教えたところで何を言っていいか分からなかったし、ぴあを読んでからは尚更何を言っていいか分からなくて、妹は何も知らない状態で、いきなり事実を突きつけられて、たぶん、わたし以上にショックだったと思います。メールは言葉少なかったけど、あの子があんな悲しそうな文章を書ける子だと思いませんでした。それくらい、ショックを受けていたみたい。
モストが解散して悲しいのは、こんなアホみたいなふたり暮らしの、ささやかな思い出が、過去のモノになってしまったような気がしたからというのも、すごく大きいです。3月4日も、その次の日も、ひとりになるたび涙が出てきて仕方なかったけど、そのとき頭に思い浮かぶのは、こんな日々のことばかりでした。実家に帰っても妹は、わたしが送った「オールザッツ」や「ABC」のビデオを観てまだお笑いは好きでいてくれているみたいだけど、モストがいなくなったということは、ふたりで暮らした京都の5年間を支えていたコンビのひとつがいなくなったということ。そして、妹とは、ちょっと(かなり)遠いものの実家にさえ帰ればいつでも逢えるけど、もうモストっていうコンビには逢えないんだな・・・。妹が実家に帰った直後、寂しくて死ぬかと思ったけどすぐ慣れた(笑)、だけど、モストが居ないこの死にそうな寂しさには、すぐには慣れそうにはありません。
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